炎の記憶

しょこら

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炎の記憶 邂逅

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  あるのは一面の炎と熱。



  赤く、さらに黄金に輝く炎の記憶。




  燃え盛る炎の中で、平然と立つ男。
  全てを焼き尽くす炎をも従えて、青年は静香の前に立っていた。

  朱金の色をした髪が、熱風に舞いあがって踊る。
  強い光を宿した青い瞳がまっすぐに向けられて、静香は泣くのも忘れて魅入っていた。
  恐怖すら感じなくなった。
  美しいと思った。
  この世にこんな美しいものがあるなんて信じられなかった。
  夢を見ているのだと思った。

  城が落ちるのも。
  父や母や、やさしい兄達が魔物たちに殺されてしまったことも。

  すべて夢の中の出来事なのだと。


 「もうすぐ、この城も焼け落ちる。早く逃げろ」


  静かな声だった。
  夢のように美しい深い声で、彼は現実を付きつける。

  どこへ逃げろというのか。
  少女一人が、どうやって生き延びる事が出来ると言うのか。
  世界はそれほど優しくはない。

  静香は顔を上げて、自分を魔物から救ってくれた若い男を見た。
  外から突然現れた青年。
  異国の人のような赤い髪、掘りの深い端正な顔立ち、そしてどこまでも深い青の瞳。
  纏う着物は静香が装う絹の着物よりももっと美しい光沢を放つ不思議な布。
  見た事もない形の装束を身に着けている。
  腰に佩いている長い剣の柄には見事なまでの赤い玉が埋め込まれて、炎に照らされ更に禍禍しいほどに輝きを放っていた。

 「……鬼、か?」

  異形なモノ。美しい「鬼」にちがいない。
  今まで見たことはなかったが、鬼は人を魅了して食らうのだと聞いた。
  己自身の美しさで、人を惑わすのだと。
  ならばこの男が鬼でなくていったい何だというのだろう。
  魔物をも一刀両断せしめたこの男が、鬼でなくてなんとするのか。
  それも良い。
  父も母も兄も、もうこの世にはいない。
  最後に見るものがこんなに美しいものなら、鬼でも構いはしない。
  醜悪な魔物に食われるよりよっほどましというものだ。


  男は顔を曇らせた。
  どこまでも誇り高く潔い気を纏う彼には似つかわしくない、翳り。
  もう一度彼は言った。

 「逃げろ……ここは危ない」
 「鬼ではないのか?」

  煙に咳き込みながら、静香は問う。
  男は眉をひそめた。端正な顔にわずかに戸惑いが見える。

 「………鬼ではない」

  遠くで柱の崩れ落ちる音が響いてくる。
  城全体にすべて炎が回っている。もはや全焼は免れない。
  明日の朝には、黒く崩れ落ちた城の残骸が残っているのだろう。
  逃げる場所などどこにもない。


  の外で生きていく事などできないのだから。



  ミシッと不気味な音が頭上で起こる。
  炎にまかれた柱の欠片が音を立てて落ちてきた。

 「……―――!!」

  悲鳴を、上げたと思った。
  一筋の光が走る。
  悲鳴より早くそれは、柱をこなごなに打ち砕いていた。
  ばらばらと細かく砕けたそれは音を立てて、床に降り注ぐ。
  とっさに顔を覆った静香はそろそろと目を開け、目の前の美しい鬼を見上げた。
  彼は驚愕に目を見開き、静香を見下ろしていた。
  静香の頭上に落下するはずだった柱の欠片は、こなごなに砕け散り、もはや柱の片鱗もない。
  何が起こったのか、まったく分からなかった。
  だからこのときも、鬼がなにかしたのかと思ったのだ。
  その妖力で柱をこなごなに粉砕したのだと。
  だが、どこかでそれは違うとささやく声がした。
  それは封印した記憶。封印した力。
  結界が解けた今、鍵はすでに解き放たれていた。

 「…私か?…私こそが鬼なのか?」

  災いを呼ぶ異質なモノの正体は己であったのか、と。
  父が命をかけて結界を敷き、守っていたものは外界からの敵ではなく、静香を外に出さずにいるための檻であったのだと…。
  知らず哄笑が沸きあがる。
  結界の外で生きることはできないと暗示をかけ、静香を檻に閉じ込めていたのだ。
  静香、その名も偽りのもの。

 「そうじゃ、わらわの名は…」
 「…桜姫、か?」

  男は目を見張ったまま、静香であったものを見下ろしていた。
  艶やかな黒髪は背を覆うほどに長く、地に流れてゆらゆらと蠢いているようにも見える。
  妖しく輝く紫の妖艶な瞳は、遠い記憶の淵に眠っていたものとなんら変わりはなかった。
  男の問いかけに、桜姫と呼ばれた美しい女はにやりと笑みを浮かべて見せた。
  嫣然えんぜんとした微笑。
  男は腰にいていた剣を音もなく抜くと、桜姫の喉元に突きつけた。


 「こんなところで会うとは想像もしなかったな」
 「確かに、のう」

  青年の押し殺した声音や突きつけられた剣にも意に介した様子もなく、桜姫はゆらりと立ちあがる。
  寸先の間を保ちながら、青年は剣を突きつけたまま一歩ほど退いた。

 「二百年ぶりになるのかのぅ?紫陽しよう

  紫陽と呼ばれた青年は表情を変えることなく、冷ややかに、桜姫を見据えている。
  今まで魔物と炎に怯えていた清楚な姫の姿は微塵にも残ってはいなかった。
  抜けるような白い肌と血のような赤い唇。紫の瞳が紫陽を捕える。
  声すらも、艶やかに深く、紫陽を誘う。

 「つれない男……こんなにもわらわはそなたのことを愛しているというに」

  剣の切っ先をすり抜け、桜姫は細く白い腕を紫陽へと伸ばす。
  頬を撫で、しな垂れかかる。

 「わらわを封じるか?」
 「封じる」
 「だが、わらわは甦るぞ」

  紫陽は答えなかった。否、答えられなかったのか。
  桜姫はそんな紫陽を笑う。

 「切れば良い。その炎の剣なら切れようぞ」

  桜姫を滅することができる唯一のもの。何百年と続いた愛憎をも、断ち切るもの。
  紫陽は剣を握る手が感じる熱い鼓動を確かめていた。
  迷うのか、ここで。
  今、ここで揮うことをためらうのは何故なのか。
  どこまでも続く魂の放浪はどこで終わりを告げるのか。
  それは一番、己が分かっている。

 「愛しい男…わらわを滅する唯一の手段を持ちながら」

  そして交わす口付けは、熱く。
  炎よりも激しく。

 「どこまでも哀れで、憎い男……」

  ささやかれるのは愛の言葉。


 「何故、あのとき、殺してはくれなかったの?」



  桜が魔物へと変わる前に。



  微かな声は遥かな昔に確かに在った、優しい少女のもの。
  震える小さな細い手も。

  魂が上げる慟哭どうこく
  薄れて消えていく腕の中の愛しい気配に、紫陽はただ立ち尽くすだけ。


  炎に包まれた城の中で、記憶は巡る。


  繰り返す。


  「何故」と問う。


  永遠に。




  ユラユラと、炎が揺れる。

  炎の記憶だけが鮮やかに、ひとり立ち尽くす紫陽を焼き尽くしていく。




  終.

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