風が紡ぐ愛の歌【完結】

しょこら

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「神龍の鱗石だって?」
 フォール・セティの前には緑色の美しい光沢を放つ石が置かれていた。血で汚れていた石は、綺麗に清められていた。でなければ天空城内には持ち込めない。
 腐食の広がる花畑は、仕方がなく焼いた。
 フォーラの悲しがるだろう顔が浮かんだが、ラディンにもフォール・セティにもどうしようもなかった。時間を置けば置くほど、腐食は広がっていく。取り急ぎ、浄化は行われた。
 フォーラがいたはずの場所にあったという鱗石をまじまじと見つめ、フォール・セティは呻く。何故そんなものが、いま、この天空城にあるのか、と。
 ラディンは神妙な面持ちで頷く。
「間違いないでしょう。今では文献でしか見ることはかなわない神龍ですが、硬質の緑玉の鱗をもつ生き物は世界広しといえども神龍しかおりません」
「でもラディンさま。神龍は太古の聖戦によって失われた一族のはずでは…?」
 フォール・セティの隣でシーンが控えめに口を開く。まだ顔色は悪かったが、気丈にも風神の支えにならんとこの場にいる。
「ええ、何故失われたはずの神龍の鱗がここにあるのか、それは分かりません。しかし、中庭を腐食させたあの血が、魔龍の存在を示していると思われるのです」
 その場の空気が一気に下がったようだった。
 魔龍。
 それを口に出すことすら憚られる存在。
 命の乙女に敵対する黒い龍の一族だ。
「なら、その鱗石の持ち主である神龍は魔龍と戦っていて、多分、何らかの経緯で時空を超えたんだろう。この世界に落ちてきた神龍が天空城に激突した、そういうことだな」
 悲痛な面持ちではあるものの、フォール・セティは努めて冷静に言った。
 巨大な体躯と力を持つ神龍と魔龍の戦いにフォーラは巻き込まれたのだ。
 天空城に落ちてきたのが神龍だと思うのは、被害が中庭だけに限定されていること。魔龍であれば天空城全体が瘴気に汚されていたはずだ。もしそうであれば、フォーラはひとたまりもない。魔龍の毒に触れただけで命はない。
「神龍と魔龍の居場所を早急に突き止めなくては」
 それがフォーラの行方を突き止めることにもつながる。
 神代に存在していた神龍と魔龍。
 その大いなる存在に対等に渡り合える力を保有するのは、このフィーラ・メアでは『風神』であるフォール・セティただ一人だ。
 命の乙女を頂に、地、水、風、火の四神、そして龍族はすべて同列。
 フォール・セティにはこの世界を守る義務がある。
 どんな経緯があったかは分からなくても、この世界に魔龍がいるというのなら滅ぼさなくてはならない。
 それは命の乙女を護るものとして、与えられた使命だ。
「まさか、この時代、この世界に、魔龍が現れるとはな」
 フォール・セティは体が震えるのを感じた。大きな敵に対しての武者震いのようなものだと思う。
 あれだけの血が流れていたのなら、神龍も魔龍もおそらくは満身創痍のはずだ。
 今はきっとどこかに身を隠して体力を回復させているのだろうと思った。
 そっと、シーンが神龍の鱗石に両手をかざして見せた。
 淡い光がシーンの両手から灯り、かすかな風が吹きあがる。
「フォール・セティ、手を…」
 シーンの呼びかけにフォール・セティは頷き、両手を重ね合わせて力を送る。
 風が、ゆらりと何かを映し出そうとしていた。
 薄暗い影がちらちらと姿を現す。
 その映像をシーンはじっと見つめている。
「北の風から大いなる神気を感じます」
「うん、暗くてよく見えないが、岩肌…洞窟のようだな」
 残念ながら、この鱗石からはそれ以上の情報は読み取れなかった。
 欠片でしかないからか、それとも神龍の力が弱まっているのか、想像の域を出ない。
 だが闇雲に探すことになるよりも、絶対良い。方角や地形が分かっただけかなりの収穫なのだから。
「ラディン」
 返事はなかった。
 ラディンはずっと鱗石を見つめている。
 フォール・セティの何度目かの呼びかけにようやく我に返った。
「は、はい。申し訳ありません」
 主君の呼びかけに反応できず、恥じるように頭を下げる。
 ラディンには珍しい失態だ。
 それでもフォール・セティは仕方がないと思った。努めて冷静になろうと振る舞っているが、早くフォーラを探しに行きたいはずだ。そんなラディンの腕を掴み、意識を向けさせる。
「四方の風の宮に召集をかけろ。神龍、魔龍どちらでも構わない。どんな情報でもいい。居場所を突き止める」
「分かりました」
「魔龍の存在が考えられる以上、俺は天空城から動けない。だから、お前に頼む。無事に、姉上を連れて帰ってきてくれ」
 フォーラとよく似た青い瞳がまっすぐにラディンに向けられる。フォール・セティの色は抜けるような澄んだ青空の色。明るくどこまでも広がっていくような、明るい青。フォーラの瞳は柔らかな深みを帯びた青。印象はまるで違うのに、姉弟の瞳はとても良く似ていた。この真摯な瞳に逆らうことなどラディンにはできはしなかった。
 そして、彼の望みは己の望みと同じなのだ。
「…御意」
 ラディンは神妙な面持ちで頷くと、すぐさま踵を返した。
「待て」
 扉から出ていきかけたラディンをフォール・セティは呼び止め、神龍の鱗石から小さなかけらをその手に取ると、そのままラディンに投げてよこした。
 受け取ったラディンは怪訝そうに鱗石のかけらに目をやる。
「持っていけ。小さくても役に立つはずだ」
「分かりました。では」
 かけらをぐっと握りしめ、ラディンは走り出す。
 心はすでに北へと向かっていた。
 ラディンを見送るフォール・セティも大きく息を吐いた。
「大丈夫。信じましょう」
 シーンはフォール・セティを優しく抱きしめる。
 フォーラの身を案じているのはラディンだけではない。フォール・セティにとってもたった一人の姉なのだ。ラディンと一緒に探しに行きたかったはずだ。魔龍の気配がこの世界あるうちは、『風神』としての責務を全うせねばならない。
 それだけがフォール・セティを天空城につなぎ留めている鎖だった。
「姉上は…」
 フォール・セティは苦しげに言葉を紡ぎ出す。
「話したことが、あったかな?姉上は、ずっと私のために天空城に残ってくださっているんだ」
 目を閉じて、昔を思い出すかのようにフォール・セティは話し始めた。
「幼い頃に母を亡くしてからは、姉上が母の代わりになってくださっていた。信じられるかい?私と三つしか違わないのに。私が『風神』を継ぐまではって…ラディンと結婚したときも、ご自分のことより私のことばかり心配して…」
 フォール・セティは幼かった自分が姉の枷になっていることも知っていたし、それに甘えてもいた。先代が亡くなってからは特に、顕著だったかもしれない。幼い弟を守らなくては、とフォーラが頑なにここに居続けてくれることを、フォール・セティはずっと嬉しくて甘えていたのだ。本来なら、ラディンも帰る場所があるのに。
「ラディンまで巻き込んで…天空城に残ってくださって…」
「フォール・セティがフォーラさまを大事に思っているのは分かってる。ラディンさまだって…」
 フォーラがどれだけ弟を慈しんでいるか。ラディンがどれほどフォール・セティをかわいがっているか。天空城にきてまだ日が浅いシーンにもそれぐらい分かる。
「フォーラさまは、きっと無事です」
「…ああ、そうだね」
 震える声でフォール・セティは答える。
 やわらかな温もりを腕に閉じ込めて、泣きそうになるのをぐっと堪える。
 どうか無事でいて欲しい。それだけを願った。
 フォーラはラディンに任せて、フォール・セティには長としてやらねばならないことがあった。
「ありがとう。シーン、もう少し力を貸してほしい」
「はい」
 シーンは柔らかく微笑んで答えた。
「若長さま、四方の王様方がお集まりになられました」
「分かった。今行く」
 フォール・セティは頷くとシーンを伴って、四方の王が待つ広間へと向かった。
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