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第二章
3.ネリアム老
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エリス、リョウラ、リューイの三人が並び、ネリアム老の前に立つと、老はおやおやと言う顔をした。
ネリアム老とは卒業以来初めて顔を合わせるが、どこか懐かしい印象を受ける。澄んだ青い目がなんとも優しい光を帯びている。大きな存在だと、エリスは思った。
「なんとも、珍しい組み合わせだのう。何のパーティーかな」
ネリアム老はおもしろそうに三人の顔を眺め回し、笑った。
「……ネリアム老は、この二人をご存じですか?」
「もちろん、知っておる。称号はまだ与えられぬが、今期の新入りの中では特に優秀な二人だからのう」
「では、こちらのエリスが、星殿の従妹君だということも……」
「無論」
いつの間にか、ネリアム老から笑みは消え、厳しくも落ち着いた長老の顔になっている。
「そなたらしくもない。前置きが長いのう、リョウラ」
「カイユでリヴァ……星殿に何が起きたのか。詳しい情報を知りたいのです」
リョウラの横から、エリスはネリアム老に詰め寄った。リョウラは軽く舌打ちして、エリスの頭を軽く手で押しやる。上官を差し置いて何事だ、とため息交じりに怒られた。
老はじっとエリスを見詰め、しばらく何も言わなかった。こんなにまっすぐ他人から見つめられるのは初めてだった。いままでエリスに向けられてきたのは、怯えや忌避の視線ばかりだった。リューイは見てないから問題外だが、リョウラもからかい半分興味半分だ。だが、エリスをちゃんと認めてくれているのは分かる。同じ感覚をネリアムからも感じられた。
だが、
「そなたたちには知る必要はないことだ」
老から発せられた言葉は、厳しいものであった。
確かに任務は守秘義務が課せられ、おいそれと他人に話すことは禁じられている。
ティアルーヴァがどこに赴き、何の任務に就いているかは機密事項なのだ。
リョウラはこの位は想像していたのか、至って冷静に言い返す。
「ネリアム老、リューイは『千里眼』の力で星殿の姿をみました。闇に倒れ付す星殿の姿を」
老は瞠目したまま、低い唸り声を上げた。
「それは、『未来見』か?」
目を閉じている少年が予知能力を持つ者だと言われているのを思い出したらしい。
リューイは首を横に振る。
「いいえ、あれは過去見でも未来見でもありませんでした。おそらく、現在の星殿のお姿だと思います」
苦しそうに唇をかむリューイを、エリスは黙って見つめた。
リューイがあんな風に、見える苦しさを背負っていたことをエリスは初めて知った。あのとき、同調しなければ、リューイの言葉は信じられなかっただろう。あんな風に前触れもなく、突然に見えてしまうのも嫌だが、リューイの場合、見えるだけでなく感覚まで同調しているような気がした。あの濃く深い闇がとても恐ろしく感じたのは錯覚ではないと思った。
「……それをいつ見たのか、教えてはくれまいか?」
リューイは困ったように口ごもり、頭を下げる。
「申し訳ありません、長老さま。祈りの時間の最中です。とても強い力の勢いに引きずられてしまいました」
ネリアムは掠れ気味の声で軽やかな笑い声を上げる。
「ああ、何も叱っている訳ではないのだよ」
『水晶の鍵』を前にして引きずられるなというほうが無理がある。新人ではさらに仕方がない。
「しかし、近くにいた彼女を巻き込んでしまいました」
「制御を学ぶ時間はそれこそ幾らでもある。……成程、では礼拝堂を抜け出したのは、君達なのだね」
「申し訳ありません」
見事に三人の声が重なった。
ネリアム老は笑みを誘われ、三人を眺め見た。
「お願いします。教えて下さい。リヴァに一体何が起こったのか。カイユで今、何が起きているのですか」
下っ端でしかない魔法使いには過ぎた行為であることは分かっている。無理は重々承知の上だ。
エリスの懇願にネリアム老は大きな息をついた。
「いずれは知れることだからの、仕方があるまい。ただし、時期が来るまで口外無用。まあ、すぐ来てしまうかもしれんが」
三人は、無言で頷く。
「カイユは今、闇に覆われてしまっておる。突然現れた闇によってな」
リョウラは眉をひそめた。突然とはいっても、ここには闇の塔が存在している。闇の塔の監視の目がある中で、感知しなかったとは到底思えないのに、何故そんなことが起こっているのか。
リョウラのその疑問ももっともだとネリアムは頷く。
「……しなかったのでなく、出来なかったのが事実だ。リョウラ」
「そんな馬鹿な……」
それこそそんなことが起こりえるのかと思う。
リョウラのつぶやきを聞き取り、ネリアム老は苦い顔で頷く。
「まさに、突然だった。一夜にして、カイユは闇の中だ」
「では、星殿はその闇の【浄化】にカイユへ赴いて行ったということですね」
ネリアム老は「そうだ」と答えた。
「リヴァが行ったのに【浄化】が出来なかったなんて…一体カイユで何が?」
「わからぬ」
疲れたようにネリアム老は首を横に振る。吐息まじりの声は、深い焦躁感を感じさせる。
「捜索隊を送ったが、その捜索隊もカイユの領域に入った途端、連絡が途絶えた」
静寂が部屋中を満たした。
エリスは再び体が震えてくるのを止められなかった。血が下がり、手足が冷たくなる。意識が遠のきかけたが、気力を振り絞り、無理矢理意識をつなぎ止めた。気を失っている場合ではない。
リューイの言葉通りなら、いまこの瞬間も闇の中にリヴァはいるのだ。
「エリス。光使いは闇の中では力を奪われる。体力温存のために自ら睡眠状態を作ることがある」
「リヴァもそうだってこと?」
彼ほどの実力者ならそういう対策も取れるのかもしれない。でも本当に倒れていたら?あの映像だけではなにが真実かわからない。
「でも、私はここでじっとしているなんて、出来ません!」
エリスはネリアム老に詰め寄り、食ってかかる勢いで叫ぶ。
「長老さま、私をカイユへ行かせてください!」
「エリス、無茶だよ!」
リューイが驚いて声を上げる。闇に沈んだカイユに一人で行こうとするなんて、正気の沙汰ではない。
「それは、できぬ」
「何故ですか?」
「リヴァに頼まれたからの」
「え?」
「最高会議では、初め、この任務はそなたに任せるつもりだった。リヴァはこれに強く反対してのう。そなたに行かせるぐらいだったら、自分が行くと言って、代わりにカイユへと旅立ったのだ」
「リヴァが?どうして……」
「そう、リヴァの頼みを無視する訳にもいかんのでな。それに、そなたにはまだ無理だ」
「でも!」
エリスはそれでも食い下がる。しかし、ネリアムはそれ以上は許さなかった。
「許可はできぬ。おとなしくここでリヴァの帰りを待っていなさい」
これ以上は無理だと悟ったのか、リョウラが小さく息を吐いた。
リヴァの状況が分かっただけでも収穫だ。
「分かりました。失礼します」
リョウラに促され、エリスは渋々頷き、踵を返した。
エリスが悔し気に唇をかんでうつむく。その横顔を心配げに気遣うリューイだったが、ネリアム老が止めてくれてよかったと思っていた。エリスにとってはリヴァは家族だ。心配はよくわかるし、駆け付けたい気持ちもよくわかる。だが、新人のティアルーヴァが一人行ったところで、行方不明者が一人また増えるだけなのだ。
「リョウラ」
ネリアムはリョウラだけを呼び止める。リョウラも分かっていたのか、そのまま部屋に残った。エリスたちが去って行ったのを確認して、リョウラは早々に切り出す。
最高会議の判断はリョウラにとっても腑に落ちないことばかりだ。
「いきなり【浄化】を任せるつもりだったのですか?あまりに無謀ではありませんか?いや、彼女の場合なら【鎮め】も出来るのかも知れませんが」
こんな険呑な声を出すリョウラを初めて見た。ネリアム老は青年の怒りももっともだというように苦笑する。
「可能性にかけてみたかったのだろう」
「可能性? 光と闇を合わせ持つ少女に可能性をかけるから、一人で闇をなんとかして来てくれ、とでも?最高会議はどうかしたんですか?エリスを殺す気ですか」
「同じことを言う」
ネリアムは思い出して、微かに笑い声を上げる。
リョウラはそんな長老を怪訝そうに見た。
「予言、があるのだ」
眉をひそめつつも、リョウラは黙って聞くことにした。わざわざ自分一人を残したからには、何かを話したかったからだろう。
「これを、見るがいい」
ネリアムは古い巻物をリョウラの手に渡した。かなり昔のものらしい。端が黄ばんでぼろぼろと今にも崩れて行きそうだ。
「言い出したのは、闇の塔の者だ。どうしたものか、そればかり固執する……。読んでみなさい」
促され、巻物を丁寧に広げて行く。目を走らせていくリョウラの手が、だんだんと震えて来ていた。
「ネリアム老、これはっ……」
「ティアリス・エル・クルトの予言と言われるものでな。この予言は、上層部の者にしか知られていない。それのせいで、どうも闇の塔の者たちが、暴走しそうでな」
「確かに、これを知ってしまえば、彼女に話が行くのも頷けるかもしれませんが……」
リョウラは震える腕を何とか押さえ付け、予言の強い引力に引き込まれないよう、頭を振った。
「無謀、すぎます。エリスが、老練の魔法使いであったなら、あるいは、と思いますが……」
「若すぎるし、未熟すぎる」
ネリアムがリョウラの言葉を引き取って続ける。
「だからリヴァが止めたのだ」
「闇の塔の長殿はなんとおっしゃっているんですか?」
「何も…あやつだけが平然となりゆきを見ておる」
ネリアムは最高会議でのデイルの涼やかなまでの微笑を思い出す。まるでこれから起こることを期待しているかのように思えてならなかった。
「塔の長が傍観していると?」
「いや、【鎮め】も行っているし、光使いの派遣もしている。何もしていないわけではないが…」
いまの最高会議の対応ではどうにもならないことを分かっているような気がしてならない。
エリスに派遣命令が出るのは時間の問題だと思っているのか。
積極的な介入はしてこないのが不気味だった。なによりも、塔の長がいの一番に声を上げそうなものだが。
「長が声を上げない代わりに、下の者たちが大騒ぎしているんですね」
「そうだ」
デイルが否定も肯定もしないのは何故なのか。
「だが、リヴァまでもが帰ってこぬとなると、もはや歯止めは聞かぬ」
闇の塔の者たちだけでなく光の塔の者たちも浮足立つ。
「ネリアム老」
「エリスにああ言った手前、派遣命令は出したくないのだが、な」
一度ネリアムは言を止めて大きくため息をついた。
「困ったことに。若さゆえの勢い、という言葉もあるくらいだからのう」
茶目っ気たっぷりの老人の言葉に、青年は苦り切った顔で老人を見返す。確かにエリスのあの勢いでは一人でも突っ走って出ていきそうだった。ネリアム老の制止がいつまで効くのか。リョウラは頭をかいた。
「……まったく、すぐ俺を巻き込む」
「そなた、だんだんリヴァに言い方が似てきたな」
とうとうリョウラはそっぽ向いた。
「止められませんよ」
「止められんか?」
「無理ですね。彼女はかなり頑固だと、実の従兄殿から聞いています。言い出したら、絶対に聞かないのだそうです」
「やはり、だめか」
「止めたところで、抜け出すぐらいのことは平気でやるでしょう」
説明しながら肩をすくめ、リョウラは諦めたように笑う。
「では、正式に任務を与えねばならんな」
「老!」
「止めても行くというのなら、同じではないか? 見習いでは単独任務はさせられないが、監督者付きの実習ということでカイユへ行かせることも出来る」
「ネリアム老、もしかして初めからそのおつもりだったのではないですか」
老人は人の悪い笑みで青年を見返す。
「それは勘ぐり過ぎというものだ。そなた以外に任せられるものがいないだけだ」
青年は、この狸おやじ、と心の中で言い返した。
静かな夜だ。
星がひっそりと瞬きを繰り返している。
そろそろ消灯時間になろうとしていた時である。
控え目にドアをノックする音が聞こえ、扉を開けてみると、立っていたのはリョウラだった。
氷の光使いは、ひどく真面目な顔で廊下に立っていた。
「ネリアム老とあの後も話したが、リヴァほどの光使いが御せない闇だとしたら、今までのように個人に任をまかせることは出来ない。ティアルーヴァを選抜して数人カイユへ送り込むことになった」
「……そう」
ネリアム老には待機するようにはっきりと言い渡されてしまったエリスにとって、その任務はうらやましく、また悔しくて仕方がない。
カイユに行きたい。リヴァを探しに行きたい。その思いだけが募る。
「お前が一人で乗り込むより、よっぽどましだってことだな」
リョウラのからかい口調に、エリスは思わずむっとする。
「喜べ、初任務だ。カイユの状態は闇使いの【鎮め】ではどうにもならないくらい闇が膨れ上がっているらしい。最高会議から【浄化】の命が正式に下った。責任者は俺だ」
「え、じゃあ……?」
「人選はこれからだが、お前とリューイもメンバーに入れておく」
エリスの顔がぱぁっと明るくなった。
「三日後、日の出と共に、出発する。準備しておけ」
「はい!」
リューイには無謀だと言われた。ネリアム老にはまだ無理だとも言われた。
だが呼んでいるのだ。強く。エリスを。
無謀でもいい。
エリスを呼ぶ声は、身を焦がすほどに強く誘う。
カイユへ引き寄せられる。
声は誘う。
三日後の早朝、霧のたちこめる中、エリスたちは塔を出発した。
空を、光使いたちの飛び交う軌跡が彩る。
緑の塔の奥から、白髪白髭の老人ネリアムが青い目を壁の一点にあて、霧の道を歩いて行く光と闇の二つの力をもつ少女の後ろ姿をじっと見詰めていた。
『……闇の地より 光の声
運命の乙女 かの地へと誘わん』
ネリアム老とは卒業以来初めて顔を合わせるが、どこか懐かしい印象を受ける。澄んだ青い目がなんとも優しい光を帯びている。大きな存在だと、エリスは思った。
「なんとも、珍しい組み合わせだのう。何のパーティーかな」
ネリアム老はおもしろそうに三人の顔を眺め回し、笑った。
「……ネリアム老は、この二人をご存じですか?」
「もちろん、知っておる。称号はまだ与えられぬが、今期の新入りの中では特に優秀な二人だからのう」
「では、こちらのエリスが、星殿の従妹君だということも……」
「無論」
いつの間にか、ネリアム老から笑みは消え、厳しくも落ち着いた長老の顔になっている。
「そなたらしくもない。前置きが長いのう、リョウラ」
「カイユでリヴァ……星殿に何が起きたのか。詳しい情報を知りたいのです」
リョウラの横から、エリスはネリアム老に詰め寄った。リョウラは軽く舌打ちして、エリスの頭を軽く手で押しやる。上官を差し置いて何事だ、とため息交じりに怒られた。
老はじっとエリスを見詰め、しばらく何も言わなかった。こんなにまっすぐ他人から見つめられるのは初めてだった。いままでエリスに向けられてきたのは、怯えや忌避の視線ばかりだった。リューイは見てないから問題外だが、リョウラもからかい半分興味半分だ。だが、エリスをちゃんと認めてくれているのは分かる。同じ感覚をネリアムからも感じられた。
だが、
「そなたたちには知る必要はないことだ」
老から発せられた言葉は、厳しいものであった。
確かに任務は守秘義務が課せられ、おいそれと他人に話すことは禁じられている。
ティアルーヴァがどこに赴き、何の任務に就いているかは機密事項なのだ。
リョウラはこの位は想像していたのか、至って冷静に言い返す。
「ネリアム老、リューイは『千里眼』の力で星殿の姿をみました。闇に倒れ付す星殿の姿を」
老は瞠目したまま、低い唸り声を上げた。
「それは、『未来見』か?」
目を閉じている少年が予知能力を持つ者だと言われているのを思い出したらしい。
リューイは首を横に振る。
「いいえ、あれは過去見でも未来見でもありませんでした。おそらく、現在の星殿のお姿だと思います」
苦しそうに唇をかむリューイを、エリスは黙って見つめた。
リューイがあんな風に、見える苦しさを背負っていたことをエリスは初めて知った。あのとき、同調しなければ、リューイの言葉は信じられなかっただろう。あんな風に前触れもなく、突然に見えてしまうのも嫌だが、リューイの場合、見えるだけでなく感覚まで同調しているような気がした。あの濃く深い闇がとても恐ろしく感じたのは錯覚ではないと思った。
「……それをいつ見たのか、教えてはくれまいか?」
リューイは困ったように口ごもり、頭を下げる。
「申し訳ありません、長老さま。祈りの時間の最中です。とても強い力の勢いに引きずられてしまいました」
ネリアムは掠れ気味の声で軽やかな笑い声を上げる。
「ああ、何も叱っている訳ではないのだよ」
『水晶の鍵』を前にして引きずられるなというほうが無理がある。新人ではさらに仕方がない。
「しかし、近くにいた彼女を巻き込んでしまいました」
「制御を学ぶ時間はそれこそ幾らでもある。……成程、では礼拝堂を抜け出したのは、君達なのだね」
「申し訳ありません」
見事に三人の声が重なった。
ネリアム老は笑みを誘われ、三人を眺め見た。
「お願いします。教えて下さい。リヴァに一体何が起こったのか。カイユで今、何が起きているのですか」
下っ端でしかない魔法使いには過ぎた行為であることは分かっている。無理は重々承知の上だ。
エリスの懇願にネリアム老は大きな息をついた。
「いずれは知れることだからの、仕方があるまい。ただし、時期が来るまで口外無用。まあ、すぐ来てしまうかもしれんが」
三人は、無言で頷く。
「カイユは今、闇に覆われてしまっておる。突然現れた闇によってな」
リョウラは眉をひそめた。突然とはいっても、ここには闇の塔が存在している。闇の塔の監視の目がある中で、感知しなかったとは到底思えないのに、何故そんなことが起こっているのか。
リョウラのその疑問ももっともだとネリアムは頷く。
「……しなかったのでなく、出来なかったのが事実だ。リョウラ」
「そんな馬鹿な……」
それこそそんなことが起こりえるのかと思う。
リョウラのつぶやきを聞き取り、ネリアム老は苦い顔で頷く。
「まさに、突然だった。一夜にして、カイユは闇の中だ」
「では、星殿はその闇の【浄化】にカイユへ赴いて行ったということですね」
ネリアム老は「そうだ」と答えた。
「リヴァが行ったのに【浄化】が出来なかったなんて…一体カイユで何が?」
「わからぬ」
疲れたようにネリアム老は首を横に振る。吐息まじりの声は、深い焦躁感を感じさせる。
「捜索隊を送ったが、その捜索隊もカイユの領域に入った途端、連絡が途絶えた」
静寂が部屋中を満たした。
エリスは再び体が震えてくるのを止められなかった。血が下がり、手足が冷たくなる。意識が遠のきかけたが、気力を振り絞り、無理矢理意識をつなぎ止めた。気を失っている場合ではない。
リューイの言葉通りなら、いまこの瞬間も闇の中にリヴァはいるのだ。
「エリス。光使いは闇の中では力を奪われる。体力温存のために自ら睡眠状態を作ることがある」
「リヴァもそうだってこと?」
彼ほどの実力者ならそういう対策も取れるのかもしれない。でも本当に倒れていたら?あの映像だけではなにが真実かわからない。
「でも、私はここでじっとしているなんて、出来ません!」
エリスはネリアム老に詰め寄り、食ってかかる勢いで叫ぶ。
「長老さま、私をカイユへ行かせてください!」
「エリス、無茶だよ!」
リューイが驚いて声を上げる。闇に沈んだカイユに一人で行こうとするなんて、正気の沙汰ではない。
「それは、できぬ」
「何故ですか?」
「リヴァに頼まれたからの」
「え?」
「最高会議では、初め、この任務はそなたに任せるつもりだった。リヴァはこれに強く反対してのう。そなたに行かせるぐらいだったら、自分が行くと言って、代わりにカイユへと旅立ったのだ」
「リヴァが?どうして……」
「そう、リヴァの頼みを無視する訳にもいかんのでな。それに、そなたにはまだ無理だ」
「でも!」
エリスはそれでも食い下がる。しかし、ネリアムはそれ以上は許さなかった。
「許可はできぬ。おとなしくここでリヴァの帰りを待っていなさい」
これ以上は無理だと悟ったのか、リョウラが小さく息を吐いた。
リヴァの状況が分かっただけでも収穫だ。
「分かりました。失礼します」
リョウラに促され、エリスは渋々頷き、踵を返した。
エリスが悔し気に唇をかんでうつむく。その横顔を心配げに気遣うリューイだったが、ネリアム老が止めてくれてよかったと思っていた。エリスにとってはリヴァは家族だ。心配はよくわかるし、駆け付けたい気持ちもよくわかる。だが、新人のティアルーヴァが一人行ったところで、行方不明者が一人また増えるだけなのだ。
「リョウラ」
ネリアムはリョウラだけを呼び止める。リョウラも分かっていたのか、そのまま部屋に残った。エリスたちが去って行ったのを確認して、リョウラは早々に切り出す。
最高会議の判断はリョウラにとっても腑に落ちないことばかりだ。
「いきなり【浄化】を任せるつもりだったのですか?あまりに無謀ではありませんか?いや、彼女の場合なら【鎮め】も出来るのかも知れませんが」
こんな険呑な声を出すリョウラを初めて見た。ネリアム老は青年の怒りももっともだというように苦笑する。
「可能性にかけてみたかったのだろう」
「可能性? 光と闇を合わせ持つ少女に可能性をかけるから、一人で闇をなんとかして来てくれ、とでも?最高会議はどうかしたんですか?エリスを殺す気ですか」
「同じことを言う」
ネリアムは思い出して、微かに笑い声を上げる。
リョウラはそんな長老を怪訝そうに見た。
「予言、があるのだ」
眉をひそめつつも、リョウラは黙って聞くことにした。わざわざ自分一人を残したからには、何かを話したかったからだろう。
「これを、見るがいい」
ネリアムは古い巻物をリョウラの手に渡した。かなり昔のものらしい。端が黄ばんでぼろぼろと今にも崩れて行きそうだ。
「言い出したのは、闇の塔の者だ。どうしたものか、そればかり固執する……。読んでみなさい」
促され、巻物を丁寧に広げて行く。目を走らせていくリョウラの手が、だんだんと震えて来ていた。
「ネリアム老、これはっ……」
「ティアリス・エル・クルトの予言と言われるものでな。この予言は、上層部の者にしか知られていない。それのせいで、どうも闇の塔の者たちが、暴走しそうでな」
「確かに、これを知ってしまえば、彼女に話が行くのも頷けるかもしれませんが……」
リョウラは震える腕を何とか押さえ付け、予言の強い引力に引き込まれないよう、頭を振った。
「無謀、すぎます。エリスが、老練の魔法使いであったなら、あるいは、と思いますが……」
「若すぎるし、未熟すぎる」
ネリアムがリョウラの言葉を引き取って続ける。
「だからリヴァが止めたのだ」
「闇の塔の長殿はなんとおっしゃっているんですか?」
「何も…あやつだけが平然となりゆきを見ておる」
ネリアムは最高会議でのデイルの涼やかなまでの微笑を思い出す。まるでこれから起こることを期待しているかのように思えてならなかった。
「塔の長が傍観していると?」
「いや、【鎮め】も行っているし、光使いの派遣もしている。何もしていないわけではないが…」
いまの最高会議の対応ではどうにもならないことを分かっているような気がしてならない。
エリスに派遣命令が出るのは時間の問題だと思っているのか。
積極的な介入はしてこないのが不気味だった。なによりも、塔の長がいの一番に声を上げそうなものだが。
「長が声を上げない代わりに、下の者たちが大騒ぎしているんですね」
「そうだ」
デイルが否定も肯定もしないのは何故なのか。
「だが、リヴァまでもが帰ってこぬとなると、もはや歯止めは聞かぬ」
闇の塔の者たちだけでなく光の塔の者たちも浮足立つ。
「ネリアム老」
「エリスにああ言った手前、派遣命令は出したくないのだが、な」
一度ネリアムは言を止めて大きくため息をついた。
「困ったことに。若さゆえの勢い、という言葉もあるくらいだからのう」
茶目っ気たっぷりの老人の言葉に、青年は苦り切った顔で老人を見返す。確かにエリスのあの勢いでは一人でも突っ走って出ていきそうだった。ネリアム老の制止がいつまで効くのか。リョウラは頭をかいた。
「……まったく、すぐ俺を巻き込む」
「そなた、だんだんリヴァに言い方が似てきたな」
とうとうリョウラはそっぽ向いた。
「止められませんよ」
「止められんか?」
「無理ですね。彼女はかなり頑固だと、実の従兄殿から聞いています。言い出したら、絶対に聞かないのだそうです」
「やはり、だめか」
「止めたところで、抜け出すぐらいのことは平気でやるでしょう」
説明しながら肩をすくめ、リョウラは諦めたように笑う。
「では、正式に任務を与えねばならんな」
「老!」
「止めても行くというのなら、同じではないか? 見習いでは単独任務はさせられないが、監督者付きの実習ということでカイユへ行かせることも出来る」
「ネリアム老、もしかして初めからそのおつもりだったのではないですか」
老人は人の悪い笑みで青年を見返す。
「それは勘ぐり過ぎというものだ。そなた以外に任せられるものがいないだけだ」
青年は、この狸おやじ、と心の中で言い返した。
静かな夜だ。
星がひっそりと瞬きを繰り返している。
そろそろ消灯時間になろうとしていた時である。
控え目にドアをノックする音が聞こえ、扉を開けてみると、立っていたのはリョウラだった。
氷の光使いは、ひどく真面目な顔で廊下に立っていた。
「ネリアム老とあの後も話したが、リヴァほどの光使いが御せない闇だとしたら、今までのように個人に任をまかせることは出来ない。ティアルーヴァを選抜して数人カイユへ送り込むことになった」
「……そう」
ネリアム老には待機するようにはっきりと言い渡されてしまったエリスにとって、その任務はうらやましく、また悔しくて仕方がない。
カイユに行きたい。リヴァを探しに行きたい。その思いだけが募る。
「お前が一人で乗り込むより、よっぽどましだってことだな」
リョウラのからかい口調に、エリスは思わずむっとする。
「喜べ、初任務だ。カイユの状態は闇使いの【鎮め】ではどうにもならないくらい闇が膨れ上がっているらしい。最高会議から【浄化】の命が正式に下った。責任者は俺だ」
「え、じゃあ……?」
「人選はこれからだが、お前とリューイもメンバーに入れておく」
エリスの顔がぱぁっと明るくなった。
「三日後、日の出と共に、出発する。準備しておけ」
「はい!」
リューイには無謀だと言われた。ネリアム老にはまだ無理だとも言われた。
だが呼んでいるのだ。強く。エリスを。
無謀でもいい。
エリスを呼ぶ声は、身を焦がすほどに強く誘う。
カイユへ引き寄せられる。
声は誘う。
三日後の早朝、霧のたちこめる中、エリスたちは塔を出発した。
空を、光使いたちの飛び交う軌跡が彩る。
緑の塔の奥から、白髪白髭の老人ネリアムが青い目を壁の一点にあて、霧の道を歩いて行く光と闇の二つの力をもつ少女の後ろ姿をじっと見詰めていた。
『……闇の地より 光の声
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聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
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