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第三章
1.邂逅
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無限の空間の中を、眩い光が一定の方向を定めつつ、ゆったりと流れて行く。
ルーリックは、傷付いた体を守るように全身に光を纏い、流れに身を任せていた。
誰かに呼ばれているような錯覚にふと囚われるが、意識は深いところに沈み込み、何の感情も沸いて来ない。
時折、光の中に浮かぶ映像にも、今となっては心が動かされることはない。
今度は、どこに行くのか。
もう、どうでも良いことのように思える。
いつまで、この旅は続くのか。
長い年月、探し求めているというのに、それは未だ見付けられない。
「………………。」
呼び声。
強く誘うくせに、ひどくあっけなく去って行く。
呼び掛けているのは、一体、誰なのか。
意識を声に傾けると、視界が一気に開けた。
光の中に誰かいる。
金の髪の美しい女性が、優しい青い瞳を向けていた。
「……私の子。何を泣いているのです?」
「母上……」
伸ばされた腕が届く直前に、女性の姿は掻き消えた。
ルーリックは身を起こし、先程までその場にいたはずの女性の姿を探し求める。
幻影だと気付いたとき、泣き笑いにも似た表情を、ルーリックは浮かべていた。
「母上、いつまで探せば良いのですか? 僕の望みはまだ、適わないのですか?」
震える声音は、まだ少年を脱したばかりの若い声。薄汚れた全身を横たえ、ルーリックは再び、流れに身を任せる。
願いはまだ叶えられない。
旅はまだ終わらない。
光がルーリックを包み込み、青年を時の彼方へと連れ去って行く。
緑の塔を出発して三日、エリスはカイユとグラールの土地境まで来ていた。塔から一緒に任務に就いていたティアルーヴァたちの気配はどこにもない。
完全にはぐれてしまったようだ。
まさか自分が迷子になるとは思わなかった。
心の声を聴いてリョウラがすぐに見つけてくれるだろうと思っていたら、まるでその気配はない。
その『千里眼』でリューイが見つけてくれることも期待したが、それもない。
何なのだろう、これは。
あれだけ大口をたたいた割には、何の役にも立っていないではないか。
なすすべなく助けを待っている自分が一番情けない。
行き先は分かっているのだ。
一人でも進むしかない。そう思って、エリスはたった一人で歩を進めてきた。
きっとどこかで会えるはずだ。
それに、不思議なことにエリスを呼ぶ声がするのだ。
内なる声に従うことに、何の躊躇もない。
この声を無視したら、一生後悔するような気がする。
もしかしたら、リヴァが呼んでいるのかもしれない。
そう思うといても立ってもいられなかった。
顔を上げて、すでに眼前のカイユを仰ぎ見る。
ようやくここまできたのだ。
昼間だというのに、薄暗い。
今は封鎖されている街道に沿って、歩き始める。
それは、勘のようなものだったかも知れない。
運命の出会いがエリスを待っていた。
どんよりと、闇が街を覆っている。
カイユへ一歩足を踏みいれた途端、一切の光が遮断されてしまったようだ。後ろを振り返ると、薄暗くグラールの風景が見える。一枚の黒いヴェールで、街全体を覆っているかのようだ。
カイユの街は、アスファーダの都市の中では、比較的規模が小さいほうで、農耕地であるから、人口も少ない。
カイユの人々は、どうしているのか。
地方にも点在しているティアルーヴァは幾人かいる。彼らがうまく人々を避難させていれば良いのだが。
一夜にして、闇に覆われたと言うあたり、まだ逃げ遅れた人達がいるかもしれない。
エリスは、思考を断ち切り、鋭く顔を上げた。突然、前方に誰か人の気配が現れたからだ。
不自然な現れ方だった。
ふわりと、その部分だけ存在感が増す。
そんなに距離は遠くない。
じっと目を凝らし、慎重に近付きながら、相手の出方を探る。
気配を殺して近付いている訳ではないので、相手もすぐ自分の存在に気付くはずだ。
しかし、何の反応も返ってはこない。
エリスは訝しんだ。
更に近付き、足を止める。
キラリと何かが光った。
光使いの出した信号かとも思ったが、どうやら違うようだ。
一歩一歩、忍び足で光源に近付く。
光源に近付くに連れ、闇の動きが活発になって来る。しかし、光源の回りに集まって来るだけで、一定のラインを引いてそれ以上は近付けないらしい。
カイユに入って闇に慣れていたエリスは、その光源の余りの眩しさに、思わず目を細めた。
しかしすぐにその光量にも目が慣れる。
人が眠っている。
こんな場所で、人が眠っているはずはなく、むしろ、倒れていると言うべきかもしれない。だが、まるで光に守られているかのように見え、エリスははっと息を飲んだ。
「リヴァ?」
金色の波打つ髪。端正な横顔。
エリスは駆け寄って、倒れ付している青年に手を伸ばす。
青年の回りに取り巻いていた光は、エリスが触れた途端、綺麗さっぱり消え去った。
「リヴァ!」
青年を抱き起こし、顔を覗き込んだエリスは落胆した。
青年は、星の光使いではなかった。
よく見ると、リヴァの肩を覆うほどの髪に対し、倒れていた青年の髪は短い。端正な顔立ちはリヴァと同じだが、青年の方が幾らか若い。恐らく、エリスとそう変わらない年令のはずだ。
光の塔のティアルーヴァだろうか。
見覚えのない顔だ。塔の要人の顔は全て覚えたはずだったが、取りこぼしたのだろうか。
各地に点在しているティアルーヴァの顔も、例外なく覚えなくてはならなかったので、必死に覚えたつもりだったのに。
エリスはとりあえず、考えるのを止めた。ここで、じっとしている訳にも行かない。
一度、カイユから出たほうが良いかもしれない。
この空気は、青年にはつらいはずだ。
エリスは意を決して、青年を引きずって行くことにした。とても、担ぎあげて行く力は、エリスにはない。
青年を抱きかかえようとしたとき、エリスははっとして鋭く振り返った。
咄嗟に身を翻す。闇と空気を切り裂いて、何かが右腕すれすれに飛んで来た。あのまま、あの場所に立っていたら、心臓を一突きにされていただろう。
エリスは青年を守るようにして、油断なく身構える。
地に突き刺さった物は、狩猟用の矢のようなものであった。カイユの地では、弓矢は珍しい代物だ。無論、狩猟を専門とし、生活する者もいるが、それはここでは希な存在である。矢のような物は、しばらくして、闇と同化して消えた。
エリスは、やけに落ち着いている自分を不思議に思った。狙われているはずなのに、心は冷静に判断している。
しかし、今度の気配は、ちゃんとした人間の物だ。闇使いかも知れないと思い、エリスは右の手に光を灯した。
するとやはり、対峙している人物はたじろいだ。
途端に、回りの闇が引き寄せられ、光を消そうと躍起になって集まって来る。
バチッと音を立てて、光はすぐに消えてしまった。エリスは舌打ちする。
闇の中で、光は至上の力になる場合と、そうならない場合がある。今回は、少し分が悪いようだ。
光が闇に消されてしまう。闇の力のほうが強いのだ。
しかし、先ほどの光玉で相手の人間も、エリスの正体が分かっただろう。
光玉は、光使いが自分の居場所を知らせるためによく使われる。
あれで、自分がティアルーヴァであると分かったはずだ。
もう襲って来る気配もない。
やはり、闇使いだろうか。
エリスは目を凝らした。
薄くぼんやりと、人の形が見て取れる。
まだ子どものようだ。この子が先程の弓を射ったのだろうか。
「あんた、魔法使いか?」
予想どおり、甲高い子供の声。脅えが少し見られる、ちょっと怒った口調。
エリスはほっとして、子どもに向けて諭すように名乗る。
「ええ、そうよ。緑の塔から来たティアルーヴァよ。君はここの子なの?」
子どもは、そうだと答えた。
「ここに、人が倒れているの。家の人に助けを借りたいのだけど」
「怪我、してるのか?」
子供はおとなびた口調でたずねて来る。警戒している様子はなく、むしろ心配してくれているようだ。
「怪我は、していないと、思うわ。体力を消耗していると思うから、休ませてもらえる場所がほしいの」
子供は、うーんと考え込み、言った。
「ティアルーヴァの塔から来たんなら、ナナが連れて来て良いって言ってた。……こっちだよ」
子供がさっさと行ってしまいそうだったので、エリスは慌てて引き留めた。
「私一人じゃ、あの人を連れて行けないわ。大人の手を借りたいのよ」
「外に出れるのはおいらだけなんだ」
今度はエリスの方が困ってしまった。
この青年を担いで行くには、無理がある。人手が欲しいが、子供しかいないのではどうにもならない。
「おいら結構、力あるよ。おいらが担いで行こうか?」
そう言うと、いきなり、目の前に姿を現した子供が、ひょいと青年を担ぎあげた。これには、エリスはぎょっと目を剥いた。
見れば、黒髪に金色の目の十才位の少年である。
唖然と見上げているエリスに、少年はにやっと笑いかける。
「姉ちゃんも担いでやろうか?」
エリスは勢い良く首を振った。
「結構よ。私はエリス。ありがとう、助かったわ」
「おいら、イアン」
イアンと名乗った少年は、片手で青年を担ぎ、もう片方の手をエリスに伸ばす。
「はぐれちゃ、まずいからな」
これでは、どちらが子供なのか分からない言い方である。
エリスは肩を竦めながらも、素直にイアンに手を引かれるままにした。
しばらく歩くと、石造りの家から明るい光がもれているのが見えた。
戸口に立ち、イアンが声を上げる。
「ナナ、戸を開けて。病人だよ。怪我人! 客だよ、客!」
エリスはびっくりして、イアンを見下ろした。ナナという人物は、開業医なのだろうか。
「ああ、全く口が悪いガキだね、さっさとお入り」
言ってる本人も相当口が悪い、しわがれた声は、老婆のものだ。
扉が開き、何だか訳が分からないうちに、エリスは家の中に引きずりこまれていた。
しわがれた声が、封印の呪文を唱えている。
後ろを振り返ると、頭の白い老婆が、エリスを見て笑った。エリスは唖然となった。
「ナナ、この人、奥の部屋に連れて行くよ」
「ああ、そうしておくれ」
「ティアルーヴァなんですか?」
「現役はとっくの昔に引退したがね。もうほとんど力は残っていまいよ」
そんなことはない、とエリスは思った。これだけの結界を張れる人だ。
老婆はエリスの考えていることが分かったらしい。
「これが精一杯なのさ。これ以上の力はもう出せないね」
老婆は、エリスを見、目を細めた。
「珍しいね。黒髪に青い目のティアルーヴァとは」
「エリス、と言います。称号はまだ戴いていませんが」
不思議と、珍しいと言われたのにもかかわらず、素直に名乗っていた。この老婆もまっすぐにエリスを見てくる。ティアルーヴァならエリスの色はありえない色だと分かるはずなのに。緑の塔にいた人物なのだろうか。
「見習いを遣すなんざ、ネリアムの鼻たれめ、何を考えてるんじゃ」
老婆の物言いにも驚いたが、ティアルーヴァの長、ネリアム老を鼻たれと呼ぶ人物がいるとは……。
「長老をご存じですか?」
「ご存じも何も、昔はわしの弟分でかわいがってやったもんさ」
豪快に笑うナナを、呆然とエリスは眺める。
なんだか大変な人と会ってしまったかもしれない、とエリスは思った。
ルーリックは、傷付いた体を守るように全身に光を纏い、流れに身を任せていた。
誰かに呼ばれているような錯覚にふと囚われるが、意識は深いところに沈み込み、何の感情も沸いて来ない。
時折、光の中に浮かぶ映像にも、今となっては心が動かされることはない。
今度は、どこに行くのか。
もう、どうでも良いことのように思える。
いつまで、この旅は続くのか。
長い年月、探し求めているというのに、それは未だ見付けられない。
「………………。」
呼び声。
強く誘うくせに、ひどくあっけなく去って行く。
呼び掛けているのは、一体、誰なのか。
意識を声に傾けると、視界が一気に開けた。
光の中に誰かいる。
金の髪の美しい女性が、優しい青い瞳を向けていた。
「……私の子。何を泣いているのです?」
「母上……」
伸ばされた腕が届く直前に、女性の姿は掻き消えた。
ルーリックは身を起こし、先程までその場にいたはずの女性の姿を探し求める。
幻影だと気付いたとき、泣き笑いにも似た表情を、ルーリックは浮かべていた。
「母上、いつまで探せば良いのですか? 僕の望みはまだ、適わないのですか?」
震える声音は、まだ少年を脱したばかりの若い声。薄汚れた全身を横たえ、ルーリックは再び、流れに身を任せる。
願いはまだ叶えられない。
旅はまだ終わらない。
光がルーリックを包み込み、青年を時の彼方へと連れ去って行く。
緑の塔を出発して三日、エリスはカイユとグラールの土地境まで来ていた。塔から一緒に任務に就いていたティアルーヴァたちの気配はどこにもない。
完全にはぐれてしまったようだ。
まさか自分が迷子になるとは思わなかった。
心の声を聴いてリョウラがすぐに見つけてくれるだろうと思っていたら、まるでその気配はない。
その『千里眼』でリューイが見つけてくれることも期待したが、それもない。
何なのだろう、これは。
あれだけ大口をたたいた割には、何の役にも立っていないではないか。
なすすべなく助けを待っている自分が一番情けない。
行き先は分かっているのだ。
一人でも進むしかない。そう思って、エリスはたった一人で歩を進めてきた。
きっとどこかで会えるはずだ。
それに、不思議なことにエリスを呼ぶ声がするのだ。
内なる声に従うことに、何の躊躇もない。
この声を無視したら、一生後悔するような気がする。
もしかしたら、リヴァが呼んでいるのかもしれない。
そう思うといても立ってもいられなかった。
顔を上げて、すでに眼前のカイユを仰ぎ見る。
ようやくここまできたのだ。
昼間だというのに、薄暗い。
今は封鎖されている街道に沿って、歩き始める。
それは、勘のようなものだったかも知れない。
運命の出会いがエリスを待っていた。
どんよりと、闇が街を覆っている。
カイユへ一歩足を踏みいれた途端、一切の光が遮断されてしまったようだ。後ろを振り返ると、薄暗くグラールの風景が見える。一枚の黒いヴェールで、街全体を覆っているかのようだ。
カイユの街は、アスファーダの都市の中では、比較的規模が小さいほうで、農耕地であるから、人口も少ない。
カイユの人々は、どうしているのか。
地方にも点在しているティアルーヴァは幾人かいる。彼らがうまく人々を避難させていれば良いのだが。
一夜にして、闇に覆われたと言うあたり、まだ逃げ遅れた人達がいるかもしれない。
エリスは、思考を断ち切り、鋭く顔を上げた。突然、前方に誰か人の気配が現れたからだ。
不自然な現れ方だった。
ふわりと、その部分だけ存在感が増す。
そんなに距離は遠くない。
じっと目を凝らし、慎重に近付きながら、相手の出方を探る。
気配を殺して近付いている訳ではないので、相手もすぐ自分の存在に気付くはずだ。
しかし、何の反応も返ってはこない。
エリスは訝しんだ。
更に近付き、足を止める。
キラリと何かが光った。
光使いの出した信号かとも思ったが、どうやら違うようだ。
一歩一歩、忍び足で光源に近付く。
光源に近付くに連れ、闇の動きが活発になって来る。しかし、光源の回りに集まって来るだけで、一定のラインを引いてそれ以上は近付けないらしい。
カイユに入って闇に慣れていたエリスは、その光源の余りの眩しさに、思わず目を細めた。
しかしすぐにその光量にも目が慣れる。
人が眠っている。
こんな場所で、人が眠っているはずはなく、むしろ、倒れていると言うべきかもしれない。だが、まるで光に守られているかのように見え、エリスははっと息を飲んだ。
「リヴァ?」
金色の波打つ髪。端正な横顔。
エリスは駆け寄って、倒れ付している青年に手を伸ばす。
青年の回りに取り巻いていた光は、エリスが触れた途端、綺麗さっぱり消え去った。
「リヴァ!」
青年を抱き起こし、顔を覗き込んだエリスは落胆した。
青年は、星の光使いではなかった。
よく見ると、リヴァの肩を覆うほどの髪に対し、倒れていた青年の髪は短い。端正な顔立ちはリヴァと同じだが、青年の方が幾らか若い。恐らく、エリスとそう変わらない年令のはずだ。
光の塔のティアルーヴァだろうか。
見覚えのない顔だ。塔の要人の顔は全て覚えたはずだったが、取りこぼしたのだろうか。
各地に点在しているティアルーヴァの顔も、例外なく覚えなくてはならなかったので、必死に覚えたつもりだったのに。
エリスはとりあえず、考えるのを止めた。ここで、じっとしている訳にも行かない。
一度、カイユから出たほうが良いかもしれない。
この空気は、青年にはつらいはずだ。
エリスは意を決して、青年を引きずって行くことにした。とても、担ぎあげて行く力は、エリスにはない。
青年を抱きかかえようとしたとき、エリスははっとして鋭く振り返った。
咄嗟に身を翻す。闇と空気を切り裂いて、何かが右腕すれすれに飛んで来た。あのまま、あの場所に立っていたら、心臓を一突きにされていただろう。
エリスは青年を守るようにして、油断なく身構える。
地に突き刺さった物は、狩猟用の矢のようなものであった。カイユの地では、弓矢は珍しい代物だ。無論、狩猟を専門とし、生活する者もいるが、それはここでは希な存在である。矢のような物は、しばらくして、闇と同化して消えた。
エリスは、やけに落ち着いている自分を不思議に思った。狙われているはずなのに、心は冷静に判断している。
しかし、今度の気配は、ちゃんとした人間の物だ。闇使いかも知れないと思い、エリスは右の手に光を灯した。
するとやはり、対峙している人物はたじろいだ。
途端に、回りの闇が引き寄せられ、光を消そうと躍起になって集まって来る。
バチッと音を立てて、光はすぐに消えてしまった。エリスは舌打ちする。
闇の中で、光は至上の力になる場合と、そうならない場合がある。今回は、少し分が悪いようだ。
光が闇に消されてしまう。闇の力のほうが強いのだ。
しかし、先ほどの光玉で相手の人間も、エリスの正体が分かっただろう。
光玉は、光使いが自分の居場所を知らせるためによく使われる。
あれで、自分がティアルーヴァであると分かったはずだ。
もう襲って来る気配もない。
やはり、闇使いだろうか。
エリスは目を凝らした。
薄くぼんやりと、人の形が見て取れる。
まだ子どものようだ。この子が先程の弓を射ったのだろうか。
「あんた、魔法使いか?」
予想どおり、甲高い子供の声。脅えが少し見られる、ちょっと怒った口調。
エリスはほっとして、子どもに向けて諭すように名乗る。
「ええ、そうよ。緑の塔から来たティアルーヴァよ。君はここの子なの?」
子どもは、そうだと答えた。
「ここに、人が倒れているの。家の人に助けを借りたいのだけど」
「怪我、してるのか?」
子供はおとなびた口調でたずねて来る。警戒している様子はなく、むしろ心配してくれているようだ。
「怪我は、していないと、思うわ。体力を消耗していると思うから、休ませてもらえる場所がほしいの」
子供は、うーんと考え込み、言った。
「ティアルーヴァの塔から来たんなら、ナナが連れて来て良いって言ってた。……こっちだよ」
子供がさっさと行ってしまいそうだったので、エリスは慌てて引き留めた。
「私一人じゃ、あの人を連れて行けないわ。大人の手を借りたいのよ」
「外に出れるのはおいらだけなんだ」
今度はエリスの方が困ってしまった。
この青年を担いで行くには、無理がある。人手が欲しいが、子供しかいないのではどうにもならない。
「おいら結構、力あるよ。おいらが担いで行こうか?」
そう言うと、いきなり、目の前に姿を現した子供が、ひょいと青年を担ぎあげた。これには、エリスはぎょっと目を剥いた。
見れば、黒髪に金色の目の十才位の少年である。
唖然と見上げているエリスに、少年はにやっと笑いかける。
「姉ちゃんも担いでやろうか?」
エリスは勢い良く首を振った。
「結構よ。私はエリス。ありがとう、助かったわ」
「おいら、イアン」
イアンと名乗った少年は、片手で青年を担ぎ、もう片方の手をエリスに伸ばす。
「はぐれちゃ、まずいからな」
これでは、どちらが子供なのか分からない言い方である。
エリスは肩を竦めながらも、素直にイアンに手を引かれるままにした。
しばらく歩くと、石造りの家から明るい光がもれているのが見えた。
戸口に立ち、イアンが声を上げる。
「ナナ、戸を開けて。病人だよ。怪我人! 客だよ、客!」
エリスはびっくりして、イアンを見下ろした。ナナという人物は、開業医なのだろうか。
「ああ、全く口が悪いガキだね、さっさとお入り」
言ってる本人も相当口が悪い、しわがれた声は、老婆のものだ。
扉が開き、何だか訳が分からないうちに、エリスは家の中に引きずりこまれていた。
しわがれた声が、封印の呪文を唱えている。
後ろを振り返ると、頭の白い老婆が、エリスを見て笑った。エリスは唖然となった。
「ナナ、この人、奥の部屋に連れて行くよ」
「ああ、そうしておくれ」
「ティアルーヴァなんですか?」
「現役はとっくの昔に引退したがね。もうほとんど力は残っていまいよ」
そんなことはない、とエリスは思った。これだけの結界を張れる人だ。
老婆はエリスの考えていることが分かったらしい。
「これが精一杯なのさ。これ以上の力はもう出せないね」
老婆は、エリスを見、目を細めた。
「珍しいね。黒髪に青い目のティアルーヴァとは」
「エリス、と言います。称号はまだ戴いていませんが」
不思議と、珍しいと言われたのにもかかわらず、素直に名乗っていた。この老婆もまっすぐにエリスを見てくる。ティアルーヴァならエリスの色はありえない色だと分かるはずなのに。緑の塔にいた人物なのだろうか。
「見習いを遣すなんざ、ネリアムの鼻たれめ、何を考えてるんじゃ」
老婆の物言いにも驚いたが、ティアルーヴァの長、ネリアム老を鼻たれと呼ぶ人物がいるとは……。
「長老をご存じですか?」
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