9 / 22
第三章
2.ルーリック
しおりを挟む
イアンが奥の部屋から戻って来た。癖の強い黒髪はあっちこっちに跳ねまくり、大きな金色の瞳を好奇心で輝かせながらエリスを見上げていた。
「姉ちゃん、そう言えばさっき光玉造ってなかったか?」
「ええ」
イアンが何を言いたいのか分からなくて、エリスはとりあえず頷く。イアンは奇妙な顔をして、老婆を見遣った。
「緑の塔って、闇使いと光使いがいるんじゃなかったのか、ナナ」
「そりゃ、天下の緑の塔さね。光も闇も使えるティアルーヴァだっていても良いじゃないか」
ナナの言葉に、少年はその金の瞳を輝かせてエリスを見る。
「姉ちゃん、両方使えるの? 緑の塔って、そういう人達がいっぱいいるのか?」
エリスは素直な少年の言葉に面食らってしまった。
「ううん、それこそいろいろな力をもつ人はたくさんいるけれど、光と闇を使うのは私だけ」
「そうなのか?姉ちゃん、すげぇ」
イアンは純粋に称賛のまなざしで、エリスを見上げて来る。そのまなざしが嬉しくもあり、気恥ずかしくも思えた。そんなふうにほめられるのは稀だ。
「あ、ありがとう」
あまりにも慣れない状況でエリスは思わず赤面する。認めてほしいとずっと思っていたことが、いまここで当たり前のように叶っていることに動揺してしまう。
「あ、あの、カイユに駐在しているティアルーヴァは、光使いのナナさんだけですか?」
「ナナさんは、よしとくれよ。ナナで充分さね」
ナナはさん付けされ、鳥肌の立った腕をさすりながら、エリスを睨め付ける。
イアンは奇妙な笑い声を立てて、同じようにナナに睨まれた。
「じゃあナナ、……カイユにいたティアルーヴァはあなたお一人なんですか?」
「役立たずの闇使いが一人いたがね、最近は見ないねぇ」
イアンの話によると、口達者な調子の良い闇使いで、日頃大きな口をたたいていたくせに、カイユが闇に覆われてしまった途端、しっぽ巻いて我先にと、逃げ出してしまったらしい。
「え……じゃあ、カイユの人達は今、どうしてるの?」
「もちろん、ナナとおいらで避難させたに決まってるさ。市長の屋敷が一番広くて手っ取り早いってんで、ナナが全員そこに送って結界を張った。おいらとナナはここに残って、逃げ遅れた人を探して、治療したりしてるんだ」
「そうだったの」
姿を隠した闇使いの代わりに、こんなに小さな子供が役割を継いでいるとは。
この状況にも物怖じしない度胸と良い、並の大人よりもしっかりしている。
「ねえ、イアン。市長の家でこの人見なかった?」
エリスは胸元からリヴァのミニアチュールを取り出し、イアンに見せる。
イアンは目を円くして、描かれている人物を絶賛した。
「うわぁ、美人! 誰、これ?」
「私の従兄なの。カイユに来ているはずなんだけど……」
「え、兄ちゃんなの?」
イアンは頭をかいた。
「残念だけど、こんな美形の兄ちゃんだったら、一度見たら忘れないよ」
「そう……」
エリスはがっくりと肩を落とした。そして、気を取り直して、ナナに向き直った。
「カイユに【浄化】命令が出て、ティアルーヴァが十五名派遣されています。私もそのメンバーなのですが、新人で隊からはぐれてしまって…」
憤慨していたイアンはエリスの言葉にびっくりしたようで、ナナと顔を見合わせている。
ナナは面白そうににやりと笑った。
「ティアルーヴァが十五名か。ようやく、だね」
「早く闇使いを送ってくれるように緑の塔に頼んだのに、対応がおっそいんだよなっ」
しかしエリスははぐれてしまって、いま隊がどこにいるのか分かっていない。
「ああ、その辺は気にしなさんな。ティアルーヴァがカイユに来たらすぐ分かるように、仕掛けをしてある」
「仕掛け?」
ナナは楽しそうに笑うだけで教えてはくれなかった。
「こちらに向かってるならもうすぐ来るんだろうさ」
ナナが大儀そうに腰を上げると、イアンが興奮してエリスに纏わり着いて来た。
「姉ちゃんも綺麗だけど、向こうの兄ちゃんもすごい綺麗だな!」
「え、え?綺麗?私が?」
正面切って、綺麗だと言われたことなどなかったので、エリスは自分のことを言われているようには全く思えなかった。あまりにも称賛してくれると何か化かされている気になってくる。
「えー、綺麗だよ、姉ちゃん」
きょとんと当然のような顔をして言ってくれるイアンがかわいく思えてしまうのが不思議だ。
こんなふうに、まっすぐなまなざしで、なついてくれる存在もエリスには初めてだ。
「姉ちゃん、姉ちゃん。おいら、手伝ってやるからな。姉ちゃんの兄ちゃん探すの」
「ありがとう、イアン」
ナナの後に続いて、青年が眠っている筈の部屋に一歩足を踏みいれたとき、エリスは絶句した。
青年が、上半身だけ起こし、こちらを見ていた。
イアンがあれだけ絶賛したのも頷ける。
先ほどは動転していてよく顔は見ていなかったから気が付かなかった。
薄汚れた衣服はこざっぱりとしたものに取り替えられていた。
それだけだというのに、まるで、光を人型に集め、青い瞳を埋め込んだかのように美しい。
エリスは声を失って、青年を見詰めていた。
神々しいまでの光を纏って、青年もエリスを見ている。
青年の唇が弱々しく動く。
何を言ったのか聞き取れず、ぼうっと見とれていたエリスは、青年がふらつき、ナナが駆け寄ったことも分からなかった。
エリスが我に返ると青年を包んでいた光は既に消えていた。
心臓がまだどきどきしている。
エリスはまだ、呆然としたまま突っ立っていた。
この人だ、と思った。
何がこの人なのか、何故そんなことを思ったのか、エリスにも分からなかった。
ただ、この人だと、確信したのだった。
夕闇の薄暗い中、闇の塔の祈りの間に、男が一人立っている。
闇の神を祭る祭壇を前に、男は何を思っているのか。終始、無言である。
金色の目は、半眼に閉ざされ、男の意識は遥か遠くに飛んでいる。
カイユが闇に閉ざされ、一月が過ぎた。
一般のティアルーヴァたちもようやく事の重大さを知ったらしい。慌てふためく声が、塔全体を揺るがしている。
男は人知れず、嘲笑する。
何に対してなのか。
誰に対してなのか。
一人、闇の中で。
「もうすぐ、あの力の総てが私のものになる。我らが神よ。しばしのお待ちを……ご降臨の時はもうすぐです……」
男の声は低く、闇に溶けて消える。
男の姿も、音もなく闇に消えた。
「君が僕を助けてくれたそうだね、ありがとう」
金色の青年は、上半身のみ寝台から起こした状態で、こちらを見て笑いかけて来た。
「私はただ、あなたを見つけただけよ」
今はナナもイアンも席を外しているので、エリスは、思い切って尋ねてみることにした。
「あのあなた、ティアルーヴァではない、です、よね?」
恐る恐る尋ねてしまうのは、もし青年が光使いであった場合、名を知らないのは失礼になってしまう。エリスは、青年がティアルーヴァでないことを祈った。
「ティアルーヴァ?」
怪訝そうに細められた目が、違うということを物語っている。
「ああ、違うよ。僕は旅行者だから」
エリスは青年の答えを聞いて、ほっと胸を撫でおろした。
「旅行中だったの? じゃあ、災難だったわね。私は、エリス。えっと、あなたの名前は?」
青年は口を開きかけ、何故か黙り込む。エリスに向けていた目を泳がせ、しばらくしてためらいがちに、
「…ルーリック」
と、名乗った。
「どうしたの? 自分の名前を忘れていたの?」
不自然な青年の名乗り方を尋ねると、青年は苦笑した。
「一瞬、ね。本当に忘れてしまったのかと思った。僕は、ルーリック。改めて、どうもありがとう、エリス」
エリスは、はにかみながら首を振った。
「さっきのおばあちゃんがナナで、男の子のほうがイアン。イアンがルーリックをここまで運んで来てくれたの」
ルーリックは非常に驚いて、目を円くした。エリス自身、この目で見なければ信じなかっただろう。
あんな小さな子どもが青年を担いで運んだ、とは。
「おばあさんと弟くんと三人暮らしなのかい?」
「ううん。私は事情があって、カイユに来ているだけ。私もさっき二人に会ったばかりよ」
「……僕のせいで?」
申し訳なさそうに見上げて来る青年が、とても子供っぽくて、思わず笑ってしまう。
「そう、ルーリックのおかげで。私は、従兄を探しに来たの。あなたのおかげで、イアンたちにも会えて、協力してもらえることになったわ」
隊とはぐれて途方に暮れていたから、本当にイアンと会えたのは幸運だった。
それにルーリックがあそこで倒れていなかったら、そのイアンとも会えていなかっただろうと思えた。
「ルーリックはどこから来たの? アスファーダは初めて?」
エリスは興味が沸いて、青年に尋ねる。
「この大陸ではないところから。アスファーダには、前にも来たことはあるよ。後は、名もない小さな島やら、いろいろな国を気ままに旅している」
ルーリックの言い方が本当に長い間いろんなところを旅してきたような言い方で、エリスは驚くとともに興味を持った。
「何故、旅をしているの?」
何故、こんなにしゃべれるのかと、エリスは不思議に思った。自分が、こんなに人見知りせずに、出会ったばかりの人と会話を弾ませている。青年が人懐っこく、質問にも嫌がらず、微笑みかけてくれるからだろうか。
「僕にも良く分からない。性分なんだろう、多分、探さずにはいられない」
「探す?何かを探しているの?」
ルーリックは苦笑する。
「出会えるかどうかも分からない。けれどそれを探すことが僕の…うーん」
言葉を探してルーリックは考え込む。運命とか人生とかそんな言葉が続くのだろうかとエリスは思った。
「誰か、人だったり、どこかの土地だったり…もう探すことが日常になってしまっているみたいだ」
「まさか、旅先で事故に巻き込まれるとは思わなかったでしょう?」
エリスが笑いながら尋ねると、意外にも青年は首を振った。
「結構、巻き込まれるのは多いんだよ。無事に素通り出来る事なんて、めったにないからね」
「家の方が心配なさってない?」
「そうだね。でも、父も母も思うようにやって来なさいと送り出してくれたし、妹も寂しがってはいたけれど、結局は黙って賛成してくれた」
「妹さんがいるの?」
「いるよ。双子の妹。エリスは?」
「私は一人っ子。双子って、ルーリックとそっくり?」
青年は笑いながらも、小首を傾げる。
「どうかな。昔はそっくりで、お互い入れ代わったりしたけれど」
エリスはずっと青年が誰かに似ているような気がして仕方がなかった。だが、それが誰かなのか思い付かない。
じっと、そんなことを考えていると、イアンの元気な声が響き、元気よく駆け込んで来た。
「なになに、兄ちゃんにそっくりな人がいるのか?」
どこで聞いていたのか、イアンは金色の目を輝かせて、ルーリックの方に身を乗り出すように尋ねる。突然のイアンの出現に驚いたエリスの前で、これまた突然現れたナナの右手が、勢い良くイアンの頭上に振り降ろされた。
「イアン。病人相手に、大きな声を出すんじゃない!」
イアンは頭を押え、その場にうずくまる。
「ナナの声のほうが大きい…」
呻き声には、ナナに対する恨みがましさがあった。
「エリスも、長話は後回しにして、こちらさんを休ませてやらないと」
「ごめんなさい、気が付かなくて」
エリスが謝ると、青年は気にしなくていいと言うように、首を振った。
「僕で良ければ、手伝うよ。エリス」
イアンと共にナナに追い出されようとするとき、ルーリックがこちらに顔を向けて、そう言った。青年が、リヴァを一緒に探してくれると言ってくれたのだということに気付いた。
「姉ちゃん、やったな」
小突いて来るイアンを先に追いやり、エリスは頭を下げた。扉を閉め、廊下に出るとイアンがにやにやと笑いながら、エリスを見上げていた。
どうにもませた子供だ。
「イアン、いつから立ち聞きしてたの?」
「おいら、立ち聞きなんてしてないよ」
いけしゃあしゃあと言う。エリスが納得してないのに気が付いて、イアンは更に言い足した。
「姉ちゃん、この家って筒抜けなんだよ」
と、まるでどこかの光使いのようなことを言う。
「ナナが結界張っているから、空間がつながってるんだ」
唖然としていたエリスは、がっくり肩を落とす。だったら、先にそう言ってほしかった。立ち聞きされていたようなものだ。別にたいしたことを話した訳ではないが、知らない所で会話を聞かれていたのは、妙に恥ずかしい。
「何よ、全部聞いてたって言うの?」
「全部、じゃないけど。あのね、聞こうと思わなければ、聞こえないんだ」
「結局は一緒じゃないの!」
憤りと恥ずかしさに顔を真っ赤にして怒っているエリスを、イアンはおもしろそうに眺めていた。
「姉ちゃん、そう言えばさっき光玉造ってなかったか?」
「ええ」
イアンが何を言いたいのか分からなくて、エリスはとりあえず頷く。イアンは奇妙な顔をして、老婆を見遣った。
「緑の塔って、闇使いと光使いがいるんじゃなかったのか、ナナ」
「そりゃ、天下の緑の塔さね。光も闇も使えるティアルーヴァだっていても良いじゃないか」
ナナの言葉に、少年はその金の瞳を輝かせてエリスを見る。
「姉ちゃん、両方使えるの? 緑の塔って、そういう人達がいっぱいいるのか?」
エリスは素直な少年の言葉に面食らってしまった。
「ううん、それこそいろいろな力をもつ人はたくさんいるけれど、光と闇を使うのは私だけ」
「そうなのか?姉ちゃん、すげぇ」
イアンは純粋に称賛のまなざしで、エリスを見上げて来る。そのまなざしが嬉しくもあり、気恥ずかしくも思えた。そんなふうにほめられるのは稀だ。
「あ、ありがとう」
あまりにも慣れない状況でエリスは思わず赤面する。認めてほしいとずっと思っていたことが、いまここで当たり前のように叶っていることに動揺してしまう。
「あ、あの、カイユに駐在しているティアルーヴァは、光使いのナナさんだけですか?」
「ナナさんは、よしとくれよ。ナナで充分さね」
ナナはさん付けされ、鳥肌の立った腕をさすりながら、エリスを睨め付ける。
イアンは奇妙な笑い声を立てて、同じようにナナに睨まれた。
「じゃあナナ、……カイユにいたティアルーヴァはあなたお一人なんですか?」
「役立たずの闇使いが一人いたがね、最近は見ないねぇ」
イアンの話によると、口達者な調子の良い闇使いで、日頃大きな口をたたいていたくせに、カイユが闇に覆われてしまった途端、しっぽ巻いて我先にと、逃げ出してしまったらしい。
「え……じゃあ、カイユの人達は今、どうしてるの?」
「もちろん、ナナとおいらで避難させたに決まってるさ。市長の屋敷が一番広くて手っ取り早いってんで、ナナが全員そこに送って結界を張った。おいらとナナはここに残って、逃げ遅れた人を探して、治療したりしてるんだ」
「そうだったの」
姿を隠した闇使いの代わりに、こんなに小さな子供が役割を継いでいるとは。
この状況にも物怖じしない度胸と良い、並の大人よりもしっかりしている。
「ねえ、イアン。市長の家でこの人見なかった?」
エリスは胸元からリヴァのミニアチュールを取り出し、イアンに見せる。
イアンは目を円くして、描かれている人物を絶賛した。
「うわぁ、美人! 誰、これ?」
「私の従兄なの。カイユに来ているはずなんだけど……」
「え、兄ちゃんなの?」
イアンは頭をかいた。
「残念だけど、こんな美形の兄ちゃんだったら、一度見たら忘れないよ」
「そう……」
エリスはがっくりと肩を落とした。そして、気を取り直して、ナナに向き直った。
「カイユに【浄化】命令が出て、ティアルーヴァが十五名派遣されています。私もそのメンバーなのですが、新人で隊からはぐれてしまって…」
憤慨していたイアンはエリスの言葉にびっくりしたようで、ナナと顔を見合わせている。
ナナは面白そうににやりと笑った。
「ティアルーヴァが十五名か。ようやく、だね」
「早く闇使いを送ってくれるように緑の塔に頼んだのに、対応がおっそいんだよなっ」
しかしエリスははぐれてしまって、いま隊がどこにいるのか分かっていない。
「ああ、その辺は気にしなさんな。ティアルーヴァがカイユに来たらすぐ分かるように、仕掛けをしてある」
「仕掛け?」
ナナは楽しそうに笑うだけで教えてはくれなかった。
「こちらに向かってるならもうすぐ来るんだろうさ」
ナナが大儀そうに腰を上げると、イアンが興奮してエリスに纏わり着いて来た。
「姉ちゃんも綺麗だけど、向こうの兄ちゃんもすごい綺麗だな!」
「え、え?綺麗?私が?」
正面切って、綺麗だと言われたことなどなかったので、エリスは自分のことを言われているようには全く思えなかった。あまりにも称賛してくれると何か化かされている気になってくる。
「えー、綺麗だよ、姉ちゃん」
きょとんと当然のような顔をして言ってくれるイアンがかわいく思えてしまうのが不思議だ。
こんなふうに、まっすぐなまなざしで、なついてくれる存在もエリスには初めてだ。
「姉ちゃん、姉ちゃん。おいら、手伝ってやるからな。姉ちゃんの兄ちゃん探すの」
「ありがとう、イアン」
ナナの後に続いて、青年が眠っている筈の部屋に一歩足を踏みいれたとき、エリスは絶句した。
青年が、上半身だけ起こし、こちらを見ていた。
イアンがあれだけ絶賛したのも頷ける。
先ほどは動転していてよく顔は見ていなかったから気が付かなかった。
薄汚れた衣服はこざっぱりとしたものに取り替えられていた。
それだけだというのに、まるで、光を人型に集め、青い瞳を埋め込んだかのように美しい。
エリスは声を失って、青年を見詰めていた。
神々しいまでの光を纏って、青年もエリスを見ている。
青年の唇が弱々しく動く。
何を言ったのか聞き取れず、ぼうっと見とれていたエリスは、青年がふらつき、ナナが駆け寄ったことも分からなかった。
エリスが我に返ると青年を包んでいた光は既に消えていた。
心臓がまだどきどきしている。
エリスはまだ、呆然としたまま突っ立っていた。
この人だ、と思った。
何がこの人なのか、何故そんなことを思ったのか、エリスにも分からなかった。
ただ、この人だと、確信したのだった。
夕闇の薄暗い中、闇の塔の祈りの間に、男が一人立っている。
闇の神を祭る祭壇を前に、男は何を思っているのか。終始、無言である。
金色の目は、半眼に閉ざされ、男の意識は遥か遠くに飛んでいる。
カイユが闇に閉ざされ、一月が過ぎた。
一般のティアルーヴァたちもようやく事の重大さを知ったらしい。慌てふためく声が、塔全体を揺るがしている。
男は人知れず、嘲笑する。
何に対してなのか。
誰に対してなのか。
一人、闇の中で。
「もうすぐ、あの力の総てが私のものになる。我らが神よ。しばしのお待ちを……ご降臨の時はもうすぐです……」
男の声は低く、闇に溶けて消える。
男の姿も、音もなく闇に消えた。
「君が僕を助けてくれたそうだね、ありがとう」
金色の青年は、上半身のみ寝台から起こした状態で、こちらを見て笑いかけて来た。
「私はただ、あなたを見つけただけよ」
今はナナもイアンも席を外しているので、エリスは、思い切って尋ねてみることにした。
「あのあなた、ティアルーヴァではない、です、よね?」
恐る恐る尋ねてしまうのは、もし青年が光使いであった場合、名を知らないのは失礼になってしまう。エリスは、青年がティアルーヴァでないことを祈った。
「ティアルーヴァ?」
怪訝そうに細められた目が、違うということを物語っている。
「ああ、違うよ。僕は旅行者だから」
エリスは青年の答えを聞いて、ほっと胸を撫でおろした。
「旅行中だったの? じゃあ、災難だったわね。私は、エリス。えっと、あなたの名前は?」
青年は口を開きかけ、何故か黙り込む。エリスに向けていた目を泳がせ、しばらくしてためらいがちに、
「…ルーリック」
と、名乗った。
「どうしたの? 自分の名前を忘れていたの?」
不自然な青年の名乗り方を尋ねると、青年は苦笑した。
「一瞬、ね。本当に忘れてしまったのかと思った。僕は、ルーリック。改めて、どうもありがとう、エリス」
エリスは、はにかみながら首を振った。
「さっきのおばあちゃんがナナで、男の子のほうがイアン。イアンがルーリックをここまで運んで来てくれたの」
ルーリックは非常に驚いて、目を円くした。エリス自身、この目で見なければ信じなかっただろう。
あんな小さな子どもが青年を担いで運んだ、とは。
「おばあさんと弟くんと三人暮らしなのかい?」
「ううん。私は事情があって、カイユに来ているだけ。私もさっき二人に会ったばかりよ」
「……僕のせいで?」
申し訳なさそうに見上げて来る青年が、とても子供っぽくて、思わず笑ってしまう。
「そう、ルーリックのおかげで。私は、従兄を探しに来たの。あなたのおかげで、イアンたちにも会えて、協力してもらえることになったわ」
隊とはぐれて途方に暮れていたから、本当にイアンと会えたのは幸運だった。
それにルーリックがあそこで倒れていなかったら、そのイアンとも会えていなかっただろうと思えた。
「ルーリックはどこから来たの? アスファーダは初めて?」
エリスは興味が沸いて、青年に尋ねる。
「この大陸ではないところから。アスファーダには、前にも来たことはあるよ。後は、名もない小さな島やら、いろいろな国を気ままに旅している」
ルーリックの言い方が本当に長い間いろんなところを旅してきたような言い方で、エリスは驚くとともに興味を持った。
「何故、旅をしているの?」
何故、こんなにしゃべれるのかと、エリスは不思議に思った。自分が、こんなに人見知りせずに、出会ったばかりの人と会話を弾ませている。青年が人懐っこく、質問にも嫌がらず、微笑みかけてくれるからだろうか。
「僕にも良く分からない。性分なんだろう、多分、探さずにはいられない」
「探す?何かを探しているの?」
ルーリックは苦笑する。
「出会えるかどうかも分からない。けれどそれを探すことが僕の…うーん」
言葉を探してルーリックは考え込む。運命とか人生とかそんな言葉が続くのだろうかとエリスは思った。
「誰か、人だったり、どこかの土地だったり…もう探すことが日常になってしまっているみたいだ」
「まさか、旅先で事故に巻き込まれるとは思わなかったでしょう?」
エリスが笑いながら尋ねると、意外にも青年は首を振った。
「結構、巻き込まれるのは多いんだよ。無事に素通り出来る事なんて、めったにないからね」
「家の方が心配なさってない?」
「そうだね。でも、父も母も思うようにやって来なさいと送り出してくれたし、妹も寂しがってはいたけれど、結局は黙って賛成してくれた」
「妹さんがいるの?」
「いるよ。双子の妹。エリスは?」
「私は一人っ子。双子って、ルーリックとそっくり?」
青年は笑いながらも、小首を傾げる。
「どうかな。昔はそっくりで、お互い入れ代わったりしたけれど」
エリスはずっと青年が誰かに似ているような気がして仕方がなかった。だが、それが誰かなのか思い付かない。
じっと、そんなことを考えていると、イアンの元気な声が響き、元気よく駆け込んで来た。
「なになに、兄ちゃんにそっくりな人がいるのか?」
どこで聞いていたのか、イアンは金色の目を輝かせて、ルーリックの方に身を乗り出すように尋ねる。突然のイアンの出現に驚いたエリスの前で、これまた突然現れたナナの右手が、勢い良くイアンの頭上に振り降ろされた。
「イアン。病人相手に、大きな声を出すんじゃない!」
イアンは頭を押え、その場にうずくまる。
「ナナの声のほうが大きい…」
呻き声には、ナナに対する恨みがましさがあった。
「エリスも、長話は後回しにして、こちらさんを休ませてやらないと」
「ごめんなさい、気が付かなくて」
エリスが謝ると、青年は気にしなくていいと言うように、首を振った。
「僕で良ければ、手伝うよ。エリス」
イアンと共にナナに追い出されようとするとき、ルーリックがこちらに顔を向けて、そう言った。青年が、リヴァを一緒に探してくれると言ってくれたのだということに気付いた。
「姉ちゃん、やったな」
小突いて来るイアンを先に追いやり、エリスは頭を下げた。扉を閉め、廊下に出るとイアンがにやにやと笑いながら、エリスを見上げていた。
どうにもませた子供だ。
「イアン、いつから立ち聞きしてたの?」
「おいら、立ち聞きなんてしてないよ」
いけしゃあしゃあと言う。エリスが納得してないのに気が付いて、イアンは更に言い足した。
「姉ちゃん、この家って筒抜けなんだよ」
と、まるでどこかの光使いのようなことを言う。
「ナナが結界張っているから、空間がつながってるんだ」
唖然としていたエリスは、がっくり肩を落とす。だったら、先にそう言ってほしかった。立ち聞きされていたようなものだ。別にたいしたことを話した訳ではないが、知らない所で会話を聞かれていたのは、妙に恥ずかしい。
「何よ、全部聞いてたって言うの?」
「全部、じゃないけど。あのね、聞こうと思わなければ、聞こえないんだ」
「結局は一緒じゃないの!」
憤りと恥ずかしさに顔を真っ赤にして怒っているエリスを、イアンはおもしろそうに眺めていた。
0
あなたにおすすめの小説
将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです
きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」
5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。
その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
存在感のない聖女が姿を消した後 [完]
風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは
永く仕えた国を捨てた。
何故って?
それは新たに現れた聖女が
ヒロインだったから。
ディアターナは
いつの日からか新聖女と比べられ
人々の心が離れていった事を悟った。
もう私の役目は終わったわ…
神託を受けたディアターナは
手紙を残して消えた。
残された国は天災に見舞われ
てしまった。
しかし聖女は戻る事はなかった。
ディアターナは西帝国にて
初代聖女のコリーアンナに出会い
運命を切り開いて
自分自身の幸せをみつけるのだった。
主婦が役立たず? どう思うかは勝手だけど、こっちも勝手にやらせて貰うから
渡里あずま
ファンタジー
安藤舞は、専業主婦である。ちなみに現在、三十二歳だ。
朝、夫と幼稚園児の子供を見送り、さて掃除と洗濯をしようとしたところで――気づけば、石造りの知らない部屋で座り込んでいた。そして映画で見たような古めかしいコスプレをした、外国人集団に囲まれていた。
「我々が召喚したかったのは、そちらの世界での『学者』や『医者』だ。それを『主婦』だと!? そんなごく潰しが、聖女になどなれるものか! 役立たずなどいらんっ」
「いや、理不尽!」
初対面の見た目だけ美青年に暴言を吐かれ、舞はそのまま無一文で追い出されてしまう。腹を立てながらも、舞は何としても元の世界に戻ることを決意する。
「主婦が役立たず? どう思うかは勝手だけど、こっちも勝手にやらせて貰うから」
※※※
専業主婦の舞が、主婦力・大人力を駆使して元の世界に戻ろうとする話です(ざまぁあり)
※重複投稿作品※
表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
さら
恋愛
名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。
しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
婚約破棄したら食べられました(物理)
かぜかおる
恋愛
人族のリサは竜種のアレンに出会った時からいい匂いがするから食べたいと言われ続けている。
婚約者もいるから無理と言い続けるも、アレンもしつこく食べたいと言ってくる。
そんな日々が日常と化していたある日
リサは婚約者から婚約破棄を突きつけられる
グロは無し
愛する夫が目の前で別の女性と恋に落ちました。
ましゅぺちーの
恋愛
伯爵令嬢のアンジェは公爵家の嫡男であるアランに嫁いだ。
子はなかなかできなかったが、それでも仲の良い夫婦だった。
――彼女が現れるまでは。
二人が結婚して五年を迎えた記念パーティーでアランは若く美しい令嬢と恋に落ちてしまう。
それからアランは変わり、何かと彼女のことを優先するようになり……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる