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第三章
2.ルーリック
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イアンが奥の部屋から戻って来た。癖の強い黒髪はあっちこっちに跳ねまくり、大きな金色の瞳を好奇心で輝かせながらエリスを見上げていた。
「姉ちゃん、そう言えばさっき光玉造ってなかったか?」
「ええ」
イアンが何を言いたいのか分からなくて、エリスはとりあえず頷く。イアンは奇妙な顔をして、老婆を見遣った。
「緑の塔って、闇使いと光使いがいるんじゃなかったのか、ナナ」
「そりゃ、天下の緑の塔さね。光も闇も使えるティアルーヴァだっていても良いじゃないか」
ナナの言葉に、少年はその金の瞳を輝かせてエリスを見る。
「姉ちゃん、両方使えるの? 緑の塔って、そういう人達がいっぱいいるのか?」
エリスは素直な少年の言葉に面食らってしまった。
「ううん、それこそいろいろな力をもつ人はたくさんいるけれど、光と闇を使うのは私だけ」
「そうなのか?姉ちゃん、すげぇ」
イアンは純粋に称賛のまなざしで、エリスを見上げて来る。そのまなざしが嬉しくもあり、気恥ずかしくも思えた。そんなふうにほめられるのは稀だ。
「あ、ありがとう」
あまりにも慣れない状況でエリスは思わず赤面する。認めてほしいとずっと思っていたことが、いまここで当たり前のように叶っていることに動揺してしまう。
「あ、あの、カイユに駐在しているティアルーヴァは、光使いのナナさんだけですか?」
「ナナさんは、よしとくれよ。ナナで充分さね」
ナナはさん付けされ、鳥肌の立った腕をさすりながら、エリスを睨め付ける。
イアンは奇妙な笑い声を立てて、同じようにナナに睨まれた。
「じゃあナナ、……カイユにいたティアルーヴァはあなたお一人なんですか?」
「役立たずの闇使いが一人いたがね、最近は見ないねぇ」
イアンの話によると、口達者な調子の良い闇使いで、日頃大きな口をたたいていたくせに、カイユが闇に覆われてしまった途端、しっぽ巻いて我先にと、逃げ出してしまったらしい。
「え……じゃあ、カイユの人達は今、どうしてるの?」
「もちろん、ナナとおいらで避難させたに決まってるさ。市長の屋敷が一番広くて手っ取り早いってんで、ナナが全員そこに送って結界を張った。おいらとナナはここに残って、逃げ遅れた人を探して、治療したりしてるんだ」
「そうだったの」
姿を隠した闇使いの代わりに、こんなに小さな子供が役割を継いでいるとは。
この状況にも物怖じしない度胸と良い、並の大人よりもしっかりしている。
「ねえ、イアン。市長の家でこの人見なかった?」
エリスは胸元からリヴァのミニアチュールを取り出し、イアンに見せる。
イアンは目を円くして、描かれている人物を絶賛した。
「うわぁ、美人! 誰、これ?」
「私の従兄なの。カイユに来ているはずなんだけど……」
「え、兄ちゃんなの?」
イアンは頭をかいた。
「残念だけど、こんな美形の兄ちゃんだったら、一度見たら忘れないよ」
「そう……」
エリスはがっくりと肩を落とした。そして、気を取り直して、ナナに向き直った。
「カイユに【浄化】命令が出て、ティアルーヴァが十五名派遣されています。私もそのメンバーなのですが、新人で隊からはぐれてしまって…」
憤慨していたイアンはエリスの言葉にびっくりしたようで、ナナと顔を見合わせている。
ナナは面白そうににやりと笑った。
「ティアルーヴァが十五名か。ようやく、だね」
「早く闇使いを送ってくれるように緑の塔に頼んだのに、対応がおっそいんだよなっ」
しかしエリスははぐれてしまって、いま隊がどこにいるのか分かっていない。
「ああ、その辺は気にしなさんな。ティアルーヴァがカイユに来たらすぐ分かるように、仕掛けをしてある」
「仕掛け?」
ナナは楽しそうに笑うだけで教えてはくれなかった。
「こちらに向かってるならもうすぐ来るんだろうさ」
ナナが大儀そうに腰を上げると、イアンが興奮してエリスに纏わり着いて来た。
「姉ちゃんも綺麗だけど、向こうの兄ちゃんもすごい綺麗だな!」
「え、え?綺麗?私が?」
正面切って、綺麗だと言われたことなどなかったので、エリスは自分のことを言われているようには全く思えなかった。あまりにも称賛してくれると何か化かされている気になってくる。
「えー、綺麗だよ、姉ちゃん」
きょとんと当然のような顔をして言ってくれるイアンがかわいく思えてしまうのが不思議だ。
こんなふうに、まっすぐなまなざしで、なついてくれる存在もエリスには初めてだ。
「姉ちゃん、姉ちゃん。おいら、手伝ってやるからな。姉ちゃんの兄ちゃん探すの」
「ありがとう、イアン」
ナナの後に続いて、青年が眠っている筈の部屋に一歩足を踏みいれたとき、エリスは絶句した。
青年が、上半身だけ起こし、こちらを見ていた。
イアンがあれだけ絶賛したのも頷ける。
先ほどは動転していてよく顔は見ていなかったから気が付かなかった。
薄汚れた衣服はこざっぱりとしたものに取り替えられていた。
それだけだというのに、まるで、光を人型に集め、青い瞳を埋め込んだかのように美しい。
エリスは声を失って、青年を見詰めていた。
神々しいまでの光を纏って、青年もエリスを見ている。
青年の唇が弱々しく動く。
何を言ったのか聞き取れず、ぼうっと見とれていたエリスは、青年がふらつき、ナナが駆け寄ったことも分からなかった。
エリスが我に返ると青年を包んでいた光は既に消えていた。
心臓がまだどきどきしている。
エリスはまだ、呆然としたまま突っ立っていた。
この人だ、と思った。
何がこの人なのか、何故そんなことを思ったのか、エリスにも分からなかった。
ただ、この人だと、確信したのだった。
夕闇の薄暗い中、闇の塔の祈りの間に、男が一人立っている。
闇の神を祭る祭壇を前に、男は何を思っているのか。終始、無言である。
金色の目は、半眼に閉ざされ、男の意識は遥か遠くに飛んでいる。
カイユが闇に閉ざされ、一月が過ぎた。
一般のティアルーヴァたちもようやく事の重大さを知ったらしい。慌てふためく声が、塔全体を揺るがしている。
男は人知れず、嘲笑する。
何に対してなのか。
誰に対してなのか。
一人、闇の中で。
「もうすぐ、あの力の総てが私のものになる。我らが神よ。しばしのお待ちを……ご降臨の時はもうすぐです……」
男の声は低く、闇に溶けて消える。
男の姿も、音もなく闇に消えた。
「君が僕を助けてくれたそうだね、ありがとう」
金色の青年は、上半身のみ寝台から起こした状態で、こちらを見て笑いかけて来た。
「私はただ、あなたを見つけただけよ」
今はナナもイアンも席を外しているので、エリスは、思い切って尋ねてみることにした。
「あのあなた、ティアルーヴァではない、です、よね?」
恐る恐る尋ねてしまうのは、もし青年が光使いであった場合、名を知らないのは失礼になってしまう。エリスは、青年がティアルーヴァでないことを祈った。
「ティアルーヴァ?」
怪訝そうに細められた目が、違うということを物語っている。
「ああ、違うよ。僕は旅行者だから」
エリスは青年の答えを聞いて、ほっと胸を撫でおろした。
「旅行中だったの? じゃあ、災難だったわね。私は、エリス。えっと、あなたの名前は?」
青年は口を開きかけ、何故か黙り込む。エリスに向けていた目を泳がせ、しばらくしてためらいがちに、
「…ルーリック」
と、名乗った。
「どうしたの? 自分の名前を忘れていたの?」
不自然な青年の名乗り方を尋ねると、青年は苦笑した。
「一瞬、ね。本当に忘れてしまったのかと思った。僕は、ルーリック。改めて、どうもありがとう、エリス」
エリスは、はにかみながら首を振った。
「さっきのおばあちゃんがナナで、男の子のほうがイアン。イアンがルーリックをここまで運んで来てくれたの」
ルーリックは非常に驚いて、目を円くした。エリス自身、この目で見なければ信じなかっただろう。
あんな小さな子どもが青年を担いで運んだ、とは。
「おばあさんと弟くんと三人暮らしなのかい?」
「ううん。私は事情があって、カイユに来ているだけ。私もさっき二人に会ったばかりよ」
「……僕のせいで?」
申し訳なさそうに見上げて来る青年が、とても子供っぽくて、思わず笑ってしまう。
「そう、ルーリックのおかげで。私は、従兄を探しに来たの。あなたのおかげで、イアンたちにも会えて、協力してもらえることになったわ」
隊とはぐれて途方に暮れていたから、本当にイアンと会えたのは幸運だった。
それにルーリックがあそこで倒れていなかったら、そのイアンとも会えていなかっただろうと思えた。
「ルーリックはどこから来たの? アスファーダは初めて?」
エリスは興味が沸いて、青年に尋ねる。
「この大陸ではないところから。アスファーダには、前にも来たことはあるよ。後は、名もない小さな島やら、いろいろな国を気ままに旅している」
ルーリックの言い方が本当に長い間いろんなところを旅してきたような言い方で、エリスは驚くとともに興味を持った。
「何故、旅をしているの?」
何故、こんなにしゃべれるのかと、エリスは不思議に思った。自分が、こんなに人見知りせずに、出会ったばかりの人と会話を弾ませている。青年が人懐っこく、質問にも嫌がらず、微笑みかけてくれるからだろうか。
「僕にも良く分からない。性分なんだろう、多分、探さずにはいられない」
「探す?何かを探しているの?」
ルーリックは苦笑する。
「出会えるかどうかも分からない。けれどそれを探すことが僕の…うーん」
言葉を探してルーリックは考え込む。運命とか人生とかそんな言葉が続くのだろうかとエリスは思った。
「誰か、人だったり、どこかの土地だったり…もう探すことが日常になってしまっているみたいだ」
「まさか、旅先で事故に巻き込まれるとは思わなかったでしょう?」
エリスが笑いながら尋ねると、意外にも青年は首を振った。
「結構、巻き込まれるのは多いんだよ。無事に素通り出来る事なんて、めったにないからね」
「家の方が心配なさってない?」
「そうだね。でも、父も母も思うようにやって来なさいと送り出してくれたし、妹も寂しがってはいたけれど、結局は黙って賛成してくれた」
「妹さんがいるの?」
「いるよ。双子の妹。エリスは?」
「私は一人っ子。双子って、ルーリックとそっくり?」
青年は笑いながらも、小首を傾げる。
「どうかな。昔はそっくりで、お互い入れ代わったりしたけれど」
エリスはずっと青年が誰かに似ているような気がして仕方がなかった。だが、それが誰かなのか思い付かない。
じっと、そんなことを考えていると、イアンの元気な声が響き、元気よく駆け込んで来た。
「なになに、兄ちゃんにそっくりな人がいるのか?」
どこで聞いていたのか、イアンは金色の目を輝かせて、ルーリックの方に身を乗り出すように尋ねる。突然のイアンの出現に驚いたエリスの前で、これまた突然現れたナナの右手が、勢い良くイアンの頭上に振り降ろされた。
「イアン。病人相手に、大きな声を出すんじゃない!」
イアンは頭を押え、その場にうずくまる。
「ナナの声のほうが大きい…」
呻き声には、ナナに対する恨みがましさがあった。
「エリスも、長話は後回しにして、こちらさんを休ませてやらないと」
「ごめんなさい、気が付かなくて」
エリスが謝ると、青年は気にしなくていいと言うように、首を振った。
「僕で良ければ、手伝うよ。エリス」
イアンと共にナナに追い出されようとするとき、ルーリックがこちらに顔を向けて、そう言った。青年が、リヴァを一緒に探してくれると言ってくれたのだということに気付いた。
「姉ちゃん、やったな」
小突いて来るイアンを先に追いやり、エリスは頭を下げた。扉を閉め、廊下に出るとイアンがにやにやと笑いながら、エリスを見上げていた。
どうにもませた子供だ。
「イアン、いつから立ち聞きしてたの?」
「おいら、立ち聞きなんてしてないよ」
いけしゃあしゃあと言う。エリスが納得してないのに気が付いて、イアンは更に言い足した。
「姉ちゃん、この家って筒抜けなんだよ」
と、まるでどこかの光使いのようなことを言う。
「ナナが結界張っているから、空間がつながってるんだ」
唖然としていたエリスは、がっくり肩を落とす。だったら、先にそう言ってほしかった。立ち聞きされていたようなものだ。別にたいしたことを話した訳ではないが、知らない所で会話を聞かれていたのは、妙に恥ずかしい。
「何よ、全部聞いてたって言うの?」
「全部、じゃないけど。あのね、聞こうと思わなければ、聞こえないんだ」
「結局は一緒じゃないの!」
憤りと恥ずかしさに顔を真っ赤にして怒っているエリスを、イアンはおもしろそうに眺めていた。
「姉ちゃん、そう言えばさっき光玉造ってなかったか?」
「ええ」
イアンが何を言いたいのか分からなくて、エリスはとりあえず頷く。イアンは奇妙な顔をして、老婆を見遣った。
「緑の塔って、闇使いと光使いがいるんじゃなかったのか、ナナ」
「そりゃ、天下の緑の塔さね。光も闇も使えるティアルーヴァだっていても良いじゃないか」
ナナの言葉に、少年はその金の瞳を輝かせてエリスを見る。
「姉ちゃん、両方使えるの? 緑の塔って、そういう人達がいっぱいいるのか?」
エリスは素直な少年の言葉に面食らってしまった。
「ううん、それこそいろいろな力をもつ人はたくさんいるけれど、光と闇を使うのは私だけ」
「そうなのか?姉ちゃん、すげぇ」
イアンは純粋に称賛のまなざしで、エリスを見上げて来る。そのまなざしが嬉しくもあり、気恥ずかしくも思えた。そんなふうにほめられるのは稀だ。
「あ、ありがとう」
あまりにも慣れない状況でエリスは思わず赤面する。認めてほしいとずっと思っていたことが、いまここで当たり前のように叶っていることに動揺してしまう。
「あ、あの、カイユに駐在しているティアルーヴァは、光使いのナナさんだけですか?」
「ナナさんは、よしとくれよ。ナナで充分さね」
ナナはさん付けされ、鳥肌の立った腕をさすりながら、エリスを睨め付ける。
イアンは奇妙な笑い声を立てて、同じようにナナに睨まれた。
「じゃあナナ、……カイユにいたティアルーヴァはあなたお一人なんですか?」
「役立たずの闇使いが一人いたがね、最近は見ないねぇ」
イアンの話によると、口達者な調子の良い闇使いで、日頃大きな口をたたいていたくせに、カイユが闇に覆われてしまった途端、しっぽ巻いて我先にと、逃げ出してしまったらしい。
「え……じゃあ、カイユの人達は今、どうしてるの?」
「もちろん、ナナとおいらで避難させたに決まってるさ。市長の屋敷が一番広くて手っ取り早いってんで、ナナが全員そこに送って結界を張った。おいらとナナはここに残って、逃げ遅れた人を探して、治療したりしてるんだ」
「そうだったの」
姿を隠した闇使いの代わりに、こんなに小さな子供が役割を継いでいるとは。
この状況にも物怖じしない度胸と良い、並の大人よりもしっかりしている。
「ねえ、イアン。市長の家でこの人見なかった?」
エリスは胸元からリヴァのミニアチュールを取り出し、イアンに見せる。
イアンは目を円くして、描かれている人物を絶賛した。
「うわぁ、美人! 誰、これ?」
「私の従兄なの。カイユに来ているはずなんだけど……」
「え、兄ちゃんなの?」
イアンは頭をかいた。
「残念だけど、こんな美形の兄ちゃんだったら、一度見たら忘れないよ」
「そう……」
エリスはがっくりと肩を落とした。そして、気を取り直して、ナナに向き直った。
「カイユに【浄化】命令が出て、ティアルーヴァが十五名派遣されています。私もそのメンバーなのですが、新人で隊からはぐれてしまって…」
憤慨していたイアンはエリスの言葉にびっくりしたようで、ナナと顔を見合わせている。
ナナは面白そうににやりと笑った。
「ティアルーヴァが十五名か。ようやく、だね」
「早く闇使いを送ってくれるように緑の塔に頼んだのに、対応がおっそいんだよなっ」
しかしエリスははぐれてしまって、いま隊がどこにいるのか分かっていない。
「ああ、その辺は気にしなさんな。ティアルーヴァがカイユに来たらすぐ分かるように、仕掛けをしてある」
「仕掛け?」
ナナは楽しそうに笑うだけで教えてはくれなかった。
「こちらに向かってるならもうすぐ来るんだろうさ」
ナナが大儀そうに腰を上げると、イアンが興奮してエリスに纏わり着いて来た。
「姉ちゃんも綺麗だけど、向こうの兄ちゃんもすごい綺麗だな!」
「え、え?綺麗?私が?」
正面切って、綺麗だと言われたことなどなかったので、エリスは自分のことを言われているようには全く思えなかった。あまりにも称賛してくれると何か化かされている気になってくる。
「えー、綺麗だよ、姉ちゃん」
きょとんと当然のような顔をして言ってくれるイアンがかわいく思えてしまうのが不思議だ。
こんなふうに、まっすぐなまなざしで、なついてくれる存在もエリスには初めてだ。
「姉ちゃん、姉ちゃん。おいら、手伝ってやるからな。姉ちゃんの兄ちゃん探すの」
「ありがとう、イアン」
ナナの後に続いて、青年が眠っている筈の部屋に一歩足を踏みいれたとき、エリスは絶句した。
青年が、上半身だけ起こし、こちらを見ていた。
イアンがあれだけ絶賛したのも頷ける。
先ほどは動転していてよく顔は見ていなかったから気が付かなかった。
薄汚れた衣服はこざっぱりとしたものに取り替えられていた。
それだけだというのに、まるで、光を人型に集め、青い瞳を埋め込んだかのように美しい。
エリスは声を失って、青年を見詰めていた。
神々しいまでの光を纏って、青年もエリスを見ている。
青年の唇が弱々しく動く。
何を言ったのか聞き取れず、ぼうっと見とれていたエリスは、青年がふらつき、ナナが駆け寄ったことも分からなかった。
エリスが我に返ると青年を包んでいた光は既に消えていた。
心臓がまだどきどきしている。
エリスはまだ、呆然としたまま突っ立っていた。
この人だ、と思った。
何がこの人なのか、何故そんなことを思ったのか、エリスにも分からなかった。
ただ、この人だと、確信したのだった。
夕闇の薄暗い中、闇の塔の祈りの間に、男が一人立っている。
闇の神を祭る祭壇を前に、男は何を思っているのか。終始、無言である。
金色の目は、半眼に閉ざされ、男の意識は遥か遠くに飛んでいる。
カイユが闇に閉ざされ、一月が過ぎた。
一般のティアルーヴァたちもようやく事の重大さを知ったらしい。慌てふためく声が、塔全体を揺るがしている。
男は人知れず、嘲笑する。
何に対してなのか。
誰に対してなのか。
一人、闇の中で。
「もうすぐ、あの力の総てが私のものになる。我らが神よ。しばしのお待ちを……ご降臨の時はもうすぐです……」
男の声は低く、闇に溶けて消える。
男の姿も、音もなく闇に消えた。
「君が僕を助けてくれたそうだね、ありがとう」
金色の青年は、上半身のみ寝台から起こした状態で、こちらを見て笑いかけて来た。
「私はただ、あなたを見つけただけよ」
今はナナもイアンも席を外しているので、エリスは、思い切って尋ねてみることにした。
「あのあなた、ティアルーヴァではない、です、よね?」
恐る恐る尋ねてしまうのは、もし青年が光使いであった場合、名を知らないのは失礼になってしまう。エリスは、青年がティアルーヴァでないことを祈った。
「ティアルーヴァ?」
怪訝そうに細められた目が、違うということを物語っている。
「ああ、違うよ。僕は旅行者だから」
エリスは青年の答えを聞いて、ほっと胸を撫でおろした。
「旅行中だったの? じゃあ、災難だったわね。私は、エリス。えっと、あなたの名前は?」
青年は口を開きかけ、何故か黙り込む。エリスに向けていた目を泳がせ、しばらくしてためらいがちに、
「…ルーリック」
と、名乗った。
「どうしたの? 自分の名前を忘れていたの?」
不自然な青年の名乗り方を尋ねると、青年は苦笑した。
「一瞬、ね。本当に忘れてしまったのかと思った。僕は、ルーリック。改めて、どうもありがとう、エリス」
エリスは、はにかみながら首を振った。
「さっきのおばあちゃんがナナで、男の子のほうがイアン。イアンがルーリックをここまで運んで来てくれたの」
ルーリックは非常に驚いて、目を円くした。エリス自身、この目で見なければ信じなかっただろう。
あんな小さな子どもが青年を担いで運んだ、とは。
「おばあさんと弟くんと三人暮らしなのかい?」
「ううん。私は事情があって、カイユに来ているだけ。私もさっき二人に会ったばかりよ」
「……僕のせいで?」
申し訳なさそうに見上げて来る青年が、とても子供っぽくて、思わず笑ってしまう。
「そう、ルーリックのおかげで。私は、従兄を探しに来たの。あなたのおかげで、イアンたちにも会えて、協力してもらえることになったわ」
隊とはぐれて途方に暮れていたから、本当にイアンと会えたのは幸運だった。
それにルーリックがあそこで倒れていなかったら、そのイアンとも会えていなかっただろうと思えた。
「ルーリックはどこから来たの? アスファーダは初めて?」
エリスは興味が沸いて、青年に尋ねる。
「この大陸ではないところから。アスファーダには、前にも来たことはあるよ。後は、名もない小さな島やら、いろいろな国を気ままに旅している」
ルーリックの言い方が本当に長い間いろんなところを旅してきたような言い方で、エリスは驚くとともに興味を持った。
「何故、旅をしているの?」
何故、こんなにしゃべれるのかと、エリスは不思議に思った。自分が、こんなに人見知りせずに、出会ったばかりの人と会話を弾ませている。青年が人懐っこく、質問にも嫌がらず、微笑みかけてくれるからだろうか。
「僕にも良く分からない。性分なんだろう、多分、探さずにはいられない」
「探す?何かを探しているの?」
ルーリックは苦笑する。
「出会えるかどうかも分からない。けれどそれを探すことが僕の…うーん」
言葉を探してルーリックは考え込む。運命とか人生とかそんな言葉が続くのだろうかとエリスは思った。
「誰か、人だったり、どこかの土地だったり…もう探すことが日常になってしまっているみたいだ」
「まさか、旅先で事故に巻き込まれるとは思わなかったでしょう?」
エリスが笑いながら尋ねると、意外にも青年は首を振った。
「結構、巻き込まれるのは多いんだよ。無事に素通り出来る事なんて、めったにないからね」
「家の方が心配なさってない?」
「そうだね。でも、父も母も思うようにやって来なさいと送り出してくれたし、妹も寂しがってはいたけれど、結局は黙って賛成してくれた」
「妹さんがいるの?」
「いるよ。双子の妹。エリスは?」
「私は一人っ子。双子って、ルーリックとそっくり?」
青年は笑いながらも、小首を傾げる。
「どうかな。昔はそっくりで、お互い入れ代わったりしたけれど」
エリスはずっと青年が誰かに似ているような気がして仕方がなかった。だが、それが誰かなのか思い付かない。
じっと、そんなことを考えていると、イアンの元気な声が響き、元気よく駆け込んで来た。
「なになに、兄ちゃんにそっくりな人がいるのか?」
どこで聞いていたのか、イアンは金色の目を輝かせて、ルーリックの方に身を乗り出すように尋ねる。突然のイアンの出現に驚いたエリスの前で、これまた突然現れたナナの右手が、勢い良くイアンの頭上に振り降ろされた。
「イアン。病人相手に、大きな声を出すんじゃない!」
イアンは頭を押え、その場にうずくまる。
「ナナの声のほうが大きい…」
呻き声には、ナナに対する恨みがましさがあった。
「エリスも、長話は後回しにして、こちらさんを休ませてやらないと」
「ごめんなさい、気が付かなくて」
エリスが謝ると、青年は気にしなくていいと言うように、首を振った。
「僕で良ければ、手伝うよ。エリス」
イアンと共にナナに追い出されようとするとき、ルーリックがこちらに顔を向けて、そう言った。青年が、リヴァを一緒に探してくれると言ってくれたのだということに気付いた。
「姉ちゃん、やったな」
小突いて来るイアンを先に追いやり、エリスは頭を下げた。扉を閉め、廊下に出るとイアンがにやにやと笑いながら、エリスを見上げていた。
どうにもませた子供だ。
「イアン、いつから立ち聞きしてたの?」
「おいら、立ち聞きなんてしてないよ」
いけしゃあしゃあと言う。エリスが納得してないのに気が付いて、イアンは更に言い足した。
「姉ちゃん、この家って筒抜けなんだよ」
と、まるでどこかの光使いのようなことを言う。
「ナナが結界張っているから、空間がつながってるんだ」
唖然としていたエリスは、がっくり肩を落とす。だったら、先にそう言ってほしかった。立ち聞きされていたようなものだ。別にたいしたことを話した訳ではないが、知らない所で会話を聞かれていたのは、妙に恥ずかしい。
「何よ、全部聞いてたって言うの?」
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