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第1章 佐伯悠亮としての日常

第1話 真田龍子、走る

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「わあーっ、おくれるーっ!」

 繁華街はんかがい北上ほくじょうして走る少女の影がひとつ。

 真田龍子さなだ りょうこだ。

 黒帝高校こくていこうこうの制服――黒いブレザーとスカートを着込きこんで、黒髪くろかみのポニーテールはせわしなくれている。

 歩道ですれ違う歩行者のあいだをぬって進んでいるから、ショルダーバッグが何度もぶつかりそうになる。

 カモシカを思わせる彼女の脚力きゃくりょくえきれず、ストッキングはところどころ伝線していた。

 革靴かわぐつに打ちのめされる歩道のタイルは、悲鳴のような破裂音はれつおんを上げつづけている。

 その姿は絵にいたような青春まっただなかだ。

   *

 東京都西部に位置する朽木市くちきしの中心・朔良区さくらく

 季節はすっかり秋になってきたから、車道をはさんだ公園に並ぶ桜の木は、いかにも肌寒はだざむそうだ。

 学校の始業ベルにはまだ早いが、彼女が急ぐのには理由があった。

 ウツロが――いまは佐伯悠亮さえき ゆうすけと名乗っているが――音楽室のピアノで、朝の『定例演奏会』を開いているからだ。

 あの事件――彼の父である似嵐鏡月にがらし きょうげつと、二卵性双生児にらんせいそうせいじの兄・アクタの壮絶そうぜつな死によって幕を閉じた悲劇から、早いもので半年はんとしった。

 あのあと彼は異能力いのうりょく『アルトラ』を有する者を管理・監督する組織・特定生活対策室とくていせいかつたいさくしつの本部へ送られ、調査という名目めいもくで人権など度外視どがいししたあつかいを受けた。

 だがウツロ本人は「俺にはお似合いだよ」と、気丈きじょうにふるまっている。

 真田龍子はそんな彼の健気けなげさがつらく、しかしいとおしくもあった。

 二人はたがいに愛する存在を得て、少しずつ、だが確実に強くなっていた。

   *

 真田龍子が校門の前に立ったとき、『演奏会』はすでに始まっていた。

 正面しょうめん三階の音楽室から、ピアノの調べが聞こえてくる。

 断片的だんぺんてきなフレーズをかき集め、脳内で補正をかける。

 ラモーのクラブサン第二組曲――ウツロのお気に入りの曲だ。

 いま、真ん中のあたりだから、急がないと終わってしまう。

 彼女はせかせかしたが、登校中の学生たちにはばまれ、なかなか前に進めない。

 そのとき低空飛行のヘリコプターが、屋上おくじょうからぬっと顔を出した。

 プロペラの作る風が校庭にきつける。

 ひるんだ女子たちはスカートを押さえているが、男子たちはその光景に鼻の下をばしている。

 いかにも若さゆえの仕様しようだ。

 真田龍子は「このすきに」と思い、また強く大地をった。

(『第2話 音楽室のウツロ』へ続く)
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