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第1章 佐伯悠亮としての日常

第8話 ありふれた高校生活、ではなくて……

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 ウツロと真田龍子さなだ りょうこが教室へ入ったとき、クラスからはやかしの歓声かんせいがわきあがった。

「ははは……」

 二人は恐縮している『ふり』をしながら、自分たちへの席へと着いた。

 ウツロの席は最後列さいこうれつの一番左奥、真田龍子はその右隣みぎどなりだ。

 神がほほえんだかのような配置であるが、高校生活においてはままあることだ。

佐伯さえきよ、『おつとめ』ご苦労」

「何を言っているのかな、柿崎かきざき?」

 右斜前みぎななめまえのやんちゃボウズ、柿崎景太かきざき けいたが、ウツロにすかさずツッコミを入れた。

 いつものことだとらしたが、『佐伯悠亮さえき ゆうすけ』の名前にはどうしても慣れないから、そう呼ばれるのにはまだどこか、抵抗感があった。

「柿崎い、朝っぱらから元気だなー」

「なーに言ってやがる、元気なのはお前らの下半身だろ?」

 真田龍子の声かけに、下ネタで返す柿崎。

 思春期男子特有の仕様とはいえ、これでは女子はドンきである。

「うわー……」

「下劣だぞ、柿崎」

 しかめツラになった彼女を守るように、ウツロが牽制けんせいした。

「ああっ、龍子おっ! 来てっ、悠亮っ――」

 ガツン!

 自分を抱きしめながら妄想もうそうしている柿崎の頭に、左側から東大の赤本あかほんが降ってきた。

「ぎゃあああああ……」

 激痛のあまり、彼は患部かんぶを必死でさすった。

「その辺にしておけ、柿崎。ここは仮にも公共の場だぞ? 佐伯、真田、すまない。このバカにはあとでちゃんと注意しておく」

 クラス委員長の聖川清人ひじりかわ きよとが、『仕様済しようずみ』の過去問題集を机に戻しながら、後列の二人にわびを入れた。

「いや、いいんだ、聖川」

「あーあ、柿崎い、頭、赤くなってるよ」

 ウツロと真田龍子はひやひやしながら見ていたが、柿崎はかなりこたえたのか、頭頂部をかかえてもだえている。

「ぬ、ぬ、ぬ、ぬううううう……き、き、き、きいいいいい……」

「やかましい」

「にゃあああああお!」

 同じところを今度は平手ひらてで打たれ、柿崎は世にも奇妙な悲鳴を上げた。

「ったく、バカまるだしだな柿崎い。お前と違って佐伯は心がんでいるのだよ。だからみんな、応援する。それ比べてなんだ、お前は? ドブのようににごってるんだよ、お前の心は!」

 彼とは通路をはさんで右側の席の長谷川瑞希はせがわ みずきが、茶化ちゃかすように言った。

「おのれえ、長谷川あ……てめえ、いますぐ××して――」

「黙れ」

「きしゃあああああお!」

 本日三度目の聖川による『仕置き』。

 もはや悲鳴を上げているのは、柿崎の頭皮である。

「やめなよ、聖川。これじゃ柿崎の頭がパッパラパーになっちゃうって」

「いや、真田。柿崎はもともとパッパラパーだと思うんだ」

 自分の言ったセリフにハッとして、ウツロは窓の外を見た。

 快晴の空と太陽光、そして、自分の顔がうっすらと、ガラスに映っている。

(パッパラパー、か……)

 彼はアクタのことを思い出していた。

―― ウツロ、あんま難しいこと考えんな。パッパラパーになっちまえよ ――

(アクタ、兄さん……本当に、いいんだろうか……俺だけが、俺だけが、生きているなんて……父さんも、もう、いない……さびしい……俺の心の欠落は、もう決して、きっと一生、まることはないんだろう……)

 こんな風にウツロは、自分の顔とにらめっこをしながら、思索しさくふけっていた。

 物思ものおもいに耽溺たんできしかけたとき、教室の後ろのドアがガラッとひらいて、彼はハッとわれに返った。

「あ、みやび

 真田龍子がつぶやいた。

 始業ベルの鳴る直前になって、星川雅ほしかわ みやびの登場した。

 妖艶ようえんなオーラを放つ彼女は、クラスにも隠れファンが多い。

 男子、女子を問わずである。

 精神科医を両親に持つという意識もあり、整えすぎず、かといってくずしすぎもしないかっこうや、立ち振る舞いをむねとしている。

 他者から警戒されず、かつ、油断もされないためだ。

 星川雅はすました顔と動きで、教室の中へと入ってくる。

 氷潟夕真ひがた ゆうまがいない――

 彼女はまず、それを確認した。

 そして次の瞬間、教室中央に陣取じんどる赤毛の少女・刀子朱利かたなご しゅり目線めせんがあった。

 ほんの数瞬すうしゅんだが、強烈な殺意を送りあう。

 星川雅の母・星川皐月ほしかわ さつき――旧姓きゅうせい似嵐皐月にがらし さつきと、刀子朱利かたなご しゅりの母で、現内閣防衛大臣・甍田美吉良いらかだ よしきらこと旧姓・刀子美吉良かたなご よしきらは、互いにおさななじみの間柄あいだがらであり、不倶戴天ふぐたいてんのライバル同士でもあった。

 むすめである二人は、それを強く意識しあって、時を越えて、互いにライバル視しあっているのだ。

 ただでさえ似嵐家にがらしけ刀子家かたなごは、因縁いんねんの深い家同士であったので、家督かとく重責じゅうせきになう彼女らのいがみあいは、筆舌ひつぜつに尽くしがたいレベルのものであった。

 しかし星川雅は、周囲にそれを悟られないよう、刀子朱利の凍りついた視線をスルーして、自分の席――長谷川瑞希のとなりに座った。

「雅い、あいかわらず殿様出勤だなー。いっつも授業開始ギリギリまで、何をしているのかね?」

「別に。瑞希には関係のないことだよ」

「何それ、傷つくー。仮にも中学からの仲でしょー?」

たかが中学からの仲・・・・・・・・・でしょ?」

「あーら……」

 気さくに話しかけた長谷川瑞希は、星川雅のつれない態度に閉口へいこうした。

「おはよう、雅」

「おはよう龍子、と、その他の方々かたがた

「なんだ星川、その態度は。俺らは村人かっつーの」

「あなたなんて本来、黙殺もくさつに値する存在なんだからね、柿崎?」

「にゃおー! てめえ、いますぐ××して、ひっ……」

 柿崎が殺意を感じて振り向くと、そこでは聖川清人が、広辞苑を振りかぶって待っていた。

「その辺にしておけ、柿崎……!」

「は、はひい……」

 成長期全開の小芝居こしばいに、周囲はただただ、あきれ果てていた。

 星川雅は何事もなかったかのように、机の上に教科書を開いて、授業の準備をしている。

 ウツロは彼女をそっと見つめながら考えた。

 とらえどころのない、でも、決して油断してはいけない相手だ……
 先ほど刀子朱利に送った目つき……
 幼なじみとだけ聞いてはいるが……
 あれはどう見ても、ただならない仲だ……
 きっと何か、あるに違いない……

 いっぽうで、その母・皐月のことも頭をよぎった。

 雅のお母さん……
 俺にとっては『伯母おばさん』に当たるわけだけれど……
 まだ会ったことはないが……
 父さんの話が確かなら、容易ならない人物のはずだ……
 気になるけれど、まだ時期尚早じきしょうそうだ……
 でもいつか、彼女の口から問いただしたい……
 父さんの人生を、奪った人だとすれば……

 ウツロの視線に気づいた星川雅は、横目よこめをちらつかせて、ペロリと一瞬、舌をのぞかせた。

 いつもの挑発ちょうはつだ、気にするな――

 彼は自分に、そう言いきかせた。

 そのとき、教室前方ぜんぽうのドアが、勢いよくひらいた。

「なーはーは! 諸君、おはよう!」

 先ほどまで音楽室にいた、音楽教師兼担任の古河登志彦《ふるかわ としひこ》が、スーツのしたぱらをたぷたぷとらしながら入室した。

「起立!」

 聖川清人が折り目正しくあいさつする。

 いい子なんだけど、四角四面しかくしめんなのが玉にきずなんだよな……

 古川教諭きょうゆ脂汗あぶらあせらした。

「聖川くん、ここは軍隊ではないのだよ? もうちょっと、フレンドリーなノリで……」

「礼!」

 良くも悪くも真面目なのだ、彼は。

「あはは……」

 教壇きょうだんに着いた古川教諭は、これではまるで『ご本尊ほんぞん』だとひやひやした。

「着席!」

 流れを作られ、軽い態度を封じられた彼は、用意した朝礼のフレーズもボツにして、本題に入った。

「……うん、それではホームルームを始めよう。今度、職場体験があるんだけど、参加者を募集中なんだ……」

 ウツロは何だか気が抜けて、もう一度、ガラスしに窓の外を見た。

 のんびりした秋の空、それ以上でも以下でもない。

 『人間の世界』にも慣れてきた……
 しかしホッブズいわく、『慣れ』ほどおそろしいものはない……
 もっと気持ちを引きしめなくては……
 俺はまだまだ、『人間』として発展途上・・・・なのだから……

 こんな風にウツロは思索しさくした。

 ありふれた高校生活、ではなくて・・・・・、どこか危険がりまじったそれは、こうして秋の風のように、過ぎ去っていくのだった――

(『第9話 思索部しさくぶ風景ふうけい』へ続く)
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