魔法猩々ゴリラ☆ゴリラ 〜童貞と死の国〜

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第一話 猩々は ゴリラじゃなくて オランウータン

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 下北沢の細い路地裏は、夜更けにも関わらず、かすかな音と匂いが混ざり合っていた。居酒屋から漏れる笑い声とタバコの煙、古着屋のショーウィンドウに揺れる光、それらは宵闇に滲むように溶け込み、通り過ぎる誰かの足音を頼りない残響として浮かび上がらせる。
 庄司誠治は、その路地の奥で壁にもたれ、うつむいていた。背筋を伸ばせば軽く頭一つ分、他人より高い190センチの体躯。それを活かしかつてはアメフト部でラインバッカーを務めていた男だが、今その逞しい肩はがっくりと落ちている。冬用のスーツは汗と湿気でよれ、革靴の先はわずかに塵でくすんでいた。シャツの襟元を緩め、手にはスマートフォン。そこには面接官からの定型句が浮かんでいる。「大変残念ながら…」そのパターンを見飽きて久しい。どうにかなるだろう、そう思い続けてもう何社に断られたか。確か、今日のでちょうど100回目になる。人事部員の冷めた眼差しと、最後に浮かべる作り笑い。自分もまた、それを鼻で笑い返してしまった記憶がある。何度繰り返しても結果は変わらない。人間力が足りない、とか思いやりがない、とか。面接対策本に書いてある「謙虚な姿勢」なんて、どうにも身に付かなかった。

 足元のアスファルトがじわりと冷たく伝わる。バイト先もクビになったばかりだ。客に対して自然と見下した態度が出たらしい。相手が馬鹿に見える、と口を滑らせた瞬間、店長の顔色が変わったのを思い出す。その日からシフト表には自分の名が消えた。結局、誠治は何者にもなれぬまま、この狭い六畳のアパートから現実逃避するでもなく、下北沢の裏通りでただ立ち尽くしている。

 「くそ…」
 唇を嚙みながらスマホをポケットに放り込むと、深く息を吐く。その呼気が夜の微かな湿り気と混じり、ひどく生臭い空気を感じた気がした。なぜこんなにも報われないのか。そこそこ顔立ちは整っていると自分では思っているが、結局は見透かされているのだろう。中身が空っぽだと。経験も浅く、女性との交際歴はおろか友人すら少ない。この身長と筋肉は、社会というフィールドでは役に立たないらしい。

 「もう、終わりかな…」
 誰に語るでもなく呟く。頭上を見上げると、曇天の夜空がぼんやりとした街明かりを吸い込んでいる。ビルの屋上あたりで小さな影が蠢くような気がした。酔っている訳でもないのに、視界がゆらめく。その影は次第に増えていくようだ。鳥か?猫か?いや、もっと嫌な、ぎらついた光を放つ眼が、こちらを凝視している。

 「…なんだあれ」
 異様な息遣いが、ビルの隙間で反響する。低く、濁ったうなり声が、上から降ってくるようだ。誠治は足を引きずるように数歩後ずさりする。すると、暗い空間からぬっと飛び出してきた影は、犬だ。いや、犬に似た何か。毛が逆立ち、目が血走り、ヨダレを垂らしながらこちらを見ている。その視線は狂気をはらんでおり、立てかけたハシゴから降りるかのように器用に壁面を蹴ってくる。屋上から、次々と犬が、あるいは犬のようなものが、宙を舞い降りてくる。
 「……おいおい、冗談だろ」
 信じがたい光景に、思わず固まる。5匹、10匹、いやそれ以上。狭い路地を埋め尽くすように、巨大な犬型クリーチャーがうなり声を上げている。そのうちの一匹が、低い声で舌足らずな日本語を口にした。
 「カミツク…ヒト、カミツク」
 奇妙なイントネーションが耳を刺す。誠治は全身を粟立たせ、わずかに腕を構えた。アメフトで鍛えた筋力があるとはいえ、これは異常だ。何故犬が空から降る?何故喋る?何故こんな殺気を放つ?

 喉が渇く。足が震える。が、この状況でぼやぼやしていては噛まれるだけだ。彼らは明らかに敵意を持っている。噛まれたらどうなる?嫌な想像がよぎる。
 「ひとまず逃げるしかない」
 誠治は一気に飛び出した。切り返し、地面を蹴る。かつて関東大学リーグで繰り返した俊敏なスタートダッシュを、今こそ発揮する時が来たのかもしれない。背後から続く「ガウガウ」不気味な唸り声が迫る。足音が尋常でない速さで追ってくる。
 曲がり角を一つ、二つ、くぐり抜けても犬たちは離れない。頭が混乱しているが、とにかく正面の暗がりを抜けて大通りに出よう。人通りがあれば、この怪物たちも動揺するだろうか。しかし深夜の下北沢、大通りもあまり人がいない。照明の下で、犬どもはますます輪を狭めている。

 「ここで捕まったら終わりだ」
 必死に息を整え、誠治は逃走の手を止める。アメフトの経験上、相手のリーダー格を潰せば団体は混乱することが多い。でかい奴が混じっていたはずだ。視線を走らせれば、群れの中心にひときわ大柄な一匹がゆらめいている。
 「狙うならあいつだ」
 心の中でカウントを刻み、敵が襲いかかる瞬間に体を沈める。次の瞬間、全身をバネのように使って突進、タックルを叩き込む。衝撃とともに巨大な犬が地面を転げ、ヒュウッと歪な悲鳴をあげた。

 「よし…」
 誠治は安堵しかけたが、周りの犬たちはまるで何事もなかったかのように動きを続けている。リーダーを失っても乱れないのか。これはまずい。すぐさま反転しようとするが、逃げ道は塞がり、今度こそ四方を囲まれた。
 「……もう駄目か」
 冷や汗が背筋を伝う。暗闇の先から、誰かの声がした。
 「君、人間力欲しくない」
 すぐ横に小さな影が立っている。猿に似た奇妙なマスコット。赤い体毛、愛嬌ある笑顔、だがこの状況で現れるという非常識さ。杖のようなものを持ち、こちらをチラリと見上げている。
 「な、なんだお前」
 「僕はサルルート君。君、就活に困っているでしょ。さっきスマホで不採用通知を見てため息ついてたね」
 「見てたのか…ってそんな話してる場合か、助けろよ」
 「助けるよ、もちろん。ただ条件がある。君、人間力欲しいんでしょ」
 正気とは思えないが、背後では犬が歯を鳴らしている。時間がない。
 「欲しい…」
 ぎこちなく吐き出した言葉にサルルート君は満足げに頷く。
 「よし、契約成立。それじゃあいくよ。魔法猩々ゴリラ☆ゴリラに変身」
 「はぁ?」
 疑問を口にする間もなく、サルルート君の杖から光が弾ける。誠治の身体に熱が走り、筋肉が隆起する。腕が太くなり、胸板が厚くなる。その変貌ぶりは異常で、スーツがきしむ気配まで感じた。歯を食いしばると、得体の知れない力が全身を満たしていく。

 「な、なんだ…これ」
 「さぁ、あの狂犬たちを倒して」
 有無を言わさぬ声に、今は従うしかない。誠治は振り向きざま、一番近くの犬を殴り飛ばした。骨が砕けるような手応えと共に、犬が宙を舞う。他の犬も蹴り、叩き、投げ飛ばす。まるで紙人形のように吹っ飛んでいく。
 「強い…何だこれは…」
 自分でも怖いほどのパワーが指先から漲る。犬たちが悲鳴交じりの奇声を上げるが、歯向かう気力を失ったのか、次第に闇へ溶けるように消えていった。

 気づけば周囲にはもう敵はいない。散乱した毛と奇妙な臭いだけが残っている。
 「全部倒せたね。あいつらに噛まれたら廃人になるから、危なかったよ」
 「は、廃人…なんだそりゃ、何がどうなってる」
 「ま、細かいことは後で。君は僕と契約したからね。これから魔法猩々ゴリラ☆ゴリラとして、猿の国で大活躍してよ」
 「猿の国…?それに猩々は猿だけど、ゴリラは…いや、オランウータンのほうが…」
 「細かいこと気にしない」
 サルルート君はニヤリと笑い、杖をクルクル回す。

 首をひねる誠治だったが、心臓の鼓動はまだ速い。ついさっきまで死ぬかと思ったのに、今は異様な達成感がある。だが、その裏に潜む危険と不条理さは計り知れない。
 「なぁ、お前、一体何者だ」
 「僕は猿の国のリクルーターさ。この世界から、強い人間をスカウトしてるんだ」
 「スカウト?俺を?」
 「そう。人間力を欲している君なら、うってつけだ。ま、その話は明日また大学でしよう。君、東大生でしょ。じゃ、また明日」
 そう言うと、サルルート君は消えるように姿を失った。

 取り残された誠治は、その場に立ち尽くす。変身は自然に解けたのか、もう体毛や妙なムキムキ感は引き、元のスーツ姿に戻っている。夢だったのか?背中の汗が冷たく張り付くのを感じる。
 闇夜に吹く風がやけに静かだ。ほんの数分前、狂犬たちが空から降ってきたことは現実なのか。しんとした大通りを見渡しても、誰もいない。証拠らしきものもない。
 「明日、大学で…?」
 何が起こっているのか分からないが、行くしかないだろう。就活全敗で人間力不足と罵られた自分が、この奇妙な夜で手に入れた謎の力。常識的に考えれば信じがたいが、打開策があるなら乗るしかないのかもしれない。

 ポケットの中でスマホが微かに震える。画面にはSNSで友人が「また落ちた」と嘆いている投稿が流れている。誠治はその投稿をぼんやり眺め、無言で画面を閉じた。
 「あんな狂犬がいる世界じゃ、就職難なんて可愛いもんだな」
 自嘲するような独り言が路地に溶ける。どうせ誰も聞いちゃいない。
 誰にも頼れないと嘆いた日々。でも、今夜は自分より不条理な存在と遭遇した。人を噛んで廃人にする犬、猿の国を名乗るマスコット、魔法猩々ゴリラ☆ゴリラという謎の変身…世間の枠組みを逸脱した何かがこの街には潜んでいる。自分はそれに巻き込まれたのだろう。
 不思議と、心の底にほんの少しだけ期待が芽生えた。意味不明だが、あのサルルート君は人間力を与えると言った。もし本当に得られるなら、あれだけ惨めだった面接も、またやり直せるかもしれない。バイト先で客を見下し、苦笑されることもなくなるかもしれない。恋愛だって、いつかは――
 微かな希望に身を委ね、誠治はアパートへ戻っていく。下北沢の夜は深まる。闇が降りる中、彼はまだ自分の運命がどう転がっていくのか知らない。ただ、この奇妙な邂逅が、翌朝からの彼の日常を根底から覆すことだけは、確かなことだった。
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