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5 まだ俺のもの
第三話
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乱闘騒ぎはその後、大きな事件にはならなかった。やられた木崎たちが口を噤み、見ていた生徒は誰も教師に告げ口をしなかったからだ。柔道部の木崎からすれば、無所属の來に簡単に負けたことは衝撃であり恥だ。しかも自分の言動に非がある以上強くは出られない。
周囲の人間もまた來相手に正義感を振りかざす者はいなかった。
來の進退に問題があってはと思っていた聖利にとって、このことは幸いだった。しかし、自分から來に会いにはいかなかった。礼など言われても來も困るだろうし、何より自分たちに必要なのが距離であることはわかっていた。
触れ合ってしまったことは間違いなのだ。だからこそ聖利は隔たる決断をした。
「聖利」
しかしその日、早朝の寮の前で声をかけてきたのは來だった。騒ぎから二日後、聖利がランニングに行くタイミングだった。待っていたのだろう。
「少し付き合えよ」
「付き合う理由がない」
にべもなく言い走りだそうとすると、腕を掴まれた。咄嗟に鋭くいましめを振り払う。
「離せ。おまえは、他のアルファと違うだろう。力づくはやめろ」
睨みつけ厳しい口調で言う。來がそんなことをするわけがないとわかっていても、敢えて嫌な言葉を選んだ。來が皮肉げに笑う。
「随分オメガらしくなったじゃん。自分の境遇に酔ってんのか?」
カッとして言い返そうと口を開きかけ、やめた。言い合いをしたいわけじゃないのだ。それに來の言葉も一理ある。最近、オメガとしての思考に終始している。バース性に振り回されているのは誰よりも自分自身だと気づくと、ぞっとした。
「何か話があるのか?」
仕方なく來について歩きだす。來は手にしていた缶のカフェオレをひとつ、聖利に渡した。
「ブラック苦手だったみたいだから」
「失礼だな、飲めるよ」
「お子様舌には甘いカフェオレのほうがいいかと思った」
並んで歩きながら、そんな挑発をしてくる。つくづく來の目的がわからない。いや、そんなことも考えない方がいいのかもしれない。
梅雨に入ったばかりの薄曇りの朝だ。ふたりは寮から離れ、学園の中庭にやってきた。少し前に朝食を食べた丘はこの先だ。中庭には高芯咲きのモダンローズが咲き乱れ、強い芳香が鼻をくすぐる。温い風が香りをかき混ぜ、ふたりの髪をなぶって吹き抜けていった。
「関わらないんじゃなかったのか? 僕とは」
來の背中に呼びかける。こちらは学校でも関わらないように必死だ。來ばかりがひょいと垣根を飛び越えてきてしまう。
「聖利、部屋には戻んねーのか?」
問いかけに答えずに來が尋ねてくる。聖利は頷いた。
「……その方が安全だ。抑制剤を飲んでも、おまえは僕の匂いを感じ取ってしまう。間違いを起こしてはいけない」
「間違いって誰が決めたんだよ。おまえだろ」
來が振り向いた。切なく細められたブラウンの瞳、もの言いたげな薄い唇。表情は焦りと哀切が漂っている。
なぜ、そんな顔をするのだろうと問いただしたいけれど、聖利にはできない。
「俺が聖利のことを欲しくなっておまえに触れたらそれは間違いか? そのとき、おまえは俺のこと求めてはくれないか?」
「何を言ってるんだ。僕たちは、そういう関係じゃない。ただの同級生だ」
來が近寄ってくる。強引ではなく、そっと聖利の背に腕を回し抱き寄せる。
聖利が力を入れれば、簡単に逃げられる抱擁だ。それなのに、痺れたように動けない。ヒートは起こっていないので本能的なものではない。だけど、逃げられない。
「俺にはずっと中学から夢があって、でもそれは叶わないって思ってきた。つい最近まで」
「來?」
こめかみに來の頬があたる。声が身体に直接響く。
「だけど今、奇跡みたいなことが起こってる。俺は捨てようとしてた夢に必死にすがりついてんだ」
來が言いたいことがわからない。まるでなぞかけみたいな言葉に聖利は困惑する。ただ、來の腕の中は温かく、香りは心を満たす。そうだ、逃げられないんじゃない。逃げたくないのだ。
「聖利、部屋に戻ってこいよ……おまえがいないとつまんねぇ」
「駄目だ……來」
「嫌なことはしない。誓う」
駄目だ。來が誓ってくれても、自分は我慢できない。來が欲しい気持ちは、離れてもなお衰えない。いや増すばかりだ。
「聖利」
來が間近く聖利の顔を見つめてくる。ああ、好きだ。こうして見つめ合えば、恋の感情に溺れてしまいそうになる。オメガの情欲で來を絡め取って、一生を縛り付けてしまいそうになる。
來の唇が近づき、抗えない力を感じたときだ。
「こちらですよー」
声と複数名が近づいてくる音が聞こえ、ふたりは慌てて身体を離した。
こそこそと薔薇の茂みに隠れると、学園の事務員が植木職人を複数名連れて案内しているのが見えた。薔薇や植木の剪定でもするようだ。
ふたりはそっと中庭を離れた。寮の前で朝練に出る知樹と会い、結局それ以上來とは話すことはできずに終わってしまった。
かえってよかったのかもしれない。あのまま一緒にいれば揺れてしまっていた。
周囲の人間もまた來相手に正義感を振りかざす者はいなかった。
來の進退に問題があってはと思っていた聖利にとって、このことは幸いだった。しかし、自分から來に会いにはいかなかった。礼など言われても來も困るだろうし、何より自分たちに必要なのが距離であることはわかっていた。
触れ合ってしまったことは間違いなのだ。だからこそ聖利は隔たる決断をした。
「聖利」
しかしその日、早朝の寮の前で声をかけてきたのは來だった。騒ぎから二日後、聖利がランニングに行くタイミングだった。待っていたのだろう。
「少し付き合えよ」
「付き合う理由がない」
にべもなく言い走りだそうとすると、腕を掴まれた。咄嗟に鋭くいましめを振り払う。
「離せ。おまえは、他のアルファと違うだろう。力づくはやめろ」
睨みつけ厳しい口調で言う。來がそんなことをするわけがないとわかっていても、敢えて嫌な言葉を選んだ。來が皮肉げに笑う。
「随分オメガらしくなったじゃん。自分の境遇に酔ってんのか?」
カッとして言い返そうと口を開きかけ、やめた。言い合いをしたいわけじゃないのだ。それに來の言葉も一理ある。最近、オメガとしての思考に終始している。バース性に振り回されているのは誰よりも自分自身だと気づくと、ぞっとした。
「何か話があるのか?」
仕方なく來について歩きだす。來は手にしていた缶のカフェオレをひとつ、聖利に渡した。
「ブラック苦手だったみたいだから」
「失礼だな、飲めるよ」
「お子様舌には甘いカフェオレのほうがいいかと思った」
並んで歩きながら、そんな挑発をしてくる。つくづく來の目的がわからない。いや、そんなことも考えない方がいいのかもしれない。
梅雨に入ったばかりの薄曇りの朝だ。ふたりは寮から離れ、学園の中庭にやってきた。少し前に朝食を食べた丘はこの先だ。中庭には高芯咲きのモダンローズが咲き乱れ、強い芳香が鼻をくすぐる。温い風が香りをかき混ぜ、ふたりの髪をなぶって吹き抜けていった。
「関わらないんじゃなかったのか? 僕とは」
來の背中に呼びかける。こちらは学校でも関わらないように必死だ。來ばかりがひょいと垣根を飛び越えてきてしまう。
「聖利、部屋には戻んねーのか?」
問いかけに答えずに來が尋ねてくる。聖利は頷いた。
「……その方が安全だ。抑制剤を飲んでも、おまえは僕の匂いを感じ取ってしまう。間違いを起こしてはいけない」
「間違いって誰が決めたんだよ。おまえだろ」
來が振り向いた。切なく細められたブラウンの瞳、もの言いたげな薄い唇。表情は焦りと哀切が漂っている。
なぜ、そんな顔をするのだろうと問いただしたいけれど、聖利にはできない。
「俺が聖利のことを欲しくなっておまえに触れたらそれは間違いか? そのとき、おまえは俺のこと求めてはくれないか?」
「何を言ってるんだ。僕たちは、そういう関係じゃない。ただの同級生だ」
來が近寄ってくる。強引ではなく、そっと聖利の背に腕を回し抱き寄せる。
聖利が力を入れれば、簡単に逃げられる抱擁だ。それなのに、痺れたように動けない。ヒートは起こっていないので本能的なものではない。だけど、逃げられない。
「俺にはずっと中学から夢があって、でもそれは叶わないって思ってきた。つい最近まで」
「來?」
こめかみに來の頬があたる。声が身体に直接響く。
「だけど今、奇跡みたいなことが起こってる。俺は捨てようとしてた夢に必死にすがりついてんだ」
來が言いたいことがわからない。まるでなぞかけみたいな言葉に聖利は困惑する。ただ、來の腕の中は温かく、香りは心を満たす。そうだ、逃げられないんじゃない。逃げたくないのだ。
「聖利、部屋に戻ってこいよ……おまえがいないとつまんねぇ」
「駄目だ……來」
「嫌なことはしない。誓う」
駄目だ。來が誓ってくれても、自分は我慢できない。來が欲しい気持ちは、離れてもなお衰えない。いや増すばかりだ。
「聖利」
來が間近く聖利の顔を見つめてくる。ああ、好きだ。こうして見つめ合えば、恋の感情に溺れてしまいそうになる。オメガの情欲で來を絡め取って、一生を縛り付けてしまいそうになる。
來の唇が近づき、抗えない力を感じたときだ。
「こちらですよー」
声と複数名が近づいてくる音が聞こえ、ふたりは慌てて身体を離した。
こそこそと薔薇の茂みに隠れると、学園の事務員が植木職人を複数名連れて案内しているのが見えた。薔薇や植木の剪定でもするようだ。
ふたりはそっと中庭を離れた。寮の前で朝練に出る知樹と会い、結局それ以上來とは話すことはできずに終わってしまった。
かえってよかったのかもしれない。あのまま一緒にいれば揺れてしまっていた。
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