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3・父と息子
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翌朝、いつもの朝が訪れる。
私たちは朝食を食べて、今日の予定を決めた。
「川に魚釣りに行きたい」
「そうね、仕掛けの確認もしたいし。道すがら何か木の実や山菜を見つけましょう」
「やったー!」
ミリオンは村で作って貰った、木の釣り竿と籠を持つ。
私も同じく、簡単な昼食のパンを詰めたバスケットと籠を持って、二人そろって玄関の扉を開けた。
二人の足は即座に止まる。
早朝のはずなのに、外で立っていたのは、昨日見た騎士の男。
違う、騎士を装った第二王子のマクシ様だ。
「おはよう」
「なっ、どうして!」
「近くの村に泊まったんだが、あまりに空気が美味しいから、馬で散歩に来たんだ」
「おじちゃん、おはよう!」
ミリオンの声に、一瞬顔をひきつらせたマクシ様。
私は彼を見つめて驚愕する。
昨日の彼とは違う。
周囲に護衛が見えないのもあるが、何より彼の髪が違う。
「おじちゃん髪切ったの? スッキリしたね」
ニコニコとミリオンが指摘したように、彼の髪は短くなっていた。
あれだけこだわって、切らずに伸ばしていたはずなのに。
「あれは願掛けしてたんだ。もう願いは、かなったからな」
「へー、良かったね」
「お前の髪は、いつもより茶色が濃いな」
「うん、だって……」
私は急いで、ミリオンの口を塞ぐ。
そして、目の前のマクシ様を睨みつけた。
「もう関わらないでください」
「今日一日で用は済む。だから……あと少しだけ一緒にいさせてくれ」
「私たちは忙しいんです」
「どこに行くんだ? ミリオン」
「魚をとりに行くんだよ」
意気揚々と告げるミリオンに似た笑顔で、マクシ様も笑った。
「実は、俺も釣りは得意だ。連れてってくれ」
「ダメです。マクシ様はお帰り下さい」
「なら、勝手に着いて行こう」
以前より強引になっているのは、年月のせいだろうか?
こちらの聞く耳はもたないらしいが、彼はハッキリと今日で用が済むと言った。
私はミリオンを促して、二人で山奥の釣りポイントを目指して歩いて行った。
山は今日も緑豊かで、木々の間から眩しい光を注いで幻想的だった。
歩きなれた道ながら、私やミリオンは周囲に目を光らせる。
「お母さん、チグリの実があったよ」
「あら、まだ熟してないから、それはそのままにしておきましょう」
「相変わらず、草花や木の実に詳しいんだな」
勝手についてきたマキシ様から合いの手が入るが、私は一切無視をする。
ミリオンは嬉し気に、それぞれの山の幸の説明をしていた。
感心しつつも、嬉しそうに聞くマキシ様を見ると、きっと何事もなければ良い父息子として過ごせたのかもと思ってしまった。
そして、それを今引き裂いているのは私なのだと、罪悪感で押しつぶされそうだ。
「どうしたアル。疲れたなら俺が背負ってやろうか?」
「結構です」
「お母さん、あと少しだよ」
「ええ、慌てないでねミリオン。魚は逃げないから」
「うん!」
やがて、清らかな水が流れる小川に辿り着く。
仕掛けていた紐を引っ張り中を確認したが、魚は入っていなかった。
「残念、でも僕が釣ればいいんだよ」
ミリオンが胸を張って、ポケットから小さな小袋を取り出した。
パン屑を釣り針につけて、釣り竿を川に向かって振り下ろす。
「あとは待つだけなんだよ」
「そうか、もし釣れたら次は俺にもさせてくれ」
「うん、いいよ」
私は彼らを見守りながら、木の下に敷物を引いた。
そこに腰掛け、二人を見守る。
「おじちゃんも、釣りが好きなの?」
「おじちゃんじゃないが、昔は腹が減ると、川まで行って魚を釣ったりもした」
「騎士なのに?」
「昔は騎士じゃなかった」
わざわざ遠出して、私たちは首都の外れまで辻馬車に乗って、食料の調達に行った事もある。
既に物資不足で、市場でも物は少なく、首都から逃げ出す市民が多数いた。
行き場のない私たちは、残ってくれていた使用人に教えてもらった河川に魚を釣りに行く。
何度も、私たちの屋敷の池で特訓したあと向かったのだが、池と違って川には流れがある。
勝手も違い、一匹を釣るのに一時間もかかったのだ。
初回の釣りは失敗に終わったが、努力家のマクシ様は色々と工夫を重ねて鍛錬し、二回目以降は何匹も釣れるようになり、ずいぶんと助かったものだった。
生活のために釣っていたと思うが、彼が釣りが得意なのは事実だ。
ミリオンがやっと小さな魚を釣りあげると、その竿をマクシ様に手渡した。
選手交代で、マクシ様はパンではなく川に手を突っ込んで、水草を小さく千切って針に刺した。
「なんで水草なの?」
「ここに住む魚にとって、なじみ深いから油断するんだ」
「へー」
糸を垂らして、彼は手首を使って時折動かした。
私にとっては見慣れた動きだが、真似をするのは意外と難しい。
「動かすと、魚が怯えて逃げるんだよ」
「いいや、こういう流れの速い川だと、逆に動いていた方が餌が生きていると錯覚させられる……ほらきた」
躊躇なく竿を跳ね上げると、ミリオンの小魚とは比較にならない大きな魚が姿を現した。
「うわぁ! マスだ!」
「焼くだけで美味いが、ちゃんと内臓をとって焼かないとダメだ」
「凄い! 本当におじちゃん得意なんだね」
「おじちゃんじゃないが、お前もすぐできるようになるさ」
笑う二人を見て、不覚にも和んでしまう。
釣りの腕は、相変わらずいいようだ。
必死に見習うミリオンに教えるように、彼は自らの携帯する小型ナイフで、さばき方を教えてやっていた。
そして、近くの小枝を持ってこさせ、それもナイフで整えた後、魚を刺して焼くだけの状態にする。
「かまどを作ろう。作ったことは?」
「できるよ僕!」
嬉し気に二人して、石を積み上げて即席のかまどを作る。
マクシ様が風の向きを教えていたが、ミリオンは夢中で聞いていない姿に笑ってしまった。
私の笑い声が聞こえたのか、ふいにマクシ様と目が合った。
優し気に笑い返され、つい顔を赤くしてしまう。
あんな大人の目で、見つめられるとは思わなかったからだ。
私が用意したパン、そして魚。
軽い昼食を三人で囲んで食べる。
つい流れで共に食事してしまったが、大喜びのミリオンに癒されて受け入れてしまった。
やがて、はしゃぎ疲れたミリオンが私の膝で寝てしまう。
優しく頭を撫でながら、私は木に背中をもたれ風を感じた。
心地よい静寂が私たちを包む。
その静寂を破ったのは彼だ。
ためらいがちに、彼は少し目を泳がせた後に、覚悟を決めて私に告げた。
「アル……この子は俺の子だな」
私はそう言われた時の返事を用意していた。
「いいえ」
「最後の夜に出来た子だ。村に戻った時に、村人たちから確認した。時期的にも合う」
「違うわ。あの後に知り合った人との子よ」
彼にズイッと接近されて、大きな手で私の顔を撫でられた。
膝に頭を乗せた我が子を起こしたくなくて、私は逃げられない。
小川のせせらぎが耳に届く。
時折跳ねるのと魚の水音と、そして私の胸の鼓動だ。
彼の顔が近づいてくる。
昔とは違う。
最後に見た、私を女として見る対等な大人の顔で。
「なら、この子の髪色はどう説明する?」
小さく震えた私の動きを見逃さないように、彼は手を添えたまま。
「な……何を言って」
「すまない。昨日尋ねた時に、家の中で水を被ったミリオンの髪を見た」
「っ……!」
そして、私に添えられた手を外し、今度はミリオンの頭を撫でる。
小さく、子犬のように身じろぎをしたミリオンを愛し気に見つめた。
その目には、偽りのない溢れんばかりの慈愛が満ちている。
誤魔化しきれない。
あの一瞬で、彼にはバレてしまったのだ。
部屋の奥は暗く、覗き見しようとした彼に見られないように、急いで扉を閉めたつもりだったのだが。
ほんの一部だけ露出してしまった空色は、彼の祖国の王族だけの色だ。
逃亡途中、沢山の国を渡ってきたが、彼の色は誰一人としていなかった。
だから、この田舎でもミリオンの髪を染めていたのだ。
ハイハイができるようになった頃から、この子の髪は豊かになり、隠す必要が出てきたのだから。
「俺も昔はこの色に染めて貰った。あの時と同じ色だ」
兵士から剣を習うために、屋敷から首都郊外に食料の調達に行くために。
帽子では隠しきれない青色を、茶色に染めて偽装した。
染料の作り方は、実は王家に伝わる技術の一つ。
万が一、身の危険を感じた時の身を守る術として、幼いころに教わったものだ。
実は作り方も材料も、手に入れるのは容易な材料で出来ている。
敵に追われた際には、貞操を守るために偽装して逃げるが、それでも捕獲されたなら、自害せよと教わった。
やはり私は、王族の落ちこぼれのようだ。
何があろうと、自害する気は一切ないのだから。
「君をずっと探していた。どれほど、あの朝を後悔した事か」
「あの時見逃してほしいと告げたはず。だから最後にあなたに抱かれたのに、どうして追い掛けてくるんですか」
「君を抱いて、やはり愛していると実感したからだ」
「っ……」
あの夜に初めて夫婦となり、そして次の日の朝に別れを告げた。
せめて少しでも思い出になればと、覚悟を決めて愛された。
私も彼も、互いに緊張しながら一つになった。
その時の思い出が、私のお腹で愛の形になったのだ。
ミリオンの存在に気づいた時の、私の喜びがわかるだろうか?
生きる希望を見つけ、愛する存在を育む幸せ。
どれだけ自分が苦しくても、笑ってくれる存在がいる。
今、目の前にいる愛した男と同じ顔をした、幼い笑顔。
「君が不安にならないように、こちらを整えるのに時間がかかった。ずっと君を忘れた事も、諦めた事もない。全ては君を守るために頑張ったんだ」
「どうか私たちのことはソッとしておいて下さい」
「ミリオンが俺の血を引く限り、それはできない。いや、たとえ我が子でなくとも君と共に俺の国に連れて行く」
「横暴だわ」
「君はズルイ……」
私の横に腰を下ろしたマクシ様がつぶやく。
「君はミリオンをずっと育てた。俺にだって権利はあるはずなのに。俺にはこの子が、ここまで育った姿を見る事が出来なかった」
「ですからこの子は」
「髪の染料をとればわかるだろ。頼むからもう否定しないでくれ。顔も俺に似てる」
「……たとえ、あなたの子でも私は……」
「君と一緒に逃げるべきだった」
彼は手で目元を覆う。
小さく肩が震えているのは気のせいか?
「君と共に生きたい、一緒にこの子を育てたかった」
「マ、マクシ様……」
「俺の子だ。あの夜の俺たちの愛の結晶だ」
「……」
「昨夜から俺の心は歓喜に包まれている。それと同じく、この子がここまで大きくなるまで傍に居れなかった悔しさも」
「ならば、この子の為を思うなら、どうか私たちは放っておいて下さい」
覆った手の隙間から、一筋の光が流れ落ちたのは錯覚だろうか……。
申し訳ないとは思う、けれどわかって欲しい。
「この子を、権力の争いに巻き込みたくないのです」
「確かにないとはいえないが、この俺が全力で守る」
「あなたの血を引いていても、母親が敵国の王族である私なのです」
「その対策もちゃんと考えている」
「対策って、一体……!」
モゾッと私の膝の上のミリオンが目を覚ます。
少し興奮して声を大きくしてしまったせいで、起きてしまった。
ゆっくりと小さな体を起こして、周囲を見渡した。
「ふぁーっ、お母さん、おじちゃんおはよう。ん、まだ眠い、起きなきゃ駄目?」
「ああ、ミリオン。まだ寝たいのか?」
スッと自然に手を伸ばして、彼がミリオンを抱き上げた。
肩に抱き寄せ、そのまま背中を軽く叩いてやる。
「ほら、背中が気持ちいいだろう? このまま家まで運んでやるから寝てるといい」
昔、嵐の夜に、私は小さな彼の背中を叩いて呪文を唱えた。
『怖くはないよ、勇気の呪文。背中を叩いてイチ・ニ・サン……』
彼はミリオンに小さく歌う。
「ほらミリオン、怖くはないよ、勇気の呪文。背中を叩いてイチ・ニ・サン……」
「ん……お母さんの、歌。おやすみ……僕ねむ……い」
優し気に息子を抱きしめる彼に、私は何も言えない。
一緒に育てたかったという彼の言葉、それが本心だと伝わってくる。
私の心は苦しくて迷いが走る。
荷物をまとめ、息子を抱いた彼と共に帰路に向かう。
はしゃいだ行きの道と違い、帰りは静かな足音だけがザクザクと響く。
いつの間にか太陽の位置は変わり、家に着くころには夕日に変わるだろう。
今日で用が済むと彼は言った。
つまり、答えが出るという事だ。
「アル、その荷物持つよ」
「大丈夫」
拒否したにも関わらず、彼は私の手からバスケットを取り上げた。
残った小さな籠を持ち、私は無言で前に進む。
「俺が嫌いか?」
私は答えない。
ただ足を動かすだけだ。
山道は下り坂、足を取られないようにだけ気を付ける。
「信じてほしい、きっと幸せにするから」
揺れる想いを、無理やり封じ込めた。
彼はそれでも、想いをぶつけてくる。
迷いなく、真っすぐに。
「約束しただろ? 俺が守るって」
道が開け、我が家が見えた。
ボロボロの小さな廃屋、かろうじて人が住める程度の愛しい我が家。
その入口に、昨日彼と共にいた護衛の騎士が数人待ち構えていた。
けれど、彼は護衛を無視して家の中に入っていく。
あわてて私も後を追う。
「どこに寝かせてやればいい?」
「奥の寝室にお願いします」
荷物を受け取り私が片づけている間に、彼は指定した寝室にミリオンを寝かせてくれた。
起こさないように静かに扉を閉め、こちらに向かってくる彼に私は頭を下げた。
「息子の世話をしてくれて有難うございました」
「こんなに我が子が可愛いと思わなかった」
胸が軋む音がした。
彼は興味深げに、部屋を見回している。
最低限しかない家具は色褪せボロボロだ。
村の人たちの好意で譲って貰ったものが多い。
彼に貧しさの耐性があったとしても、それは過去の話である。
今の彼には相応しくない室内に、夕日が差し込んでくる。
赤く照らされた横顔が、寂し気に遠くを見つめていた。
「いっそ全てを捨てて、俺がここに来ればいいのか?」
咄嗟に、私はたしなめた。
「馬鹿な事を……あなたには祖国の立場がおありでしょう」
「君を守ると信じて努力したんだが、逆に立場が拒絶の原因なら、捨ててもいいと思ってる」
嘘ではなく、彼は本気だ。
私にはわかる。
そこまで彼を追い詰めたのは私だ。
私が彼のためにと思った全ては、私の独りよがりだったのだろうか?
願うのは、あなたの幸せだったのに。
――今、願うのは誰の幸せ? ――
お星さまを見るたびに、お父さんがいると話しかける息子の姿。
母子ともに、二人でここで生きてきた。
息子には私がいればいい。
この貧しくとも平和な村で、このまま育っていくのが幸せだと信じていた。
この空間に、似つかわしくない彼を見る。
彼は静かに、私の言葉を待っていた。
彼の存在により、新しい息子の可能性が広がるだろう。
つまり、私の存在が問題なのだ。
それさえなければミリオンは、何不自由なく生きていける血統なのに。
何より、彼と過ごした今日の姿が決定的だった。
「あの子を守ってくれますか?」
私の唇が震える。
彼は即答した。
「命に代えても」
「なら、私は死んだ事にして下さい。母親は名もなき女で、あなたの元妻は死んだと公表して下さい」
「アル?」
「あの子の未来を守ってください。そして、あの子の母親が私だと絶対に知られないようにすると誓って下さい」
ボロボロと、耐えられぬ涙が溢れてくる。
そう、私さえ離れればいいのだ。
問題は、私の血が混じっている事だけ。
だから、こうすればいい。
あの子の母親は別の女。その女は死んだ。
彼は、生き別れた息子を保護して祖国に帰る、
息子が王族なのは、髪色で誰もが認めてくれるだろう。
第二王子の息子ならば、豊かな生活と教育を受ける事が出来るはず。
その方が、この田舎で戸籍もなく育つ事より、ミリオンの幸せに繋がる事は明白だ。
「あの子を、あなたに託します」
私たちは朝食を食べて、今日の予定を決めた。
「川に魚釣りに行きたい」
「そうね、仕掛けの確認もしたいし。道すがら何か木の実や山菜を見つけましょう」
「やったー!」
ミリオンは村で作って貰った、木の釣り竿と籠を持つ。
私も同じく、簡単な昼食のパンを詰めたバスケットと籠を持って、二人そろって玄関の扉を開けた。
二人の足は即座に止まる。
早朝のはずなのに、外で立っていたのは、昨日見た騎士の男。
違う、騎士を装った第二王子のマクシ様だ。
「おはよう」
「なっ、どうして!」
「近くの村に泊まったんだが、あまりに空気が美味しいから、馬で散歩に来たんだ」
「おじちゃん、おはよう!」
ミリオンの声に、一瞬顔をひきつらせたマクシ様。
私は彼を見つめて驚愕する。
昨日の彼とは違う。
周囲に護衛が見えないのもあるが、何より彼の髪が違う。
「おじちゃん髪切ったの? スッキリしたね」
ニコニコとミリオンが指摘したように、彼の髪は短くなっていた。
あれだけこだわって、切らずに伸ばしていたはずなのに。
「あれは願掛けしてたんだ。もう願いは、かなったからな」
「へー、良かったね」
「お前の髪は、いつもより茶色が濃いな」
「うん、だって……」
私は急いで、ミリオンの口を塞ぐ。
そして、目の前のマクシ様を睨みつけた。
「もう関わらないでください」
「今日一日で用は済む。だから……あと少しだけ一緒にいさせてくれ」
「私たちは忙しいんです」
「どこに行くんだ? ミリオン」
「魚をとりに行くんだよ」
意気揚々と告げるミリオンに似た笑顔で、マクシ様も笑った。
「実は、俺も釣りは得意だ。連れてってくれ」
「ダメです。マクシ様はお帰り下さい」
「なら、勝手に着いて行こう」
以前より強引になっているのは、年月のせいだろうか?
こちらの聞く耳はもたないらしいが、彼はハッキリと今日で用が済むと言った。
私はミリオンを促して、二人で山奥の釣りポイントを目指して歩いて行った。
山は今日も緑豊かで、木々の間から眩しい光を注いで幻想的だった。
歩きなれた道ながら、私やミリオンは周囲に目を光らせる。
「お母さん、チグリの実があったよ」
「あら、まだ熟してないから、それはそのままにしておきましょう」
「相変わらず、草花や木の実に詳しいんだな」
勝手についてきたマキシ様から合いの手が入るが、私は一切無視をする。
ミリオンは嬉し気に、それぞれの山の幸の説明をしていた。
感心しつつも、嬉しそうに聞くマキシ様を見ると、きっと何事もなければ良い父息子として過ごせたのかもと思ってしまった。
そして、それを今引き裂いているのは私なのだと、罪悪感で押しつぶされそうだ。
「どうしたアル。疲れたなら俺が背負ってやろうか?」
「結構です」
「お母さん、あと少しだよ」
「ええ、慌てないでねミリオン。魚は逃げないから」
「うん!」
やがて、清らかな水が流れる小川に辿り着く。
仕掛けていた紐を引っ張り中を確認したが、魚は入っていなかった。
「残念、でも僕が釣ればいいんだよ」
ミリオンが胸を張って、ポケットから小さな小袋を取り出した。
パン屑を釣り針につけて、釣り竿を川に向かって振り下ろす。
「あとは待つだけなんだよ」
「そうか、もし釣れたら次は俺にもさせてくれ」
「うん、いいよ」
私は彼らを見守りながら、木の下に敷物を引いた。
そこに腰掛け、二人を見守る。
「おじちゃんも、釣りが好きなの?」
「おじちゃんじゃないが、昔は腹が減ると、川まで行って魚を釣ったりもした」
「騎士なのに?」
「昔は騎士じゃなかった」
わざわざ遠出して、私たちは首都の外れまで辻馬車に乗って、食料の調達に行った事もある。
既に物資不足で、市場でも物は少なく、首都から逃げ出す市民が多数いた。
行き場のない私たちは、残ってくれていた使用人に教えてもらった河川に魚を釣りに行く。
何度も、私たちの屋敷の池で特訓したあと向かったのだが、池と違って川には流れがある。
勝手も違い、一匹を釣るのに一時間もかかったのだ。
初回の釣りは失敗に終わったが、努力家のマクシ様は色々と工夫を重ねて鍛錬し、二回目以降は何匹も釣れるようになり、ずいぶんと助かったものだった。
生活のために釣っていたと思うが、彼が釣りが得意なのは事実だ。
ミリオンがやっと小さな魚を釣りあげると、その竿をマクシ様に手渡した。
選手交代で、マクシ様はパンではなく川に手を突っ込んで、水草を小さく千切って針に刺した。
「なんで水草なの?」
「ここに住む魚にとって、なじみ深いから油断するんだ」
「へー」
糸を垂らして、彼は手首を使って時折動かした。
私にとっては見慣れた動きだが、真似をするのは意外と難しい。
「動かすと、魚が怯えて逃げるんだよ」
「いいや、こういう流れの速い川だと、逆に動いていた方が餌が生きていると錯覚させられる……ほらきた」
躊躇なく竿を跳ね上げると、ミリオンの小魚とは比較にならない大きな魚が姿を現した。
「うわぁ! マスだ!」
「焼くだけで美味いが、ちゃんと内臓をとって焼かないとダメだ」
「凄い! 本当におじちゃん得意なんだね」
「おじちゃんじゃないが、お前もすぐできるようになるさ」
笑う二人を見て、不覚にも和んでしまう。
釣りの腕は、相変わらずいいようだ。
必死に見習うミリオンに教えるように、彼は自らの携帯する小型ナイフで、さばき方を教えてやっていた。
そして、近くの小枝を持ってこさせ、それもナイフで整えた後、魚を刺して焼くだけの状態にする。
「かまどを作ろう。作ったことは?」
「できるよ僕!」
嬉し気に二人して、石を積み上げて即席のかまどを作る。
マクシ様が風の向きを教えていたが、ミリオンは夢中で聞いていない姿に笑ってしまった。
私の笑い声が聞こえたのか、ふいにマクシ様と目が合った。
優し気に笑い返され、つい顔を赤くしてしまう。
あんな大人の目で、見つめられるとは思わなかったからだ。
私が用意したパン、そして魚。
軽い昼食を三人で囲んで食べる。
つい流れで共に食事してしまったが、大喜びのミリオンに癒されて受け入れてしまった。
やがて、はしゃぎ疲れたミリオンが私の膝で寝てしまう。
優しく頭を撫でながら、私は木に背中をもたれ風を感じた。
心地よい静寂が私たちを包む。
その静寂を破ったのは彼だ。
ためらいがちに、彼は少し目を泳がせた後に、覚悟を決めて私に告げた。
「アル……この子は俺の子だな」
私はそう言われた時の返事を用意していた。
「いいえ」
「最後の夜に出来た子だ。村に戻った時に、村人たちから確認した。時期的にも合う」
「違うわ。あの後に知り合った人との子よ」
彼にズイッと接近されて、大きな手で私の顔を撫でられた。
膝に頭を乗せた我が子を起こしたくなくて、私は逃げられない。
小川のせせらぎが耳に届く。
時折跳ねるのと魚の水音と、そして私の胸の鼓動だ。
彼の顔が近づいてくる。
昔とは違う。
最後に見た、私を女として見る対等な大人の顔で。
「なら、この子の髪色はどう説明する?」
小さく震えた私の動きを見逃さないように、彼は手を添えたまま。
「な……何を言って」
「すまない。昨日尋ねた時に、家の中で水を被ったミリオンの髪を見た」
「っ……!」
そして、私に添えられた手を外し、今度はミリオンの頭を撫でる。
小さく、子犬のように身じろぎをしたミリオンを愛し気に見つめた。
その目には、偽りのない溢れんばかりの慈愛が満ちている。
誤魔化しきれない。
あの一瞬で、彼にはバレてしまったのだ。
部屋の奥は暗く、覗き見しようとした彼に見られないように、急いで扉を閉めたつもりだったのだが。
ほんの一部だけ露出してしまった空色は、彼の祖国の王族だけの色だ。
逃亡途中、沢山の国を渡ってきたが、彼の色は誰一人としていなかった。
だから、この田舎でもミリオンの髪を染めていたのだ。
ハイハイができるようになった頃から、この子の髪は豊かになり、隠す必要が出てきたのだから。
「俺も昔はこの色に染めて貰った。あの時と同じ色だ」
兵士から剣を習うために、屋敷から首都郊外に食料の調達に行くために。
帽子では隠しきれない青色を、茶色に染めて偽装した。
染料の作り方は、実は王家に伝わる技術の一つ。
万が一、身の危険を感じた時の身を守る術として、幼いころに教わったものだ。
実は作り方も材料も、手に入れるのは容易な材料で出来ている。
敵に追われた際には、貞操を守るために偽装して逃げるが、それでも捕獲されたなら、自害せよと教わった。
やはり私は、王族の落ちこぼれのようだ。
何があろうと、自害する気は一切ないのだから。
「君をずっと探していた。どれほど、あの朝を後悔した事か」
「あの時見逃してほしいと告げたはず。だから最後にあなたに抱かれたのに、どうして追い掛けてくるんですか」
「君を抱いて、やはり愛していると実感したからだ」
「っ……」
あの夜に初めて夫婦となり、そして次の日の朝に別れを告げた。
せめて少しでも思い出になればと、覚悟を決めて愛された。
私も彼も、互いに緊張しながら一つになった。
その時の思い出が、私のお腹で愛の形になったのだ。
ミリオンの存在に気づいた時の、私の喜びがわかるだろうか?
生きる希望を見つけ、愛する存在を育む幸せ。
どれだけ自分が苦しくても、笑ってくれる存在がいる。
今、目の前にいる愛した男と同じ顔をした、幼い笑顔。
「君が不安にならないように、こちらを整えるのに時間がかかった。ずっと君を忘れた事も、諦めた事もない。全ては君を守るために頑張ったんだ」
「どうか私たちのことはソッとしておいて下さい」
「ミリオンが俺の血を引く限り、それはできない。いや、たとえ我が子でなくとも君と共に俺の国に連れて行く」
「横暴だわ」
「君はズルイ……」
私の横に腰を下ろしたマクシ様がつぶやく。
「君はミリオンをずっと育てた。俺にだって権利はあるはずなのに。俺にはこの子が、ここまで育った姿を見る事が出来なかった」
「ですからこの子は」
「髪の染料をとればわかるだろ。頼むからもう否定しないでくれ。顔も俺に似てる」
「……たとえ、あなたの子でも私は……」
「君と一緒に逃げるべきだった」
彼は手で目元を覆う。
小さく肩が震えているのは気のせいか?
「君と共に生きたい、一緒にこの子を育てたかった」
「マ、マクシ様……」
「俺の子だ。あの夜の俺たちの愛の結晶だ」
「……」
「昨夜から俺の心は歓喜に包まれている。それと同じく、この子がここまで大きくなるまで傍に居れなかった悔しさも」
「ならば、この子の為を思うなら、どうか私たちは放っておいて下さい」
覆った手の隙間から、一筋の光が流れ落ちたのは錯覚だろうか……。
申し訳ないとは思う、けれどわかって欲しい。
「この子を、権力の争いに巻き込みたくないのです」
「確かにないとはいえないが、この俺が全力で守る」
「あなたの血を引いていても、母親が敵国の王族である私なのです」
「その対策もちゃんと考えている」
「対策って、一体……!」
モゾッと私の膝の上のミリオンが目を覚ます。
少し興奮して声を大きくしてしまったせいで、起きてしまった。
ゆっくりと小さな体を起こして、周囲を見渡した。
「ふぁーっ、お母さん、おじちゃんおはよう。ん、まだ眠い、起きなきゃ駄目?」
「ああ、ミリオン。まだ寝たいのか?」
スッと自然に手を伸ばして、彼がミリオンを抱き上げた。
肩に抱き寄せ、そのまま背中を軽く叩いてやる。
「ほら、背中が気持ちいいだろう? このまま家まで運んでやるから寝てるといい」
昔、嵐の夜に、私は小さな彼の背中を叩いて呪文を唱えた。
『怖くはないよ、勇気の呪文。背中を叩いてイチ・ニ・サン……』
彼はミリオンに小さく歌う。
「ほらミリオン、怖くはないよ、勇気の呪文。背中を叩いてイチ・ニ・サン……」
「ん……お母さんの、歌。おやすみ……僕ねむ……い」
優し気に息子を抱きしめる彼に、私は何も言えない。
一緒に育てたかったという彼の言葉、それが本心だと伝わってくる。
私の心は苦しくて迷いが走る。
荷物をまとめ、息子を抱いた彼と共に帰路に向かう。
はしゃいだ行きの道と違い、帰りは静かな足音だけがザクザクと響く。
いつの間にか太陽の位置は変わり、家に着くころには夕日に変わるだろう。
今日で用が済むと彼は言った。
つまり、答えが出るという事だ。
「アル、その荷物持つよ」
「大丈夫」
拒否したにも関わらず、彼は私の手からバスケットを取り上げた。
残った小さな籠を持ち、私は無言で前に進む。
「俺が嫌いか?」
私は答えない。
ただ足を動かすだけだ。
山道は下り坂、足を取られないようにだけ気を付ける。
「信じてほしい、きっと幸せにするから」
揺れる想いを、無理やり封じ込めた。
彼はそれでも、想いをぶつけてくる。
迷いなく、真っすぐに。
「約束しただろ? 俺が守るって」
道が開け、我が家が見えた。
ボロボロの小さな廃屋、かろうじて人が住める程度の愛しい我が家。
その入口に、昨日彼と共にいた護衛の騎士が数人待ち構えていた。
けれど、彼は護衛を無視して家の中に入っていく。
あわてて私も後を追う。
「どこに寝かせてやればいい?」
「奥の寝室にお願いします」
荷物を受け取り私が片づけている間に、彼は指定した寝室にミリオンを寝かせてくれた。
起こさないように静かに扉を閉め、こちらに向かってくる彼に私は頭を下げた。
「息子の世話をしてくれて有難うございました」
「こんなに我が子が可愛いと思わなかった」
胸が軋む音がした。
彼は興味深げに、部屋を見回している。
最低限しかない家具は色褪せボロボロだ。
村の人たちの好意で譲って貰ったものが多い。
彼に貧しさの耐性があったとしても、それは過去の話である。
今の彼には相応しくない室内に、夕日が差し込んでくる。
赤く照らされた横顔が、寂し気に遠くを見つめていた。
「いっそ全てを捨てて、俺がここに来ればいいのか?」
咄嗟に、私はたしなめた。
「馬鹿な事を……あなたには祖国の立場がおありでしょう」
「君を守ると信じて努力したんだが、逆に立場が拒絶の原因なら、捨ててもいいと思ってる」
嘘ではなく、彼は本気だ。
私にはわかる。
そこまで彼を追い詰めたのは私だ。
私が彼のためにと思った全ては、私の独りよがりだったのだろうか?
願うのは、あなたの幸せだったのに。
――今、願うのは誰の幸せ? ――
お星さまを見るたびに、お父さんがいると話しかける息子の姿。
母子ともに、二人でここで生きてきた。
息子には私がいればいい。
この貧しくとも平和な村で、このまま育っていくのが幸せだと信じていた。
この空間に、似つかわしくない彼を見る。
彼は静かに、私の言葉を待っていた。
彼の存在により、新しい息子の可能性が広がるだろう。
つまり、私の存在が問題なのだ。
それさえなければミリオンは、何不自由なく生きていける血統なのに。
何より、彼と過ごした今日の姿が決定的だった。
「あの子を守ってくれますか?」
私の唇が震える。
彼は即答した。
「命に代えても」
「なら、私は死んだ事にして下さい。母親は名もなき女で、あなたの元妻は死んだと公表して下さい」
「アル?」
「あの子の未来を守ってください。そして、あの子の母親が私だと絶対に知られないようにすると誓って下さい」
ボロボロと、耐えられぬ涙が溢れてくる。
そう、私さえ離れればいいのだ。
問題は、私の血が混じっている事だけ。
だから、こうすればいい。
あの子の母親は別の女。その女は死んだ。
彼は、生き別れた息子を保護して祖国に帰る、
息子が王族なのは、髪色で誰もが認めてくれるだろう。
第二王子の息子ならば、豊かな生活と教育を受ける事が出来るはず。
その方が、この田舎で戸籍もなく育つ事より、ミリオンの幸せに繋がる事は明白だ。
「あの子を、あなたに託します」
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