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第一章カトリの街
エピソード31 記憶をなくした少年
しおりを挟むご両親から許可を頂いたので、私はリシャさんの元へ向かいます。
部屋を軽く二、三回ノックすると「入ってもいいよ」と言う声がしたので、リシャさんの部屋の戸を開きます。
「あ、天使様⋯⋯」
「お父さんとお母さんとお話をしてきました」
リシャさんは余程話の内容が気になるようで、「なに、何を話したの?お母さんたちはなんて言ってたの?」と聞いてきます。
その目には不安と焦りの色を感じます。
「お二人は、貴方の命を救って欲しいと仰っていました」
「それって⋯⋯」
つまり、記憶と引き換えに命を繋ぎ止めることを許可したという事です。
「あとはリシャさんのお気持ちだけです」
「あ、あの⋯⋯僕は」
まさにたじたじという感じで、リシャさんは口篭ります。なので「嫌なら拒んでも構いませんよ。死ぬだけですが」と付け加えます。
「し、死ぬのは嫌だ⋯⋯」
まだ八歳の少年に対しての物言いでは無いと思いますが、生きていて欲しいので圧のかかる様な厳しい言い方をしてしまいました。
例え、神が定めた運命で彼を生かすことが意に反していても、死んで欲しくないのです。
確か人間界の調和を保つには、一定数は理不尽な目に遭い、不幸な終点を迎えなければいけないらしいですが、それならば私たち天使が人間を救済する意味がありません。
「ですよね、なら生きましょう。生きると言ってください」
彼は泣きました。無言で、声を漏らすことも無くボロボロと大粒の涙を零しました。昨日の事も、母の事も、父の事も、自分がどんな人間だったのかも、全て忘れてしまうのですから。
「うっ、うぅ⋯⋯。僕は、まだ生きてたい!こんな人生捨ててやる!」
彼は、投げやりになりながらも生きる事を選びました。きっと彼の心の叫びでしょう。
リシャさんはギュッとクマのぬいぐるみを抱きしめます。大切にしていたクマのぬいぐるみの事も、忘れてしまうんですね。
「では目を閉じてください⋯⋯」
リシャさんは目を閉じて、私は魔法を唱えました。リシャさんが瞼を開く頃には、彼の身体を蝕んでいる病は嘘のように消えているでしょう。
記憶を引き換えに。
「目、開いて下さい」
「んん⋯⋯」
リシャさんは、ゆっくりと目を開きます。
そして、私を見るや否や朗らかに微笑みました。
「初めまして。貴女の名前は?」
言葉が出ませんでした。私とて、命を救う事を免罪符に記憶を消すなど、心苦しく、目の前で、先程まで私を「天使様」と呼んでくれていたリシャはもういないのです。
リシャさんの身体は生きている。けれど、彼はあのリシャさんじゃない。
「もしかして、名前が無いの?僕の名前はね、えっと⋯⋯」
しばらくリシャさんは考え込むようにした後、「僕の名前、なんだっけ」と呟きました。
ふと思いました。私は、リシャさんを殺してしまったんじゃないかと。だって目の前のリシャさんはあのリシャさんじゃないじゃないですか。
あんなに大切にしていたクマのぬいぐるみはリシャさんの手を滑り落ち、地に落ちています。
「外で、私と遊びませんか?」
辛うじて出た言葉でした。リシャさんが記憶を失くす前、約束した事です。
「うん、いいよ」
私とリシャさんは外に出ました。外に出る際、リシャさんの両親もいらっしゃったのですが、「初めまして。アナタたちは?」の一言に二人とも泣き崩れてしまいました。
なので、私とリシャさんは二人きりで外遊びをしています。走ったり、目一杯空へ向かって跳ねたり、まるで過去の自分に見せつけるかのようにリシャさんは動き回りました。
「お姉ちゃん、今日は沢山遊んでくれてありがとう」
「いえいえ、貴方との約束ですから」
こんな事を言っても、首を傾げられるだけでしょうが。
日も落ちてきて、辺りはすっかり夕暮れです。
リシャさんが「お腹空いた」と言うので、私が手を引いて家まで送り届けました。
リシャさんの家に着くと、既にご両親は泣き止んでおり「おかえりリシャ、楽しかった?」とリシャさんを優しく抱き寄せます。
「うん、楽しかったよ」
目の前の相手が母親とも知らずに、困惑しながらも答えています。
リシャさんは一度母の手から離れると、私にクマのぬいぐるみを差し出してきました。
「これ、今日遊んでくれたお礼」
またしても言葉に詰まりました、それは貴方が大切にしていたものです。受け取れません。
「いいから、あげる!」
簡単に大切にしていた物を手放し、強引に私の手にクマのぬいぐるみが握らされました。
「ありがとう、ございます⋯⋯」
力無く答える私に、首を傾げるリシャさん。
これ以上は、ここには居られないと思い。ご両親に一礼してから家を出ました。
「人殺し⋯⋯」
扉を閉める際、微かに聞こえました。
恐らくはリシャさんのご両親の発言でしょう。というかそれしかありません。
返す言葉もなく、ただ黙って扉を閉めて帰路につきました。
このまま家まで向かう気にも慣れず、たまたま目に付いたベンチに腰をかけます。
「じゃあどうしたら良かったんですか⋯⋯」
ご両親の最後と一言に、私があのリシャさんを殺してしまったのでは無いかと言う事が確信に変わりました。
神の意思など、変えなければ良かったのかもしれません。
恐らく私は、生涯あの家に近寄る事はないでしょう。
「う、ううぅ⋯⋯う!」
人目を憚らず、声を上げて泣きました。
私の手にはリシャさんから貰ったクマのぬいぐるみが握られています。
強く、強く握られています。まるであの時、不安を隠すようにぬいぐるみに抱きしめていたリシャさんのように。
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