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9巻
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しおりを挟む第1章 スミスたちを救え!
1 休日の贅沢
エルフたちをトーラン旧市街に移住させる大仕事が一段落して数日経つ。
タクマはようやく書類仕事から解放された。溜まっていた書類は膨大で、丸三日かかってしまった。
湖畔の邸の居間のソファーに腰掛けたタクマが呟く。
「あー、昨日まで地獄だったな。まさかこの世界に来てまで、書類とにらめっこするハメになると思ってなかった」
タクマの隣では、ロイヤルエルフの赤ん坊のユキが、虎の守護獣であるゲールに包まれてスヤスヤと眠っている。
最近、ユキには守護獣が交代で付くようになった。
といっても、別に何か危険があるわけではない。単に守護獣たちの面倒見が良いだけだ。ユキが眠っている時は今みたいに包み込み、起きている時は背中に乗せて遊んでくれる。
ゲールがユキを起こさないように小声でタクマを気遣う。
「ミアー?(お父さん疲れてるの?)」
「疲れてないと言えば嘘になるかな。さすがにこれだけの書類を片づけると疲れるさ」
タクマはそう言ってゲールの頭を撫でる。
ゲールは目を細めてされるがままになっていた。
「それにしても今日は静かだな。みんな町に行っているのもあるだろうけど、こんなに静かなのは久しぶりだ」
タクマの家はいつも賑やかだ。常に誰かしらいるし笑い声が絶えない。
今日は使用人たちがそろって出ているので、家にいるのはタクマ、ゲール、ユキだけだった。
「たまには贅沢に過ごすか」
タクマはそう言うと、アイテムボックスからPCと酒、そしてツマミのチーズを取りだした。ゲールのおやつにジャーキーも忘れない。
タクマがジャーキーを差しだすと、ゲールは嬉しそうに頬張った。
「うまいか?」
「ミアー!(うん!)」
それからタクマはPCの音楽プレイヤーを起動させてジャズを流す。ユキが起きないように音量は控えめだ。
皿にチーズを載せ、グラスに酒を注ぐ。
グラスに入った琥珀色の酒は日差しを反射して輝いていた。タクマは一口だけグラスをあおった。
「ふう……やっぱりうまい。昼間から飲む酒は最高だな」
グラスを目の高さまで持ち上げつつ、タクマは呟く。
「この家も賑やかになったものだ。しかし、俺に家族ができるなんてな。日本にいる時には諦めていたが……」
今の生活はとても充実していて幸せだ、タクマはそう思った。
ヴァイスを始めたくさんの守護獣に囲まれ、新しい家族までできた。しかも、死に別れたと思っていた恋人夕夏とも再会できた。
かつての自分は生きている意味を見つけられず、無気力に生きていた。それが異世界ヴェルドミールに来てから変わった。
家族と接しているうちに人間らしくなったのだ。
「……それもこれも、ここにいるみんなのおかげだな」
タクマは酒を飲んだ事で感傷的になっていた。
ゲールが首を傾げる。
「ミアー?(お父さんは僕たちに会えて幸せ?)」
「ああ。すごく幸せだ。俺は世界一幸せ者なのかもしれないな」
そう言ってタクマは照れくさそうにゲールを撫でる。
「ミアー(僕もしあわせー。お父さんは大好きだし、ヴァイスたちも好き。それに、ここに住んでいるみんなも好きなんだー)」
タクマはそのままソファーで眠ってしまう。ゲールはユキを腹に抱きかかえ、タクマの傍で目を伏せていた。
数時間後。
用事を終えた夕夏が子供たちと帰宅してきた。帰りに孤児院に寄り、子供たちと一緒に帰ってきたのだ。
夕夏が家に入ると、タクマが寝ている姿が目に入った。横にいるユキもすっかり寝入っている。子供たちがそんな彼らを覗き込む。
「あれ? おとうさん寝てるー」
「疲れてるのかなー?」
「でもしあわせそー」
「なんかいいね」
子供たちは寝室に毛布を取りに走っていった。
夕夏はゆっくりとタクマの隣に座り、彼の頭を自分の太ももに載せた。
「まったく……家に誰もいないからって昼間からお酒を飲んだのね。まあ、昨日まで忙しかったし、たまにはいいのかしら」
夕夏は微笑みながら、タクマの頬を撫でた。
しばらくして子供たちが戻ってきて、タクマが起きないように静かに毛布をかける。そしてみんなでタクマを囲んで寄り添っていた。
その後、アークスが戻ってくる。
「これはどういう事です? なぜ子供たちまで眠っているのでしょうか?」
彼が見たのは、居間で気持ち良さそうに眠るタクマ一家だった。
2 ヒュラたちの覚悟
前日にしっかり休めたタクマは、いつもより早めに起きた。
ユキも同じタイミングで起きたので、彼はユキを連れて散歩に出る。
これまでユキと散歩する時は抱っこしていたが、夕夏がおんぶ紐を作ってくれたので、今日はそれを使っておんぶしている。
しばらくして祠に到着する。
火の精霊であるカークを始めとした精霊たち五体が、祠周辺の掃除をしていた。
「あ、タクマ! ユキちゃん! おはよう!」
タクマを見つけたカークがまっすぐに向かってくる。
他の精霊たちも集まってきた。
「みんな、おはよう。祠の掃除をしてくれていたのか。ありがとな」
「あーい、あい!」
タクマとユキは精霊たちと挨拶を交わしてから祠に向き合う。ユキの両親はこの祠に眠っているのだ。
タクマは祠に向かって手を合わせる。
「おはよう。今日もユキは元気に早起きをしたぞ。毎日どんどん成長しているから、成長するのを見ててくれな」
タクマが祈っている間、ユキはじっとしていた。
タクマがユキに声をかける。
「ほら。ユキもお父さんとお母さんに挨拶しないとな」
「う? ……あい! あうあいあー」
ユキが何を言ったのか分からなかったが、それでもきっと伝わった事だろうとタクマは思うのだった。
朝の挨拶を終えたタクマは、精霊たちと話す事にした。
「ここの生活には慣れたか?」
元々エルフに仕えていた精霊たちは、急にこの地で生きる事になった。それを心配したタクマの質問にカークが答える。
「大丈夫! 空気がとてもきれいだし、魔力は澄んでいるんだ。僕たち精霊はきれいな魔力があればどこでも暮らせるしね」
カークによると、精霊たちにとって湖周辺は暮らしやすいそうだ。
危険なモンスターは現れないし、何より自由に過ごせる。ここに来てから精霊たちは、どんどん元気を取り戻しているという。
「そうか。みんなが元気になったならそれでいいさ。ここには命令する奴なんていないし、自分たちのやりたい事をすればいい」
タクマがそう言うと、カークは一瞬考え込むような素振りを見せた。
そして、彼はタクマに質問を向ける。
「……ねえ、タクマ。君の子供で少し大きい子たちがいたよね?」
「ん、大きい子? ヒュラたち五人の事か?」
タクマのもとにいる子供たちで大きいのは、トーランで孤児をしていたのを引き取った、ヒュラ、アコラ、ファリス、フラン、レジーの五人だ。彼らは11歳から13歳で、周りの子たちより年長である。
カークは少し心配そうに言う。
「たぶん合ってるかな。実はね、精霊たちがその子たちが森を付き添いなしで歩いているのを目にしたらしいんだ……」
最近タクマは、ヒュラたちに森を探索させていた。
そうさせているのは、どこに行っても自力で生き抜けるようにするため。森の恵みを自分で採れるようになれば、最低限生きていけるのだ。
カークによると、そんなヒュラたちに感謝している精霊がいるという。
「感謝……ねぇ……」
タクマが呟くと、カークはさらに続ける。
「あの子たちってとても優しいんだって。タクマから精霊が森に棲んでいると聞いたからなのかな、食べ物を置いていってくれるんだ」
ヒュラたちは森を探索する時に必ず弁当を持っていく。その際、弁当の半分を精霊たちに置いていっていた。
精霊たちはヒュラたちにお返ししたいと考えているとの事だった。
「確かにあの子たちは優しいけど、何か返してほしくてやっているわけじゃないぞ? 単純に美味しい物を食べてほしいだけじゃないかな」
タクマにはそう言われたものの、精霊たちがヒュラたちに何かをしてやりたいという気持ちは変わらなかった。お返しとして彼らは、ヒュラたちを守ってあげたいという。
カークが精霊たちに視線を向けながら言う。
「だからね、彼らとこの子たちを契約させたらどうかなと思って。この子たちは幸い、エルフとは契約しなかったから心に傷を負ってないし、タクマの子供たちに好意を持ってるしね」
「なるほどな。だが、大丈夫なのか? 精霊と契約する事であの子たちに面倒が起こったりしないか?」
タクマがそう尋ねるとカークが首を横に振って答える。
「契約をしたからといって姿形は変わらないし、精霊の存在を隠していればバレる事はないよ。そもそも契約の内容は彼ら自身と彼らの家族を守る事だから、特別な力を与えるわけじゃないんだ。何かあっても守るだけなんだよ」
カークはタクマに向かって頭を下げる。
「ね、精霊たちは君の子供を守りたいだけなんだ。どうか願いを聞いてもらえないかな?」
カークの後ろにいた精霊たちも深々と頭を下げた。
タクマは頷きつつ言う。
「精霊たちがうちの子と契約したいのは分かった。俺としても子供たちがより安全になるのはありがたい」
それからタクマは、いつ契約するか確認した。精霊たちの返答は、できるだけ早くしたいとの事だった。
「そうか。じゃあヒュラたちを今すぐ連れてくるかな。ちょっと待っていてくれるか」
タクマはそう言うやいなや祠を後にした。
家に着くと、子供たちはすでに起きていて朝の運動をしていた。
年長組のヒュラたちもその中にいたので、タクマは彼らに手招きする。
「お父さん! おはようございます!」
「ああ、おはよう。みんな元気だな」
五人は寝起きとは思えないような大きな声で挨拶した。タクマは笑顔を向け「少し話がある」と言って、彼らを執務室に連れていった。
「悪いな、朝の運動の時間に。でも大事な話があるんだ」
タクマはそう切りだして精霊の話をした。五人は自分たちがした事で精霊たちが喜んだと聞き、嬉しそうな笑顔を見せる。
「精霊はみんなの気遣いが嬉しくて、お前たちと一緒にいたいと言ってくれているんだ」
すると、五人はなぜか顔を曇らせた。
聞いてみると、契約によってつらい思いをした精霊たちに申し訳ないと考え、自分たちは精霊たちと仲良くしたいだけで彼らを縛りたくない、との事だった。
タクマは笑みを浮かべて告げる。
「みんな優しくて、俺はすごく嬉しい。だけどな? 今回の話は精霊たち自身が望んでいるんだ。自分たちを大切にしてくれるお前たちだからこそ、精霊は契約したいと言ってくれている。どうだ? ひとまず契約するとかは置いといて、今からその精霊たちに会いに行ってみないか?」
ヒュラが少し驚いたように尋ねる。
「え? その子たちに会えるの!?」
「会えるさ。会わずに契約はできないし、その精霊たちはお前たちが来るのを待っている。だから、一緒に祠まで行ってみよう」
ヒュラたちがすぐに席を立って行こうとしたので、タクマは慌てて五人を引き留める。
そして食事のタイミングなのだから、いつものように弁当を持っていったらどうかと提案した。食事を一緒にする事で、打ち解けてくれたらと考えたのだ。
「お弁当、作ってもらってくる!」
ヒュラたちは嬉しそうに部屋を出ていった。
タクマは彼らを見送ると、カークに念話を送る。
(カーク。もう少ししたら子供たちをそっちに連れていく。精霊たちに待っているように伝えてくれるか?)
(分かった! 待ってるよ!)
それからタクマは、ヒュラたちが精霊たちを気遣ってためらった事を伝えた。すると、カークは感激したように言う。
(……本当にタクマの子供たちは優しいね。自分たちの得ではなく、精霊たちに気をかけてくれるなんて)
(そうだな。ヒュラたちには一緒に食事をするように言ってあるから、実際に契約するかどうかは、その場で話し合って決めたらいい)
(そうだね。みんなにも言っておくよ!)
カークが了承してくれたので、タクマは念話を終わらせた。
しばらくすると、ヒュラたちの走る音が聞こえてくる。普段は家で走ったりしない五人が、はしゃいでいるのがよく分かった。
「お父さん! もらってきた! 早く行こう!」
ヒュラたちは精霊に会えるのが嬉しいようでタクマを急かす。
「分かった、分かった。じゃあ、散歩がてら歩いて向かおう」
タクマはユキを背負ったまま、もう一度祠へ向かう。いつもより長い散歩に、ユキもご機嫌だった。
祠に到着すると、精霊たちはヒュラたちを歓迎した。
タクマはヒュラたちの邪魔をしないように少し離れた。そこでおんぶ紐を解いてユキを持ち替え、腰を下ろす。
「さあ、ヒュラたちはどんな話をするかな?」
タクマの視線の先では、ヒュラたちが弁当のバスケットを精霊たちに見せて食事に誘っている。やがて彼らはその場に座って食事を始めた。
タクマがヒュラたちの様子を見ていると、カークが飛んでくる。
「ねえ、タクマ。何でタクマは遠くで見てるの?」
「これはヒュラたちと精霊たちの話だからな。どういう結果になるのかは気になるが、あの子たちだけでやるのがいいだろ」
「ふーん。じゃあ、僕もここで待とうかな」
そうしてタクマとカークは、精霊たちと子供たちの食事風景を眺めた。
しばらくして様子が変わる。精霊たちと子供たちはそれぞれ真剣な顔になり、意見を交わしだした。
「お、本題に入ったみたいだな」
「そうだね。精霊たちが契約を持ちかけてるね。気になるなら、あの子たちのやりとりを教えようか?」
カークがそう尋ねたが、タクマにその気はなかったので静かに首を横に振る。
「ふーん、そっか。上手くいくと思う?」
「そうだな。どうなるかは分からないが、お互い嫌いなわけじゃないし、悪い関係になる事はないだろ」
やがて、話し合いの雰囲気が柔らかくなってきた。
カークたちが真剣な表情なのは変わらないが、時折笑顔を見せている。精霊たちも同じように笑みを見せ、互いに打ち解けたようだ。
話し合いは終わり、ヒュラがタクマの所へ走ってくる。
「お父さん!」
「どうした? 結果が出たか?」
「うん! ちゃんと話し合いをして、僕たちの気持ちを話したし、精霊さんの気持ちも聞いたよ」
上手くいったようで内心ほっとしているタクマに、ヒュラは結果を次のように説明した。
結局、ヒュラたちと精霊たちとは契約を交わす事にしたそうだ。
ただしその内容は当初と変わり、守ってもらうのではなく、精霊たちと対等な友達になるという。
ヒュラが言うには、友達ならお互いを守り合えるし、彼らに契約を意識させなくて良いからとの事だった。
タクマは真面目な顔になり、あえて厳しい意見を言う。
「対等な友達か……だがそれには、お前たちは力を付けないといけないぞ? 彼らを守れるくらいに強くならないと、精霊に迷惑をかけてしまうだろう。そこは理解しているのか?」
するとヒュラも真剣な表情になる。
「うん……対等になるために、これから本格的に鍛える事にしたんだ。今までも自分の身を守れるように最低限の事はしてたけど、友達を守るには足りないと思うし……だからね……」
ヒュラは自分たちの弱さを自覚していた。そんな彼の口から出たのは、「仮契約」という言葉だった。
本当は今回は契約せずに、ヒュラたちの実力が精霊と釣り合うようになってからと提案したのだが、それは精霊たちから断られ、仮契約という形で縁をつなぐ事になったらしい。期限は三年で、その間にヒュラたちは戦闘能力を付けるという。
そう説明するヒュラの目は本気だった。
「そうか。お前たちが決めた事なら、俺は何も言わない。頑張って精霊たちの期待に応えると良いさ。だけど、普段の勉強も疎かにしてはだめだぞ」
「うん! じゃあ、みんなにお父さんと話した事を伝えてくる!」
ヒュラはそう言うと、精霊たちの所に戻っていった。
タクマは大きく息を吐くと、カークに尋ねる。
「なあ、仮契約っていうのはいいんだけど……契約内容が友達になるってのは大丈夫なのかな?」
当初精霊の力は防衛だけに制限していたが、ヒュラたちの決めた内容では、場合によっては攻撃にも使えてしまうだろう。タクマはそれを心配していた。
「そうだね。確かにそのリスクはある。だが、タクマの子供たちなら大丈夫じゃない? 後でしっかりと言っておく必要はあるだろうけど……」
それからカークは、今回の話をタクマに言う前に、精霊王であるアルテに相談していたと打ち明けた。アルテには、どういう契約であろうと、ヒュラたちに預けるのなら精霊たちが不幸になる心配はないと言われたらしい。
「へえ、今回の事はアルテも知っていたのか。アルテ……いるんだろ?」
タクマがそう口にした瞬間、彼の目の前にアルテが現れた。
アルテはいつものようにのんびりとした口調で言う。
「呼んだ? あの子たちは無事に契約できたの?」
タクマはため息をつきつつ返答する。
「まあ、概ね問題ないが……何で言わなかったんだ?」
「言おうと思ったけど、あなた、書類に埋もれてたじゃない。それに、あらかじめ知ってたら面白くないでしょ?」
いたずらが成功した子供のように笑って答えるアルテ。
アルテはさらに続ける。
「あの子たちは優しく育ってるし、力の使い方を間違えたりしないわ。あなたもそう思うから、止めなかったのでしょう?」
確かにその通りだった。アルテが言うようにヒュラたちは優しい子に成長している。だからこそタクマは彼らに契約の判断を任せたのだ。
その後、ヒュラたちと精霊たちとの間で仮契約が結ばれた。
タクマは少し離れた所から仮契約の様子を眺め、彼らの新たなる一歩を目に焼きつけるのだった。
タクマがヒュラたちを連れて自宅に戻ってくると、庭ではアークスが一人で身体を動かしていた。
ヒュラたちはアークスの姿を見つけるやいなや一目散に走っていく。精霊たちもヒュラたちの後ろをフワフワとついていった。
タクマは居間に戻って、一人で朝食を済ませてしまう事にした。ちょうど夕夏が出掛けるところで、彼女が声をかけてくる。
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