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第五章
番外編 お酒は人を変える
しおりを挟む「いらっしゃいませ、アルフス様」
「ご苦労、久しぶりだな」
ここは、魔王城ディストピアにある多くの施設の中でも、比較的アルフスがよく訪れる場所だ。
一言で言うとバーである。
照明が基本的にキャンドルのみで、店内は適度に暗い。揺らめくキャンドルの炎が、よりいっそうムードを引き立てていた。
「酒はまかせる。適当に選んでくれ」
「かしこまりました」
マスターは、後ろで綺麗に並べられているボトルを素早く選ぶ。熟練の技。
多くは語らないが、バーテンダーとしての誇りと熱い思いを、精一杯お酒に込めているのが、ひしひしと伝わってくる。
一連の美しい動作を見ているうちに、アルフスの前には一つのグラスが置かれた。
完成だ。
「ありがとう」
アルフスはそう言ってグラスを口へと運ぶ。
メイド人形や普通の下僕たちならば、アルフスに感謝の言葉を言われただけで「な、何をおっしゃいますか!」と慌てそうなものだが、マスターはそんなことはない。
マスターは、アルフスの感謝の気持ちを――静かに受け取った。
やはりこちらの方が、バーの雰囲気を壊さなくていいし、何よりアルフスとしてもやりやすい。
そこには静かで充実した時間が流れていた。
はずだった。
いや、予定だった。
「ん? あれは?」
アルフスは少し離れた席に誰かを発見する。
人数にして二人。
そして、それが誰かまで把握するのに時間はかからない。
「ネロー様とジェニー様でございます」
「ネローとジェニーか。ネローはともかく、ジェニーがバーに来るとは意外だな」
そこにいたのは、ネローとジェニーだった。
どちらも机に伏せるようにして眠っている。
「ジェニー様は、ネロー様に無理矢理連れてこられたといった印象でした。お酒も得意ではないようです」
「あれは酔いつぶれているな。ここで寝ていては風邪を引きそうだ。介抱してやろう」
アルフスは席を立ち、ジェニーたちの元へ向かう。
近くで見ると完全に酔いつぶれているのが分かった。
ジェニーがお酒に弱いというのは、間違ってはいなかったようだ。
「ネロー……はいつものことだが、仕方ない。そっちで介抱してもらえるか?」
「かしこまりました」
アルフスはジェニーを抱き抱えると、ちゃんとした寝所に連れていくため、ジェニーの部屋へと向かった。
瞬間移動などを使っては、ジェニーの体に負担がかかってしまうため歩きで、だ。
「あれぇ? アルフス様ぁ……?」
ジェニーは突然目を覚ます。
運んでいる最中にである。揺れが大きすぎたからか、理由はよく分からない。
「起きたか、ジェニー。今お前の部屋に向かっているから、そのまま寝ててもいいぞ」
「アルフス様ぁ……」
ジェニーの反応は謎なものだ。
アルフスの名前を呼びながら、肩の辺りに顔を擦り付けるようにしている。
甘えている時の猫のようだった。
「といっても、もうすぐ着くな。降りれるか?」
「嫌ぁ……アルフス様だっこ……」
「ジェ、ジェニー!? どうした!?」
アルフスが手からジェニーを降ろそうとすると、普段では有り得ないような反応が返ってくる。
ジェニーは、腕から離れまいと強くしがみつく。
その態度はエマなどを連想させた。
「えへへ」
(な、何かがおかしい……。ジェニーらしくない)
アルフスは、普段と違いすぎるジェニーに困惑しながら、ジェニーの部屋の扉を開ける。
体感時間としては、数分で到着してしまった。
それほどまでにインパクトが強かったのだろう。
アルフスは、しがみついているジェニーを優しくベッドに降ろす。
それについては、ジェニーが抵抗することはなかった。
「ジェニー。どうやら疲れが溜まっているようだな。ゆっくり休むといい」
「アルフス様ぁ……。ジェニーは準備ができてますよぉ……」
「ジェ、ジェニー!?」
ジェニーはベッドで両手を広げていた。
アルフスの顔をトロンとした目で見つめている。
そこでアルフスは悟った。
これ以上の事をさせてはいけない。
「ジェニー、女の子がそんな事を言うんじゃないぞ。私はいつものジェニーの方が好きだ」
「むぅー……。じゃあそばにいてくれますか?」
「わ、分かった……」
もはやそこには偉大なる大魔王も、頭脳明晰で大人しいジェニーもいなかった。
アルフスは娘に付き合わされる父のようになっている。いや、実際にそうなのだろう。
こうしてベッドに座るアルフスと、その膝の上にちょこんと乗っているジェニーの状況が出来上がった。
普通に考えると有り得ない光景だ。
今だけは間違いなく、ディストピアの中ではジェニーが一番幸せだと言える。
この話はディストピアの下僕に聞かせただけでも、事件が起こるほどの出来事。
仮に下僕たちにアンケートを取ったとしたら、満場一致どころの話ではない。
チケットならば即完売。全てを投げ打ってまで手に入れる者も現れるはずだ。
場合によっては冥府の八柱まで動くことになるだろう(アルフスが命令するのではなく私情で――だ)。
そんな誰もが憧れる場所にいるジェニーは、やはりアルフスの腕に顔を擦り付けながら楽しんでいる。
「アルフス様はジェニーのこと好きですか?」
ここでジェニーから恐ろしい質問が飛んできた。
お酒の力はここまでか、とも思わされる。
勿論普段のジェニーならば、口が裂けても言わないようなセリフだ。
だからこそ、どう答えていいのかわからない。
下手に答えしまっては傷付けるだけである。
だが、取り繕ったとしてもジェニーならば恐らく気付くだろう。
――この間も、ジェニーはアルフスの膝の上でゆっくりと動いていた。
答えを待っているのか。それは定かではないが、プレッシャーに変わりはない。
「勿論好きだぞ。私にとってディストピアの下僕たちは、全員が宝物だ」
意を決してアルフスは答える。
何も取り繕っていない、アルフスの本心だ。
もしもこの場に下僕たちがいたとしたら、多くの者は涙するはずである。
下僕たちが泣く姿はあまり見たくない――そのために普段では言えない事だった。
普段では言わない事を言っているのは、ジェニーだけではないのかもしれない。
「嬉しすぎますぅ……。えへへ」
どうやらジェニーも喜んでくれたようだ。
まずはそれに安心する。
「アルフス様……お願いがあります」
「なんだ?」
「頭を撫でてください」
また一つ注文が入った。
だがこれはお安い御用だ。
そろそろ、いつもと違うジェニーにも対応しはじめた頃合である。
(ジェニー……もしかして甘えているのか? そうだな、ジェニーは生まれた瞬間から才媛として育てられてきた。甘えられる相手もいなかったということか)
「あっ……えへへ……」
アルフスは、これまでの働きを労う意味でもジェニーの頭を撫でた。
下僕をしっかりと労うのも、支配者としての義務だ。
それに、子どもが甘えているのに断る親がどこにいようか。
ジェニーの様子を見ても、普段から我慢していたのが見て取れる。
たまには――こういったことをしてやるべきだろう。
「尊敬してます……アルフス様」
そう言うとジェニーは目を閉じる。
眠ってしまったらしい。
アルフスにもたれる力が少し強くなった。
「少しだけ無理をさせていたようだな……」
アルフスは感慨深くジェニーの寝顔を見つめる。
邪念がなく、とても可愛らしいものだ。
ディストピアの中でも、ジェニーのように邪念を持たない者は少ない。
アルフスにとっても、それは新鮮なものだった。
アルフスはジェニーがゆっくり眠れるよう、膝の上からベッドの上へと移動させる。
ジェニーは眠っているので、先程までのような抵抗はない。
「ピクニックの時も結局戦わせたしなぁ……。戦闘以外の経験もさせてあげないと――か」
そんなことを呟きながら、アルフスはジェニーの部屋を後にする。
アルフスの頭の中には、ジェニーに何をしてあげるか沢山の考えが渦巻いていた。
****
「あれ……私、ネローさんといたはずじゃ……」
太陽の光を浴びてジェニーは目を覚ます。
朝だ。
清々しい――とは言えず、少しだけ頭が痛いような感覚に襲われる。
自分がなぜ部屋に戻っているのかを考えるべきなのだろうが、昨日のことを全く思い出すことができない。
「ネローさんが運んでくれたのかな…………まあいっか」
そしてジェニーは、少しの頭痛を堪えながらいつも通りの日常を迎えた。
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