降る雨は空の向こうに

主道 学

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雨の宮殿

38話

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「では、智子さんたちと話してみてください。きっと、不安でしょうがないと思います」
 隆は車の近くでこちらの様子を見ている智子のところへと歩いていく。
「あなた。何を話してきたの? これから、どうするの?」
「智子。大丈夫だ。全て俺に任せろ」
 雨の中、隆は智子の再び肩を抱きしめた。

 しばらく、二人は抱き締め合っていたが、
「みんな無事に……里見ちゃんと…………また会えるのを祈っています」
 智子はそんな隆に向かって、穏やかな表情のまま祈りの言葉が自然に口から出た。
 正志は車の中で俯いている瑠璃を元気づけに行った。
 瑠璃は今でもシートベルトにしがみついている。
「正志さん……怖いわ。でも、一緒にいたい……」
 瑠璃は俯いているが、ガタガタと震えてシートベルトを掴む両手は次第に強くなってきた。
 その時、上空から轟音を発し、裏山へ枯れ木を揺さぶり、周囲に強風をまき散らしながら、戦闘機が一機降下してきた。
 隆は携帯を持って戦闘機に乗っていると思われる。脇村三兄弟の一人に話をしに裏山に向かって走って行った。
 智子は軽トラックの傍で夫の後ろ姿を見つめていた。


 裏山は枯れ木がなく、禿げ上がったむき出しの砂利の広い地面があった。
 隆はずぶ濡れの体で走って来て、着陸した脇村三兄弟の長男を見つけた。脇村三兄弟の長男の聡は隆を見てひどく驚いている。
 年若い聡はコックピットを開け周囲を見回した。
「ここは、どこです?自分は接敵しないといけないのに。空を飛んでいたら急に雲の間に裂け目があって。そこを通過したら。自分は今任務に就いているはずなのに……。早くに戻らないといけないのに。計器類が故障してしまったようで……」
 聡は真っ青な顔でひどく混乱しているが、しっかりした口調で隆に問う。普通の痩せている高校生のような容姿で、丸坊主の頭。だが、かなりの筋肉がついていて、高校生のようでもやはり軍人なのだ。
 隆はその疑問を一つ一つ答えることが出来るが、代わりに聡に頭を下げた。
「お願いです。ここは天の園。つまり、天国です。雨の宮殿に娘が捕われているのです。どうか、助けてください。私たち家族のために戦ってください。お願いします」
 隆は急に涙目になったが、強い焦燥感のある里見への愛情を思い起こす。

 隆の頭には目の前の里見の姿が過っていた。
 聡は首を傾げて辺りを見回した。
「天の園……天国……。自分は死んでしまったのか?任務中だと言うのに……。雨の宮殿……一体何のことだ?」
「いや……あの……」
 隆は今までのことをかいつまんで話すことにしたが、途中、中友 めぐみの携帯が鳴った。
「あの……。電話に出てもらえませんか?」
 隆は携帯を自分より年下の聡に渡す。
「電話ですか?」
 聡は不思議な顔をしているが、危険はないだろうと思っているようだ。

「携帯といって、無線のような電話のような機能がある機械なんですよ」
 隆はそう言うと、戦闘機の近くにある起伏に上がり、機体にどうにかよじ登って携帯を渡した。
 聡は珍しい物を見るかのように、中友 めぐみの携帯を見つめていたが、携帯の仕組みが解ったのだろう。それを耳に当てた。
「はい。こちら、第四二航空隊」
 そして、しばらく、真剣な聡と24時間のお姉さんは話をしていた。時折、聡は首を傾げる。はたまた時折、慌てふためいていた。次は真っ青になり訝しげに顔を引き締めた。
 話が終わると、聡は遥か上空を見つめる。
 10分くらいの時間が経つと、空から脇村三兄弟の二人が遥か上空から現れた。きっと、ここにいる同胞を探しているのだろう。上空を何度も旋回していた。
 高山から聡はすぐさま照明弾を打った。

「本当に上空に現れた! 24時間のお姉さんの言ったとおりだ! 自分は時の神と話していたことになるのか?それとも、ここは夢の世界なのか?」
 隆に向かって、物の真偽を確かめる暇もなく。
 戦闘機が轟音を発し聡の機体の脇にそれぞれ着陸すると、コックピットから降りて来た二人は聡の無事を確認して険しい顔を少しだけ緩めた。聡も戦闘機から降り、三人は互いに無事を確認し合うかのように肩を叩きあった。
 聡は二人の弟に24時間のお姉さんの話をそのまま伝えた。
 二人とも訝しい表情で首を傾げていたが、中友 めぐみの携帯が鳴り出し。隆が二人に電話で話してもらった。二人は最初、訝しんでいたのだが、しっかりと頷いて精悍な顔で雨の宮殿を見つめだした。
 しばらくして、24時間のお姉さんは明るい声で。

「隆さん。やったわね。これで、ここで戦ってくれる兵士が増えました」
 隆は一つ思うところがあった。神様に失礼だとは思うがどうしても聞きたかった。
 高山の地面の石を手で掴んでしげしげと見つめたり、枯れ木を触っては険しい表情を作る脇村三兄弟に何を言ったのかと隆は思った。
「簡単ですよ。子供の時からの色々な経験を掻い摘んで話してあげたんです」
 脇村三兄弟の長男が一つ武者震いをすると、隆に言った。
「私の名は脇村 聡。下界では神風特攻隊員でありました。同じく神風特攻隊員の二番目の弟の吉次郎。三番目の弟の末広です。自分たちは雨の宮殿で戦えばいいのですね。気を失いそうな場所で仕方がないのですが。自分は神と共に戦うことにしました」

 聡たちは祖国のために命を捨てる前に一つの家族を助けようとした。吉次郎も末広も丸坊主で、細い体に鋼のような筋肉をつけていた。
 隆はそんな少年たちに、仏頂面で力強い眼差しで頷いた。けれども、隆自身よく解らない涙が流れた。
「大丈夫ですか? 私たちのことよりも、娘さんのことを考えてやってください。吉次郎は西の門を、自分と末広は東の門を。死地が変わり家族のための戦いが、本当の家族のための戦いになった」
 聡は慎重な言葉を使った。吉次郎と末広もにっこりと笑っていた。
「もうそろそろですね。この戦いでは人は一人も死なないはずなんです。いや、死んではいけないのです」
 24時間のお姉さんの声を電話越しに聞いて、隆はどしゃ降りの中、高山を元来た場所へと涙を腕で拭いて走り出した。
 脇村兄弟は急いで戦闘機へと乗り出す。
 母国のためではなく。一つの家族のためにここで死ぬことも厭わない心境で戦闘機に乗り出したのだろか。
 隆は走りながら、確かに24時間のお姉さんは、吉次郎の機体が鎧武者の矢で故障することを話したはずだ。と考えた。


 これで安心だ。
 やっと、やっと娘に会えるはず。
 隆は走りながら、これまでの時間の長さに正直驚いていた。
 思えば娘を失ってから泣いていない日は一日として無かったかも知れない。
 隆はそう思った。
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