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第1話:五十一歳の再出発と、森で出会った五つの小さな命
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「……ここ、どこだ?」
昭雄(アキオ)、御年五十一。バツイチ、子なし。地方で細々と工務店を営み、自らも現場に出る叩き上げの職人だ。人生の折り返しはとっくに過ぎ、あとは若い衆に店を譲って隠居かな、なんて考えていた矢先だった。
その日、アキオは山奥にある古民家のリフォーム現場で、床下の基礎を入念に調べていた。築百年を超えるというその家は、趣はあるものの、あちこちガタがきている。特に湿気の多い日本の気候は、木造家屋には厳しい。
「ん、この柱は交換が必要か……」
メジャーを当て、懐中電灯で奥を照らし込んだ、その時だ。
ぐらり、と地面が大きく揺れたのは。
「地震か!?」
咄嗟に身を屈めたが、揺れは収まらない。それどころか、ミシミシと家全体がきしむ音が響き渡り、次の瞬間、足元の地面が崩落する感覚と共に、アキオの意識は暗転した。
次に気が付いた時、アキオは鬱蒼とした森の中に横たわっていた。頭上には見慣れた杉林ではなく、空を覆い尽くさんばかりの巨大な広葉樹が枝を広げている。土の匂い、むせ返るような緑の匂い。だが、知っている森のそれとは何かが違う。
(土砂崩れにでも巻き込まれたか? それにしては服も体も、妙に綺麗なもんだが……)
打ち付けたはずの体にも、不思議と痛みはなかった。状況がまるで飲み込めない。だが、呆然としている暇は、自然が与えてくれなかった。
「きゃあああっ!」
鋭い子供の悲鳴。それも一人ではない。続けざまに、獣の獰猛な唸り声が鼓膜を震わせた。
反射的に体が動いた。声のした方へ、茂みをかき分けながら駆け寄る。数秒もしないうちに視界が開け、そこにいたのは――狼? いや、もっと大きく、体毛は黒曜石のように鈍く光り、目が血のように赤い。明らかに地球上に存在する生物ではないその異形の獣が、五人の子供たちにまさに襲いかかろうとしていた。
一番年長と思われる少女が、必死に両手を広げ、後ろの幼い子たちを庇うように立っている。その隣では、同じくらいの歳か少し下に見える男の子が木の枝を構え、震えながらも前に出ようとしていた。その後ろには、さらに小さな男の子と女の子たちが怯えて固まっている。
「やめろォォォッ!」
アキオは心の底から叫びながら、手近に落ちていた手頃な太さの木の枝を拾い上げ、獣と子供たちの間に割って入った。
(どうする!? 丸腰だぞ、俺は!)
獣が嘲笑うかのように鼻を鳴らし、前足を地面に擦り付ける。絶体絶命。
その時、アキオは無我夢中で念じた。長年、木材や道具に触れ、その性質を理解しようとしてきた職人の魂が、そうさせたのかもしれない。
――頼む、もってくれ! 折れるな! 硬くなれ!
カッ!
手にしていた木の枝が、一瞬、淡い光を帯びたように見えた。気のせいか、心なしか枝がずしりと重みを増し、まるで樫の古木のように硬化したような感触がある。
獣が牙を剥き、アキオ目掛けて飛びかかってきた。
「うおおっ!」
アキオは夢中で枝を横薙ぎに振るった。
ゴンッ!
鈍い手応え。まるで鉄の棒で殴ったかのような衝撃に、獣が「キャン!」と短い悲鳴を上げ、たたらを踏む。
(いける!)
確信したアキオは、さらに数度、獣の頭や胴体を力任せに打ち据えた。異形の獣はたまらずといった様子で身を翻し、森の奥へと逃げていった。
「……ふぅ、行ったか……」
緊張が解け、どっと汗が噴き出す。心臓がまだバクバクと脈打っている。息を切らしながら振り返ると、子供たちが呆然とした顔でこちらを見上げていた。
一番年長の少女が、震える声で尋ねる。
「あ、あの……助けてくれて、ありがとうございます。あなたは……?」
その瞳には、恐怖と、わずかな安堵、そして強い警戒の色が複雑に浮かんでいる。
「俺はアキオ。田中昭雄だ。見ての通り、ただのおっさんだよ」
アキオは努めて穏やかに微笑みかけた。
「君たちは?」
少女が少し躊躇いながらも口を開いた。
「わたしはアヤネです。こっちはアルト、それからケンタ……」
アヤネが指さす先には、先ほど木の枝を構えていたアルトと、その少し後ろでまだ顔をこわばらせているケンタがいる。
「……ミコです」
小さな声で女の子が名乗った。
「……ユメ」
一番小さな女の子が、ミコの服の裾を掴みながら、かろうじてそう言った。
アキオはリュックサックを下ろした。幸い、現場に持ってきたものがそのまま入っている。中から、万が一の非常用にいつも入れているカロリーバー数本と、ペットボトルの水を取り出した。
「とりあえず、これで少し腹の足しにしてくれ。大変だったな」
子供たちは、戸惑いながらも、差し出された食料と水を受け取った。アルトがアヤネの顔色を窺い、アヤネが頷くと、ようやく小さな手が伸びてきた。その様子に、彼らが厳しい状況に置かれてきたことが察せられた。
アキオは空を見上げる。そこには、見たこともない三つの月が、静かに輝いていた。
これからどうなるのか、皆目見当もつかない。だが、目の前の小さな命を見捨てるという選択肢は、アキオの職人気質が、そして人間としての情が許さなかった。
(まあ、なんとかなるだろ。いや、なんとかするしかねえか)
こうして、五十路職人アキオの、波乱含みの異世界サバイバルが、図らずも幕を開けたのだった。
昭雄(アキオ)、御年五十一。バツイチ、子なし。地方で細々と工務店を営み、自らも現場に出る叩き上げの職人だ。人生の折り返しはとっくに過ぎ、あとは若い衆に店を譲って隠居かな、なんて考えていた矢先だった。
その日、アキオは山奥にある古民家のリフォーム現場で、床下の基礎を入念に調べていた。築百年を超えるというその家は、趣はあるものの、あちこちガタがきている。特に湿気の多い日本の気候は、木造家屋には厳しい。
「ん、この柱は交換が必要か……」
メジャーを当て、懐中電灯で奥を照らし込んだ、その時だ。
ぐらり、と地面が大きく揺れたのは。
「地震か!?」
咄嗟に身を屈めたが、揺れは収まらない。それどころか、ミシミシと家全体がきしむ音が響き渡り、次の瞬間、足元の地面が崩落する感覚と共に、アキオの意識は暗転した。
次に気が付いた時、アキオは鬱蒼とした森の中に横たわっていた。頭上には見慣れた杉林ではなく、空を覆い尽くさんばかりの巨大な広葉樹が枝を広げている。土の匂い、むせ返るような緑の匂い。だが、知っている森のそれとは何かが違う。
(土砂崩れにでも巻き込まれたか? それにしては服も体も、妙に綺麗なもんだが……)
打ち付けたはずの体にも、不思議と痛みはなかった。状況がまるで飲み込めない。だが、呆然としている暇は、自然が与えてくれなかった。
「きゃあああっ!」
鋭い子供の悲鳴。それも一人ではない。続けざまに、獣の獰猛な唸り声が鼓膜を震わせた。
反射的に体が動いた。声のした方へ、茂みをかき分けながら駆け寄る。数秒もしないうちに視界が開け、そこにいたのは――狼? いや、もっと大きく、体毛は黒曜石のように鈍く光り、目が血のように赤い。明らかに地球上に存在する生物ではないその異形の獣が、五人の子供たちにまさに襲いかかろうとしていた。
一番年長と思われる少女が、必死に両手を広げ、後ろの幼い子たちを庇うように立っている。その隣では、同じくらいの歳か少し下に見える男の子が木の枝を構え、震えながらも前に出ようとしていた。その後ろには、さらに小さな男の子と女の子たちが怯えて固まっている。
「やめろォォォッ!」
アキオは心の底から叫びながら、手近に落ちていた手頃な太さの木の枝を拾い上げ、獣と子供たちの間に割って入った。
(どうする!? 丸腰だぞ、俺は!)
獣が嘲笑うかのように鼻を鳴らし、前足を地面に擦り付ける。絶体絶命。
その時、アキオは無我夢中で念じた。長年、木材や道具に触れ、その性質を理解しようとしてきた職人の魂が、そうさせたのかもしれない。
――頼む、もってくれ! 折れるな! 硬くなれ!
カッ!
手にしていた木の枝が、一瞬、淡い光を帯びたように見えた。気のせいか、心なしか枝がずしりと重みを増し、まるで樫の古木のように硬化したような感触がある。
獣が牙を剥き、アキオ目掛けて飛びかかってきた。
「うおおっ!」
アキオは夢中で枝を横薙ぎに振るった。
ゴンッ!
鈍い手応え。まるで鉄の棒で殴ったかのような衝撃に、獣が「キャン!」と短い悲鳴を上げ、たたらを踏む。
(いける!)
確信したアキオは、さらに数度、獣の頭や胴体を力任せに打ち据えた。異形の獣はたまらずといった様子で身を翻し、森の奥へと逃げていった。
「……ふぅ、行ったか……」
緊張が解け、どっと汗が噴き出す。心臓がまだバクバクと脈打っている。息を切らしながら振り返ると、子供たちが呆然とした顔でこちらを見上げていた。
一番年長の少女が、震える声で尋ねる。
「あ、あの……助けてくれて、ありがとうございます。あなたは……?」
その瞳には、恐怖と、わずかな安堵、そして強い警戒の色が複雑に浮かんでいる。
「俺はアキオ。田中昭雄だ。見ての通り、ただのおっさんだよ」
アキオは努めて穏やかに微笑みかけた。
「君たちは?」
少女が少し躊躇いながらも口を開いた。
「わたしはアヤネです。こっちはアルト、それからケンタ……」
アヤネが指さす先には、先ほど木の枝を構えていたアルトと、その少し後ろでまだ顔をこわばらせているケンタがいる。
「……ミコです」
小さな声で女の子が名乗った。
「……ユメ」
一番小さな女の子が、ミコの服の裾を掴みながら、かろうじてそう言った。
アキオはリュックサックを下ろした。幸い、現場に持ってきたものがそのまま入っている。中から、万が一の非常用にいつも入れているカロリーバー数本と、ペットボトルの水を取り出した。
「とりあえず、これで少し腹の足しにしてくれ。大変だったな」
子供たちは、戸惑いながらも、差し出された食料と水を受け取った。アルトがアヤネの顔色を窺い、アヤネが頷くと、ようやく小さな手が伸びてきた。その様子に、彼らが厳しい状況に置かれてきたことが察せられた。
アキオは空を見上げる。そこには、見たこともない三つの月が、静かに輝いていた。
これからどうなるのか、皆目見当もつかない。だが、目の前の小さな命を見捨てるという選択肢は、アキオの職人気質が、そして人間としての情が許さなかった。
(まあ、なんとかなるだろ。いや、なんとかするしかねえか)
こうして、五十路職人アキオの、波乱含みの異世界サバイバルが、図らずも幕を開けたのだった。
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