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第315話:それぞれの夜と、嵐の前の、止まり木
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アキオの私室で行われた深夜の作戦会議が解散となった。
妻たちはそれぞれが明日果たすべき役割を胸に、静かに、しかし確かな決意をその表情に宿して部屋を後にしていく。その夜、アキオの聖域は一つの巨大な生命体のように、それぞれの器官が完璧な連携を取りながら動き出していた。
自室に戻った凛とクラウディアは、休むことなくすぐに明日のための実務に取り掛かっていた。凛は机の上に最高品質の羊皮紙と魔力を帯びた特殊なインクを広げ、国王たちと交わす魔法契約の条文を一言一句練り上げていく。その横顔はもはや恋する乙女のものではなく、国家の命運を左右する冷徹な法務官のそれだった。
クラウディアはそんな凛のために、疲労回復効果のある温かいハーブティーを淹れながら、自らも明日の分刻みのスケジュール表を最終確認していた。誰と誰をどのタイミングで引き合わせるか。その場の雰囲気を最大限に演出するための茶器の選定、部屋の室温、そしてお茶菓子の種類まで。彼女の頭の中には勝利へと至る完璧なロードマップが既に描かれていた。彼女たちは戦友だった。アキオという愛する男を王にするための最高の共犯者だった。
その頃、新・中央館のとある一室では、三人の姫君たちがそれぞれの寝間着姿で小さなテーブルを囲んでいた。
温泉で不思議な友情を結んで以来、彼女たちはこうして夜集まって、その日の出来事を語り合うのが習慣となりつつあった。
重い沈黙を破ったのはイザベラだった。
「…お父様が申し訳ないことをいたしました。わたくしの浅慮が皆様を困惑させてしまいましたわ…」
「いいえ、イザベラ様のせいではありませんわ」
シャルロッテが力強く首を横に振る。
「あれはメイプルウッド国王陛下の王としての一手。そしてそれに対するシルヴィア様の見事な切り返し。わたくし、感動してしまいましたわ。まるで極上の政治劇を見ているようでしたもの。…わたくしも学ばなければ。ただ嘆願書を出すだけでは、まだこの戦いの本当の舞台には立てないのだと痛感いたしました」
シャルロッテのその、どこか嬉しそうな闘志に満ちた言葉に、リリアーナが静かに付け加える。
「ええ。本当の戦いは明日からよ。アキオ殿が何をどう王たちに語るのか。そして王たちがそれをどう受け止めるのか。全てはそこで決まる。わたくしたちが出る幕はまだ先。今はただ戦況を冷静に見極める時…」
三者三様の思い。だが彼女たちの心の中に共通してあったのは、もはやただの嫉妬や焦りではなかった。この聖域という巨大な家の一員として、自分は何ができるのか。どうすればあの太陽のように温かい男の力になれるのか。そのひたむきな、そして気高い想いだった。
アキオは皆が去った自らの私室で静かに佇んでいた。
高揚と、そして重圧。その二つが彼の心を支配していた。
その時、部屋の扉が控えめにノックされた。セレスティーナとレオノーラだった。彼女たちは皆がいる前では気丈に振る舞っていたが、その表情には隠しきれない疲労の色が浮かんでいた。故国復興という重責。そして慣れない政治の舞台。彼女たちもまた戦ってきたのだ。
「…アキオ様。お休みのところ、申し訳ありません」
「アキオ殿。少しお顔が見たくなってな…」
アキオは何も言わず二人を部屋の中へと招き入れた。そしてその華奢な体を一人ずつ優しく抱きしめる。
「…おかえり。本当によく頑張ったな」
そのたった一言で、二人の心の内に張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れた。
アキオは二人を大きな寝台の上へと優しく座らせた。そして自らの「生命の祝福」の力をその両手に集中させる。
「少し疲れているだろう。体の力を抜いて」
彼はまずレオノーラの、その騎士として常に緊張を強いられている肩と背中にそっと手を置いた。温かい生命のオーラがじわりと、彼女の凝り固まった筋肉の奥の奥へと浸透していく。
「あ…ぁ…」
レオノーラから甘い吐息が漏れた。それは快楽の声ではない。心と体が奥底から解き放たれていく安堵の声だった。
次にアキオはセレスティーナのその小さな背中を包み込むようにその手を滑らせる。王女としての重圧。母としての気苦労。その全てがアキオの温かい力によって春の雪のように溶かされていく。
しばらく三人の間に言葉はなかった。
ただ癒やしの時間だけが静かに流れていく。
やがて心身ともに完全にリラックスしたレオノーラが、アキオの胸にその額をこつんと当てながら、ぽつりと呟いた。
「…エルドリアでクリストフ様の力になれたのは、騎士として誇らしかった。民の笑顔も嬉しかった。だが…やはりアキオ殿のおられない場所はどこか息苦しくてな…。ここが、ここだけが俺の魂が本当に帰ってこれる場所なんだと、改めて思い知らされたよ…」
その素直な甘えるような言葉に、セレスティーナもアキオの腕にすりとその頬を寄せた。
「わたくしも同じですわ、あなた。王女としてではなく、ただのセレスとしてこうしてあなたの腕の中にいられるこの瞬間が何よりも幸せなのです。エルドリアも大切です。ですがわたくしたちの本当の『我が家』はもうここなのですわ…」
その瞳には美しい涙の粒が光っていた。
アキオはそんな愛しい二人をより強く抱きしめた。
この腕の中に、彼の守るべき全てがあった。国と国の駆け引きではない。ただこの温かい家族の時間を永遠に守り抜きたい。その純粋な想い。それこそがアキオを突き動かす唯一にして最大の原動力だった。
その夜、アキオは二人の妻を両腕に抱いたまま穏やかな眠りについた。
明日、彼は王たちと対峙する。
この腕の中の温もりを守るために。
嵐の前の静かな、静かな夜だった。
妻たちはそれぞれが明日果たすべき役割を胸に、静かに、しかし確かな決意をその表情に宿して部屋を後にしていく。その夜、アキオの聖域は一つの巨大な生命体のように、それぞれの器官が完璧な連携を取りながら動き出していた。
自室に戻った凛とクラウディアは、休むことなくすぐに明日のための実務に取り掛かっていた。凛は机の上に最高品質の羊皮紙と魔力を帯びた特殊なインクを広げ、国王たちと交わす魔法契約の条文を一言一句練り上げていく。その横顔はもはや恋する乙女のものではなく、国家の命運を左右する冷徹な法務官のそれだった。
クラウディアはそんな凛のために、疲労回復効果のある温かいハーブティーを淹れながら、自らも明日の分刻みのスケジュール表を最終確認していた。誰と誰をどのタイミングで引き合わせるか。その場の雰囲気を最大限に演出するための茶器の選定、部屋の室温、そしてお茶菓子の種類まで。彼女の頭の中には勝利へと至る完璧なロードマップが既に描かれていた。彼女たちは戦友だった。アキオという愛する男を王にするための最高の共犯者だった。
その頃、新・中央館のとある一室では、三人の姫君たちがそれぞれの寝間着姿で小さなテーブルを囲んでいた。
温泉で不思議な友情を結んで以来、彼女たちはこうして夜集まって、その日の出来事を語り合うのが習慣となりつつあった。
重い沈黙を破ったのはイザベラだった。
「…お父様が申し訳ないことをいたしました。わたくしの浅慮が皆様を困惑させてしまいましたわ…」
「いいえ、イザベラ様のせいではありませんわ」
シャルロッテが力強く首を横に振る。
「あれはメイプルウッド国王陛下の王としての一手。そしてそれに対するシルヴィア様の見事な切り返し。わたくし、感動してしまいましたわ。まるで極上の政治劇を見ているようでしたもの。…わたくしも学ばなければ。ただ嘆願書を出すだけでは、まだこの戦いの本当の舞台には立てないのだと痛感いたしました」
シャルロッテのその、どこか嬉しそうな闘志に満ちた言葉に、リリアーナが静かに付け加える。
「ええ。本当の戦いは明日からよ。アキオ殿が何をどう王たちに語るのか。そして王たちがそれをどう受け止めるのか。全てはそこで決まる。わたくしたちが出る幕はまだ先。今はただ戦況を冷静に見極める時…」
三者三様の思い。だが彼女たちの心の中に共通してあったのは、もはやただの嫉妬や焦りではなかった。この聖域という巨大な家の一員として、自分は何ができるのか。どうすればあの太陽のように温かい男の力になれるのか。そのひたむきな、そして気高い想いだった。
アキオは皆が去った自らの私室で静かに佇んでいた。
高揚と、そして重圧。その二つが彼の心を支配していた。
その時、部屋の扉が控えめにノックされた。セレスティーナとレオノーラだった。彼女たちは皆がいる前では気丈に振る舞っていたが、その表情には隠しきれない疲労の色が浮かんでいた。故国復興という重責。そして慣れない政治の舞台。彼女たちもまた戦ってきたのだ。
「…アキオ様。お休みのところ、申し訳ありません」
「アキオ殿。少しお顔が見たくなってな…」
アキオは何も言わず二人を部屋の中へと招き入れた。そしてその華奢な体を一人ずつ優しく抱きしめる。
「…おかえり。本当によく頑張ったな」
そのたった一言で、二人の心の内に張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れた。
アキオは二人を大きな寝台の上へと優しく座らせた。そして自らの「生命の祝福」の力をその両手に集中させる。
「少し疲れているだろう。体の力を抜いて」
彼はまずレオノーラの、その騎士として常に緊張を強いられている肩と背中にそっと手を置いた。温かい生命のオーラがじわりと、彼女の凝り固まった筋肉の奥の奥へと浸透していく。
「あ…ぁ…」
レオノーラから甘い吐息が漏れた。それは快楽の声ではない。心と体が奥底から解き放たれていく安堵の声だった。
次にアキオはセレスティーナのその小さな背中を包み込むようにその手を滑らせる。王女としての重圧。母としての気苦労。その全てがアキオの温かい力によって春の雪のように溶かされていく。
しばらく三人の間に言葉はなかった。
ただ癒やしの時間だけが静かに流れていく。
やがて心身ともに完全にリラックスしたレオノーラが、アキオの胸にその額をこつんと当てながら、ぽつりと呟いた。
「…エルドリアでクリストフ様の力になれたのは、騎士として誇らしかった。民の笑顔も嬉しかった。だが…やはりアキオ殿のおられない場所はどこか息苦しくてな…。ここが、ここだけが俺の魂が本当に帰ってこれる場所なんだと、改めて思い知らされたよ…」
その素直な甘えるような言葉に、セレスティーナもアキオの腕にすりとその頬を寄せた。
「わたくしも同じですわ、あなた。王女としてではなく、ただのセレスとしてこうしてあなたの腕の中にいられるこの瞬間が何よりも幸せなのです。エルドリアも大切です。ですがわたくしたちの本当の『我が家』はもうここなのですわ…」
その瞳には美しい涙の粒が光っていた。
アキオはそんな愛しい二人をより強く抱きしめた。
この腕の中に、彼の守るべき全てがあった。国と国の駆け引きではない。ただこの温かい家族の時間を永遠に守り抜きたい。その純粋な想い。それこそがアキオを突き動かす唯一にして最大の原動力だった。
その夜、アキオは二人の妻を両腕に抱いたまま穏やかな眠りについた。
明日、彼は王たちと対峙する。
この腕の中の温もりを守るために。
嵐の前の静かな、静かな夜だった。
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