16 / 19
16
しおりを挟む
「オレは、・・・」
言いかけたヒューゴが黙った。沈黙が重くのしかかる。続きを促すべきかと迷う俺の耳が、何かの音を捉えた。
パキ、という、小枝が踏まれるような音。頬に当てられていたヒューゴの手が離れる。
「・・・ここで待っていてください。少し、様子が変です」
言うなり、止める間もなく枯葉を踏む音が遠ざかっていく。
俺はつられるように立ち上がり、ヒューゴが駆けて行ったと思われる方に体を向けた。
ヒューゴが言ったことが全て事実だとして、俺に何を求めているというのか。逆上した街人達を父親の元に導く役目を果たしたことへの贖罪か。だとしても、俺にできることなどたかが知れている。
知れているが、もしも本当にヒューゴが侵入者Xなのだとしたら、その要求はもう明らかだ。ヒューゴは俺に会うつもりだったと言った。好きだとも。ヒューゴは俺を好きにすることを望んでいる。
俺は唇を噛み、目をきつく閉じた。その瞬間に、それは来た。
ドォン! という重い爆発音が上がったのは、まさにヒューゴが駆けて行ったと思われる方向からだった。空を鳥たちが一斉に飛び立つ羽音が覆い、大地を獣たちのヒステリックな叫び声が包む。地面が揺れ、俺は尻もちをついた。
続く爆発音。先ほどよりは小さい。誰かが、誰かと争っている。一体誰が。ヒューゴなのか。
逃げ惑う獣が、俺の横をかすめていく。俺は動けない。森が焦げる不穏な匂いがする。
刃物が打ち合わされる音。ヒューゴは剣のようなものなど持っていない。いや、本当は持っていたのか。それすら俺には分からない。
混乱の中、やがて音は止んだ。
爆発が収まると、森の中はたちまち静寂に包まれた。今しがた寝床を追い出された生き物たちが、木の陰から息をひそめて様子を伺っている。
俺は地面に両手をついたまま目を閉じ、音を拾うことだけに集中した。
無音。その中に、かすかな音が混じり始めた。あれは足音か。枯葉と枯れ木を踏みしめる、規則正しい足音。
それは遠く近く、反響するように、籠るように、だんだんと近づいてくる。
「ヒューゴ」
沈黙に耐えきれずに、俺は名前を呼んだ。
返事がない。
なぜ返事をしない?
「ヒューゴ」
どさり。
すぐ傍で、何か重たいものが転がるような音がした。なぜかその音を聞いて、ヒューゴが初めて小屋にやって来た時に聞いた音を思い出した。ゴトリ、という、何か重たい物が床に置かれたような音。何の音かと聞いた俺に、ヒューゴは何のことだ?と言ってとぼけた。そんな音はしなかったと。
なぜ今そんなことを思い出したのだろうか?
暗闇から不意に伸びてきた腕が、俺の腕を掴んだ。引き上げられる。
「離せ。なぜ返事をしない?誰なんだ。ヒューゴは?」
掴まれた腕が引っ張られる。どこかへ置いたままの荷物。気にしている余裕がない。
「ヒューゴ!」
心臓が引き絞られるように痛み、俺はそれを吐き出すように叫んでいた。腕を引く力は強く、覚束ない足が木の根にとられる。息はすぐに上がり、耳元で、聞こえるはずのない自分の鼓動が激しく脈打っている。
足がくずおれた。無理に立たされるかと思ったが、引く手はそれをせずに立ち止まった。立ち止まって、俺を上から見下ろしている。
「・・・どこへ行くんだ」
返事がないことを知りつつ俺はそう問うた。方向感覚が狂っている。今自分が森のどの辺りにいるのか、全く分からなかった。
森の木々に問うても、答えは何も返ってこない。返ってきているのかもしれないが、それを受け止めるだけの心の余裕がない。
今俺にできることは、恐怖と混乱と無理な行軍で上がった息と心臓をなんとか正常に戻す努力をすることぐらいだった。
応えない相手・・・ おそらく侵入者Xの息は乱れていない。もともと森を歩くことに慣れているのか。
そうして、この人物が侵入者Xならば、ヒューゴはどうなったのか。あの爆発に巻き込まれたのか。だとしたらもう。
ようやく少し息が落ち着いてきた。と同時に、森の中を風が通っていることに気づいた。
籠るような熱気を押し流していくように、涼やかな風が木々の葉を揺らしている。
過呼吸のようになっていた俺の息がまともに吐き出されはじめ、弛緩していた腕が緩く引かれた。またどこへとも知れず歩かされるのだ。
ノロノロと重たい足を動かして立ち上がろうとするが、うまくいかない。
「・・・歩けない」
「・・・」
「本当に。歩けない」
掴む腕に力が入る。
無理矢理立たされる、と思った瞬間、俺の腕を掴んでいた侵入者Xの手が離れた。同時に、少し離れた所で、どさり と質量のある物が落ちる音がした。重なるような、低いうめき声。
何があったのか。呆然とする俺の耳が、がさがさと下草を踏みしめて駆けてくる足音を捉えた。
「アシル!!」
ヒューゴが俺を呼ぶ声。ほとんど間を開けず、ふわりと起こった風ごと、へたり込んだ体を抱きしめられた。
「良かった、無事で・・・」
涙が混じったヒューゴの声が耳元でする。実際、思わず掴んだヒューゴの腕は震えていた。
生きていたのか。だとしたら、今吹き飛ばされたのは。
助かったのか。半信半疑のままそっと触れたヒューゴの髪は、どこか触りなれた感触がした。
言いかけたヒューゴが黙った。沈黙が重くのしかかる。続きを促すべきかと迷う俺の耳が、何かの音を捉えた。
パキ、という、小枝が踏まれるような音。頬に当てられていたヒューゴの手が離れる。
「・・・ここで待っていてください。少し、様子が変です」
言うなり、止める間もなく枯葉を踏む音が遠ざかっていく。
俺はつられるように立ち上がり、ヒューゴが駆けて行ったと思われる方に体を向けた。
ヒューゴが言ったことが全て事実だとして、俺に何を求めているというのか。逆上した街人達を父親の元に導く役目を果たしたことへの贖罪か。だとしても、俺にできることなどたかが知れている。
知れているが、もしも本当にヒューゴが侵入者Xなのだとしたら、その要求はもう明らかだ。ヒューゴは俺に会うつもりだったと言った。好きだとも。ヒューゴは俺を好きにすることを望んでいる。
俺は唇を噛み、目をきつく閉じた。その瞬間に、それは来た。
ドォン! という重い爆発音が上がったのは、まさにヒューゴが駆けて行ったと思われる方向からだった。空を鳥たちが一斉に飛び立つ羽音が覆い、大地を獣たちのヒステリックな叫び声が包む。地面が揺れ、俺は尻もちをついた。
続く爆発音。先ほどよりは小さい。誰かが、誰かと争っている。一体誰が。ヒューゴなのか。
逃げ惑う獣が、俺の横をかすめていく。俺は動けない。森が焦げる不穏な匂いがする。
刃物が打ち合わされる音。ヒューゴは剣のようなものなど持っていない。いや、本当は持っていたのか。それすら俺には分からない。
混乱の中、やがて音は止んだ。
爆発が収まると、森の中はたちまち静寂に包まれた。今しがた寝床を追い出された生き物たちが、木の陰から息をひそめて様子を伺っている。
俺は地面に両手をついたまま目を閉じ、音を拾うことだけに集中した。
無音。その中に、かすかな音が混じり始めた。あれは足音か。枯葉と枯れ木を踏みしめる、規則正しい足音。
それは遠く近く、反響するように、籠るように、だんだんと近づいてくる。
「ヒューゴ」
沈黙に耐えきれずに、俺は名前を呼んだ。
返事がない。
なぜ返事をしない?
「ヒューゴ」
どさり。
すぐ傍で、何か重たいものが転がるような音がした。なぜかその音を聞いて、ヒューゴが初めて小屋にやって来た時に聞いた音を思い出した。ゴトリ、という、何か重たい物が床に置かれたような音。何の音かと聞いた俺に、ヒューゴは何のことだ?と言ってとぼけた。そんな音はしなかったと。
なぜ今そんなことを思い出したのだろうか?
暗闇から不意に伸びてきた腕が、俺の腕を掴んだ。引き上げられる。
「離せ。なぜ返事をしない?誰なんだ。ヒューゴは?」
掴まれた腕が引っ張られる。どこかへ置いたままの荷物。気にしている余裕がない。
「ヒューゴ!」
心臓が引き絞られるように痛み、俺はそれを吐き出すように叫んでいた。腕を引く力は強く、覚束ない足が木の根にとられる。息はすぐに上がり、耳元で、聞こえるはずのない自分の鼓動が激しく脈打っている。
足がくずおれた。無理に立たされるかと思ったが、引く手はそれをせずに立ち止まった。立ち止まって、俺を上から見下ろしている。
「・・・どこへ行くんだ」
返事がないことを知りつつ俺はそう問うた。方向感覚が狂っている。今自分が森のどの辺りにいるのか、全く分からなかった。
森の木々に問うても、答えは何も返ってこない。返ってきているのかもしれないが、それを受け止めるだけの心の余裕がない。
今俺にできることは、恐怖と混乱と無理な行軍で上がった息と心臓をなんとか正常に戻す努力をすることぐらいだった。
応えない相手・・・ おそらく侵入者Xの息は乱れていない。もともと森を歩くことに慣れているのか。
そうして、この人物が侵入者Xならば、ヒューゴはどうなったのか。あの爆発に巻き込まれたのか。だとしたらもう。
ようやく少し息が落ち着いてきた。と同時に、森の中を風が通っていることに気づいた。
籠るような熱気を押し流していくように、涼やかな風が木々の葉を揺らしている。
過呼吸のようになっていた俺の息がまともに吐き出されはじめ、弛緩していた腕が緩く引かれた。またどこへとも知れず歩かされるのだ。
ノロノロと重たい足を動かして立ち上がろうとするが、うまくいかない。
「・・・歩けない」
「・・・」
「本当に。歩けない」
掴む腕に力が入る。
無理矢理立たされる、と思った瞬間、俺の腕を掴んでいた侵入者Xの手が離れた。同時に、少し離れた所で、どさり と質量のある物が落ちる音がした。重なるような、低いうめき声。
何があったのか。呆然とする俺の耳が、がさがさと下草を踏みしめて駆けてくる足音を捉えた。
「アシル!!」
ヒューゴが俺を呼ぶ声。ほとんど間を開けず、ふわりと起こった風ごと、へたり込んだ体を抱きしめられた。
「良かった、無事で・・・」
涙が混じったヒューゴの声が耳元でする。実際、思わず掴んだヒューゴの腕は震えていた。
生きていたのか。だとしたら、今吹き飛ばされたのは。
助かったのか。半信半疑のままそっと触れたヒューゴの髪は、どこか触りなれた感触がした。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
72
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる