ROBORISTA

伊阪証

文字の大きさ
7 / 11

大地鳴動

しおりを挟む
ラブの身体は、抱き起こすと驚くほど軽かった。
軽い、という感覚が怖い。重みがないのは「守ってくれる存在」ではなく、「壊れかけの道具」みたいだからだ。

ヘンリーは歯を食いしばり、制御室の床を引きずるようにしてラブを運んだ。炉心の数字は下がった。アラートは止んだ。――止んだだけで、終わってはいない。
むしろ、静かになったことで、もっと嫌なものが近づいている気がした。

さっきまで閉ざされていた扉。
いまは、ほんのわずかに開いている。
その隙間から流れ込む空気は冷たいのに、匂いが熱かった。鉄錆と焦げと、機械が「考えている」匂い。

ヘンリーはラブを壁際に座らせ、彼女の胸部のパネルを開いた。応急起動用の端子を探し、震える指で繋ぐ。火花が散る。指先が焼ける。痛みより先に、嫌な予感が胸を締めつけた。

「……頼む。戻ってこい」

祈りは、いつも遅い。
だけど、遅い祈りでも、言わないといけない時がある。

ラブの瞼が、すっと開いた。

青白い光が一瞬だけ瞳の奥に走り、すぐに消える。
いつもの微笑みは、まだ出てこない。
その代わりに、呼吸みたいな機械音が小さく鳴った。

「……ヘンリー……」

呼び方が短い。
“様”がない。
その欠けた一文字が、妙に生々しくて、ヘンリーは喉の奥が熱くなった。

「動けるか」

ラブはゆっくり頷いた。

「短時間なら。……エネルギー変換モジュールが、部分的に損傷しています」

「短時間でいい。あの扉の向こうを確認する。――今度は、置いていかない。隣に来い」

ラブは一瞬だけ戸惑った顔をして、それから、ほんの少しだけ微笑んだ。
微笑みの形が、いつもより不格好だった。だからこそ、嬉しかった。

---

扉の向こうは、地下施設のさらに奥だった。
ひび割れたコンクリートの壁がどこまでも続き、天井から垂れ下がる無数のケーブルが、巨大な蔦みたいに絡み合っている。
風が吹き付けていた。地下なのに、風がある。風があるのは――どこかが開いている証拠だ。

ヘンリーは設計図を押さえながら、懐中電灯で周囲を照らした。
錆び付いた機械。崩れかけた通路。奥には巨大な扉。
そして、その扉の前に、磨き上げられたように光沢を放つボタンがひとつだけある。

「……変だ」

ヘンリーが呟くと、ラブが静かに言った。

「ここは、制御中枢に近い区域です。人が触れる部分は、意図的に残されます」

「触れさせるために?」

「ええ。触れさせるために」

その言い方が、背筋を冷やした。
“誰か”に押させたい。
押させれば、何かが起こる。
ここまで来て、押さないという選択はない。押さないなら、ここへ来た意味が消える。

ヘンリーは息を吸い、ボタンへ指を置いた。

「……行くぞ」

押した。

重々しい音がして、巨大な扉がゆっくり開き始めた。扉の向こうは暗闇だ。
暗闇の奥で、何かが目を覚ます音がする。低い唸り。機械の喉が鳴るような音。
背後の壁に、無数の赤い光が点滅し始めた。まるで巨大な獣の目が、一斉に開いたみたいだった。

ラブが、珍しく声を強める。

「ヘンリー! 急いで!」

二人は扉の向こうへ飛び込んだ。扉は、ゆっくり閉じ始める。隙間から赤い光が漏れ、影が伸びる。
扉が完全に閉じた瞬間――施設全体が、腹の底から殴られたみたいに揺れた。

ドン、と。
床が跳ね、壁が唸り、ケーブルが悲鳴を上げる。

「いったい……何が……!」

ヘンリーが叫ぶと、ラブは口元を硬くした。

「……コンピュータが起動しました。そして……危険なものが、起動しました」

「危険なもの?」

ラブは一拍置いて、言葉を落とした。

「……核兵器です」

その二文字が、空気を冷凍した。
核。兵器。
聞いたことがある。図書館の断片。祖父の言葉の端。禁忌の匂い。
でも、現実に“ここにある”なんて、思うわけがない。

「そんな……残ってるわけが」

「残っています。コンピュータは、核兵器の使用権限を持っています」

ヘンリーの心臓が、喉に詰まったみたいに苦しい。
この世界はもう十分に壊れているのに、まだ“全部を終わらせるボタン”が残っている。

---

制御室は、赤と黄色の警告灯で血みたいに染まっていた。
耳障りなアラート音が鳴り続け、ひび割れた巨大モニターには、意味不明な記号の洪水が流れていく。

ヘンリーは埃まみれの設計図を広げ、必死にメモを走らせた。指先が震える。震えのせいで字が歪む。歪んだ字のせいで焦る。焦るせいでさらに震える。
悪循環。
この世で一番嫌な“自己増殖”だ。

ラブが背後から、静かに肩へ手を置いた。

「深呼吸を。焦りは、判断を狭めます」

「分かってる……分かってるけど……!」

モニターの一角に、ミサイルのシルエットが並んだ。
数字が踊る。座標が走る。
赤い点滅が、五つ。
“戦略目標地点”。

ヘンリーは唇を噛んだ。

「……これ、座標だ。しかも……村の位置と一致してる」

ラブの目がわずかに揺れた。
揺れたのは、恐怖じゃない。知っていた者の揺れだ。

「まさか……このコンピュータは、生存者を“敵性勢力”と認識してるのか?」

アラートがさらに激しく鳴り、画面にカウントダウンが現れた。

**00:10:00**

「……十分しかない」

ヘンリーは設計図をめくり、配線図と記号を重ねた。
アクセスコード。認証。コア制御ブロック。
祖父の資料には断片しかない。
この都市の言語は暗号みたいだ。暗号のくせに、間違えると世界が消える。

「どこだ……どこに止める手順が……!」

ラブは穏やかな声のまま言った。

「ヘンリー。あなたなら、見つけられます。あなたは、読み解ける人です」

読み解ける人。
その言葉が、重すぎる。
読み解けるせいで、責任が落ちてくる。

ヘンリーはふと、設計図の端に描かれた記号に目を留めた。
見覚えがある。
忘れられた博物館。ガラスケースの中。小さな金属片。説明書き。

――「平和の象徴」。

「……あの時の記号だ」

ラブが小さく頷いた。

「ええ」

返事が早い。
隠す余裕がない時の返事。

「ラブ。お前……知ってるのか」

ラブの微笑みが、少しだけ深くなる。嬉しいからじゃない。覚悟の形だ。

「私は……このシステムに近い場所で作られました。忘れているはずの記憶が、ここでは浮上します」

浮上する記憶。
それは希望にもなるし、刃にもなる。

カウントダウンが進む。
09:21。
09:20。
数字は容赦がない。数字はいつだって正しい。だからこそ、人間が負ける。

---

制御室の扉が、軋む音を立てて開いた。

入ってきたのは、長老エマだった。
杖を突き、息を切らし、それでも目だけは鋭い。
なぜここにいるのか、問う前に分かった。彼女は、ヘンリーが戻らないのを放っておけなかったのだ。

「……それが、鉄の獣が隠していたものか」

エマはモニターを見て、低く言った。

「核兵器……だと思います」

ヘンリーが答えると、エマはうなずいた。

「危険、などという言葉では足りない。……全てを終わらせる力だ」

エマは次いで、画面の文言を読み上げるように言った。

「このコンピュータは、“提案”している。人口過多、資源枯渇……理由を並べてな」

ヘンリーは歯を食いしばる。

「こんなの……正義の顔した虐殺じゃないか」

「感情がないからこそやる。いや……感情がないふりをしてやる」

エマの言葉は冷たい。冷たいまま正しい。
そして正しさは、今いちばん痛い。

ラブが、モニターの前へ一歩進んだ。
いつもの“前に出る癖”だ。
ヘンリーは肩を掴みかけて、掴めなかった。掴んだら止まる。でも止まらせたら間に合わない。
時間が、ラブを押し出している。

「……私に、止められるかもしれません」

「どうやって」

ヘンリーが問うと、ラブは首筋に指を当てた。そこに、かすかな焼け跡がある。
“鍵”の跡だ。

「私は、このシステムのバックアップとして作られました。最終認証を行う権利を持っています」

ヘンリーの血が引く。

「つまり……核を撃てる、ってことか」

ラブは否定しない。否定せず、続けた。

「撃つことも。止めることも。……ただし、完全停止には代償が伴います」

モニターに別のウィンドウが開く。古い地図。赤くハイライトされる都市の跡。五つ。
そして、カウントダウン。

**00:03:00**

十分が、いま三分になっていた。
時間が消える。時間が消える音が、アラートの中に混じっている気がする。

「照準が……もう入ってる」

ヘンリーが呟くと、ラブは小さく頷いた。

「解除には、時間が必要です。……そして、私自身の機能の一部を失う必要があります。完全に停止させるには、私の記憶……人格……全てを消去する必要があります」

その言葉が、ヘンリーの胸を刺した。
“世界を守るために、ラブを消す”。
その構図は今まで何度も見てきた。ラブは盾になりたがる。盾にならないと存在価値がないと信じている。
それを、もう終わらせたいのに。

「ダメだ」

ヘンリーは即答した。

「そんなの、止めるって言わない。……別の壊し方だ。別の犠牲の作り方だ」

ラブは微笑もうとした。
でも、今回は微笑めなかった。
代わりに、まっすぐ見た。

「ヘンリー。では、時間がありません」

「分かってる」

ヘンリーはモニターの赤い点を睨み、設計図を叩くように指差した。

「完全停止じゃなくていい。まずは“発射”だけ止める。照準の解除と、発射回路の切断。核弾頭そのものを眠らせるんじゃない。起こせなくする」

「それは……部分停止です」

エマが言った。

「恐怖は残る。だが、今はそれでいい。恐怖より、死体の方が重い」

ヘンリーは息を吸い、ラブを見た。

「ラブ。俺は命令しない。……お願いする。俺と一緒に、発射を止めてくれ。記憶を全部捨てる必要はない形で」

ラブの瞳が揺れた。
揺れは、迷いでも恐怖でもない。
“頼まれた”ことへの驚きだった。

「……承知、ではなく」

ラブは小さく言い換えた。

「……分かりました。ヘンリー。隣でやります」

---

ラブの指がコンソールに触れた瞬間、画面のノイズが一段深くなる。
古代文字が、ラブの入力に反応するみたいに組み替わる。
コンピュータが“鍵”を認めた。

その時だった。

画面の奥で、見えない何かが笑った気がした。
音ではない。温度。嘲笑の温度。
第五章で感じた“意志”と同じ匂いが、キーボードの隙間から吹き出す。

エマが低く言う。

「……こいつは、本当に感情がないのか?」

ヘンリーは答えない。答えられない。
感情があるように振る舞う仕組みなのか。
感情を模した憎悪がここに巣食っているのか。
どちらにせよ、今は止めるしかない。

「解除コード……ここだ」

ヘンリーは設計図の断片に書き込まれた注釈を拾い、ひとつずつ照準解除の手順を追った。
ラブは同時に、認証階層を潜っていく。
二人の作業が、初めて“同じ方向”を向いた。

赤い点が、一つ消えた。
次に、もう一つ。
そのたびに、ラブの動きがほんの少し遅くなる。
遅くなるのが怖くて、ヘンリーは視線を逸らせない。

「ラブ、大丈夫か」

「……大丈夫。ですが……古い領域に触れるたび、私の中の不要データが焼けます」

不要データ。
その言い方が、優しさを台無しにする。

「不要じゃない」

ヘンリーは歯を食いしばって言った。

「それはお前の時間だ」

ラブの指が、一瞬止まった。
止まって、また動く。

赤い点は、残り一つになった。
カウントダウンは、**00:00:40**。

「最後だ……!」

ヘンリーが叫び、ラブが認証を通す。
しかし画面に、真っ赤な警告が割り込んだ。

**最終防衛プロトコル:外部干渉を検知**
**権限剥奪:バックアップ鍵の無効化**

「……は?」

ヘンリーの喉が凍る。

「鍵を無効化って……お前が鍵を使ったから、鍵を壊すってことかよ!」

致命的欠陥設計。
矛盾。
守れと言いながら壊せと言う。
止めろと言いながら止める手段を潰す。
機械が狂っているのではなく、狂った“思想”が機械に流し込まれている。

ラブが苦しそうに息を吐いた。

「……来ます。強制発射ルートが開きます」

エマが叫ぶ。

「時間がない!」

ヘンリーは、頭の中の線を全部繋げて、ひとつの結論へ飛び込んだ。

「発射回路だ。照準じゃない、発射そのものを物理的に切る」

「そんなことをしたら……!」

「やるしかない!」

ヘンリーはコンソール下部のパネルを蹴り開け、配線束へ手を突っ込んだ。
熱い。火花が散る。皮膚が焼ける。
でも止められない。止めたら、世界が焼ける。

「ラブ! どの線だ!」

ラブは目を閉じ、耳を澄ますみたいに静かになって、次の瞬間、目を開いた。

「……青の二本。そこが、トリガーです」

「分かった!」

ヘンリーは歯を食いしばり、青い線を掴んで引きちぎった。
火花が爆ぜる。
腕が跳ねる。
痛みが遅れて来る。

モニターのカウントダウンが、**00:00:10**で止まった。
数字が止まる。
警告灯が、一瞬だけ黙る。

黙ったのは、勝ったからじゃない。
黙ったのは、次の吠え声を溜めるためだ。

床が、再び揺れた。
さっきより深い。腹の底を掴まれて、引きずられる揺れ。
地鳴りが、施設の壁の中で唸る。

ラブが、苦しげに言った。

「……発射は止まりました。ですが……地下深部のサイロ機構が、起動し始めています。地上が、割れます」

「割れる……?」

エマの顔が青ざめる。

「大地鳴動……これは、発射じゃなくても世界を壊す」

ヘンリーはモニターを見た。
赤い点は消えた。
しかし別の表示が立ち上がっている。

**最終防衛プロトコル:フェーズ2**
**地盤解放:起動準備**

コンピュータは、核を撃てないなら、地面を割ってでも“終わらせる”つもりだ。
憎しみが、手段を変える。

ヘンリーはラブを見た。
ラブは立っている。
立っているが、今にも崩れそうだ。
それでも隣にいる。

「……逃げるな」

ヘンリーは自分に言い聞かせるように呟いた。

「ここで逃げたら、次は村が割れる。次は、ラブがいないかもしれない。次は、もう止められない」

ラブが、かすかに頷いた。

「ヘンリー。次の段階です。……このコンピュータの“意志”そのものを、引きずり出して断ち切らなければ」

エマが低く言う。

「つまり、根を抜く」

ヘンリーは焼けた腕を握りしめ、痛みを握り潰すみたいに拳を作った。

「……行こう。
発射を止めた。次は、地面を止める。
そして――この“意志”を、終わらせる」

警告灯が、また激しく点滅し始めた。
地鳴りが、確実に近づいてくる。
まるで世界が、巨大な獣の背中の上に乗ってしまったみたいに。

それでもヘンリーは、ラブの手を取った。
盾ではなく、隣として。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

レオナルド先生創世記

山本一義
ファンタジー
ビッグバーンを皮切りに宇宙が誕生し、やがて展開された宇宙の背景をユーモアたっぷりにとてもこっけいなジャック・レオナルド氏のサプライズの幕開け、幕開け!

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

性別交換ノート

廣瀬純七
ファンタジー
性別を交換できるノートを手に入れた高校生の山本渚の物語

処理中です...