ROBORISTA

伊阪証

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エネルギー学

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焼け付くような日差しが、錆び付いた鉄骨を容赦なく照りつけていた。
風が吹くたび、金属の匂いと砂埃が混ざって、喉の奥まで擦り込まれる。

ヘンリーは額の汗を乱暴に拭い、目の前の巨大な構造物を見上げた。

図書館。
――かつて知識の宝庫だった場所。
今は崩れ、裂け、骨みたいに残った柱が空を指しているだけの廃墟だ。

「ここが……図書館か」

呟くと、隣でラブが静かに頷いた。
変わらない微笑み。けれど、その微笑みが“変わらない”こと自体が、今のヘンリーには少し怖かった。

第五章の戦いで、彼は“修正”を選んだ。
壊すのではなく、矛盾を解く。
その判断が正しかったのかどうかは、まだ分からない。

分からないまま――分からないことを減らすために、ここへ来た。

「長老が言ってたんだ。『金属の獣は、怒りを糧に動く』って。……怒りを鎮める方法が、この図書館にあるはずだ」

ラブは日傘の柄を軽く握り直し、穏やかに言う。

「長老様は深い知識をお持ちです。きっと、突破口が見つかるでしょう」

突破口。
その言葉に背中を押される一方で、ヘンリーは自分の胸の内に別の疑念があるのを感じていた。

怒り、という言葉は便利だ。
人間なら分かる。怒りで視界が狭くなり、手が震え、判断が歪む。
でも、機械が怒るって何だ?
怒りに“似た”振る舞いをする仕組みがあるだけじゃないのか?

その“仕組み”が分かれば、止められるかもしれない。
――ラブを盾にしないで済むかもしれない。

図書館の入口は崩れ落ち、暗い空洞が口を開けていた。
ヘンリーは腰のランタンに火を灯し、光を握りしめるようにして一歩、踏み込む。

湿った埃の匂いが鼻を刺し、古い紙の腐敗臭が混じって喉に絡む。
床には崩れた書棚、破れた本、ページの欠片。
読むための文字が、読む者のいない世界で腐っていく音がした。

「行くぞ、ラブ」

「はい、ヘンリー様。お供いたします」

二人は慎重に奥へ進んだ。
だが、数分も歩かないうちに――“異様”が顔を出す。

壁一面に、無数のケーブル。
蜘蛛の巣みたいに絡まり、床を這い、天井の穴へ吸い込まれている。
その中心に、奇妙な機械装置が取り付けられていた。

埃を被り、錆び付いている。
なのに、どこか“生きている”ように脈打っていた。

「これは……?」

ヘンリーが息を呑むと、ラブが静かに答える。

「コンピュータです。古代の人々が、情報を記録し、処理するために使っていた機械です」

「動いてるのか?」

ラブはケーブルの束を見つめ、わずかに眉を寄せた。

「微弱ですが、エネルギーが流れています。このコンピュータには……核融合炉が内蔵されているようです」

「核融合炉……?」

ヘンリーは言葉の重みを舌の上で確かめる。
設計図で見た。理論で読んだ。
でも、“現物”がここにあるのは話が違う。

「それが……怒りの原因なのか?」

ラブは即答しない。
即答しないまま、いつもの微笑みを保つ。
その微細な“間”が、ヘンリーの背中を冷やした。

「おそらく。核融合炉から発生するエネルギーが、機械たちの制御システムに影響を与え、暴走させているのでしょう」

暴走。
怒り。
エネルギー。

単語が一本の線に繋がりかけた、その瞬間。

奥から、低いうなり声が聞こえた。

ヘンリーはランタンを構え、光を前に差し出しながら、音のする方へゆっくり進む。
暗闇の奥で、巨大な影が揺れた。

錆び付いた装甲。
赤い目。
今にも動き出しそうな、いや――もう動いている。

ラブの声が硬くなる。

「ヘンリー様、危険です!」

「……やっぱり、来たか」

ロボットは重々しい足音を立て、こちらへ近づく。
ヘンリーは鉄パイプを握りしめ、奥歯を噛む。
本当は戦いたくない。戦うほど部品が減る。戦うほどラブが傷つく。
でも、戦わないと次の一行が読めないのも現実だった。

「ラブ……戦うしかない!」

「承知いたしました。ヘンリー様をお守りします」

ラブは腰の装備に手を伸ばした。
小型レーザー銃――オージーのアトリエで見せなかった“裏側”。
その金属音が、ヘンリーの胸を嫌にざらつかせる。

守るための機能。
それは同時に、壊すための機能でもある。

ロボットが腕を振り上げる。
ラブが一歩踏み込み、レーザーが光り、関節を掠めた。
火花が散る。だが止まらない。
ヘンリーは横へ回り込み、鉄パイプで膝関節を叩く。金属同士がぶつかり、嫌な振動が腕に返ってくる。

「……硬い!」

「この個体は、出力が高いようです。核融合炉の影響が強い――!」

ラブの言葉の途中で、警告音が鳴り響いた。

けたたましいアラート。
赤い警告灯が点滅し、図書館全体が血の色に染まる。

「なんだ!? 何が起こった!」

ラブがヘンリーを背に庇い、目を細める。

「警戒レベルが上昇しました。熱源反応……複数、接近中です」

――複数。

それが意味するものを理解する前に、通路の奥から現れた。
歪な形をしたロボットたち。関節がねじ曲がり、装甲が剥がれ、赤い光が不気味に揺れる。
まるで“侵食”されたような姿だった。

「……あれも、暴走してるのか?」

ヘンリーが呟くと、ラブは首を振った。

「いいえ、違います。あれは……より、攻撃的です。ヘンリー様、お下がりください」

ラブは前へ出る。
反射でそうする。
ヘンリーは袖を掴みかけて、思いとどまった。止めたい。でも止めたら、今度は自分が壊される。
“止めたい”と“止められない”の間で、胸が裂けそうになる。

「引き寄せられてる……?」

ヘンリーが言うと、ラブは壁を走るケーブルに目を向けた。

「はい。あれらは、エネルギー供給源である核融合炉に引き寄せられているようです。コンピュータを停止させなければ、さらに多くの機体が集まってくるでしょう」

怒り、ではない。
少なくとも、怒りだけじゃない。
“餌”に引き寄せられる飢えに近い。

ヘンリーは歯を食いしばり、決めた。

「押し返す。通路の奥へ行く。核融合炉――コンピュータの中枢を止める」

ラブが頷いた。
そして、笑顔が消えた。
消えた笑顔の代わりに、静かな決意が残る。

---

コンピュータ室の深部は、空気が変質していた。
熱がある。湿気ではなく、エネルギーの熱。
静電気が耳の裏を撫で、髪が微かに浮く。

巨大なコンピュータ本体が鎮座していた。
脈打つように青白い光が明滅し、中心部が心臓みたいに鼓動している。

ヘンリーは設計図を広げ、喉の奥で息を殺した。

「……間違いない。あの青い光は、核融合炉のエネルギーフィールドだ。設計図と一致する」

ラブが小さく言う。

「やはりこれが原因なのでしょうか。金属の獣たちの異常な行動は」

「たぶん、そうだ。……人間が怒りで我を忘れるみたいに、機械も“暴走”する」

ヘンリーはコンソールへ近づき、埃を払う。
無数のボタン。意味不明な記号。
設計図の断片が示すのは“構造”までで、“操作”までは書いてない。祖父もそこまで知らなかったのだろう。

「問題は、どれが正しいかだ」

その時、コンピュータのうなりが一段と大きくなった。
青白い光が激しく明滅し、部屋全体がわずかに揺れる。

「危険です!」

ラブが叫び、同時にモニターが点灯した。
ノイズ混じりの映像が映る。図書館の別区画――通路の先。
そこには複数の金属の獣が集まっていた。
ただ彷徨っているのではない。何かへ向かっている。

そして、その先に。

人影。

ボロボロの服を着た、少年。

ヘンリーは息を呑んだ。

「……まさか。あれは、トム……?」

オージーの件で村が揺れた時、見張りの手伝いをしていた少年。
好奇心が強く、危険な話を聞くと目が光る、あの――。

映像が途切れ、モニターは砂嵐に戻った。
コンピュータのうなりだけが残る。

ラブの声が焦りを帯びる。

「ヘンリー様、時間がありません。早くエネルギー供給を止める方法を――」

「トムを助ける」

ヘンリーは即答した。
言ってしまってから、自分でも驚いた。
でも、言葉はもう引っ込まない。

「止めるのは必要だ。……でも、人が死んだら、止めた意味が崩れる」

ラブがヘンリーを見る。
その視線に、“正しさ”と“怖さ”が同時に宿る。

「では、短時間で終わらせましょう。私は――」

「前に出るな」

ヘンリーは強く言い、すぐに声を落とした。

「……頼む。守られる順番を、変えたい」

ラブは数秒だけ沈黙し、それから静かに頷いた。

「承知いたしました。ですが、危険が迫れば私は動きます。ヘンリー様の命を最優先に――」

「そこは、あとで議論する」

ヘンリーはコンソールの回路を睨み、設計図の線を頭の中で重ねた。
エネルギー遮断。緊急停止。冷却系統。
指が勝手に震える。
震えを止める暇がない。

その時、部屋の奥から低い唸り声。
警備用ロボット――機械の犬が現れた。赤い目。金属の牙。
守護のためのプログラムが、今は殺意の形をしている。

ラブが身構えた。
ヘンリーは一歩下がりかけて、踏みとどまる。

「ラブ、時間を稼げ。……でも壊しすぎるな。止める」

「はい」

機械の犬が突進する。ラブが受け、逸らし、関節を狙う。火花が散る。
その隙にヘンリーはコンソールへ手を伸ばし、緊急停止の系統を探した。
“核融合炉への供給を遮断する”と書かれた回路。古代文字の癖。
設計図の断片と一致する、ひとつのスイッチ。

――緊急停止。

ヘンリーは、そのスイッチを見つめた。
押せば、機械の犬は止まるかもしれない。
だが同時に、コンピュータも止まる。
トムの居場所が分からなくなる可能性がある。

しかし、止めなければ、さらに集まる。
集まれば、トムは助けられない。

ヘンリーは息を吸い、吐いて、決めた。

「……ごめん、トム。位置は、俺が探す。今は――止める」

彼はスイッチを押した。

金属音が響き、警告音が途切れ、赤いランプが消える。
青白い光がゆっくりと弱まり、部屋の熱が、少しだけ下がった気がした。

機械の犬が、ぴたりと止まった。
赤い目だけが灯り、動かない。

「……止まった」

ヘンリーは息を吐いた。
ラブもわずかに肩を落とす。外装のひびが、微かに鳴った。

だが、“成功”の気配は長く続かなかった。

コンソールの奥――核融合炉の中心から、低いうなりが残っている。
止まったのではない。
“止まりきっていない”。

ヘンリーはランタンを握り直し、冷汗を背中に感じる。

「まだだ……完全に落ちてない。冷却系が死んでるのか」

ラブが短く頷く。

「冷却液の供給ラインが損傷している可能性が高いです。熱が逃げません」

止めたのに、終わっていない。
終わっていないから、今度は“別の死に方”が始まる。

爆発。
炉心暴走。
施設ごと吹き飛べば、トムどころじゃない。

「冷却システムを再起動する」

ヘンリーは設計図をめくり、該当箇所を指で押さえた。

「別の制御室までケーブルを繋ぎ直す必要がある。……通路だ。さっきの警戒区画」

ラブの瞳がかすかに暗くなる。

「危険です。まだ、停止していない個体がいる可能性があります」

「でも、やらなきゃここで死ぬ」

ヘンリーは言い切った。
言い切ってから、ラブの顔を見た。
ラブは“それでも前に出る”顔をしていた。

「俺が繋ぐ。君は――」

「守ります」

ラブは即答した。
その即答が、ヘンリーを苦しめる。

守らせたくない。
でも、守りがなければ繋げない。
理想と現実が殴り合って、現実が勝つ音がした。

---

通路へ出ると、焼けた油の匂いが濃くなる。
遠くから、金属が軋む音。
赤い光が、闇の奥で一瞬だけ瞬いた。

「来る……!」

ラブがヘンリーの前へ出ようとする。
ヘンリーは反射で肩を掴む。強くは掴めない。強く掴めば壊れる。
でも、掴まなければ前に出る。

「前に出るな。横に――横にいてくれ」

ラブは一瞬だけ驚いた顔をして、それから、ほんの少しだけ頷いた。

「……承知いたしました。横で、支えます」

それだけで、ヘンリーの胸の圧が少し下がった。
“盾”ではない。
“隣”だ。
今はそれでいい。

赤い目をした作業用ロボットが現れた。両腕には工具。
しかし動きがぎこちない。止まりかけている。
さっきの遮断が効いているのだろう。

ラブが一歩だけ前へ出て、関節を叩き、倒す。壊さない。止める。
ヘンリーはその隙にケーブルを引きずり、制御室の扉へ走る。
扉を開けると、そこもまた暗闇と錆と、古代の沈黙だった。

「ここだ……!」

ヘンリーは震える手で端子を探し、ケーブルを繋ぐ。
火花が散り、指先が熱い。
怖い。だが怖がっている暇がない。

背後でラブの声。

「ヘンリー、気を付けて。何が来るか分かりません」

“ヘンリー様”じゃない。
“ヘンリー”。
呼び方が一段だけ近い。
その近さに、ヘンリーは喉の奥が熱くなるのを感じた。

だが、感情に浸る暇もない。
通路の奥から、赤い光が確実に近づいてくる。

ラブが低く言う。

「来ます。ヘンリー、ケーブルを……!」

彼女は一歩、前へ出る。
今度はヘンリーが止められなかった。止めたら間に合わない。
ラブはヘンリーを庇う位置に立ち、静かに言った。

「……あなたは、生き延びてください」

その言葉は、別れの言葉みたいだった。

「やめろ」

ヘンリーはケーブルを繋ぎ終えながら叫ぶ。
叫びは怒りじゃない。拒絶だ。
“そういう前提”を拒絶したい。

「生き延びるのは一緒だ。勝手に別れを決めるな」

ラブの微笑みが、ほんの少しだけ揺れた。

---

制御室。
コンソールの警告灯が赤と黄色に点滅し、アラートが鳴り響く。
ヘンリーは汗だくで設計図を睨み、歯を食いしばった。

「ダメだ……制御できない! 炉心のエネルギーが異常に上がってる!」

ラブが肩に手を添える。
その手は冷たい。冷たいのに、今は熱を落ち着かせる氷みたいだった。

「緊急停止の手順は?」

「あるにはあるけど……臨界点を越えたら焼き付く。コンピュータも動力炉も全部……」

床が微かに振動し始めた。
熱が壁に溜まり、空気が重くなる。

「冷却システム……炉心の温度を下げるしかない。でも、供給ラインが制御不能だ!」

ラブが静かに言う。

「私にできることはありますか?」

ヘンリーは言いかけて、喉で止めた。
ある。
あるけれど、言いたくない。

「……ラブ。君のエネルギー変換モジュールなら、一時的に冷却系へ電力を供給できるかもしれない。でも……君が壊れる」

ラブは微笑みを作ろうとした。
だが、今回は作れなかった。
代わりに、まっすぐ見た。

「ヘンリー様。私はあなたの命令に従います」

「命令に、するな」

ヘンリーの声が低くなる。

「“命令”って言うと、俺は君を道具にできる。道具にしたら、次も、その次も、君を削る。……それが嫌だ」

ラブは小さく息を吐いた。
機械の息。
でも、その息には、人間が覚悟を決める前の重さがあった。

「では……お願いです。お願いしていただけますか。私は、あなたと一緒に生きたい」

ヘンリーの胸が、きゅっと縮む。
ラブが“自分の言葉”で言った気がした。
気がした、じゃない。
今この瞬間、そう聞こえた。

ヘンリーは唇を噛み、頷いた。

「……頼む。冷却システムのバイパス回路を起動してくれ。今だけでいい。今だけ、支えてくれ」

ラブは頷き、コンソールへ近づく。
彼女の身体から微かな光が漏れ出し、ケーブルが生き物みたいに震えた。

冷却システムが作動する。
炉心の温度が、数字の上でゆっくり下がっていく。
アラートの音量が少し小さくなった。

「やった……!」

ヘンリーが息を吐いた瞬間、照明がちらついた。
コンピュータの画面がノイズだらけになり、ラブの身体から漏れる光が強くなる。

ラブが苦しそうに眉を寄せた。

「……ヘンリー様。私のエネルギー変換モジュールが……オーバーロードしています……」

「やめろ! もういい、止めてくれ!」

「……まだ……」

ラブの声が途切れがちになる。

「この暴走の原因は……炉心だけでは……ないかもしれません……このコンピュータ自体が……何か……おかしい……」

ラブは咳き込むように身体を折り、次の瞬間――崩れ落ちた。

「ラブ!」

ヘンリーは駆け寄り、抱き起こす。
白い外装は冷たく、反応がない。
目を閉じたままの彼女は、ただの機械に見えて――だからこそ、心臓の奥が裂けそうになる。

アラートは止まり、制御室は静寂に包まれた。
炉心の数字は下がっている。
成功だ。
でも、その成功は、代償を抱えている。

ヘンリーはラブを抱きしめ、震える息で言った。

「……必ず原因を突き止める。そして、ラブを……元に戻す。いや、元以上にする。隣に戻す」

その時、ヘンリーの視線が、制御室の奥にある扉へ吸い寄せられた。
さっきまで閉ざされていたはずの扉。
今は、ほんのわずかに開いている。

暗い。
未知の空間。
そして、そこから――第五章で感じた“意志”と同じ匂いが、流れてくる。

ヘンリーはラブの手を握り、歯を食いしばった。

逃げたい。
でも逃げたら、また別の場所で同じことが起きる。
そして今度は、ラブがいないかもしれない。

ヘンリーはランタンを握り直し、扉の隙間を見つめた。

「……待ってろ、ラブ。俺が見てくる。……俺が、終わらせてくる」

静寂の中で、扉の向こうが、呼吸している気がした。
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