近親婚と異世界スラム

伊阪証

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呪詛返し

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朝の空気はまだ焦げ臭かった。燻るような匂いが、破壊された街の隅々にまで染み付いている。瓦礫の山の間から、妹が心配そうな声で言った。
「……お兄ちゃん、それ、また出てる」
その声に、兄は億劫そうに自身の腕を見下ろした。肘から手首にかけて、皮膚の下に不気味な黒い筋が幾本も浮かび上がっている。昨夜受けた呪詛の、忌まわしい残り滓だ。
「別に痛くはない」
ぶっきらぼうな答えに、妹は眉をひそめた。
「痛くないのが異常なの。普通ならとっくに壊死してる。それ、多分“呪詛返し”だよ」
兄は顔をしかめた。聞き慣れない言葉だった。
「何だ、それ」
「受けた呪いをそのまま術者に押し返すっていう防御反応。本来は高度な術式か、専用の道具を使ってやることなの。自分の体だけでやるなんて、聞いたことない」
妹は兄の腕をそっと取った。黒い筋が走る部分を、ためらうように指で軽く押す。すると、皮膚の下で確かな熱が脈打つように動くのが感じられた。
「やっぱり。これは拒絶反応じゃない。呪いを一度体に取り込んで、再構成して外に押し戻してる」
「そんなことしてるつもりはない」
「無意識でも、体がやってるの。だからお兄ちゃんは生きてる。普通の人なら、あんな呪いを浴びたら一回で終わりだよ」
妹が手を離すと、兄の腕を這っていた黒い筋は、まるで陽光に溶ける影のようにゆっくりと薄くなっていく。それを見届け、妹は続けた。
「それが、お兄ちゃんの持って生まれた魔術。呪詛返し」
兄は短く息を吐いた。その横顔には安堵も喜びもない。
「魔術って言われてもな」
「便利ではあると思う。攻撃を受けても、ただ耐えるだけじゃ済まないんだから。でも、全く制御できないなら、それは危ない爆弾を抱えてるのと同じだよ」
兄は返事をしなかった。腕の黒い筋が完全に消え去ったのを確認し、妹はほんの少しだけ、張り詰めていた表情を和らげた。

朝の空気はまだ焦げ臭かった。二人は再び歩き始める。兄が黙ったまま足元の瓦礫を踏むと、ジャリ、と乾いた音が響いた。手のひらにこびりついた乾いた血が、ざらりと不快な感触を伝える。やがて、妹が重い口を開いた。
「お兄ちゃん、この国じゃ近親婚が見つかったら死刑なんだよ」
兄はぴたりと足を止め、しかし振り返りもしない。しばらくの沈黙の後、短く吐き出すように言った。
「そうか」
「ここは少し違うの。法律っていうより、呪詛の判定が直接世界に作用する。誰かが私たちのことを“近親”だって認定した瞬間、その関係の社会的禁忌の重さに応じて、呪いの強さが自動的に決まる。そして、近親は最上位の禁忌。つまり、露見することは死刑判定を受けるのと同じ意味になる」
兄はゆっくりと振り返り、その目に宿る光は静かだった。
「呪いの強さっていうのは……具体的には、どういうことだ?」
「簡単に言うと、社会的に“重い罪”だと認められた行為ほど、強力な魔力を生み出すための触媒に使えるってこと。軽い違反なら小さな火力、重い違反は都市を吹き飛ばすような大きな爆発。近親の禁忌は、その中でも一番大きいエネルギーを生む。だから、命を賭ける覚悟さえあれば、魔術の出力が桁違いに強くなる。露見して処罰されるリスクを逆手に取って、意図的にその覚悟を示すと、莫大な力が手に入る仕組み」
兄の顔は石のように動かなかった。ただ、その呼吸がわずかに浅くなっている。服の擦れる小さな音が、やけに大きく聞こえた。
「それでお前が罰を受けるって話か」
「うん。この国では、私たちみたいな外部の人間は希少価値があって珍重される。でも、その分だけ監視も厳しい。関係が露見すれば、即座に“呪詛判定”で殺される。だから私たちは、誰よりも狙われやすい立場にいる」
兄は目を細め、黙って足元の瓦礫を一つ、力任せにどかした。手に力が入ると、古い傷口が鈍く痛んで、じわりと赤が滲んだ。
「驚く余裕なんかないよ。驚いている時間があるなら、水と食料を確保する方が先だ」
「そういう話じゃないの。聞いて、重要なのはここから」
妹は深く息を吸い、言葉を区切った。
「もし、万が一、私たちが“他人”の目の前で、兄妹としてではない関係を選んだとしたら……それは、この国で命を賭けた覚悟を示したことになる。呪詛の数値は限界まで跳ね上がって、魔術的には“最強”の存在になれる。でも、その代償は即死。露見と同時に即処刑がセットになってるから」
兄はゆっくりと立ち上がり、妹をちらりと見た。その声には、深い疲労が染み付いていた。
「お前の籍を、そんな馬鹿げたもののために汚すな」
妹は俯き、小さく息を吐く。足元の瓦礫を、靴先が小さく擦った。
「分かってる。だから言ったんだよ。私たちは隠れなきゃいけないってことも、私がその覚悟をしてるってことも」
「覚悟以前の話だ。お前の人生を、外側の連中が作った理不尽なルールで測らせるな。俺がどう見られるかなんてどうでもいい。お前が“罪人”として扱われるのを、黙って見ていられるほど、俺に余裕はない」
妹は黙ってしばらく動かなかった。瓦礫の上で靴先が小さく擦れる音だけが、二人の間に続く。
「帳消しにしろって言ったのは、本気でそう思ってたからだよ」
兄は低く、押し殺すような声で続ける。
「お前を死刑の対象にするっていうなら、その前に俺が終わる。そうすれば、少なくともお前の名は汚れないだろう」
妹の肩がかすかに震えた。ゆっくりと顔を上げて、兄を見つめる。
「……帳消しにはならない。ここでは、犯した罪の“代償”だけが残る。けど、私はお兄ちゃんと一緒にいる。これは私の選択だから、私が対処するしかない」
兄は再び黙り込み、地面を指先で掘るようにして瓦礫を払った。灰が少しだけ舞い上がり、すぐに力なく沈んでいく。
「分かった。やるべきことが、一つ増えただけだ」
それは短い返事だったが、妹にとっては十分だった。彼女は静かに頷く。二人はまた歩き始める。呪詛と法律と生存の重さをその両肩に抱えて、足元の瓦礫を一歩一歩、踏みしめながら。

「……お兄ちゃん、この国じゃ近親婚は死刑なんだよ」
妹がそう切り出したとき、兄はすぐには反応しなかった。しばらく瓦礫の道を歩いてから、まるで道端の石ころについて話すような、淡々とした声で言った。
「そうか」
それだけだった。あまりに感情の乗らない声に、妹は眉をひそめた。
「“そうか”って、それだけ? 普通ならもっと驚くんじゃないの」
兄は肩をすくめた。その仕草にも感情は窺えない。
「驚いてどうする。法律が変わるわけでもないだろ」
妹は苛立ったように息を吐き出した。
「ねぇ、本当に何も感じないの? もし私が捕まって、そんなことになったらって……」
「捕まらないようにすればいいだけの話だ」
「そういう言い方、やめて」
妹の声が尖る。兄はそこで一瞬黙り、妹の真剣な表情を見て、ようやく言葉を探し始めた。
「……何かあったのか」
「は?」
「お前の様子が少し違う。誰かに何か言われたか、それとも何かされたか」
妹は力なく首を振った。
「違う。誰も何もしてない。ただ、お兄ちゃんがそんな風に何も反応しないのが、気に食わないだけ」
兄は目を細め、崩れた建物の向こうに広がる灰色の空を見上げた。
「反応したところで何が変わる。死刑になるっていう話を真に受けて怯えていたら、その時点でもう、こっちの負けだ」
「別に怯えてなんかない。……でも、そういう大事なことを、軽く流すのはやめてよ」
「だったらどうすればいい。いっそ、本当に結婚でもするか?」
その言葉に、妹は息を飲んで黙った。兄はしまったというように、すぐに顔をそらす。
「……冗談だ。お前は、一体何をそんなに気にしているんだ」
妹は視線を落としたまま、か細い声で言った。
「気にしてるのは……お兄ちゃんがもう、私のことを人間扱いしてないみたいに見えるから」
兄は答えなかった。
ただ、二人が瓦礫を踏む乾いた音だけが、静かに続いていた。

妹はむすっとした顔のまま、歩く兄の腕を指でつん、とつついた。
「……お兄ちゃんって、ほんとに鈍いよね」
「なんだよ、急に」
「別に。ただ、なんだかムカつくから」
「理不尽すぎるだろ」
妹は返事をせず、もう一度腕をつつく。その感触を確かめるように。
「……親がいないと、こうやって気兼ねなくつつけるのも楽でいいね」
その言葉に、兄の口元がほんの少しだけ緩んだ。
「そうだな。くだらないことで怒鳴られないだけマシだ」
「でもさ、今思い出すと、本当に変な家だったよね、うち」
「変どころじゃない。あいつら、夜中に突然叩き起こして説教を始めるくせに」
「しかも、その途中で自分たちが寝ちゃうんだから」
「最後まで聞かせろって言いたかったよな」
妹は肩をすくめてくすくす笑う。辛い記憶のはずなのに、今はどこか遠い物語のようだ。
「私が部屋の鍵を壊されたの、覚えてる?」
「ああ、覚えてる。理由が“家族にプライバシーなんていらない”だろ。意味が分からない」
「あと、お兄ちゃんが高校の推薦を蹴られたのって、親が勝手に学校に乗り込んで、なぜか謝ったからだよね」
兄は苦笑いを浮かべた。
「謝る方向が根本的に違うんだよな。まるで俺が何かとんでもない悪いことをしたみたいだった」
「あと、母さんが“家族会議よ”とか言って意気揚々と買ってきたのが、カップ麺三個だったこと」
「三個?」
「うん。しかも、全部自分の好きな味」
兄は一瞬黙って、次の瞬間、こらえきれずに吹き出した。
「ははっ、ほんと、どうしようもねぇな、あの人たちは」
「ね。なんで、あんな家で私たち、こんなに真面目に育っちゃったんだろうね」
「多分、諦めるのが早かったんだよ。いろんなことに」
妹は目を細めて笑う。その笑顔には、諦めと、そして愛情が滲んでいた。
「そうかもね。……でも、親がいないっていうのは、やっぱり、ちょっとだけ寂しいね」
兄はふっと空を見上げ、短く息を吐いた。
「寂しいけど、助かってる部分もある」
「そういうところ、正直だよね、お兄ちゃんは」
二人はしばらく黙って歩いた。
互いの足音と、風が通り抜けるたびに崩れた建物が軋む音だけが、世界に響いていた。
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