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牧羊犬の探し物
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朝の仕事は、奇妙な静けさの中で始まった。
パンを焼く音がしない。
鍋の蓋が鳴らない。
誰も「おはよう」と言わない。
代わりに、床を叩く軽い音があった。
とと、とと、と。
規則正しく、しかし主張のない足音。
私はそれを背中で聞きながら、食堂の窓を拭いていた。
ガラスに映る自分の顔は、昨日より少しだけ老けて見える。
疲れたわけではない。
判断を一つ、先延ばしにしている顔だ。
振り返ると、そこにいた。
ウェルシュ・コーギー。
短い脚、丸い胴、白金の毛並み。
そして――灰金の瞳。
クラリッサお嬢様は、食堂の入口で立ち止まり、一瞬だけ辺りを見回したあと、私を見た。
その目に、命令はない。
けれど、確認があった。
「……ええ。今日も帳簿ですね」
私はそう言って、椅子を引いた。
犬は一度だけ尻尾を振り、椅子の横に座る。
座り方が妙に正しい。
背筋が伸びている。
その仕草だけで、ノエルが鼻を鳴らした。
「だめ……可愛い……」
彼女は口元を押さえ、必死に視線を逸らす。
カトリーヌは腕を組み、深く息を吐いた。
「……見ないようにしても、無理ね」
無理だ。
どう見ても、可愛い。
どんなに厳格に振る舞おうとしても、
この姿は“支配者”のそれではない。
クラリッサはそれを理解していた。
だから、あえて目を細めた。
――怒っているときの癖だ。
低く唸る。
喉の奥で、短く、鋭く。
……きゅぅ。
ノエルが崩れ落ちた。
「だ、だめ……今の、絶対怒ってたのに……!」
犬は一瞬だけ動きを止め、
自分の喉を、信じられないというように見下ろした。
そして、こちらを見た。
私は、胸の奥がきしむのを感じた。
怒りが、拒絶が、命令が、すべて無効化されている。
「……お嬢様」
思わず呼ぶ。
犬は首を傾げる。
その仕草が、あまりに無防備で、
私は言葉を続けられなかった。
午前中、帳簿を広げる。
犬は机の横に座り、紙を見つめる。
指はない。
ペンも持てない。
代わりに、前脚が動いた。
とん、とん。
紙の端を叩く。
その位置が、修正箇所だった。
私は息を呑み、赤鉛筆を入れる。
正確だ。
昨日までと変わらない。
「……分かっていらっしゃるのね」
犬は誇らしげでもなく、
当然のように目を伏せた。
次の瞬間、紙を引っかく。
ばりっ。
ノエルが悲鳴を上げる。
「だ、だめだよ!それ大事なやつ!」
犬は一瞬、我に返ったように固まり、
次に――床に腹を出した。
……降伏のポーズだ。
「もう!怒れないじゃないですか!」
ノエルが駆け寄り、頭を撫でる。
犬は抵抗しない。
されるがまま、目を閉じる。
カトリーヌが、低く呟いた。
「……最悪ね」
その言葉に、私は頷いた。
これは祝福ではない。
癒しでもない。
理性を持つ者にとって、最も残酷な形の呪いだ。
何をしても、
どんな決断を下しても、
それが「可愛い」で上書きされる。
統治者としての言葉は、もう届かない。
残るのは、守られる存在という役割だけ。
昼前、屋敷の外から声がした。
巡回兵だ。
噂を嗅ぎつけている。
私は窓を閉め、背中で犬を庇った。
その瞬間、
背後で小さな体温を感じた。
ぴと、と。
脚に、頭を預けている。
……守られているのは、どちらなのだろう。
私は視線を落とす。
犬は、静かにこちらを見上げていた。
その瞳にあったのは、怒りでも悲しみでもない。
計算だった。
「……お嬢様」
その声は、震えていたかもしれない。
「この姿を、使うおつもりですね」
犬は、ゆっくりと瞬きをした。
肯定でも否定でもない。
だが、否定しなかった。
私は理解した。
クラリッサ・アルノーは、
この屈辱を、
この“可愛さ”を、
武器に変える気だ。
その覚悟を、
この小さな体で、すでに終えている。
食堂の時計が鳴った。
正午。
世界は何事もなかったように進む。
だが、私たちは知っている。
――犬になったことで、
彼女は一歩も後退していない。
その日から、屋敷は「二つの嘘」で回り始めた。
一つ目は、“お嬢様は病で伏せている”。
二つ目は、“犬はただの犬だ”。
嘘は嫌いだ。私は長く仕えて、嘘が家を腐らせるのも見てきた。けれど今は、嘘が盾になる。盾がなければ、この屋敷は外の好奇心に食い荒らされる。クラリッサお嬢様が犬になったなど、誰に話しても理解されない。理解されないものは、噂になり、噂は刃になる。刃を入れさせないために、私たちは嘘を磨き、嘘を整え、嘘を礼儀として纏った。
朝食の席に並ぶ椅子は三つで足りるようになった。公爵が亡くなり、主は部屋に籠もり、使用人の数も減った。残った者は、残る理由がある者だけだ。カトリーヌは手際よく配膳をし、ノエルは皿の縁を磨きながら目を赤くして笑おうとする。私は帳簿を広げ、火の気のない部屋の温度を読み取り、薪の配分を決める。いつも通りのはずなのに、決定的に違うものが一つだけあった。椅子の脚元に、短い胴と短い脚がちょこんと収まり、灰金の瞳がこちらを見上げている。
“犬”という名の嘘が、息をしていた。
クラリッサは食卓に近づきすぎない。近づけば、ノエルが撫でてしまうからだ。撫でれば、犬は撫でられる。撫でられれば、そこに「主」としての距離は保てない。分かっていても、ノエルの指先は勝手に動く。動いてしまった後で、彼女はいつも同じ顔をする――泣きそうな笑顔。可愛がることが、救いになると同時に、冒涜にもなると分かっているからだ。
「……ノエル」
私が名を呼ぶと、ノエルは肩を跳ねさせて手を引っ込める。引っ込めた手の先で、震えが残った。犬は何も言わずに瞬きをして、視線を帳簿へ戻す。その“何も言わない”が、いちばん苦しい。私はふっと息を吐き、パンの切れ端を皿へ戻した。食べない。彼女は相変わらず、食事を拒んでいる。
「食べるのも、命令すればいいのに」
カトリーヌが呟く。皮肉ではない。彼女は現実的だ。主が生き残るために必要なら、主を「犬として」扱うことも辞さない。けれど命令は効かない。命令が“可愛い”に変換されてしまうからだ。昨日、私は試した。椅子を叩き、短い声で言った。「座れ」と。犬は即座に座った。背筋を伸ばして、完璧に。そう、犬としては完璧だ。主としては――完璧すぎて、惨めだった。
「……お嬢様」
私は呼び名を口の中だけで繰り返す。声にしない。声にすれば、嘘が揺らぐ。嘘が揺らげば、屋敷が揺らぐ。
午前の執務は、奇妙な共同作業になった。犬はペンを持てない。だが帳簿は読める。読めるだけでなく、読み込む速度が人間の頃と変わらない。私はページをめくり、犬は前脚で机を軽く叩く。とん、とん。印。修正箇所。私が赤鉛筆で線を引く。犬は瞬きを一度する。それで次へ進む。私はその繰り返しを数えながら、ひとつの事実を飲み込んだ。クラリッサは、失ったものが多すぎるのに、失っていないものも同じくらいある。
ただし、失ったものの方が致命的だ。
「……次は、商会への返書です」
私は紙を置き、封筒を並べる。どれも急ぎだ。公爵の死は、領地に波紋を生む。王宮が沈黙しても、金は沈黙しない。商人は、慈悲では動かない。数字で動く。数字に強いのは、クラリッサだ。だから私は封筒を並べ、犬の前に筆を置いた。犬は筆を見た。次に、私を見た。その目は「無駄だ」と言っていた。苛立ちが喉まで上がってきた。私は堪え、息を整え、別の提案を探した。
「……口で、紙を運べますか」
犬の耳がぴくりと動く。カトリーヌが笑いそうになって咳払いをした。ノエルは両手で口を塞いだ。笑ってはいけない。けれど、笑いが出る。こういう時こそ、笑いは刃になる。刃を外に向けるためにも、私たちは内側で刃を丸めるしかない。
犬はゆっくりと立ち上がり、紙の端を歯でつまんだ。驚くほど器用だ。紙が破れない程度の力。封筒の上へ載せる。首を振らず、丁寧に置く。次の紙も同じように運ぶ。何枚か運んだ後で、犬は床に座り、こちらを見上げた。言いたいことがある顔だ。私は分かった。紙を運べても、文章は書けない。文章を書けないなら、指示をどう外に出すかが問題になる。
その瞬間、ノエルが小さく声を上げた。
「……思い出した。ねぇ、ミレーユさん。昔、お嬢様――“点で答える遊び”してた」
私は視線を上げる。カトリーヌも頷く。
「子供の頃、言葉を嫌がった時期があった。質問すると、指で机を叩いて答えるやつ」
犬が、耳を少し伏せた。気まずい時の癖だ。確信が胸に刺さる。私たちは互いに見た。ここで初めて、三人が同じものを“現実”として持つ。犬はただの犬ではない。けれど、それを「確定」させてしまったら、別の壊れ方をする。信じることが支えになり、同時に足枷にもなる。私は慎重に、慎重に口を開いた。
「……確認しましょう。ノエル。質問は短く。答えは回数で」
ノエルが膝をつき、犬の目を覗いた。涙が落ちそうになっているのを必死で堪えている。
「お嬢様。……ノエル、って、分かる? 分かるなら、前脚で一回」
犬の前脚が、静かに床を叩いた。とん。
ノエルが息を吸い込み、声が崩れた。
「……じゃあ、カトリーヌは? 分かるなら二回」
とん、とん。
カトリーヌが目を逸らした。逸らした先で、頬が僅かに揺れている。泣いてはいない。泣きたくない顔だ。
私は最後に、自分の番を引き受けた。ここで甘い確認をしてしまえば、私たちは慰めに逃げる。慰めは必要だが、逃げ道にしてはいけない。私は、他の誰も知らない問いを選んだ。主と、私だけが共有している“痛い記憶”を。
「お嬢様。……十歳の冬。庭で転んだ時、あなたは泣かなかった。あの時あなたが言った言葉を、覚えていますか」
犬の耳が一度だけ立った。目が細くなる。人間の頃の癖だ。私は続ける。
「“痛みは、生きている証”。……同じ言葉なら、三回。違うなら、零回」
犬の前脚が、迷いなく床を叩いた。とん、とん、とん。
その三つの音は、私の中の最後の疑いを崩した。崩したが、同時に私は自分に命じた。崩れたままにするな。 現実に形を与えろ。形を与えた現実だけが、次の一手になる。
「……分かりました」
私は立ち上がり、紙を一枚持ってきた。大きめの紙。文字が多く書ける紙。インク壺を置く。ペンを置く。犬はじっと見ている。私は言った。
「お嬢様は書けません。なら、私が書きます。質問する。あなたは“回数”で答える。それを文章にします」
犬が瞬きを一度した。承認だ。私は胸の奥が少しだけ軽くなるのを感じた。軽くなった瞬間、怖さも増す。これでクラリッサは外へ手を伸ばせる。外へ手を伸ばせば、外もまた手を伸ばしてくる。良い手も悪い手も区別なく。
その日の午後、屋敷の門が叩かれた。強い音ではない。礼儀正しいが、退かない音だ。私が応対に出ると、若い役人が立っていた。王宮の者ではない。地方行政の使いだ。言葉は丁寧だが、視線が屋敷を測っている。
「アルノー公爵家の状況確認に参りました。領内の者たちが、御令嬢のお姿を見ていないと――」
私は笑った。笑顔ではない。接客の表情だ。
「ご心配をおかけしております。御令嬢はご服喪とご体調の都合で、人前には出られません。必要な通達は文でお出しします」
役人は一瞬だけ眉を上げた。
「……文を。では、署名はどなたが」
署名。そこに罠がある。私は一拍置き、淀みなく答えた。
「暫定の代理として、私が。メイド長ミレーユ・ダルランが、家政と連絡を担当しております」
嘘だ。代理ではない。私はただの使用人だ。だが嘘は盾だ。役人がそれ以上突っ込めば、こちらも突っ込まれる。役人は視線を屋敷の奥へ向け、ほんの少しだけ首を傾げた。犬の気配を嗅いだのかもしれない。私は扉を半分だけ閉じ、隙間を作らないように立った。
「それと……もう一つ」
役人が言う。
「街では、“公爵家が御令嬢を殺したのでは”という噂が出ています。民が不安がっている。……もし、御令嬢から何か一言でも」
私は内心で舌を噛んだ。民が不安がるのは当然だ。クラリッサは反貴族で、民に寄り添った。だからこそ、見えなくなれば疑われる。だが今のクラリッサは、犬だ。一言も言えない。一言も言えないことが、疑いを育てる。
「……承りました。文でお届けします」
役人は軽く礼をして去った。私は扉を閉め、背中をつけたまま息を吐いた。冷たい汗が肩甲骨の辺りを伝う。
振り返ると、廊下の影に犬がいた。いつの間に。足音がない。私たちが油断したら終わりだというように、彼女は黙って見ている。怒っているのか。焦っているのか。分からない。分からないが、瞳の光だけは変わらない。
「……お嬢様。外が動き始めました」
犬が、一歩だけ近づいた。短い脚で、しかし迷いなく。私の足元に鼻先を寄せ、すぐに顔を上げる。――“書け”。そう言っている。嘘を盾にするなら、嘘だけで戦ってはいけない。文を出せ。民を落ち着かせろ。役人を黙らせろ。王宮に先手を打て。
私は頷き、机へ戻った。紙を広げる。ペンを取る。質問を考える。答えを回数で受け取る。文章にする。
その一連が始まった瞬間、私は理解した。第二の嘘――“犬はただの犬だ”――は、長くは持たない。なぜなら、犬は犬としての可愛さを纏いながら、主としての理性で屋敷を動かし始めたからだ。
そして理性が動けば、外の世界は必ずそれに反応する。
反応する者の中には、守ろうとする者もいれば、壊そうとする者もいる。
私は紙の上に最初の一文を書き出した。
それは民へ向けた言葉ではなく、まず私たち自身への釘だった。
――この家の主は、生きている。
その文面を見上げた時、犬が小さく尻尾を振った。
振り方が、ほんの少しだけ速い。
感情が漏れたのだ。漏れた感情が可愛い。可愛いが、可愛いだけでは終わらない。
外が、もうすぐこの扉をこじ開けに来る。
その前に、私たちは“次の段”へ上がらねばならない。
翌日、門の外が騒がしかった。
騒がしい、と言っても怒鳴り声が渦を巻く類のものではない。もっと嫌な騒がしさだ。群れができ、群れが静かに増え、人数が増えたこと自体が圧力になる――あの種類の騒がしさ。
私は二階の窓から、群衆の頭の動きを見た。
民だ。領内の者もいる。王都から来た者も混じっている。服の質が違う。視線の温度が違う。
同じ噂を聞いて集まったとしても、ここに立つ理由は同じではない。
慕う者は確かめに来る。疑う者は暴きに来る。悪意ある者は燃やしに来る。
「……増えましたね」
カトリーヌが隣で呟く。彼女は腕を組み、窓枠に体重を預けていた。落ち着いた顔をしているが、目は鋭い。没落した家門の娘は“群衆の目”に慣れている。貴族が堕ちた後、最初に奪われるのは金ではない。尊厳だ。尊厳が奪われた者の目は、こうして集まってくる。
「ノエルは?」
「台所です。……祈ってますよ、あの子。祈ると手が動くから」
私は頷き、視線を戻した。
群衆の中に、旗が一本混じっている。家紋ではなく、市場の商会旗だ。誰かが用意した。誰かが“この騒ぎを自分の利益にする”気でいる。民衆が集まるとき、そこに必ず商売が生まれる。正義も不安も、換金される。
門の外で声が上がった。最初は小さい。
「……お嬢様を見せろ」
次は、それに続く声。
「病だって? そんな都合のいい話があるかよ」
その声は荒いが、まだ暴力ではない。暴力の手前だ。人は暴力を振るう前に、必ず「理由」を求める。理由があれば殴れる。理由がなければ殴れない。だから彼らは理由を欲しがっている。
私は階段を降り、玄関へ向かった。
廊下の影から、爪の音がついてくる。とと、と。
振り返ると、犬がいる。クラリッサだ。
いつの間に、と思う。けれど彼女はもう、足音で存在を知らせない。知らせたくない時は、消える。知らせたい時は、現れる。犬の姿でそれができるのが、恐ろしくも便利だった。
「お嬢様、ここは――」
私は言いかけて、止めた。
止めた理由は二つ。
一つは、私が命令できないこと。
もう一つは、彼女が私より先に判断していること。
犬は玄関の手前で立ち止まり、私を見上げた。
灰金の瞳が、私の迷いを測った。
そして、小さく首を振った。
――「出るな」。
いや、違う。
――「出るのはお前だ」。
そう言っている。
私は息を整え、扉を開けた。
冷たい空気と、湿った土の匂いが押し寄せる。
門前に、十数人。後ろにさらに。視線が一斉に私へ刺さった。
「アルノー家の者か」
前へ出てきた男は、領内の鍛冶屋の顔だった。私は知っている。クラリッサが冬に燃料を配った時、彼は泣いて礼を言った。その男の目が、今は濁っている。濁りの中に、恐怖がある。
「お嬢様はどこだ。……生きてるのか」
“生きてるのか”。
言葉の形は優しい。中身は刃だ。
ここで「生きている」と言うだけでは足りない。彼らは、彼女を“見たい”。見れば信じる。見えなければ疑う。疑えば、怒る。怒れば、燃やす。
私は背筋を伸ばし、声を平坦に保った。
「御令嬢はご服喪とご体調の都合で、人前には出られません。必要な通達は文でお出しします」
一拍。
男の拳が握られる。
「文? そんなもんで納得できるかよ! ……俺らは、お嬢様に借りがある。借りがあるから来た。借りがあるから……」
言い淀む。
借りがある者ほど、裏切られたと感じると怒りが深い。恩は刃になる。恩は、返されないと呪いになる。
後ろから別の声が飛んだ。
「公爵が死んで、令嬢も消えた。……これ、王宮と揉めて殺されたんじゃねぇのか?」
その声が燃料だった。
群衆の温度が一段上がる。
疑いが“理由”に変わり始める。
私は喉の奥に血の味を感じた。
この瞬間を待っていた者がいる。疑いを噂へ、噂を怒りへ、怒りを行動へ変えるための声。
群衆の端に、上等な外套の男が立っているのが見えた。貴族だ。目立たぬように立ち、しかし一言で場を動かせる位置にいる。
他家の者だろう。機に乗じて、アルノー家を潰す気だ。潰れれば領地が割れる。割れれば奪い合える。
「……皆様」
私は声を少しだけ強くした。
「この屋敷は喪に服しております。今ここで騒げば、亡き公爵への侮辱になります」
男が顔を歪める。
「侮辱? 侮辱してんのはどっちだよ。お嬢様を隠して……!」
その瞬間、群衆の後ろから金属音がした。
誰かが門に棒を当てた音。
暴力が、形を持ち始める。
――間に合わない。
私は理解した。言葉では、もう止まらない。
止めるなら、“証拠”が要る。
だが出せる証拠は、犬だ。
犬を見せれば終わる。終わるが、別の地獄が始まる。
「令嬢が犬になった」という事実は、同情ではなく嘲笑を生む。嘲笑は貴族社会で最も鋭い刃だ。王宮に届けば、確実に利用される。敵にも味方にも、利用される。
私は扉を少し閉めようとした。
その時、足元でぴたりと体温が寄った。
犬が、私の足の内側に体を押し当ててきた。
小さく、しかし強い力。
そして、前脚で床を叩く。
とん。
とん、とん。
とん、とん、とん。
合図だ。
回数の合図。
私は目を伏せ、瞬時に理解した。
“出せ”。
“文を”。
“今、ここで”。
犬は犬のまま、主として命令している。
私は背筋を伸ばし、扉を閉めた。
群衆のざわめきが、木の板越しに鈍い波として押し寄せる。
「カトリーヌ!」
「はい」
「紙とペン。最短で。封蝋は要らない。署名欄は空欄でいい。代わりに――」
私は言葉を切り、喉を鳴らした。
署名がないと文は弱い。だが署名があれば、偽造の余地が生まれる。
ならば、署名以外で“本人性”を出す必要がある。
クラリッサが持つ、誰にも真似できないもの。
数字だ。判断だ。民が知っている彼女の手腕だ。
「……領内の救恤の内訳を、今この場で出す。細かい金額まで。王宮からの支援が“ゼロ”だったことも書く」
カトリーヌの目が細くなる。
「それ、喧嘩売りますね」
「売る。売らないと燃やされる」
犬が短く鼻を鳴らした。肯定だ。
私たちは食堂に走り、机を空けた。
ノエルが青い顔で紙束を抱えてきた。
「外、こわい……!」
声が震えている。
私は言った。
「ノエル、震えていい。手だけ止めるな。あなたの手が止まると、主の声が止まる」
ノエルが一度だけ頷き、涙を拭って紙を押さえた。
私は書き始める。
犬は横で座り、前脚で机を叩く。とん、とん。修正。とん。強調。
数字を並べる。配給の量。燃料の配分。医療費。孤児院。冬の凍死者数を減らした施策。
王宮の支援がどれだけ薄かったか。貴族の宴にどれだけ金が流れ、民へどれだけ降りなかったか。
一つ一つが、“民が知っているクラリッサ”の証明になる。
書いているうちに、私の指先が熱くなる。怒りだ。怒りは危険だが、今は必要だ。怒りがないと、文は弱くなる。
最後に、私は一行だけ書く。
――アルノー家は、民の側に立つ。
署名は入れない。
代わりに、余白に小さな印を三つ置く。
とん、とん、とん。
犬が叩いた回数。
私たちだけが知る、主の合図。
そして、私たちが主を守るための、秘密の署名。
文を持って玄関へ戻る。
扉を開けると、群衆の声が一斉に降りかかる。
「見せろ!」「嘘だ!」「殺したんだろ!」
私は文を高く掲げた。
「……読むなら、静かに。静かにできない者は帰れ。これは“あなた方のための文”です」
人は不思議だ。
“自分のため”と言われると、耳が開く。
前の男が文を奪うように受け取り、読み始める。
最初は荒い息。
次に、眉が動く。
次に、口が閉じる。
数字が、人を黙らせる。
理屈が、怒りを一度止める。
「……王宮が、これだけ……?」
誰かが呟く。
群衆の中で、怒りの向きが少しずつ変わる。
“公爵家への怒り”が、
“王宮への怒り”へ移る。
だが移った怒りは、新しい火種になる。
火種は、貴族同士の争いを呼ぶ。
そして――その火を利用する者が必ず出る。
上等な外套の貴族が、ゆっくりと前へ出た。
にやりと笑い、群衆へ言う。
「ほう。つまり王宮が悪い、と。ならばアルノー家は王宮に逆らうのだな? 反逆の旗を掲げるのだな?」
言葉が鋭い。
反逆の二文字を置けば、民衆は怯む。
怯めば、また疑いが戻る。
疑いが戻れば、屋敷は燃える。
私は息を吸い、反論を考える。
――その瞬間、背後で爪の音がした。
とと、とと、と。
犬が、玄関の影から一歩だけ前へ出た。
見せてはいけない。
見せたら終わる。
けれど、犬は止まらない。
止まらない足取りで、私の横に並ぶ。
群衆の視線が、犬に吸い寄せられる。
「……犬?」
誰かが笑いかける。
だが、その笑いは途中で止まった。
犬の瞳が、灰金に光っていたからだ。
その目が、“黙れ”と言っていたからだ。
犬が一度だけ、低く唸った。
……きゅぅ。
笑いが完全に死んだ。
貴族の男だけが、薄く笑った。
「ほう。犬を飼っているとは余裕だな。民が飢えているというのに」
私は反射的に言い返しかけた。
だが犬が、前脚で床を叩いた。
とん。
一回。
――“待て”。
私は黙った。
犬は犬のまま、貴族を見上げた。
尻尾を振らない。愛想を見せない。
ただ、無言で見つめる。
その沈黙が、貴族の男の言葉を奪った。
言葉の上手い者ほど、沈黙に弱い。
沈黙は、鏡になる。
自分の醜さが映る。
貴族の男は咳払いし、引き下がった。
群衆も、完全に燃え上がる前に足を止めた。
怒りは残っている。疑いも残っている。
しかし、燃やす理由が一度消えた。
それだけで、今日の屋敷は生き延びる。
扉を閉めた瞬間、私は背中を壁につけた。
足が震えている。
ノエルが泣きながら犬を抱きしめようとしたが、カトリーヌが腕で止めた。
「今はだめ。……今は、主よ」
ノエルが唇を噛む。
犬は床に座り、目を閉じた。
疲れているのか、考えているのか分からない。
ただ、その姿勢がすでに“決定”を含んでいた。
私は理解した。
民衆は味方でも敵でもない。
“空気”だ。
貴族も同じ。
王宮は沈黙することで、最も卑怯に火を撒いている。
そして、この状況で生き残るには、
犬の可愛さを盾にするだけでは足りない。
犬の沈黙を、刃にしなければならない。
私は膝をつき、犬の目を覗いた。
「……お嬢様。次は、どうします」
犬はゆっくりと瞬きをし、
前脚で床を叩いた。
とん、とん。
二回。
――“次へ”。
次は逃げではない。
次は攻めだ。
夜、屋敷の灯はいつもより少なかった。
灯を増やせば外から見える。見えれば「まだ余裕がある」と思われる。余裕があると思われれば、また来る。だから私たちは灯を絞り、音を絞り、呼吸さえ絞って、屋敷を“沈んだ船”のように見せた。
沈んだ船は、奪う価値がない。奪う価値がないと見せることが、今の私たちの防波堤だった。
それでも、扉の外の熱は消えていない。
昼間の群衆は散ったが、散り方が嫌だった。怒りが冷めた散り方ではない。理由を見つけるために一旦引いた散り方だ。理由を見つけた次は、もう言葉では止まらない。
私は台所の隅で冷えた指先を擦り合わせ、今日書いた文の写しをもう一度読み返した。数字は正しい。言葉も過剰ではない。けれど正しさは、怒りの燃料にもなる。民衆が王宮へ怒りを向ければ、次は貴族が民衆を煽り、王宮はその混乱を口実に“秩序”を持ち込む。秩序はいつだって、弱い者を先に縛る。
「……結局、誰が得するのかしらね」
カトリーヌが椅子に腰掛けたまま言った。火のない部屋で彼女の声は乾いて響く。
ノエルはまだ泣き跡の残る目で、湯を沸かしていた。沸かすだけだ。飲む者がいない。主は食べず、私たちも喉を通らせる気になれない。湯気だけが、家がまだ生きているふりをする。
私は言った。
「得する者はいつも、火を点けた者よ」
カトリーヌが鼻で笑った。
「じゃあ、今日火を点けようとしたのは――あの貴族ね」
「ええ。名は出さない。名を出すと、名が武器になる」
ノエルが小さく口を開いた。
「でも……どうして、そんなことを……? お嬢様がいなくなったら、困るのはみんななのに」
困る。だからこそ争う。
崩れる前に奪い、崩れた後に踏む。それが彼らの流儀だ。私はノエルの疑問に答えず、代わりに湯の匂いを吸い込んだ。薬草の匂いが混じる。公爵の死からこの匂いが抜けない。匂いが抜けない家は、まだ死んでいない。死んでいないなら、次に壊される。
廊下から、爪の音がした。
とと、とと。
音は小さいが、迷いがない。
私たちは同時に視線を向ける。
犬が現れた。
クラリッサお嬢様は、今日の昼間よりも毛並みが整っていた。誰が整えたのか。ノエルが整えたのだろう。けれどそれは単なる可愛がりではない。今日一日で、ノエルの撫で方が変わった。慰めるような撫で方から、武具を整えるような撫で方へ。可愛いを“盾”にするなら、盾は磨かねばならない。ノエルはそれを理解してしまったのだ。
犬は台所の入口で立ち止まり、私たちを見回した。
その目が、順番に私、カトリーヌ、ノエルをなぞる。
それは点呼のようだった。
“残っているか”。
“揺れていないか”。
“今日の火を、飲み込めたか”。
私は椅子を引いて、犬の前に膝をついた。
近づくと、体温がある。
犬の体温は、人間より少し高い。
その暖かさが、逆に残酷だ。暖かいのに、言葉がない。
「お嬢様」
呼ぶ。
犬は耳を一度だけ動かした。
「……今日、外で出てしまいましたね」
犬が瞬きをする。肯定とも否定ともつかない。
私は続ける。
「見せる気はない。けれど、見られた。次は、もっと大きい圧が来ます。民も貴族も、王宮も。今日の文は効きました。でも、効いたからこそ次が来る」
カトリーヌが腕を組み直した。
「火を止めたら負け。火を大きくしたら燃える。……最悪ね」
ノエルが唇を噛んだ。
「私……怖い。でも、逃げたくない。お嬢様が居なくなったら、私……」
言葉が途切れ、涙が落ちる。
犬はその涙を見て、ゆっくりと近づいた。
ノエルの膝に前脚を置く。
体重が軽い。なのに、置かれた瞬間、ノエルの背中が少しだけ真っすぐになる。
犬が何かを言おうとしているのが分かった。
言えない。だから、回数で言う。
犬は床を叩いた。
とん。
一回。
私は息を吸った。
一回は、いつも「待て」ではない。
状況により意味が変わる。
私は今日の彼女の動きを思い出し、最も筋の通る解釈を選んだ。
「……“怖くていい”。そう仰ってる」
ノエルが目を見開く。
犬はもう一度、床を叩いた。
とん、とん。
二回。
「……“それでも動け”。」
カトリーヌが小さく笑って、すぐに顔を引き締めた。
「相変わらず、主は厳しい」
犬はカトリーヌを見た。
カトリーヌが目を逸らさずに受け止める。
その瞬間、犬が尻尾を振った。ほんの小さく。
褒美だ。
褒美が可愛い。だが、その可愛さが今は、命令と同じ重さを持っている。
私は立ち上がり、机の引き出しから紙を一枚取り出した。今日使った紙とは違う。もっと厚い紙。屋敷の中でしか使わない紙。
私はそれを机に置き、言った。
「今夜、私たちの“規則”を決めます」
カトリーヌが眉を上げる。
「規則?」
「ええ。嘘の扱い方。犬の扱い方。外への出し方。……そして、主の意志の受け取り方」
ノエルが震えた声で聞く。
「それって……“本当に”お嬢様なんだって、認めるってこと?」
私は答えなかった。
答えなくても、もう認めている。
認めたくないのは、私たちが壊れるのが怖いからだ。
けれど壊れるのが怖いから認めない、では守れない。守るには、形を与える必要がある。
犬が机の横に座り、こちらを見上げた。
灰金の瞳が、今夜の決定を待っている。
待っているのに、急かさない。
主はいつだって、決断を人に押し付けない。
押し付けずに、逃げ道を消す。
私は紙の上に、最初の規則を書いた。
――この屋敷の主は、今もクラリッサ・アルノーである。
書いた瞬間、ノエルが息を呑み、カトリーヌの指がわずかに動いた。
犬は瞬きを一度した。
それは承認であり、同時に“重さ”でもある。
この一文を書いてしまった以上、私たちはもう後戻りできない。
私は二つ目を書いた。
――外部に犬の正体を漏らした者は、敵とみなす。
カトリーヌが短く息を吐く。
「そこまで?」
「そこまで。敵は“悪意”じゃない。“漏れ”よ。漏れは意図と関係なく人を殺す」
犬が床を叩く。
とん、とん。
二回。
強い肯定。
クラリッサは冷たい。冷たいが正しい。その正しさが、今夜は私を支えていた。
三つ目。
――主の意志は、回数で受け取り、文として外へ出す。
四つ目。
――可愛いは盾であり、刃である。盾として使うとき、甘やかしは禁ず。
ノエルが泣き笑いの顔で頷く。彼女にとって一番きつい規則だ。撫でたい。抱きたい。守りたい。けれど“甘やかす”と“守る”は違う。甘やかしは主を弱者に閉じ込める。守りは主を主のまま外へ出す。その違いを、ノエルは今夜受け入れた。
最後に、私は空欄を一つ残した。
“主からの規則”。
私たちが主へ求めるのではなく、主が私たちへ求めるもの。
私は犬を見た。
「……お嬢様。最後を」
犬はしばらく動かなかった。
静かに、長く、息を吐く。
その後、床を叩いた。
とん。
とん、とん。
とん、とん、とん。
三回。
私は目を閉じ、意味を選ぶ。
三回は、彼女が“決定”を下すときの回数だ。
今日の昼も、三回は強い確信だった。
だから私は、恐ろしいほど単純な言葉に落とした。
――前へ。
紙の上に「前へ」と書いた瞬間、屋敷の空気が少しだけ動いた。
止まっていた時計が、遅れていた針を取り戻すみたいに。
カトリーヌが窓の外を見て呟く。
「……明日も来るわね」
「来ます」
私は言った。
「そして明日は、今日より厄介です。今日の文で、火の向きが変わった。民は王宮を恨む。貴族はそれを利用する。王宮は沈黙を続ける。……火は必ず広がる」
ノエルが震えた声で聞く。
「お嬢様、どうするの……?」
犬はノエルを見て、首を少しだけ傾げた。
その仕草は、あまりに可愛い。
可愛くて、胸が痛い。
そして、床を叩いた。
とん、とん。
二回。
私は頷き、答えを口にした。
「……明日は、“先に出す”。」
守りに入るのをやめる。
隠すだけの嘘をやめる。
嘘を“武器”として整えて、外を動かす。
犬であることを利用し、沈黙で相手の言葉を奪い、数字で相手の感情を止める。
それが、クラリッサの戦い方になる。
私は紙を畳み、胸元にしまった。
それは規則であり、誓約だった。
この屋敷は今日から、ただの公爵邸ではない。
犬の姿をした主が、沈黙で世界を動かすための、小さな要塞になる。
廊下へ出ると、犬が先に歩き出した。
とと、とと。
短い脚が、迷いなく前へ向かう。
私はその後ろ姿を見ながら思った。
この呪いは、主を可愛いに閉じ込める。
だが同時に、主に“別の道”を与える。
もし愛され、憎まれ、その両方を受け止めた時にだけ人へ戻るのなら――
今夜、私たちはその入口に立った。
「前へ」
私は小さく呟き、主の足音に自分の足音を重ねた。
外はまだ火種だらけだ。
民の目も、貴族の舌も、王宮の沈黙も、全部が敵になり得る。
けれど、主は歩く。
犬の姿で。
沈黙を纏いながら。
そして明日、屋敷の外へ――“先に”出る。
クラリッサ(なんでこのメイド達当たり前に会話出来るのよ・・・。)
パンを焼く音がしない。
鍋の蓋が鳴らない。
誰も「おはよう」と言わない。
代わりに、床を叩く軽い音があった。
とと、とと、と。
規則正しく、しかし主張のない足音。
私はそれを背中で聞きながら、食堂の窓を拭いていた。
ガラスに映る自分の顔は、昨日より少しだけ老けて見える。
疲れたわけではない。
判断を一つ、先延ばしにしている顔だ。
振り返ると、そこにいた。
ウェルシュ・コーギー。
短い脚、丸い胴、白金の毛並み。
そして――灰金の瞳。
クラリッサお嬢様は、食堂の入口で立ち止まり、一瞬だけ辺りを見回したあと、私を見た。
その目に、命令はない。
けれど、確認があった。
「……ええ。今日も帳簿ですね」
私はそう言って、椅子を引いた。
犬は一度だけ尻尾を振り、椅子の横に座る。
座り方が妙に正しい。
背筋が伸びている。
その仕草だけで、ノエルが鼻を鳴らした。
「だめ……可愛い……」
彼女は口元を押さえ、必死に視線を逸らす。
カトリーヌは腕を組み、深く息を吐いた。
「……見ないようにしても、無理ね」
無理だ。
どう見ても、可愛い。
どんなに厳格に振る舞おうとしても、
この姿は“支配者”のそれではない。
クラリッサはそれを理解していた。
だから、あえて目を細めた。
――怒っているときの癖だ。
低く唸る。
喉の奥で、短く、鋭く。
……きゅぅ。
ノエルが崩れ落ちた。
「だ、だめ……今の、絶対怒ってたのに……!」
犬は一瞬だけ動きを止め、
自分の喉を、信じられないというように見下ろした。
そして、こちらを見た。
私は、胸の奥がきしむのを感じた。
怒りが、拒絶が、命令が、すべて無効化されている。
「……お嬢様」
思わず呼ぶ。
犬は首を傾げる。
その仕草が、あまりに無防備で、
私は言葉を続けられなかった。
午前中、帳簿を広げる。
犬は机の横に座り、紙を見つめる。
指はない。
ペンも持てない。
代わりに、前脚が動いた。
とん、とん。
紙の端を叩く。
その位置が、修正箇所だった。
私は息を呑み、赤鉛筆を入れる。
正確だ。
昨日までと変わらない。
「……分かっていらっしゃるのね」
犬は誇らしげでもなく、
当然のように目を伏せた。
次の瞬間、紙を引っかく。
ばりっ。
ノエルが悲鳴を上げる。
「だ、だめだよ!それ大事なやつ!」
犬は一瞬、我に返ったように固まり、
次に――床に腹を出した。
……降伏のポーズだ。
「もう!怒れないじゃないですか!」
ノエルが駆け寄り、頭を撫でる。
犬は抵抗しない。
されるがまま、目を閉じる。
カトリーヌが、低く呟いた。
「……最悪ね」
その言葉に、私は頷いた。
これは祝福ではない。
癒しでもない。
理性を持つ者にとって、最も残酷な形の呪いだ。
何をしても、
どんな決断を下しても、
それが「可愛い」で上書きされる。
統治者としての言葉は、もう届かない。
残るのは、守られる存在という役割だけ。
昼前、屋敷の外から声がした。
巡回兵だ。
噂を嗅ぎつけている。
私は窓を閉め、背中で犬を庇った。
その瞬間、
背後で小さな体温を感じた。
ぴと、と。
脚に、頭を預けている。
……守られているのは、どちらなのだろう。
私は視線を落とす。
犬は、静かにこちらを見上げていた。
その瞳にあったのは、怒りでも悲しみでもない。
計算だった。
「……お嬢様」
その声は、震えていたかもしれない。
「この姿を、使うおつもりですね」
犬は、ゆっくりと瞬きをした。
肯定でも否定でもない。
だが、否定しなかった。
私は理解した。
クラリッサ・アルノーは、
この屈辱を、
この“可愛さ”を、
武器に変える気だ。
その覚悟を、
この小さな体で、すでに終えている。
食堂の時計が鳴った。
正午。
世界は何事もなかったように進む。
だが、私たちは知っている。
――犬になったことで、
彼女は一歩も後退していない。
その日から、屋敷は「二つの嘘」で回り始めた。
一つ目は、“お嬢様は病で伏せている”。
二つ目は、“犬はただの犬だ”。
嘘は嫌いだ。私は長く仕えて、嘘が家を腐らせるのも見てきた。けれど今は、嘘が盾になる。盾がなければ、この屋敷は外の好奇心に食い荒らされる。クラリッサお嬢様が犬になったなど、誰に話しても理解されない。理解されないものは、噂になり、噂は刃になる。刃を入れさせないために、私たちは嘘を磨き、嘘を整え、嘘を礼儀として纏った。
朝食の席に並ぶ椅子は三つで足りるようになった。公爵が亡くなり、主は部屋に籠もり、使用人の数も減った。残った者は、残る理由がある者だけだ。カトリーヌは手際よく配膳をし、ノエルは皿の縁を磨きながら目を赤くして笑おうとする。私は帳簿を広げ、火の気のない部屋の温度を読み取り、薪の配分を決める。いつも通りのはずなのに、決定的に違うものが一つだけあった。椅子の脚元に、短い胴と短い脚がちょこんと収まり、灰金の瞳がこちらを見上げている。
“犬”という名の嘘が、息をしていた。
クラリッサは食卓に近づきすぎない。近づけば、ノエルが撫でてしまうからだ。撫でれば、犬は撫でられる。撫でられれば、そこに「主」としての距離は保てない。分かっていても、ノエルの指先は勝手に動く。動いてしまった後で、彼女はいつも同じ顔をする――泣きそうな笑顔。可愛がることが、救いになると同時に、冒涜にもなると分かっているからだ。
「……ノエル」
私が名を呼ぶと、ノエルは肩を跳ねさせて手を引っ込める。引っ込めた手の先で、震えが残った。犬は何も言わずに瞬きをして、視線を帳簿へ戻す。その“何も言わない”が、いちばん苦しい。私はふっと息を吐き、パンの切れ端を皿へ戻した。食べない。彼女は相変わらず、食事を拒んでいる。
「食べるのも、命令すればいいのに」
カトリーヌが呟く。皮肉ではない。彼女は現実的だ。主が生き残るために必要なら、主を「犬として」扱うことも辞さない。けれど命令は効かない。命令が“可愛い”に変換されてしまうからだ。昨日、私は試した。椅子を叩き、短い声で言った。「座れ」と。犬は即座に座った。背筋を伸ばして、完璧に。そう、犬としては完璧だ。主としては――完璧すぎて、惨めだった。
「……お嬢様」
私は呼び名を口の中だけで繰り返す。声にしない。声にすれば、嘘が揺らぐ。嘘が揺らげば、屋敷が揺らぐ。
午前の執務は、奇妙な共同作業になった。犬はペンを持てない。だが帳簿は読める。読めるだけでなく、読み込む速度が人間の頃と変わらない。私はページをめくり、犬は前脚で机を軽く叩く。とん、とん。印。修正箇所。私が赤鉛筆で線を引く。犬は瞬きを一度する。それで次へ進む。私はその繰り返しを数えながら、ひとつの事実を飲み込んだ。クラリッサは、失ったものが多すぎるのに、失っていないものも同じくらいある。
ただし、失ったものの方が致命的だ。
「……次は、商会への返書です」
私は紙を置き、封筒を並べる。どれも急ぎだ。公爵の死は、領地に波紋を生む。王宮が沈黙しても、金は沈黙しない。商人は、慈悲では動かない。数字で動く。数字に強いのは、クラリッサだ。だから私は封筒を並べ、犬の前に筆を置いた。犬は筆を見た。次に、私を見た。その目は「無駄だ」と言っていた。苛立ちが喉まで上がってきた。私は堪え、息を整え、別の提案を探した。
「……口で、紙を運べますか」
犬の耳がぴくりと動く。カトリーヌが笑いそうになって咳払いをした。ノエルは両手で口を塞いだ。笑ってはいけない。けれど、笑いが出る。こういう時こそ、笑いは刃になる。刃を外に向けるためにも、私たちは内側で刃を丸めるしかない。
犬はゆっくりと立ち上がり、紙の端を歯でつまんだ。驚くほど器用だ。紙が破れない程度の力。封筒の上へ載せる。首を振らず、丁寧に置く。次の紙も同じように運ぶ。何枚か運んだ後で、犬は床に座り、こちらを見上げた。言いたいことがある顔だ。私は分かった。紙を運べても、文章は書けない。文章を書けないなら、指示をどう外に出すかが問題になる。
その瞬間、ノエルが小さく声を上げた。
「……思い出した。ねぇ、ミレーユさん。昔、お嬢様――“点で答える遊び”してた」
私は視線を上げる。カトリーヌも頷く。
「子供の頃、言葉を嫌がった時期があった。質問すると、指で机を叩いて答えるやつ」
犬が、耳を少し伏せた。気まずい時の癖だ。確信が胸に刺さる。私たちは互いに見た。ここで初めて、三人が同じものを“現実”として持つ。犬はただの犬ではない。けれど、それを「確定」させてしまったら、別の壊れ方をする。信じることが支えになり、同時に足枷にもなる。私は慎重に、慎重に口を開いた。
「……確認しましょう。ノエル。質問は短く。答えは回数で」
ノエルが膝をつき、犬の目を覗いた。涙が落ちそうになっているのを必死で堪えている。
「お嬢様。……ノエル、って、分かる? 分かるなら、前脚で一回」
犬の前脚が、静かに床を叩いた。とん。
ノエルが息を吸い込み、声が崩れた。
「……じゃあ、カトリーヌは? 分かるなら二回」
とん、とん。
カトリーヌが目を逸らした。逸らした先で、頬が僅かに揺れている。泣いてはいない。泣きたくない顔だ。
私は最後に、自分の番を引き受けた。ここで甘い確認をしてしまえば、私たちは慰めに逃げる。慰めは必要だが、逃げ道にしてはいけない。私は、他の誰も知らない問いを選んだ。主と、私だけが共有している“痛い記憶”を。
「お嬢様。……十歳の冬。庭で転んだ時、あなたは泣かなかった。あの時あなたが言った言葉を、覚えていますか」
犬の耳が一度だけ立った。目が細くなる。人間の頃の癖だ。私は続ける。
「“痛みは、生きている証”。……同じ言葉なら、三回。違うなら、零回」
犬の前脚が、迷いなく床を叩いた。とん、とん、とん。
その三つの音は、私の中の最後の疑いを崩した。崩したが、同時に私は自分に命じた。崩れたままにするな。 現実に形を与えろ。形を与えた現実だけが、次の一手になる。
「……分かりました」
私は立ち上がり、紙を一枚持ってきた。大きめの紙。文字が多く書ける紙。インク壺を置く。ペンを置く。犬はじっと見ている。私は言った。
「お嬢様は書けません。なら、私が書きます。質問する。あなたは“回数”で答える。それを文章にします」
犬が瞬きを一度した。承認だ。私は胸の奥が少しだけ軽くなるのを感じた。軽くなった瞬間、怖さも増す。これでクラリッサは外へ手を伸ばせる。外へ手を伸ばせば、外もまた手を伸ばしてくる。良い手も悪い手も区別なく。
その日の午後、屋敷の門が叩かれた。強い音ではない。礼儀正しいが、退かない音だ。私が応対に出ると、若い役人が立っていた。王宮の者ではない。地方行政の使いだ。言葉は丁寧だが、視線が屋敷を測っている。
「アルノー公爵家の状況確認に参りました。領内の者たちが、御令嬢のお姿を見ていないと――」
私は笑った。笑顔ではない。接客の表情だ。
「ご心配をおかけしております。御令嬢はご服喪とご体調の都合で、人前には出られません。必要な通達は文でお出しします」
役人は一瞬だけ眉を上げた。
「……文を。では、署名はどなたが」
署名。そこに罠がある。私は一拍置き、淀みなく答えた。
「暫定の代理として、私が。メイド長ミレーユ・ダルランが、家政と連絡を担当しております」
嘘だ。代理ではない。私はただの使用人だ。だが嘘は盾だ。役人がそれ以上突っ込めば、こちらも突っ込まれる。役人は視線を屋敷の奥へ向け、ほんの少しだけ首を傾げた。犬の気配を嗅いだのかもしれない。私は扉を半分だけ閉じ、隙間を作らないように立った。
「それと……もう一つ」
役人が言う。
「街では、“公爵家が御令嬢を殺したのでは”という噂が出ています。民が不安がっている。……もし、御令嬢から何か一言でも」
私は内心で舌を噛んだ。民が不安がるのは当然だ。クラリッサは反貴族で、民に寄り添った。だからこそ、見えなくなれば疑われる。だが今のクラリッサは、犬だ。一言も言えない。一言も言えないことが、疑いを育てる。
「……承りました。文でお届けします」
役人は軽く礼をして去った。私は扉を閉め、背中をつけたまま息を吐いた。冷たい汗が肩甲骨の辺りを伝う。
振り返ると、廊下の影に犬がいた。いつの間に。足音がない。私たちが油断したら終わりだというように、彼女は黙って見ている。怒っているのか。焦っているのか。分からない。分からないが、瞳の光だけは変わらない。
「……お嬢様。外が動き始めました」
犬が、一歩だけ近づいた。短い脚で、しかし迷いなく。私の足元に鼻先を寄せ、すぐに顔を上げる。――“書け”。そう言っている。嘘を盾にするなら、嘘だけで戦ってはいけない。文を出せ。民を落ち着かせろ。役人を黙らせろ。王宮に先手を打て。
私は頷き、机へ戻った。紙を広げる。ペンを取る。質問を考える。答えを回数で受け取る。文章にする。
その一連が始まった瞬間、私は理解した。第二の嘘――“犬はただの犬だ”――は、長くは持たない。なぜなら、犬は犬としての可愛さを纏いながら、主としての理性で屋敷を動かし始めたからだ。
そして理性が動けば、外の世界は必ずそれに反応する。
反応する者の中には、守ろうとする者もいれば、壊そうとする者もいる。
私は紙の上に最初の一文を書き出した。
それは民へ向けた言葉ではなく、まず私たち自身への釘だった。
――この家の主は、生きている。
その文面を見上げた時、犬が小さく尻尾を振った。
振り方が、ほんの少しだけ速い。
感情が漏れたのだ。漏れた感情が可愛い。可愛いが、可愛いだけでは終わらない。
外が、もうすぐこの扉をこじ開けに来る。
その前に、私たちは“次の段”へ上がらねばならない。
翌日、門の外が騒がしかった。
騒がしい、と言っても怒鳴り声が渦を巻く類のものではない。もっと嫌な騒がしさだ。群れができ、群れが静かに増え、人数が増えたこと自体が圧力になる――あの種類の騒がしさ。
私は二階の窓から、群衆の頭の動きを見た。
民だ。領内の者もいる。王都から来た者も混じっている。服の質が違う。視線の温度が違う。
同じ噂を聞いて集まったとしても、ここに立つ理由は同じではない。
慕う者は確かめに来る。疑う者は暴きに来る。悪意ある者は燃やしに来る。
「……増えましたね」
カトリーヌが隣で呟く。彼女は腕を組み、窓枠に体重を預けていた。落ち着いた顔をしているが、目は鋭い。没落した家門の娘は“群衆の目”に慣れている。貴族が堕ちた後、最初に奪われるのは金ではない。尊厳だ。尊厳が奪われた者の目は、こうして集まってくる。
「ノエルは?」
「台所です。……祈ってますよ、あの子。祈ると手が動くから」
私は頷き、視線を戻した。
群衆の中に、旗が一本混じっている。家紋ではなく、市場の商会旗だ。誰かが用意した。誰かが“この騒ぎを自分の利益にする”気でいる。民衆が集まるとき、そこに必ず商売が生まれる。正義も不安も、換金される。
門の外で声が上がった。最初は小さい。
「……お嬢様を見せろ」
次は、それに続く声。
「病だって? そんな都合のいい話があるかよ」
その声は荒いが、まだ暴力ではない。暴力の手前だ。人は暴力を振るう前に、必ず「理由」を求める。理由があれば殴れる。理由がなければ殴れない。だから彼らは理由を欲しがっている。
私は階段を降り、玄関へ向かった。
廊下の影から、爪の音がついてくる。とと、と。
振り返ると、犬がいる。クラリッサだ。
いつの間に、と思う。けれど彼女はもう、足音で存在を知らせない。知らせたくない時は、消える。知らせたい時は、現れる。犬の姿でそれができるのが、恐ろしくも便利だった。
「お嬢様、ここは――」
私は言いかけて、止めた。
止めた理由は二つ。
一つは、私が命令できないこと。
もう一つは、彼女が私より先に判断していること。
犬は玄関の手前で立ち止まり、私を見上げた。
灰金の瞳が、私の迷いを測った。
そして、小さく首を振った。
――「出るな」。
いや、違う。
――「出るのはお前だ」。
そう言っている。
私は息を整え、扉を開けた。
冷たい空気と、湿った土の匂いが押し寄せる。
門前に、十数人。後ろにさらに。視線が一斉に私へ刺さった。
「アルノー家の者か」
前へ出てきた男は、領内の鍛冶屋の顔だった。私は知っている。クラリッサが冬に燃料を配った時、彼は泣いて礼を言った。その男の目が、今は濁っている。濁りの中に、恐怖がある。
「お嬢様はどこだ。……生きてるのか」
“生きてるのか”。
言葉の形は優しい。中身は刃だ。
ここで「生きている」と言うだけでは足りない。彼らは、彼女を“見たい”。見れば信じる。見えなければ疑う。疑えば、怒る。怒れば、燃やす。
私は背筋を伸ばし、声を平坦に保った。
「御令嬢はご服喪とご体調の都合で、人前には出られません。必要な通達は文でお出しします」
一拍。
男の拳が握られる。
「文? そんなもんで納得できるかよ! ……俺らは、お嬢様に借りがある。借りがあるから来た。借りがあるから……」
言い淀む。
借りがある者ほど、裏切られたと感じると怒りが深い。恩は刃になる。恩は、返されないと呪いになる。
後ろから別の声が飛んだ。
「公爵が死んで、令嬢も消えた。……これ、王宮と揉めて殺されたんじゃねぇのか?」
その声が燃料だった。
群衆の温度が一段上がる。
疑いが“理由”に変わり始める。
私は喉の奥に血の味を感じた。
この瞬間を待っていた者がいる。疑いを噂へ、噂を怒りへ、怒りを行動へ変えるための声。
群衆の端に、上等な外套の男が立っているのが見えた。貴族だ。目立たぬように立ち、しかし一言で場を動かせる位置にいる。
他家の者だろう。機に乗じて、アルノー家を潰す気だ。潰れれば領地が割れる。割れれば奪い合える。
「……皆様」
私は声を少しだけ強くした。
「この屋敷は喪に服しております。今ここで騒げば、亡き公爵への侮辱になります」
男が顔を歪める。
「侮辱? 侮辱してんのはどっちだよ。お嬢様を隠して……!」
その瞬間、群衆の後ろから金属音がした。
誰かが門に棒を当てた音。
暴力が、形を持ち始める。
――間に合わない。
私は理解した。言葉では、もう止まらない。
止めるなら、“証拠”が要る。
だが出せる証拠は、犬だ。
犬を見せれば終わる。終わるが、別の地獄が始まる。
「令嬢が犬になった」という事実は、同情ではなく嘲笑を生む。嘲笑は貴族社会で最も鋭い刃だ。王宮に届けば、確実に利用される。敵にも味方にも、利用される。
私は扉を少し閉めようとした。
その時、足元でぴたりと体温が寄った。
犬が、私の足の内側に体を押し当ててきた。
小さく、しかし強い力。
そして、前脚で床を叩く。
とん。
とん、とん。
とん、とん、とん。
合図だ。
回数の合図。
私は目を伏せ、瞬時に理解した。
“出せ”。
“文を”。
“今、ここで”。
犬は犬のまま、主として命令している。
私は背筋を伸ばし、扉を閉めた。
群衆のざわめきが、木の板越しに鈍い波として押し寄せる。
「カトリーヌ!」
「はい」
「紙とペン。最短で。封蝋は要らない。署名欄は空欄でいい。代わりに――」
私は言葉を切り、喉を鳴らした。
署名がないと文は弱い。だが署名があれば、偽造の余地が生まれる。
ならば、署名以外で“本人性”を出す必要がある。
クラリッサが持つ、誰にも真似できないもの。
数字だ。判断だ。民が知っている彼女の手腕だ。
「……領内の救恤の内訳を、今この場で出す。細かい金額まで。王宮からの支援が“ゼロ”だったことも書く」
カトリーヌの目が細くなる。
「それ、喧嘩売りますね」
「売る。売らないと燃やされる」
犬が短く鼻を鳴らした。肯定だ。
私たちは食堂に走り、机を空けた。
ノエルが青い顔で紙束を抱えてきた。
「外、こわい……!」
声が震えている。
私は言った。
「ノエル、震えていい。手だけ止めるな。あなたの手が止まると、主の声が止まる」
ノエルが一度だけ頷き、涙を拭って紙を押さえた。
私は書き始める。
犬は横で座り、前脚で机を叩く。とん、とん。修正。とん。強調。
数字を並べる。配給の量。燃料の配分。医療費。孤児院。冬の凍死者数を減らした施策。
王宮の支援がどれだけ薄かったか。貴族の宴にどれだけ金が流れ、民へどれだけ降りなかったか。
一つ一つが、“民が知っているクラリッサ”の証明になる。
書いているうちに、私の指先が熱くなる。怒りだ。怒りは危険だが、今は必要だ。怒りがないと、文は弱くなる。
最後に、私は一行だけ書く。
――アルノー家は、民の側に立つ。
署名は入れない。
代わりに、余白に小さな印を三つ置く。
とん、とん、とん。
犬が叩いた回数。
私たちだけが知る、主の合図。
そして、私たちが主を守るための、秘密の署名。
文を持って玄関へ戻る。
扉を開けると、群衆の声が一斉に降りかかる。
「見せろ!」「嘘だ!」「殺したんだろ!」
私は文を高く掲げた。
「……読むなら、静かに。静かにできない者は帰れ。これは“あなた方のための文”です」
人は不思議だ。
“自分のため”と言われると、耳が開く。
前の男が文を奪うように受け取り、読み始める。
最初は荒い息。
次に、眉が動く。
次に、口が閉じる。
数字が、人を黙らせる。
理屈が、怒りを一度止める。
「……王宮が、これだけ……?」
誰かが呟く。
群衆の中で、怒りの向きが少しずつ変わる。
“公爵家への怒り”が、
“王宮への怒り”へ移る。
だが移った怒りは、新しい火種になる。
火種は、貴族同士の争いを呼ぶ。
そして――その火を利用する者が必ず出る。
上等な外套の貴族が、ゆっくりと前へ出た。
にやりと笑い、群衆へ言う。
「ほう。つまり王宮が悪い、と。ならばアルノー家は王宮に逆らうのだな? 反逆の旗を掲げるのだな?」
言葉が鋭い。
反逆の二文字を置けば、民衆は怯む。
怯めば、また疑いが戻る。
疑いが戻れば、屋敷は燃える。
私は息を吸い、反論を考える。
――その瞬間、背後で爪の音がした。
とと、とと、と。
犬が、玄関の影から一歩だけ前へ出た。
見せてはいけない。
見せたら終わる。
けれど、犬は止まらない。
止まらない足取りで、私の横に並ぶ。
群衆の視線が、犬に吸い寄せられる。
「……犬?」
誰かが笑いかける。
だが、その笑いは途中で止まった。
犬の瞳が、灰金に光っていたからだ。
その目が、“黙れ”と言っていたからだ。
犬が一度だけ、低く唸った。
……きゅぅ。
笑いが完全に死んだ。
貴族の男だけが、薄く笑った。
「ほう。犬を飼っているとは余裕だな。民が飢えているというのに」
私は反射的に言い返しかけた。
だが犬が、前脚で床を叩いた。
とん。
一回。
――“待て”。
私は黙った。
犬は犬のまま、貴族を見上げた。
尻尾を振らない。愛想を見せない。
ただ、無言で見つめる。
その沈黙が、貴族の男の言葉を奪った。
言葉の上手い者ほど、沈黙に弱い。
沈黙は、鏡になる。
自分の醜さが映る。
貴族の男は咳払いし、引き下がった。
群衆も、完全に燃え上がる前に足を止めた。
怒りは残っている。疑いも残っている。
しかし、燃やす理由が一度消えた。
それだけで、今日の屋敷は生き延びる。
扉を閉めた瞬間、私は背中を壁につけた。
足が震えている。
ノエルが泣きながら犬を抱きしめようとしたが、カトリーヌが腕で止めた。
「今はだめ。……今は、主よ」
ノエルが唇を噛む。
犬は床に座り、目を閉じた。
疲れているのか、考えているのか分からない。
ただ、その姿勢がすでに“決定”を含んでいた。
私は理解した。
民衆は味方でも敵でもない。
“空気”だ。
貴族も同じ。
王宮は沈黙することで、最も卑怯に火を撒いている。
そして、この状況で生き残るには、
犬の可愛さを盾にするだけでは足りない。
犬の沈黙を、刃にしなければならない。
私は膝をつき、犬の目を覗いた。
「……お嬢様。次は、どうします」
犬はゆっくりと瞬きをし、
前脚で床を叩いた。
とん、とん。
二回。
――“次へ”。
次は逃げではない。
次は攻めだ。
夜、屋敷の灯はいつもより少なかった。
灯を増やせば外から見える。見えれば「まだ余裕がある」と思われる。余裕があると思われれば、また来る。だから私たちは灯を絞り、音を絞り、呼吸さえ絞って、屋敷を“沈んだ船”のように見せた。
沈んだ船は、奪う価値がない。奪う価値がないと見せることが、今の私たちの防波堤だった。
それでも、扉の外の熱は消えていない。
昼間の群衆は散ったが、散り方が嫌だった。怒りが冷めた散り方ではない。理由を見つけるために一旦引いた散り方だ。理由を見つけた次は、もう言葉では止まらない。
私は台所の隅で冷えた指先を擦り合わせ、今日書いた文の写しをもう一度読み返した。数字は正しい。言葉も過剰ではない。けれど正しさは、怒りの燃料にもなる。民衆が王宮へ怒りを向ければ、次は貴族が民衆を煽り、王宮はその混乱を口実に“秩序”を持ち込む。秩序はいつだって、弱い者を先に縛る。
「……結局、誰が得するのかしらね」
カトリーヌが椅子に腰掛けたまま言った。火のない部屋で彼女の声は乾いて響く。
ノエルはまだ泣き跡の残る目で、湯を沸かしていた。沸かすだけだ。飲む者がいない。主は食べず、私たちも喉を通らせる気になれない。湯気だけが、家がまだ生きているふりをする。
私は言った。
「得する者はいつも、火を点けた者よ」
カトリーヌが鼻で笑った。
「じゃあ、今日火を点けようとしたのは――あの貴族ね」
「ええ。名は出さない。名を出すと、名が武器になる」
ノエルが小さく口を開いた。
「でも……どうして、そんなことを……? お嬢様がいなくなったら、困るのはみんななのに」
困る。だからこそ争う。
崩れる前に奪い、崩れた後に踏む。それが彼らの流儀だ。私はノエルの疑問に答えず、代わりに湯の匂いを吸い込んだ。薬草の匂いが混じる。公爵の死からこの匂いが抜けない。匂いが抜けない家は、まだ死んでいない。死んでいないなら、次に壊される。
廊下から、爪の音がした。
とと、とと。
音は小さいが、迷いがない。
私たちは同時に視線を向ける。
犬が現れた。
クラリッサお嬢様は、今日の昼間よりも毛並みが整っていた。誰が整えたのか。ノエルが整えたのだろう。けれどそれは単なる可愛がりではない。今日一日で、ノエルの撫で方が変わった。慰めるような撫で方から、武具を整えるような撫で方へ。可愛いを“盾”にするなら、盾は磨かねばならない。ノエルはそれを理解してしまったのだ。
犬は台所の入口で立ち止まり、私たちを見回した。
その目が、順番に私、カトリーヌ、ノエルをなぞる。
それは点呼のようだった。
“残っているか”。
“揺れていないか”。
“今日の火を、飲み込めたか”。
私は椅子を引いて、犬の前に膝をついた。
近づくと、体温がある。
犬の体温は、人間より少し高い。
その暖かさが、逆に残酷だ。暖かいのに、言葉がない。
「お嬢様」
呼ぶ。
犬は耳を一度だけ動かした。
「……今日、外で出てしまいましたね」
犬が瞬きをする。肯定とも否定ともつかない。
私は続ける。
「見せる気はない。けれど、見られた。次は、もっと大きい圧が来ます。民も貴族も、王宮も。今日の文は効きました。でも、効いたからこそ次が来る」
カトリーヌが腕を組み直した。
「火を止めたら負け。火を大きくしたら燃える。……最悪ね」
ノエルが唇を噛んだ。
「私……怖い。でも、逃げたくない。お嬢様が居なくなったら、私……」
言葉が途切れ、涙が落ちる。
犬はその涙を見て、ゆっくりと近づいた。
ノエルの膝に前脚を置く。
体重が軽い。なのに、置かれた瞬間、ノエルの背中が少しだけ真っすぐになる。
犬が何かを言おうとしているのが分かった。
言えない。だから、回数で言う。
犬は床を叩いた。
とん。
一回。
私は息を吸った。
一回は、いつも「待て」ではない。
状況により意味が変わる。
私は今日の彼女の動きを思い出し、最も筋の通る解釈を選んだ。
「……“怖くていい”。そう仰ってる」
ノエルが目を見開く。
犬はもう一度、床を叩いた。
とん、とん。
二回。
「……“それでも動け”。」
カトリーヌが小さく笑って、すぐに顔を引き締めた。
「相変わらず、主は厳しい」
犬はカトリーヌを見た。
カトリーヌが目を逸らさずに受け止める。
その瞬間、犬が尻尾を振った。ほんの小さく。
褒美だ。
褒美が可愛い。だが、その可愛さが今は、命令と同じ重さを持っている。
私は立ち上がり、机の引き出しから紙を一枚取り出した。今日使った紙とは違う。もっと厚い紙。屋敷の中でしか使わない紙。
私はそれを机に置き、言った。
「今夜、私たちの“規則”を決めます」
カトリーヌが眉を上げる。
「規則?」
「ええ。嘘の扱い方。犬の扱い方。外への出し方。……そして、主の意志の受け取り方」
ノエルが震えた声で聞く。
「それって……“本当に”お嬢様なんだって、認めるってこと?」
私は答えなかった。
答えなくても、もう認めている。
認めたくないのは、私たちが壊れるのが怖いからだ。
けれど壊れるのが怖いから認めない、では守れない。守るには、形を与える必要がある。
犬が机の横に座り、こちらを見上げた。
灰金の瞳が、今夜の決定を待っている。
待っているのに、急かさない。
主はいつだって、決断を人に押し付けない。
押し付けずに、逃げ道を消す。
私は紙の上に、最初の規則を書いた。
――この屋敷の主は、今もクラリッサ・アルノーである。
書いた瞬間、ノエルが息を呑み、カトリーヌの指がわずかに動いた。
犬は瞬きを一度した。
それは承認であり、同時に“重さ”でもある。
この一文を書いてしまった以上、私たちはもう後戻りできない。
私は二つ目を書いた。
――外部に犬の正体を漏らした者は、敵とみなす。
カトリーヌが短く息を吐く。
「そこまで?」
「そこまで。敵は“悪意”じゃない。“漏れ”よ。漏れは意図と関係なく人を殺す」
犬が床を叩く。
とん、とん。
二回。
強い肯定。
クラリッサは冷たい。冷たいが正しい。その正しさが、今夜は私を支えていた。
三つ目。
――主の意志は、回数で受け取り、文として外へ出す。
四つ目。
――可愛いは盾であり、刃である。盾として使うとき、甘やかしは禁ず。
ノエルが泣き笑いの顔で頷く。彼女にとって一番きつい規則だ。撫でたい。抱きたい。守りたい。けれど“甘やかす”と“守る”は違う。甘やかしは主を弱者に閉じ込める。守りは主を主のまま外へ出す。その違いを、ノエルは今夜受け入れた。
最後に、私は空欄を一つ残した。
“主からの規則”。
私たちが主へ求めるのではなく、主が私たちへ求めるもの。
私は犬を見た。
「……お嬢様。最後を」
犬はしばらく動かなかった。
静かに、長く、息を吐く。
その後、床を叩いた。
とん。
とん、とん。
とん、とん、とん。
三回。
私は目を閉じ、意味を選ぶ。
三回は、彼女が“決定”を下すときの回数だ。
今日の昼も、三回は強い確信だった。
だから私は、恐ろしいほど単純な言葉に落とした。
――前へ。
紙の上に「前へ」と書いた瞬間、屋敷の空気が少しだけ動いた。
止まっていた時計が、遅れていた針を取り戻すみたいに。
カトリーヌが窓の外を見て呟く。
「……明日も来るわね」
「来ます」
私は言った。
「そして明日は、今日より厄介です。今日の文で、火の向きが変わった。民は王宮を恨む。貴族はそれを利用する。王宮は沈黙を続ける。……火は必ず広がる」
ノエルが震えた声で聞く。
「お嬢様、どうするの……?」
犬はノエルを見て、首を少しだけ傾げた。
その仕草は、あまりに可愛い。
可愛くて、胸が痛い。
そして、床を叩いた。
とん、とん。
二回。
私は頷き、答えを口にした。
「……明日は、“先に出す”。」
守りに入るのをやめる。
隠すだけの嘘をやめる。
嘘を“武器”として整えて、外を動かす。
犬であることを利用し、沈黙で相手の言葉を奪い、数字で相手の感情を止める。
それが、クラリッサの戦い方になる。
私は紙を畳み、胸元にしまった。
それは規則であり、誓約だった。
この屋敷は今日から、ただの公爵邸ではない。
犬の姿をした主が、沈黙で世界を動かすための、小さな要塞になる。
廊下へ出ると、犬が先に歩き出した。
とと、とと。
短い脚が、迷いなく前へ向かう。
私はその後ろ姿を見ながら思った。
この呪いは、主を可愛いに閉じ込める。
だが同時に、主に“別の道”を与える。
もし愛され、憎まれ、その両方を受け止めた時にだけ人へ戻るのなら――
今夜、私たちはその入口に立った。
「前へ」
私は小さく呟き、主の足音に自分の足音を重ねた。
外はまだ火種だらけだ。
民の目も、貴族の舌も、王宮の沈黙も、全部が敵になり得る。
けれど、主は歩く。
犬の姿で。
沈黙を纏いながら。
そして明日、屋敷の外へ――“先に”出る。
クラリッサ(なんでこのメイド達当たり前に会話出来るのよ・・・。)
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