15 / 17
知って、自覚して、かえりみる
白詰草
しおりを挟む
除菌の電子音が響くこともなく、照明の白が穏やかに落ち着いた部屋。
昨日まで、何をしても越えられなかった壁の向こうに、僕は今いる。
拍子抜け――それが正直な感想だった。
昨日のあの夜、あれほどの覚悟を持って、壁の外から声を届けたのに。
今日は、何の警報も鳴らず、認証もされず、ただ扉が開いて入れた。
「……え?」
自分の声が間抜けに響く。
後ろで扉が閉まる音がして、振り向いた先――その中心に、彼女がいた。
澪。
純白のカーテンを背に立つ姿は、昨日と同じはずなのに、まるで違う光を放って見えた。
「……あなた、どうしてここに?」
眉をひそめ、ゆっくり歩み寄る。声には怒りと驚きが混じっていて、少しだけ――嬉しそうでもあった。
「普通に……通れたから」
澪の眉がピクリと動いた。
間を置かず、彼女は僕の胸を小突く。そのまま腕を掴み、ぐいっと引き寄せて――締め上げる。
「“普通に”……ですって?」
力が弱い。僕の方が少し背が高いせいで、結果的に抱きしめ合っているようにしか見えない。近すぎる距離。呼吸が交わる。
「誰も通れなかったのよ、この部屋。今まで、特別な許可を持つ人しか入れなかった。それを……あなたはあっさり……」
言葉の終わりが震えた。怒りよりも、戸惑い。そして、ほんの少しの安堵。
「ご、ごめん」
「ほんとに……あなたって……」
彼女はため息をつき、腕を離した。頬はわずかに赤く、目線を合わせてくれない。
沈黙を破るように、壁のモニターが点灯した。
複数の画面が同時に動き出し、教室、中庭、購買前、あらゆる場所の映像が映る。この部屋は、警備室の隣にある。世間や学園の動きを把握するための、観測端末が並ぶ場所だ。
澪は、その光を見つめながら言った。
「……この学園の恋愛文化、あなたもそろそろ知っておいた方がいいわね」
「恋愛文化?」
「そう。ここでは“告白”って、もう形式なのよ。してしまえば、だいたい成功扱いになるの。でも、それを聞いた他の子が、横から“奪いに行く”こともある。タイミングが勝負なのよ」
「奪いに……」
「ええ。だからみんな、失敗を避けるために曖昧にしたり、逃げたりする。それでも告白され慣れてる子は上手に濁すし、本気の子は誰も追ってこられない場所に相手を誘う。この学園じゃ、恋をするにも頭を使うの」
そこまで言って、澪は少し肩をすくめた。
「ま、どこぞの作者みたいに手当たり次第に告白して、断られたら“じゃあいいです”って別の人探すような馬鹿になったらダメよ」
「作者?」
「あと、“告白は好感度確認イベントだけど、意味感じて無駄に躊躇う時点で非効率”とか言うのもアウト。そんなこと言ったら、性格悪いって擦られるわ」
「……なんの話?」
「いいの、気にしないで」
澪は誤魔化すように視線を逸らす。そしてその頬がまた赤くなった。
僕は思わず口にしてしまった。
「じゃあ、本気で告白する時は……この部屋ですか?」
「なっ……!? 何言ってるの!? ここは清潔区画よ! そういうことに使う場所じゃ――」
「え、違うの?」
「違うに決まってるでしょう!!!」
澪が再び掴みかかってくる。しかし、やはり力が足りず、また――抱き合っているようにしか見えなかった。外から見れば、完全に二人が寄り添っている構図だ。
「……もう、ほんとに……あなたって人は……!」
彼女の手が震える。怒りでも、羞恥でもなく、感情の行き場を失ったような震え。
そのとき――。
「先生ぇぇぇ!! 倫理的にこれセーフですかぁ!?」
「静かにしろ、清潔区画だぞ!」
廊下の向こうで、いろはと蓮花の騒ぐ声が響いた。どうやらパスボックス付近で必死に中を覗こうとしていたらしい。
「ちょ、見えないって!」「あと少しで……!」
「こら、二人とも何してる!!」
教師に引っ張られる音が遠ざかっていく。
澪は顔を覆ったまま深くため息をついた。
「……ほんと、落ち着かないわね」
「はは……」
笑うしかなかった。
静かになった部屋に、モニターの光だけが残る。
澪がリモコンを操作すると、画面が一つに絞られた。
そこには、中庭で向かい合う二人の少女。一人は笑顔、もう一人は視線を逸らしている。花能真知と楠野三智。
「この二人、悩んでるみたいね」
澪の声が少し柔らかくなる。
「表面上は仲良くしてるけど、感情の波がまったく噛み-合ってない。どちらも完璧すぎて、歩み寄れないの」
「……放っておけないね」
僕がつぶやくと、澪は目を細めた。その横顔は、どこか嬉しそうで、どこか寂しげだった。
「あなた、また何かするつもりでしょ?」
「……少しくらい、力になれたら」
「そう。じゃあ、私は分析。あなたは現場ね」
澪は短く言って、モニターから目を離す。
静寂。
同じ映像を見ながら、二人の心は別々の方向を向いていた。
けれど、想いの形は――奇妙なほど似ている。
(全校をカップルで満たして、最後に残れば――)
(“最後”なら、断れない。特別な一枠になれる。)
(その瞬間、彼女に言える。)
(その瞬間、彼に言わせられる。)
互いの心の中で、まったく同じ言葉が重なった。だが、誰も口にはしない。
モニターの光が、二人の横顔を優しく照らしていた。
昨日まで、何をしても越えられなかった壁の向こうに、僕は今いる。
拍子抜け――それが正直な感想だった。
昨日のあの夜、あれほどの覚悟を持って、壁の外から声を届けたのに。
今日は、何の警報も鳴らず、認証もされず、ただ扉が開いて入れた。
「……え?」
自分の声が間抜けに響く。
後ろで扉が閉まる音がして、振り向いた先――その中心に、彼女がいた。
澪。
純白のカーテンを背に立つ姿は、昨日と同じはずなのに、まるで違う光を放って見えた。
「……あなた、どうしてここに?」
眉をひそめ、ゆっくり歩み寄る。声には怒りと驚きが混じっていて、少しだけ――嬉しそうでもあった。
「普通に……通れたから」
澪の眉がピクリと動いた。
間を置かず、彼女は僕の胸を小突く。そのまま腕を掴み、ぐいっと引き寄せて――締め上げる。
「“普通に”……ですって?」
力が弱い。僕の方が少し背が高いせいで、結果的に抱きしめ合っているようにしか見えない。近すぎる距離。呼吸が交わる。
「誰も通れなかったのよ、この部屋。今まで、特別な許可を持つ人しか入れなかった。それを……あなたはあっさり……」
言葉の終わりが震えた。怒りよりも、戸惑い。そして、ほんの少しの安堵。
「ご、ごめん」
「ほんとに……あなたって……」
彼女はため息をつき、腕を離した。頬はわずかに赤く、目線を合わせてくれない。
沈黙を破るように、壁のモニターが点灯した。
複数の画面が同時に動き出し、教室、中庭、購買前、あらゆる場所の映像が映る。この部屋は、警備室の隣にある。世間や学園の動きを把握するための、観測端末が並ぶ場所だ。
澪は、その光を見つめながら言った。
「……この学園の恋愛文化、あなたもそろそろ知っておいた方がいいわね」
「恋愛文化?」
「そう。ここでは“告白”って、もう形式なのよ。してしまえば、だいたい成功扱いになるの。でも、それを聞いた他の子が、横から“奪いに行く”こともある。タイミングが勝負なのよ」
「奪いに……」
「ええ。だからみんな、失敗を避けるために曖昧にしたり、逃げたりする。それでも告白され慣れてる子は上手に濁すし、本気の子は誰も追ってこられない場所に相手を誘う。この学園じゃ、恋をするにも頭を使うの」
そこまで言って、澪は少し肩をすくめた。
「ま、どこぞの作者みたいに手当たり次第に告白して、断られたら“じゃあいいです”って別の人探すような馬鹿になったらダメよ」
「作者?」
「あと、“告白は好感度確認イベントだけど、意味感じて無駄に躊躇う時点で非効率”とか言うのもアウト。そんなこと言ったら、性格悪いって擦られるわ」
「……なんの話?」
「いいの、気にしないで」
澪は誤魔化すように視線を逸らす。そしてその頬がまた赤くなった。
僕は思わず口にしてしまった。
「じゃあ、本気で告白する時は……この部屋ですか?」
「なっ……!? 何言ってるの!? ここは清潔区画よ! そういうことに使う場所じゃ――」
「え、違うの?」
「違うに決まってるでしょう!!!」
澪が再び掴みかかってくる。しかし、やはり力が足りず、また――抱き合っているようにしか見えなかった。外から見れば、完全に二人が寄り添っている構図だ。
「……もう、ほんとに……あなたって人は……!」
彼女の手が震える。怒りでも、羞恥でもなく、感情の行き場を失ったような震え。
そのとき――。
「先生ぇぇぇ!! 倫理的にこれセーフですかぁ!?」
「静かにしろ、清潔区画だぞ!」
廊下の向こうで、いろはと蓮花の騒ぐ声が響いた。どうやらパスボックス付近で必死に中を覗こうとしていたらしい。
「ちょ、見えないって!」「あと少しで……!」
「こら、二人とも何してる!!」
教師に引っ張られる音が遠ざかっていく。
澪は顔を覆ったまま深くため息をついた。
「……ほんと、落ち着かないわね」
「はは……」
笑うしかなかった。
静かになった部屋に、モニターの光だけが残る。
澪がリモコンを操作すると、画面が一つに絞られた。
そこには、中庭で向かい合う二人の少女。一人は笑顔、もう一人は視線を逸らしている。花能真知と楠野三智。
「この二人、悩んでるみたいね」
澪の声が少し柔らかくなる。
「表面上は仲良くしてるけど、感情の波がまったく噛み-合ってない。どちらも完璧すぎて、歩み寄れないの」
「……放っておけないね」
僕がつぶやくと、澪は目を細めた。その横顔は、どこか嬉しそうで、どこか寂しげだった。
「あなた、また何かするつもりでしょ?」
「……少しくらい、力になれたら」
「そう。じゃあ、私は分析。あなたは現場ね」
澪は短く言って、モニターから目を離す。
静寂。
同じ映像を見ながら、二人の心は別々の方向を向いていた。
けれど、想いの形は――奇妙なほど似ている。
(全校をカップルで満たして、最後に残れば――)
(“最後”なら、断れない。特別な一枠になれる。)
(その瞬間、彼女に言える。)
(その瞬間、彼に言わせられる。)
互いの心の中で、まったく同じ言葉が重なった。だが、誰も口にはしない。
モニターの光が、二人の横顔を優しく照らしていた。
0
あなたにおすすめの小説
侯爵様の懺悔
宇野 肇
恋愛
女好きの侯爵様は一年ごとにうら若き貴族の女性を妻に迎えている。
そのどれもが困窮した家へ援助する条件で迫るという手法で、実際に縁づいてから領地経営も上手く回っていくため誰も苦言を呈せない。
侯爵様は一年ごとにとっかえひっかえするだけで、侯爵様は決して貴族法に違反する行為はしていないからだ。
その上、離縁をする際にも夫人となった女性の希望を可能な限り聞いたうえで、新たな縁を取り持ったり、寄付金とともに修道院へ出家させたりするそうなのだ。
おかげで不気味がっているのは娘を差し出さねばならない困窮した貴族の家々ばかりで、平民たちは呑気にも次に来る奥さんは何を希望して次の場所へ行くのか賭けるほどだった。
――では、侯爵様の次の奥様は一体誰になるのだろうか。
あなたのためなら
天海月
恋愛
エルランド国の王であるセルヴィスは、禁忌魔術を使って偽の番を騙った女レクシアと婚約したが、嘘は露見し婚約破棄後に彼女は処刑となった。
その後、セルヴィスの真の番だという侯爵令嬢アメリアが現れ、二人は婚姻を結んだ。
アメリアは心からセルヴィスを愛し、彼からの愛を求めた。
しかし、今のセルヴィスは彼女に愛を返すことが出来なくなっていた。
理由も分からないアメリアは、セルヴィスが愛してくれないのは自分の行いが悪いからに違いないと自らを責めはじめ、次第に歯車が狂っていく。
全ては偽の番に過度のショックを受けたセルヴィスが、衝動的に行ってしまった或ることが原因だった・・・。
乙女ゲームは見守るだけで良かったのに
冬野月子
恋愛
乙女ゲームの世界に転生した私。
ゲームにはほとんど出ないモブ。
でもモブだから、純粋に楽しめる。
リアルに推しを拝める喜びを噛みしめながら、目の前で繰り広げられている悪役令嬢の断罪劇を観客として見守っていたのに。
———どうして『彼』はこちらへ向かってくるの?!
全三話。
「小説家になろう」にも投稿しています。
悪意には悪意で
12時のトキノカネ
恋愛
私の不幸はあの女の所為?今まで穏やかだった日常。それを壊す自称ヒロイン女。そしてそのいかれた女に悪役令嬢に指定されたミリ。ありがちな悪役令嬢ものです。
私を悪意を持って貶めようとするならば、私もあなたに同じ悪意を向けましょう。
ぶち切れ気味の公爵令嬢の一幕です。
幼馴染の許嫁
山見月あいまゆ
恋愛
私にとって世界一かっこいい男の子は、同い年で幼馴染の高校1年、朝霧 連(あさぎり れん)だ。
彼は、私の許嫁だ。
___あの日までは
その日、私は連に私の手作りのお弁当を届けに行く時だった
連を見つけたとき、連は私が知らない女の子と一緒だった
連はモテるからいつも、周りに女の子がいるのは慣れいてたがもやもやした気持ちになった
女の子は、薄い緑色の髪、ピンク色の瞳、ピンクのフリルのついたワンピース
誰が見ても、愛らしいと思う子だった。
それに比べて、自分は濃い藍色の髪に、水色の瞳、目には大きな黒色の眼鏡
どうみても、女の子よりも女子力が低そうな黄土色の入ったお洋服
どちらが可愛いかなんて100人中100人が女の子のほうが、かわいいというだろう
「こっちを見ている人がいるよ、知り合い?」
可愛い声で連に私のことを聞いているのが聞こえる
「ああ、あれが例の許嫁、氷瀬 美鈴(こおりせ みすず)だ。」
例のってことは、前から私のことを話していたのか。
それだけでも、ショックだった。
その時、連はよしっと覚悟を決めた顔をした
「美鈴、許嫁をやめてくれないか。」
頭を殴られた感覚だった。
いや、それ以上だったかもしれない。
「結婚や恋愛は、好きな子としたいんだ。」
受け入れたくない。
けど、これが連の本心なんだ。
受け入れるしかない
一つだけ、わかったことがある
私は、連に
「許嫁、やめますっ」
選ばれなかったんだ…
八つ当たりの感覚で連に向かって、そして女の子に向かって言った。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる