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知って、自覚して、かえりみる
白詰草
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除菌の電子音が響くこともなく、照明の白が穏やかに落ち着いた部屋。
昨日まで、何をしても越えられなかった壁の向こうに、僕は今いる。
拍子抜け――それが正直な感想だった。
昨日のあの夜、あれほどの覚悟を持って、壁の外から声を届けたのに。
今日は、何の警報も鳴らず、認証もされず、ただ扉が開いて入れた。
「……え?」
自分の声が間抜けに響く。
後ろで扉が閉まる音がして、振り向いた先――その中心に、彼女がいた。
澪。
純白のカーテンを背に立つ姿は、昨日と同じはずなのに、まるで違う光を放って見えた。
「……あなた、どうしてここに?」
眉をひそめ、ゆっくり歩み寄る。声には怒りと驚きが混じっていて、少しだけ――嬉しそうでもあった。
「普通に……通れたから」
澪の眉がピクリと動いた。
間を置かず、彼女は僕の胸を小突く。そのまま腕を掴み、ぐいっと引き寄せて――締め上げる。
「“普通に”……ですって?」
力が弱い。僕の方が少し背が高いせいで、結果的に抱きしめ合っているようにしか見えない。近すぎる距離。呼吸が交わる。
「誰も通れなかったのよ、この部屋。今まで、特別な許可を持つ人しか入れなかった。それを……あなたはあっさり……」
言葉の終わりが震えた。怒りよりも、戸惑い。そして、ほんの少しの安堵。
「ご、ごめん」
「ほんとに……あなたって……」
彼女はため息をつき、腕を離した。頬はわずかに赤く、目線を合わせてくれない。
沈黙を破るように、壁のモニターが点灯した。
複数の画面が同時に動き出し、教室、中庭、購買前、あらゆる場所の映像が映る。この部屋は、警備室の隣にある。世間や学園の動きを把握するための、観測端末が並ぶ場所だ。
澪は、その光を見つめながら言った。
「……この学園の恋愛文化、あなたもそろそろ知っておいた方がいいわね」
「恋愛文化?」
「そう。ここでは“告白”って、もう形式なのよ。してしまえば、だいたい成功扱いになるの。でも、それを聞いた他の子が、横から“奪いに行く”こともある。タイミングが勝負なのよ」
「奪いに……」
「ええ。だからみんな、失敗を避けるために曖昧にしたり、逃げたりする。それでも告白され慣れてる子は上手に濁すし、本気の子は誰も追ってこられない場所に相手を誘う。この学園じゃ、恋をするにも頭を使うの」
そこまで言って、澪は少し肩をすくめた。
「ま、どこぞの作者みたいに手当たり次第に告白して、断られたら“じゃあいいです”って別の人探すような馬鹿になったらダメよ」
「作者?」
「あと、“告白は好感度確認イベントだけど、意味感じて無駄に躊躇う時点で非効率”とか言うのもアウト。そんなこと言ったら、性格悪いって擦られるわ」
「……なんの話?」
「いいの、気にしないで」
澪は誤魔化すように視線を逸らす。そしてその頬がまた赤くなった。
僕は思わず口にしてしまった。
「じゃあ、本気で告白する時は……この部屋ですか?」
「なっ……!? 何言ってるの!? ここは清潔区画よ! そういうことに使う場所じゃ――」
「え、違うの?」
「違うに決まってるでしょう!!!」
澪が再び掴みかかってくる。しかし、やはり力が足りず、また――抱き合っているようにしか見えなかった。外から見れば、完全に二人が寄り添っている構図だ。
「……もう、ほんとに……あなたって人は……!」
彼女の手が震える。怒りでも、羞恥でもなく、感情の行き場を失ったような震え。
そのとき――。
「先生ぇぇぇ!! 倫理的にこれセーフですかぁ!?」
「静かにしろ、清潔区画だぞ!」
廊下の向こうで、いろはと蓮花の騒ぐ声が響いた。どうやらパスボックス付近で必死に中を覗こうとしていたらしい。
「ちょ、見えないって!」「あと少しで……!」
「こら、二人とも何してる!!」
教師に引っ張られる音が遠ざかっていく。
澪は顔を覆ったまま深くため息をついた。
「……ほんと、落ち着かないわね」
「はは……」
笑うしかなかった。
静かになった部屋に、モニターの光だけが残る。
澪がリモコンを操作すると、画面が一つに絞られた。
そこには、中庭で向かい合う二人の少女。一人は笑顔、もう一人は視線を逸らしている。花能真知と楠野三智。
「この二人、悩んでるみたいね」
澪の声が少し柔らかくなる。
「表面上は仲良くしてるけど、感情の波がまったく噛み-合ってない。どちらも完璧すぎて、歩み寄れないの」
「……放っておけないね」
僕がつぶやくと、澪は目を細めた。その横顔は、どこか嬉しそうで、どこか寂しげだった。
「あなた、また何かするつもりでしょ?」
「……少しくらい、力になれたら」
「そう。じゃあ、私は分析。あなたは現場ね」
澪は短く言って、モニターから目を離す。
静寂。
同じ映像を見ながら、二人の心は別々の方向を向いていた。
けれど、想いの形は――奇妙なほど似ている。
(全校をカップルで満たして、最後に残れば――)
(“最後”なら、断れない。特別な一枠になれる。)
(その瞬間、彼女に言える。)
(その瞬間、彼に言わせられる。)
互いの心の中で、まったく同じ言葉が重なった。だが、誰も口にはしない。
モニターの光が、二人の横顔を優しく照らしていた。
昨日まで、何をしても越えられなかった壁の向こうに、僕は今いる。
拍子抜け――それが正直な感想だった。
昨日のあの夜、あれほどの覚悟を持って、壁の外から声を届けたのに。
今日は、何の警報も鳴らず、認証もされず、ただ扉が開いて入れた。
「……え?」
自分の声が間抜けに響く。
後ろで扉が閉まる音がして、振り向いた先――その中心に、彼女がいた。
澪。
純白のカーテンを背に立つ姿は、昨日と同じはずなのに、まるで違う光を放って見えた。
「……あなた、どうしてここに?」
眉をひそめ、ゆっくり歩み寄る。声には怒りと驚きが混じっていて、少しだけ――嬉しそうでもあった。
「普通に……通れたから」
澪の眉がピクリと動いた。
間を置かず、彼女は僕の胸を小突く。そのまま腕を掴み、ぐいっと引き寄せて――締め上げる。
「“普通に”……ですって?」
力が弱い。僕の方が少し背が高いせいで、結果的に抱きしめ合っているようにしか見えない。近すぎる距離。呼吸が交わる。
「誰も通れなかったのよ、この部屋。今まで、特別な許可を持つ人しか入れなかった。それを……あなたはあっさり……」
言葉の終わりが震えた。怒りよりも、戸惑い。そして、ほんの少しの安堵。
「ご、ごめん」
「ほんとに……あなたって……」
彼女はため息をつき、腕を離した。頬はわずかに赤く、目線を合わせてくれない。
沈黙を破るように、壁のモニターが点灯した。
複数の画面が同時に動き出し、教室、中庭、購買前、あらゆる場所の映像が映る。この部屋は、警備室の隣にある。世間や学園の動きを把握するための、観測端末が並ぶ場所だ。
澪は、その光を見つめながら言った。
「……この学園の恋愛文化、あなたもそろそろ知っておいた方がいいわね」
「恋愛文化?」
「そう。ここでは“告白”って、もう形式なのよ。してしまえば、だいたい成功扱いになるの。でも、それを聞いた他の子が、横から“奪いに行く”こともある。タイミングが勝負なのよ」
「奪いに……」
「ええ。だからみんな、失敗を避けるために曖昧にしたり、逃げたりする。それでも告白され慣れてる子は上手に濁すし、本気の子は誰も追ってこられない場所に相手を誘う。この学園じゃ、恋をするにも頭を使うの」
そこまで言って、澪は少し肩をすくめた。
「ま、どこぞの作者みたいに手当たり次第に告白して、断られたら“じゃあいいです”って別の人探すような馬鹿になったらダメよ」
「作者?」
「あと、“告白は好感度確認イベントだけど、意味感じて無駄に躊躇う時点で非効率”とか言うのもアウト。そんなこと言ったら、性格悪いって擦られるわ」
「……なんの話?」
「いいの、気にしないで」
澪は誤魔化すように視線を逸らす。そしてその頬がまた赤くなった。
僕は思わず口にしてしまった。
「じゃあ、本気で告白する時は……この部屋ですか?」
「なっ……!? 何言ってるの!? ここは清潔区画よ! そういうことに使う場所じゃ――」
「え、違うの?」
「違うに決まってるでしょう!!!」
澪が再び掴みかかってくる。しかし、やはり力が足りず、また――抱き合っているようにしか見えなかった。外から見れば、完全に二人が寄り添っている構図だ。
「……もう、ほんとに……あなたって人は……!」
彼女の手が震える。怒りでも、羞恥でもなく、感情の行き場を失ったような震え。
そのとき――。
「先生ぇぇぇ!! 倫理的にこれセーフですかぁ!?」
「静かにしろ、清潔区画だぞ!」
廊下の向こうで、いろはと蓮花の騒ぐ声が響いた。どうやらパスボックス付近で必死に中を覗こうとしていたらしい。
「ちょ、見えないって!」「あと少しで……!」
「こら、二人とも何してる!!」
教師に引っ張られる音が遠ざかっていく。
澪は顔を覆ったまま深くため息をついた。
「……ほんと、落ち着かないわね」
「はは……」
笑うしかなかった。
静かになった部屋に、モニターの光だけが残る。
澪がリモコンを操作すると、画面が一つに絞られた。
そこには、中庭で向かい合う二人の少女。一人は笑顔、もう一人は視線を逸らしている。花能真知と楠野三智。
「この二人、悩んでるみたいね」
澪の声が少し柔らかくなる。
「表面上は仲良くしてるけど、感情の波がまったく噛み-合ってない。どちらも完璧すぎて、歩み寄れないの」
「……放っておけないね」
僕がつぶやくと、澪は目を細めた。その横顔は、どこか嬉しそうで、どこか寂しげだった。
「あなた、また何かするつもりでしょ?」
「……少しくらい、力になれたら」
「そう。じゃあ、私は分析。あなたは現場ね」
澪は短く言って、モニターから目を離す。
静寂。
同じ映像を見ながら、二人の心は別々の方向を向いていた。
けれど、想いの形は――奇妙なほど似ている。
(全校をカップルで満たして、最後に残れば――)
(“最後”なら、断れない。特別な一枠になれる。)
(その瞬間、彼女に言える。)
(その瞬間、彼に言わせられる。)
互いの心の中で、まったく同じ言葉が重なった。だが、誰も口にはしない。
モニターの光が、二人の横顔を優しく照らしていた。
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