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第九話
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田舎にひっそりと佇む小さな病院は、どこか取り残されたように静かだった。建物の壁には雨の染みがいくつも残り、受付カウンターの看護師たちは無表情でパソコンを見つめている。その淡々とした空気は、この病院が何よりも『無難さ』を大切にしていることを物語っていた。
ロミーとアムがここで何をしたのか、それはシンプルなものだった。アムの選択は「シンプルイズベスト」。ロミーの手段は外道だが、その外道要素は外注品で済むため安価に抑えられている、という感じだ。
「私中学生だから分かんなーいとでも言っておけばいいのよ、世間には。」
ロミーは涼しい顔で言う。
「お前、結構年齢疑われているのにか?」
アムが呆れる。
「姉のせいでそうでもないわ。姉と比較してバストサイズマイナス十八よ?ウエストちょっとしか変わらないのに。」
ロミーは得意げに胸を張った。
ロミーに促されて、アムと少女は短期間の入院手続きをした。受付を終えると、職員たちの小さな声が耳に届いた。
「最近は、軽い症状でもすぐ入院したがる患者が多くて困る・・・。」
「わかる。診察しても大したことないのに、『念のため』って言って長引かせるでしょ。誰も責任を取りたくないから仕方ないけど・・・。」
(彼女のは重症だからか、妙に嬉しそうだな。)アムはそんな看護師の様子を冷めた目で見ていた。
その会話の『責任を取りたくない』という部分が、妙に耳に残った。アムは、これが今の社会全体の空気だと感じていた。『安全地帯』にこもり、自分の責任にならない範囲でのみ生きること。それが常識になってしまっているのだ。
ロミーもまた、表情を変えずにその言葉を聞いていた。彼女は何も言わなかったが、その瞳は冷静に病院の中を観察していた。
病室に案内される途中の廊下でも、すれ違う職員や患者たちは決して目を合わせようとしない。互いが無関心を装い、『誰も傷つけず、誰からも傷つけられない』ように身構えている。その徹底された空気に、少女は思わずアムの袖を掴んだ。アムはそっと少女の肩に手を置き、小さく微笑んだ。彼の温もりが、少女の不安を少しだけ和らげる。
病室は三人用の個室で、古びた木製のベッドが並んでいた。白い壁には何の装飾もなく、淡い蛍光灯の光だけがぼんやりと部屋を照らしていた。
ロミーがベッドの端に腰を下ろし、深く息をついた。
「結局、どこに行ってもこんな感じだね。」
静かな声で呟くロミーに、少女が顔を上げて尋ねた。
「『こんな感じ』って・・・。」
「誰も責任を取りたくなくて、何も起きないことが一番。何もしないのが、一番いい社会ってこと。」
ロミーの声は静かだが、鋭い皮肉を含んでいた。
アムは窓の外の、薄暗く沈んだ町並みを見つめながら言葉を続けた。
「俺たちの周りって、何か間違えたり、目立つことをしたりすると、すぐに排除されるよな。
だから誰も動けなくなる。みんながただ黙っているうちに、社会全体が止まってしまう・・・。」
少女はベッドに座り直し、膝を抱えながら小さく頷いた。
「私は・・・それが怖かった。誰かと違うことをして、それが失敗したら、もう私には居場所がなくなるんじゃないかって・・・。
だから、ずっと何もできなかった・・・。」
アムは胸の奥に、強い共感を覚えた。
「俺もだよ。妹が死んだとき、俺は自分が間違えたせいだってずっと思っていた。
それ以来、何かをすること自体が怖くなった・・・。」
病室の外の廊下を歩く看護師たちの声が、ふと部屋に入り込んできた。
「最近は家庭の問題にも踏み込まないでしょ。下手に関わって何かあったら、こっちの責任になるもの・・・。」
「ほんとにね。何もしない方がいいわよ・・・。」
それを聞いたロミーは、かすかにため息をついた。
「これが社会の『本音』だよね。みんな責任が怖くて、誰にも踏み込めない。
でも、そのせいで孤立する人がどんどん増えていく・・・。」
少女はしばらく黙り込み、やがて小さな声で呟いた。
「ここで三人でいるのは安心する。でも、外に戻ったらまた私は誰かを困らせるだけなのかな・・・。」
アムはその言葉を聞いて、静かに首を横に振った。
「それでも、俺たちだけは『間違える自由』を持っていたい。
間違えたり、誰かを困らせたりすることすら、許される社会であってほしい。」
ロミーも柔らかく笑った。
「間違えないことが全てじゃないもんね。間違えても許してくれる人がいることの方が、きっと大事だよ。」
少女はその言葉にわずかに頬を緩めた。その目には、小さな光が宿ったようだった。
窓の外の町は変わらず薄暗く、人々の生活の灯りだけが静かに揺れていた。
夜が深まるにつれ、三人の病室は静かな思索の空気に包まれていった。
外から聞こえるのは時折廊下を行き交う看護師の足音と、
窓の外を流れる遠い車の音だけだった。
ロミーは、手持ち無沙汰にベッドの端を指でなぞりながらぽつりと言った。
「さっきも思ったけど、どうしてこんなに“間違いを避ける”ことばかり大事になったんだろう。
皆が失敗しないように、誰も責められないようにって・・・、そのためだけに生きているみたいで、苦しくない?」
アムはゆっくりと息を吐いた。
「分かるよ。俺も、何かを間違えることが怖くて何もできなくなったし。
昔からそうだったわけじゃないのに・・・。」
少女は自分の手を見つめながら、
「私は・・・本当は誰かと違うことをしたかった。でも、何か違うことを言ったり、したりしたら、
すぐに責められるんじゃないかって・・・ずっと怖かった。」
その声には、長い時間胸に溜め込んだものが滲んでいた。
ロミーは首をかしげ、天井を見上げる。
「でもさ、“みんな一緒”が大事だとか、“決められた通りに生きなさい”とか、
そういうのって本当はどうして始まったんだろう。
制度とか、仕組みとか、誰かを守るためのものだったはずだよね。」
アムはロミーの言葉に頷き、少し考え込む。
「たぶん、昔は“信仰”とか“聖典”とかがあったから、“みんな一緒”でも安心できたんだと思う。
たとえばキリスト教は、子供をたくさん作って、家族や国を大きくしていくことで皆がつながった。
イスラム教は、言語やルールを揃えて、違う民族もひとつの信仰でまとめあげた。
東洋の宗教は、災害や家族、世代の循環みたいに、“個”よりも“つながり”を大事にしてきた。」
少女は静かに聞き入っていたが、
「でも、今の社会には“そういう支え”がない・・・。
私たちは“同じでいること”しか頼れなくて、それを守るためだけに生きているみたい・・・。」
ロミーはため息混じりに言葉を続ける。
「今は経済も弱いし、みんな同じ言葉で話しているわけでもない。
だけど“みんな一緒”っていう気分だけは残っていて、それを壊さないために、制度がどんどん窮屈になっていく。」
アムは窓の外の灯りを眺めながら、
「“聖典”があれば、みんなで信じられる“物語”があった。でも今は、その物語がないのに、
“間違わないための仕組み”だけが残って・・・誰も救われない。」
少女はぽつりと呟いた。
「みんなが本当は不安なのに、誰にも言えないから、“正しいふり”だけが広がっているんだ・・・。」
ロミーも同意するようにうなずいた。
「誰も頼れないまま、仕組みにしがみついている。それじゃ、助け合うどころか孤独が深くなるだけだよ。」
三人はそのまま、しばらく黙っていた。
静かな病室の中で、現代社会の“根拠なき連帯”と“拠り所のない生き方”の苦しさが、
ゆっくりと心の底まで染み込んでいった。
夜はさらに深まっていた。
窓の外には病院の駐車場の街灯がぽつりぽつりと灯り、
静けさが逆に三人の心の奥まで言葉を響かせた。
ロミーが静かに口を開く。
「さっき、“みんなで信じる物語”がないって話になったけれど・・・。
それって、たぶん“神”の条件にも関わっているんだよね。」
アムはその言葉に少し考え込み、
「今この世界の“神”ってさ、結局、誰かのためになる願いしか現れない。
友人、恋人、家族、結婚、金銭、勉学・・・どれも“誰か”とつながることや“社会で役立つこと”が前提になっている。」
ロミーは小さく頷きながら続けた。
「逆に、“芸術”はどうなんだろう。自分だけが楽しいとか、
誰にも理解されなくても幸せ、って感覚が、今の世界では“神”として成立しない気がする・・・。」
少女は両膝を抱えてベッドの隅で、静かに口を挟む。
「私は、誰にも言えない“好きなこと”があった。でも、
それが“誰かのため”になっているかなんて、考えたこともなかった・・・。」
ロミーは窓の外に目をやる。
「配信をやってたとき、最初は“自分の表現”のつもりだった。
でも、結局“見てもらう人”がいなきゃ何もならない。
視聴者がコメントをくれて、それを通じて“つながり”が生まれて初めて“価値”になる。
芸術でさえ、結局“関係性”の中に吸収されて、初めて“神”の世界に入れるんだよ。」
アムは苦笑しながら付け加えた。
「もし誰にも見られなければ、それはただの独り言。
芸術の神が生まれないのは、そのせいかもしれない・・・。
本当は、誰にも伝わらない幸福や孤独な満足が“最も深い救い”になることもあるはずなのに。」
少女は顔を伏せていたが、ぽつりと呟く。
「でも・・・私は、誰か一人でも“分かる”って言ってくれたら、それだけで十分嬉しかった。
だから、“誰かのため”じゃなくても、本当は“自分のため”でよかったのかな・・・。」
ロミーはそれを聞いて微笑んだ。
「そうかもしれない。でも、社会の仕組みや“神”の世界では、
“自分だけの幸せ”は守られない。“皆のため”に価値があるってことだけが残っちゃう。
今の社会では、“個”の幸福が一番無視されやすいんだ。」
アムはベッドに座ったまま、手のひらを見つめて言った。
「芸術も配信も、“つながり”がなければ神になれない。でも、本当は、
孤独な幸福だって、本物の救いかもしれない・・・。」
しばらくの沈黙。
病院の廊下から、遠くで笑い声が微かに響いてきた。
三人はそれぞれ、自分だけの“好きなもの”“救われるもの”を心の中で思い描いた。
ロミーが最後に言う。
「結局、“神”が現れるのは、社会が“これが大事”って認めたものだけなんだよね。
でも、それ以外の“ちいさな幸せ”が、時には一番大切だったりする。」
その言葉は、静かに病室に染み込んだ。
誰かのため、みんなのため、それも大切。
だけど、“自分のため”を忘れてしまったら、本当の意味で救われることはないのかもしれない。
三人の心の奥に、ゆっくりと“答えの出ない問い”が残り続けていた。
春の終わり、病院の朝はひんやりしていた。
少女はまだ細い体を起こして、窓から差し込む光をじっと眺めていた。
毎日少しずつ、アムやロミーに励まされながら、
ストレッチや食事、短い散歩にも取り組むようになった。
だが「もう元気になった」と思えるほど、心も体も簡単には癒えなかった。
病院の廊下を歩いていると、
看護師や他の患者たちが少女に気づいても、
ほとんど誰も声をかけてこない。
それはこの社会の“無難”な優しさであり、
同時に“見て見ぬふり”の冷たさでもあった。
少女はリハビリの途中、時折ガラス越しに母親の病室を遠くから見つめた。
母親が静かに眠る姿を見て、
「あの人もずっと苦しかったんだろうな・・・。」と考え込むことが多かった。
でも、自分が今どうあるべきなのか――
『誰かのために強くなりたい』という気持ちと、
『本当は自分のことすら、まだ守れていない』という痛みが、
少女の心で何度もせめぎ合っていた。
夜になると、アムやロミーと短い会話を交わす。
「焦らなくていいよ。」とロミーが言うたびに、
少女はほんの少しだけ肩の力を抜いていた。
アムも「何もしなくても、ここにいるだけでいい。」と繰り返してくれた。
ある日の午後、病院の廊下で少女は立ち止まった。
大きな決意はないけれど、
「今なら、母親に会ってもいいかもしれない・・・。」
そんな、かすかな思いが自分の中に芽生えていることに気づいた。
アムとロミーは何も言わず、静かに見守った。
少女は母親の病室へ向かい、
扉の前で一呼吸置く。
ノックの音が、病院の静寂に小さく響いた。
カーテン越しに母親の横顔が見える。
少女は短く言葉を絞り出す。
「・・・お母さん。」
母親は一瞬驚いたように目を見開いたが、
弱々しく微笑んだ。
「来てくれて・・・ありがとう。」
少女はそれだけで十分だった。
自分が自分の足でここまで来たという実感が、
小さな誇りとなって胸に残った。
「なんか・・・すごいムキムキだけど。」
アムが誇らしげに、頼れる少女の背中を押した。
ロミーとアムがここで何をしたのか、それはシンプルなものだった。アムの選択は「シンプルイズベスト」。ロミーの手段は外道だが、その外道要素は外注品で済むため安価に抑えられている、という感じだ。
「私中学生だから分かんなーいとでも言っておけばいいのよ、世間には。」
ロミーは涼しい顔で言う。
「お前、結構年齢疑われているのにか?」
アムが呆れる。
「姉のせいでそうでもないわ。姉と比較してバストサイズマイナス十八よ?ウエストちょっとしか変わらないのに。」
ロミーは得意げに胸を張った。
ロミーに促されて、アムと少女は短期間の入院手続きをした。受付を終えると、職員たちの小さな声が耳に届いた。
「最近は、軽い症状でもすぐ入院したがる患者が多くて困る・・・。」
「わかる。診察しても大したことないのに、『念のため』って言って長引かせるでしょ。誰も責任を取りたくないから仕方ないけど・・・。」
(彼女のは重症だからか、妙に嬉しそうだな。)アムはそんな看護師の様子を冷めた目で見ていた。
その会話の『責任を取りたくない』という部分が、妙に耳に残った。アムは、これが今の社会全体の空気だと感じていた。『安全地帯』にこもり、自分の責任にならない範囲でのみ生きること。それが常識になってしまっているのだ。
ロミーもまた、表情を変えずにその言葉を聞いていた。彼女は何も言わなかったが、その瞳は冷静に病院の中を観察していた。
病室に案内される途中の廊下でも、すれ違う職員や患者たちは決して目を合わせようとしない。互いが無関心を装い、『誰も傷つけず、誰からも傷つけられない』ように身構えている。その徹底された空気に、少女は思わずアムの袖を掴んだ。アムはそっと少女の肩に手を置き、小さく微笑んだ。彼の温もりが、少女の不安を少しだけ和らげる。
病室は三人用の個室で、古びた木製のベッドが並んでいた。白い壁には何の装飾もなく、淡い蛍光灯の光だけがぼんやりと部屋を照らしていた。
ロミーがベッドの端に腰を下ろし、深く息をついた。
「結局、どこに行ってもこんな感じだね。」
静かな声で呟くロミーに、少女が顔を上げて尋ねた。
「『こんな感じ』って・・・。」
「誰も責任を取りたくなくて、何も起きないことが一番。何もしないのが、一番いい社会ってこと。」
ロミーの声は静かだが、鋭い皮肉を含んでいた。
アムは窓の外の、薄暗く沈んだ町並みを見つめながら言葉を続けた。
「俺たちの周りって、何か間違えたり、目立つことをしたりすると、すぐに排除されるよな。
だから誰も動けなくなる。みんながただ黙っているうちに、社会全体が止まってしまう・・・。」
少女はベッドに座り直し、膝を抱えながら小さく頷いた。
「私は・・・それが怖かった。誰かと違うことをして、それが失敗したら、もう私には居場所がなくなるんじゃないかって・・・。
だから、ずっと何もできなかった・・・。」
アムは胸の奥に、強い共感を覚えた。
「俺もだよ。妹が死んだとき、俺は自分が間違えたせいだってずっと思っていた。
それ以来、何かをすること自体が怖くなった・・・。」
病室の外の廊下を歩く看護師たちの声が、ふと部屋に入り込んできた。
「最近は家庭の問題にも踏み込まないでしょ。下手に関わって何かあったら、こっちの責任になるもの・・・。」
「ほんとにね。何もしない方がいいわよ・・・。」
それを聞いたロミーは、かすかにため息をついた。
「これが社会の『本音』だよね。みんな責任が怖くて、誰にも踏み込めない。
でも、そのせいで孤立する人がどんどん増えていく・・・。」
少女はしばらく黙り込み、やがて小さな声で呟いた。
「ここで三人でいるのは安心する。でも、外に戻ったらまた私は誰かを困らせるだけなのかな・・・。」
アムはその言葉を聞いて、静かに首を横に振った。
「それでも、俺たちだけは『間違える自由』を持っていたい。
間違えたり、誰かを困らせたりすることすら、許される社会であってほしい。」
ロミーも柔らかく笑った。
「間違えないことが全てじゃないもんね。間違えても許してくれる人がいることの方が、きっと大事だよ。」
少女はその言葉にわずかに頬を緩めた。その目には、小さな光が宿ったようだった。
窓の外の町は変わらず薄暗く、人々の生活の灯りだけが静かに揺れていた。
夜が深まるにつれ、三人の病室は静かな思索の空気に包まれていった。
外から聞こえるのは時折廊下を行き交う看護師の足音と、
窓の外を流れる遠い車の音だけだった。
ロミーは、手持ち無沙汰にベッドの端を指でなぞりながらぽつりと言った。
「さっきも思ったけど、どうしてこんなに“間違いを避ける”ことばかり大事になったんだろう。
皆が失敗しないように、誰も責められないようにって・・・、そのためだけに生きているみたいで、苦しくない?」
アムはゆっくりと息を吐いた。
「分かるよ。俺も、何かを間違えることが怖くて何もできなくなったし。
昔からそうだったわけじゃないのに・・・。」
少女は自分の手を見つめながら、
「私は・・・本当は誰かと違うことをしたかった。でも、何か違うことを言ったり、したりしたら、
すぐに責められるんじゃないかって・・・ずっと怖かった。」
その声には、長い時間胸に溜め込んだものが滲んでいた。
ロミーは首をかしげ、天井を見上げる。
「でもさ、“みんな一緒”が大事だとか、“決められた通りに生きなさい”とか、
そういうのって本当はどうして始まったんだろう。
制度とか、仕組みとか、誰かを守るためのものだったはずだよね。」
アムはロミーの言葉に頷き、少し考え込む。
「たぶん、昔は“信仰”とか“聖典”とかがあったから、“みんな一緒”でも安心できたんだと思う。
たとえばキリスト教は、子供をたくさん作って、家族や国を大きくしていくことで皆がつながった。
イスラム教は、言語やルールを揃えて、違う民族もひとつの信仰でまとめあげた。
東洋の宗教は、災害や家族、世代の循環みたいに、“個”よりも“つながり”を大事にしてきた。」
少女は静かに聞き入っていたが、
「でも、今の社会には“そういう支え”がない・・・。
私たちは“同じでいること”しか頼れなくて、それを守るためだけに生きているみたい・・・。」
ロミーはため息混じりに言葉を続ける。
「今は経済も弱いし、みんな同じ言葉で話しているわけでもない。
だけど“みんな一緒”っていう気分だけは残っていて、それを壊さないために、制度がどんどん窮屈になっていく。」
アムは窓の外の灯りを眺めながら、
「“聖典”があれば、みんなで信じられる“物語”があった。でも今は、その物語がないのに、
“間違わないための仕組み”だけが残って・・・誰も救われない。」
少女はぽつりと呟いた。
「みんなが本当は不安なのに、誰にも言えないから、“正しいふり”だけが広がっているんだ・・・。」
ロミーも同意するようにうなずいた。
「誰も頼れないまま、仕組みにしがみついている。それじゃ、助け合うどころか孤独が深くなるだけだよ。」
三人はそのまま、しばらく黙っていた。
静かな病室の中で、現代社会の“根拠なき連帯”と“拠り所のない生き方”の苦しさが、
ゆっくりと心の底まで染み込んでいった。
夜はさらに深まっていた。
窓の外には病院の駐車場の街灯がぽつりぽつりと灯り、
静けさが逆に三人の心の奥まで言葉を響かせた。
ロミーが静かに口を開く。
「さっき、“みんなで信じる物語”がないって話になったけれど・・・。
それって、たぶん“神”の条件にも関わっているんだよね。」
アムはその言葉に少し考え込み、
「今この世界の“神”ってさ、結局、誰かのためになる願いしか現れない。
友人、恋人、家族、結婚、金銭、勉学・・・どれも“誰か”とつながることや“社会で役立つこと”が前提になっている。」
ロミーは小さく頷きながら続けた。
「逆に、“芸術”はどうなんだろう。自分だけが楽しいとか、
誰にも理解されなくても幸せ、って感覚が、今の世界では“神”として成立しない気がする・・・。」
少女は両膝を抱えてベッドの隅で、静かに口を挟む。
「私は、誰にも言えない“好きなこと”があった。でも、
それが“誰かのため”になっているかなんて、考えたこともなかった・・・。」
ロミーは窓の外に目をやる。
「配信をやってたとき、最初は“自分の表現”のつもりだった。
でも、結局“見てもらう人”がいなきゃ何もならない。
視聴者がコメントをくれて、それを通じて“つながり”が生まれて初めて“価値”になる。
芸術でさえ、結局“関係性”の中に吸収されて、初めて“神”の世界に入れるんだよ。」
アムは苦笑しながら付け加えた。
「もし誰にも見られなければ、それはただの独り言。
芸術の神が生まれないのは、そのせいかもしれない・・・。
本当は、誰にも伝わらない幸福や孤独な満足が“最も深い救い”になることもあるはずなのに。」
少女は顔を伏せていたが、ぽつりと呟く。
「でも・・・私は、誰か一人でも“分かる”って言ってくれたら、それだけで十分嬉しかった。
だから、“誰かのため”じゃなくても、本当は“自分のため”でよかったのかな・・・。」
ロミーはそれを聞いて微笑んだ。
「そうかもしれない。でも、社会の仕組みや“神”の世界では、
“自分だけの幸せ”は守られない。“皆のため”に価値があるってことだけが残っちゃう。
今の社会では、“個”の幸福が一番無視されやすいんだ。」
アムはベッドに座ったまま、手のひらを見つめて言った。
「芸術も配信も、“つながり”がなければ神になれない。でも、本当は、
孤独な幸福だって、本物の救いかもしれない・・・。」
しばらくの沈黙。
病院の廊下から、遠くで笑い声が微かに響いてきた。
三人はそれぞれ、自分だけの“好きなもの”“救われるもの”を心の中で思い描いた。
ロミーが最後に言う。
「結局、“神”が現れるのは、社会が“これが大事”って認めたものだけなんだよね。
でも、それ以外の“ちいさな幸せ”が、時には一番大切だったりする。」
その言葉は、静かに病室に染み込んだ。
誰かのため、みんなのため、それも大切。
だけど、“自分のため”を忘れてしまったら、本当の意味で救われることはないのかもしれない。
三人の心の奥に、ゆっくりと“答えの出ない問い”が残り続けていた。
春の終わり、病院の朝はひんやりしていた。
少女はまだ細い体を起こして、窓から差し込む光をじっと眺めていた。
毎日少しずつ、アムやロミーに励まされながら、
ストレッチや食事、短い散歩にも取り組むようになった。
だが「もう元気になった」と思えるほど、心も体も簡単には癒えなかった。
病院の廊下を歩いていると、
看護師や他の患者たちが少女に気づいても、
ほとんど誰も声をかけてこない。
それはこの社会の“無難”な優しさであり、
同時に“見て見ぬふり”の冷たさでもあった。
少女はリハビリの途中、時折ガラス越しに母親の病室を遠くから見つめた。
母親が静かに眠る姿を見て、
「あの人もずっと苦しかったんだろうな・・・。」と考え込むことが多かった。
でも、自分が今どうあるべきなのか――
『誰かのために強くなりたい』という気持ちと、
『本当は自分のことすら、まだ守れていない』という痛みが、
少女の心で何度もせめぎ合っていた。
夜になると、アムやロミーと短い会話を交わす。
「焦らなくていいよ。」とロミーが言うたびに、
少女はほんの少しだけ肩の力を抜いていた。
アムも「何もしなくても、ここにいるだけでいい。」と繰り返してくれた。
ある日の午後、病院の廊下で少女は立ち止まった。
大きな決意はないけれど、
「今なら、母親に会ってもいいかもしれない・・・。」
そんな、かすかな思いが自分の中に芽生えていることに気づいた。
アムとロミーは何も言わず、静かに見守った。
少女は母親の病室へ向かい、
扉の前で一呼吸置く。
ノックの音が、病院の静寂に小さく響いた。
カーテン越しに母親の横顔が見える。
少女は短く言葉を絞り出す。
「・・・お母さん。」
母親は一瞬驚いたように目を見開いたが、
弱々しく微笑んだ。
「来てくれて・・・ありがとう。」
少女はそれだけで十分だった。
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