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第一章 正常性バイアス
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神戸家の家庭の事情は少々複雑だ。まず、父親がいない。これは離婚だとか失踪だとかじゃなくて二年前に事故で他界した。もちろん、家族全員が悲しんだけど現実は僕らをいつまでもその気分に浸らせてはくれなかった。
もっと具体的にいえば金銭面の話だ。いくら悲しんでも金は増えないし、生きていくには金がいる。父さんの生命保険はかなりの額だったけど、母さん、僕、弟、妹の四人が生きていくにはなかなかに厳しい。学費とか進学とか考えると不安に押しつぶされそうになる。
まぁ、そんな現実的な問題もあるんだけど、家族の総意として父さんの生命保険を食い潰すようなことはしたくなかった。
父さんの死後、母さんは復職。元々は父さんと母さんは同じ職場で結婚を機に退職したんだけど、その職場は事情に理解を示してくれて母さんに復職を勧めてくれた。
ちなみに父さんも母さんも研究者、そして、優秀なんだと思う。詳細を知らないのは親不孝なのかもしれないけど、どこの家庭も似たようなもんだろう。
ただその研究職ってのは状況に応じて泊まり込んだり、帰宅が遅くなったりすることがある。さらに付け加えれば母さんの給料は父さんよりは低いらしい。
まぁ、そんな理由もあって弟と妹の世話は僕がして、少しでも金銭面の手助けになればと思ってバイトもしているわけだ。
「さて、と」
自室で私服に着替え終わるとバイト用の鞄を持って、一階に降りる。
二階建ての一軒家。これも父さんが残してくれた資産だ。一階では歩夢が野菜炒めとコロッケを皿に盛り付けていた。それを確認してから僕は炊飯器で米を炊く準備をする。
「……ねぇ、兄さん」
炊飯器に水で洗った米をセットしてスイッチを押すと歩夢が話しかけてきた。米は一時間もかからない内に炊けるはず。とりあえず、三合炊いたから、明日の朝ご飯分も大丈夫――あぁ、そうだ歩夢が話しかけてきてたんだった。
「どうした?」
「兄さん、バイト辛くない?」
「辛くない。そりゃ、ちょっとシンドイけど」
歩夢の口調は重い。うん、楽しい話題ではない。個人的には何も頭を使わないような馬鹿な笑い話が助かるのに。それに歩夢の言いたいことは予想できる。だって、これまでも何回も提案してきた、あのことだ。
「僕も高校生になったらバイトしようと思うんだけど」
「無駄なことはやめとけ」
やっぱりね。予想できていたから即答だ。そして、歩夢の不服そうな顔も想定どおり。
「無駄って言わないでよ」
「無駄だよ。歩夢はバイトができる高校生になるまで、あと二年。だけど、お前が高校生になったときには僕は卒業して就職してる。そうなれば、バイトよりも稼げるから家計の心配はいらなくなる。歩夢が家のためにバイトをする必要はないんだよ」
「けど、兄さんばかりに負担が……」
「残念。別に負担とか思ってないよ。寧ろ、楽してると思ってる。勉強は得意じゃないし、進学とか考える方が憂鬱になる」
これは本心だ。きっと歩夢は僕は家族の為に犠牲になっていると考えているんだろうけど。歩夢の方が僕より頭が良いし、顔も整ってるし、高校でしたいこと見つけて、大学で夢を叶えるために必要な勉強して、立派な職業に着けばいい。その道を作れば雫も同じようにたどるだろうし。
まぁ、将来有望な弟と妹が家庭の事情で何かを諦めなきゃなんて見てられない。
「けど、母さんは兄さんに大学に進学して欲しいと思ってるよ」
「それは母さんが勝手に思っているだけ。さっきも言ったけど、僕は楽したいんだ。仮に大学まで進学できても、三流大学。就職先は高卒でも変わらない。だから、僕としては一番合理的な選択をしてるんだ。賢いだろ?」
僕はそう言って笑うけど、歩夢は納得いっていない様子だ。そんな顔も男前。自慢の弟だよ、本当。
そんな雑談をしながらも僕と歩夢の手は動いていた。とりあえず、歩夢と雫の分の支度を終えて、僕の分はラップをして冷蔵庫に入れておく。
「母さんは今日は遅いんだったよね?」
「あぁ、夕飯は会社で食べるってさ。じゃあ、僕はバイトに行くから」
ふと時計を見ると時間は七時の十分前。飯は帰ってからのお楽しみ。僕はバイト用の鞄を持ってリビングを出る。
「兄さん、いってらっしゃい」
「お兄ちゃん、いってらっしゃい」
玄関で靴を履き終えると、歩夢と雫が見送りをしてくれる。嬉しい。僕にとってはこれが幸せなんだ。大切な弟と妹の将来の役に立てるなら、これ以上のことなんてない。本当に本当。嘘じゃない。
「いってきます」
そう言った僕の顔はきっと上手に笑えていたと思う。
もっと具体的にいえば金銭面の話だ。いくら悲しんでも金は増えないし、生きていくには金がいる。父さんの生命保険はかなりの額だったけど、母さん、僕、弟、妹の四人が生きていくにはなかなかに厳しい。学費とか進学とか考えると不安に押しつぶされそうになる。
まぁ、そんな現実的な問題もあるんだけど、家族の総意として父さんの生命保険を食い潰すようなことはしたくなかった。
父さんの死後、母さんは復職。元々は父さんと母さんは同じ職場で結婚を機に退職したんだけど、その職場は事情に理解を示してくれて母さんに復職を勧めてくれた。
ちなみに父さんも母さんも研究者、そして、優秀なんだと思う。詳細を知らないのは親不孝なのかもしれないけど、どこの家庭も似たようなもんだろう。
ただその研究職ってのは状況に応じて泊まり込んだり、帰宅が遅くなったりすることがある。さらに付け加えれば母さんの給料は父さんよりは低いらしい。
まぁ、そんな理由もあって弟と妹の世話は僕がして、少しでも金銭面の手助けになればと思ってバイトもしているわけだ。
「さて、と」
自室で私服に着替え終わるとバイト用の鞄を持って、一階に降りる。
二階建ての一軒家。これも父さんが残してくれた資産だ。一階では歩夢が野菜炒めとコロッケを皿に盛り付けていた。それを確認してから僕は炊飯器で米を炊く準備をする。
「……ねぇ、兄さん」
炊飯器に水で洗った米をセットしてスイッチを押すと歩夢が話しかけてきた。米は一時間もかからない内に炊けるはず。とりあえず、三合炊いたから、明日の朝ご飯分も大丈夫――あぁ、そうだ歩夢が話しかけてきてたんだった。
「どうした?」
「兄さん、バイト辛くない?」
「辛くない。そりゃ、ちょっとシンドイけど」
歩夢の口調は重い。うん、楽しい話題ではない。個人的には何も頭を使わないような馬鹿な笑い話が助かるのに。それに歩夢の言いたいことは予想できる。だって、これまでも何回も提案してきた、あのことだ。
「僕も高校生になったらバイトしようと思うんだけど」
「無駄なことはやめとけ」
やっぱりね。予想できていたから即答だ。そして、歩夢の不服そうな顔も想定どおり。
「無駄って言わないでよ」
「無駄だよ。歩夢はバイトができる高校生になるまで、あと二年。だけど、お前が高校生になったときには僕は卒業して就職してる。そうなれば、バイトよりも稼げるから家計の心配はいらなくなる。歩夢が家のためにバイトをする必要はないんだよ」
「けど、兄さんばかりに負担が……」
「残念。別に負担とか思ってないよ。寧ろ、楽してると思ってる。勉強は得意じゃないし、進学とか考える方が憂鬱になる」
これは本心だ。きっと歩夢は僕は家族の為に犠牲になっていると考えているんだろうけど。歩夢の方が僕より頭が良いし、顔も整ってるし、高校でしたいこと見つけて、大学で夢を叶えるために必要な勉強して、立派な職業に着けばいい。その道を作れば雫も同じようにたどるだろうし。
まぁ、将来有望な弟と妹が家庭の事情で何かを諦めなきゃなんて見てられない。
「けど、母さんは兄さんに大学に進学して欲しいと思ってるよ」
「それは母さんが勝手に思っているだけ。さっきも言ったけど、僕は楽したいんだ。仮に大学まで進学できても、三流大学。就職先は高卒でも変わらない。だから、僕としては一番合理的な選択をしてるんだ。賢いだろ?」
僕はそう言って笑うけど、歩夢は納得いっていない様子だ。そんな顔も男前。自慢の弟だよ、本当。
そんな雑談をしながらも僕と歩夢の手は動いていた。とりあえず、歩夢と雫の分の支度を終えて、僕の分はラップをして冷蔵庫に入れておく。
「母さんは今日は遅いんだったよね?」
「あぁ、夕飯は会社で食べるってさ。じゃあ、僕はバイトに行くから」
ふと時計を見ると時間は七時の十分前。飯は帰ってからのお楽しみ。僕はバイト用の鞄を持ってリビングを出る。
「兄さん、いってらっしゃい」
「お兄ちゃん、いってらっしゃい」
玄関で靴を履き終えると、歩夢と雫が見送りをしてくれる。嬉しい。僕にとってはこれが幸せなんだ。大切な弟と妹の将来の役に立てるなら、これ以上のことなんてない。本当に本当。嘘じゃない。
「いってきます」
そう言った僕の顔はきっと上手に笑えていたと思う。
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