有栖と奉日本『千両役者のワンカラ―』

ぴえ

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プロローグ

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 暗闇の中で彼はその背中に何度も手を伸ばした。しかし、それは決して届かず、空を切るばかりだ。
 距離が遠いからだ、と彼はその背中に向かって走る。しかし、それは縮まらず、寧ろ、遠くなっている気さえした。

 だから、彼は声に出した。何度も、何度も、その名を呼んだ。しかし、それは暗闇に吸い込まれ、その背中には届かない。

 それでも彼は呼び続けた。いつしかそれは悲鳴にも近い音へと変わっていくが彼には関係なかった。どんな形でもいいのから届けば良かった。

「一色さん!」

 そう叫んで、上半身を跳ねるように起こし、虹河原は目を覚ました。乱れた呼吸に全身をしっとりと湿らせる汗は粘り気のある脂汗。もう何度も経験した起き方に虹河原は呆れたように大きくため息をして呼吸を整えるとベッドから降りてシャワーを浴びることにした。
 風呂に移動し、暑いシャワーを頭からかぶり、目をつむる。再び、虹河原の視界は暗闇に覆われるが、夢で見た背中はもう見えない。あの背中がもう二度と見れなくなった日から、彼は何度も同じ夢で目を覚ましていた。
 最初は願望だと思い、次に希望だと思い、次に悪夢だと思い、今は自分でもどう思っているか解らなかった。ただ一つ言えることは、今日の夜以降、もう二度とあの夢を見ることはない、ということ。

 起床した時刻は朝の七時。時計がもう一回りして同じ数字を越えたときにはきっと引き金に指をかけている。

『あの日』から今日の為に生きてきて、今日以降のことを虹河原は何も考えてはいない。何よりも重要なのは今日という日に引き金を引く。それだけだった。
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