竜の背に乗り見る景色は

蒼之海

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第一章

5話 若月和希

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 ここでボク———若月和希わかつきかずきの事を少し語っておきたいと思う。

 唐突に何!? と思われる方もいるだろうが、ボクの生きてきた16年間を振り返る事はこの先の出来事にも深く関わる事だし、何より記憶を取り戻したばかりのボクにとってもちゃんと全てを覚えているかという確認の意味もある。
 しばしお付き合い願えれば幸いだ。

 ボクの父さんは曲がった事が大嫌いないわゆる「生真面目タイプ」の人間だ。

 仕事でも家庭でも小さなミスをも許さない性格で、几帳面で事細かく自分にも他人にも妥協しない。

 そんな父さんと職場内恋愛の末結婚した母さんに、ある日「何であんなお堅い父さんと結婚したの?」と聞いてみたところ、「んー。だってあの人の言っている事って、間違ってはないでしょう? だから応援してあげたくなっちゃったのよ。……少し口うるさいのが玉に瑕だけどね」と、おっとり顔でそう答えた。

「妙に曲がった事が嫌いな能天気キャラ」とよく周りから言われるボクのルーツは、どうやら父さんと母さんの性格をものの見事に受け継いだ事による様だ。

 そしてここだけの話なんだけど、実は父さんのお父さん、ボクのおじいちゃんは関東圏にチェーンを持つ「スーパーわかつき」の創始者でそこそこのお金持ちだ。

 小さな頃から裕福な家庭で育った父さんは、持ち前の病的な生真面目さで「自分の道は自分で切り拓く」とおじいちゃんの会社を継がなかった。都内でサラリーマンをしながら一家の大黒柱として、今も頑張っている。

 一人息子である父さんが会社を継がないと分かったおじいちゃんは、早々に会社を親類に託し、自分は相談役として現役を退しりぞいた。

 そして悠々自適に暮らし始めたのが、ボクが5歳になった頃。

 孫を溺愛するおじいちゃんに父さんは「子供の時から贅沢を覚えさせないでくれ」といい顔はしなかったが、ボクはおじいちゃんが教えてくれる遊びが子供心に待ち遠しかったのを鮮明に覚えている。

 父さんとおじいちゃんの額を突き合わせた口角飛沫の議論の結果、若月家では月に一度だけ、おじいちゃんがボクと自由に遊びに行く日が設けられた。

 金銭的にもゆとりのあるおじいちゃんはボクが興味ある事、おじいちゃん自身が好きな事をそれこそ惜しみもなくやらせてくれた。

 これはおじいちゃんなりの教育で、若いうちにボクにいろいろな事を経験させたいという思いだったのだろう。
 その中でもボクが最も興味を示したのはモトクロス競技だった。

 マシンを巧みに操り風を切り裂き、人口的に設置された勾配を勇気と技術を武器にして攻略する競技にボクはどっぷり浸かってしまった。

 月一で郊外のモトクロスコースに行き一日中泥だらけになりながら練習すれば、みるみる内に技術が向上した。
 教えてくれたコーチによると普通の人ならアクセルを緩めてしまう場面でも、ボクは躊躇なくフルスロットルで突っ込むらしい。

 それを聞いた時、ボクは意味が分からなかった。だってこんなに速くて爽快に走るマシンのスピードを緩めるなんて、もったいないじゃんと。


 ジュニアの大会に出場して好成績を出し始めると、いよいよおじいちゃんのハートに火が付いた。そしておじいちゃん号令の元『若月家会議第二弾』が開催される運びとなる。

 月一ではなく週一で練習させたいと言うおじいちゃんの『若月家ルール改正案』は、ボクがこれまでに獲得したトロフィーやメダルをチラつかせれば、父さんの反対の声も小さくなる。

 元々中立派だった母さんがおじいちゃん側に加勢する事になり、ボクとおじいちゃんは勉強もしっかりやる事を条件に、週一でモトクロス競技の練習をする権利を勝ち取った。

 中学に進学しても、その生活サイクルは変わらなかった。

 部活には所属しないで毎週末おじいちゃんと一緒に自分のマシンをワゴン車に積み、郊外のモトクロスコースに赴いて練習とレースに明け暮れた。

 友達からは「女の子なんだから泥と油にまみれるモトクロス競技なんてやめなよ」とも言われたが、そこは一歩も引く気がなかった。

 口には出さなかったけど、あの疾走感を味わえないのだなんてかわいそうとさえ思った。


 若干のズレを感じつつも青春を謳歌していたそんなボクに転機が訪れたのは、中学二年の夏だった。

 夏休みを利用して、おじいちゃんと一泊二日で伊豆に小旅行に出かけた時。

 船舶免許を持つおじいちゃんと水上バイクを二人乗りしたボクは、その魅力にあっという間に心を奪われた。

 波を押さえつけ水面を跳ね、飛沫を上げ水を切る様に走るこの疾走感。

 これこそが自分の求めていたものだと瞬時に思った。

 こればっかりは理屈じゃない。

 何か探していたものが見つかったとでも言うのか、心に欠けていた部分にパーツがカッチリとハマった様な充足感。この出会いは絶対運命だとさえ思った。

 気がつくと飛沫で濡れるボクの頬には、涙も混ざっていた。

 当時モトクロス競技に行き詰まっていた事と卒業後の進路に迷っていたボクは、競艇選手  ———ボートレーサーになる事を即決した。

 我ながら唐突だなとも思ったが仕方ない。

 だって自他ともに認める「スピード狂」のボクには、水上モータースポーツは運命の邂逅だったのだから。


 そして案の定、ボクが高校には行かないでボートレーサー養成所に入所したいと言い出した時の父さんの驚きと怒りは、この先々の人生においてもボクはきっと忘れる事はないだろう。

 おっとりと「せめて高校を出てからにすれば?」という母さんの妥協案にも耳を貸さず、「寮生活で会えなくなるのは寂しい」と言うおじいちゃんの情に訴えかける引き留めにも挫けず、ボクは自分の意思を貫き通した。

 もちろん友達にも引き止められた。親友たちの言葉に少しだけ心が揺れたけど、ボクにはこの先に待っているであろう高校生活を鮮明に思い描く事ができなかった。

 それよりも、疾走感の中だけが自分の生きているリアリティを感じられると思ったから。

 およそ一年にもわたる説得の末、とうとう父さんは根負けしボクにボートレーサー養成所の入所受験を許してくれた。

 今となっては何十倍という倍率の試験に受かるはずもないだろうと、父さんはたかを括っていたのかもしれない。
 しかしボクには自信があった。

 基礎体力はモトクロス競技のためにしっかりとトレーニングを積んでいたし、勉強だって家族との約束通り疎かにした事はない。

 もしかしたらモトクロス競技の上位入賞常連者としての実績も有利に働いたのかもしれない。

 見事ボクは難関と言われる入所試験を一発合格し、父さんは口をあんぐりとさせる結果となった。

 中学を卒業しボートレーサー養成所に入所したボクは、親元を離れた慣れない寮生活に戸惑いながらも、必死に訓練を耐え抜いた。


 そして四ヶ月の基礎訓練を終え、レース実習中にコーナーを攻めすぎたインを走る他のボートに衝突されて、船外にはじき飛ばされた。

 その時に強く頭を打ったからだろうか。

 意識が朦朧とする中で水中に沈んでいく光景を最後に、ボクの記憶はここで途絶えていたのだった。
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