幸せのありか

神室さち

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第二章 恋におちたら

49 side哉

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 息子の元嫁は大嫌いでも、孫娘はそれなりにかわいがっていた。孫娘との関係はお小遣いでの買収が主だが、逢も大したもので母と敵対するとは知っていても、大スポンサーとも言うべき祖母にもきちんとコビを売るのは忘れていない。なので、彼女は自分に都合よく、逢には好かれていると思っている。世の中、自分の母を悪し様に言うような人間のことを好くような子供などいないのだが。


 なんの衒い(てらい)もなさそうな顔で不思議そうに小首をかしげた逢にそう言われ、うっと言葉に詰まる。

「そうそう、つまらない女らしいわね」

「うーん。でもなんで詰まらないのに引っかかっちゃうの? 詰まらなかったら流れていくものじゃないの?」

 本気で悩んでいる風には見えない逢に、実冴が笑ってそう言う意味ではないと説明してやる。


「そっかー でもお父さん、また引っかかっちゃったね。お母さんに」

「ほんとにねー やっぱり女はいくつになっても魅力的に生きなきゃダメよ、逢。あなたもいい男にメロメロにつくしてもらう人生送りたかったらね」

「はーい」

 にこにこと笑う母子に完全に蚊帳の外に置かれて初速を削がれてしばし呆然とした後、それでも何とかもう一度アクセルを踏みなおしたように哉の母がしゃべりだす。


「一人で暮らすのが寂しいのならお家に帰ってきたらいいのよ。あなたのお部屋はずっとそのままあるのよ? 何もあんな娘じゃなくても、いいお嬢さんは大勢いらっしゃるでしょう? ほら、今さっきご挨拶したのだけれど、藤原頭取のお嬢様なんか上品でおまけに美人で素敵な方だわ。あの子ならお家の格もいいし、歳だってあなたと五つも離れてないでしょうし……」

「ざーんねん、あの子、樹理ちゃんと同い年。フケて見えるけどねー オマケに顔はちょっとクドいし性格も悪そうだし」

 性懲りもなく口を挟む実冴を振り返ってにらみつける。実冴は全く動じた風もなくその視線にニヤっと笑って応えた。


「……とにかく! そんなに性急にお付き合いする相手を選ばなくてもいいんじゃなくて? お仕事のことだって大おじい様のお計らいで保留していただいてるのよ?」

 実冴は嘘泣きと断言したが、なかなかどうして演技派だ。でなければ自分に酔っているのか。とにかくその目じりには確かに光る涙の粒が浮いている。


「変な女に惑わされないで、ね? お父様には私からも口ぞえするわ。仕事のことは大丈夫よ。それどころかあなたがいないと回らないって大騒ぎだそうよ。ねぇ 本当に哉さんのことを必要としているところに帰ってきて頂戴?」

 自分の意見に哉が同意して帰ってくると確信したような表情で見上げる母に、哉が小さくため息をついた。



「仕事のことは確かに樹理のことがきっかけにはなりましたが彼女のことが根本の理由ではないのです。僕が一般の社員と同じように会社に入りたいと希望したのも、本社だの跡取りだのという問題に首を突っ込みたくなかったからです。こんなところに祭り上げられて、いつ辞めようかと思っていたくらいですよ、副社長なんて肩書きは僕にはまだ早すぎる。僕と同じくらい仕事ができる人間なんか、社内にごろごろいるでしょう。何のために幹部候補生育成コースがあるんですか。血縁だからという理由だけでポストをあてがうのが正しいやり方かどうかということを問う意味も込めてこの決断を下したんですよ。
 それから。別に一人で暮らすのが寂しいから彼女と一緒にいるわけではありません。僕にはあなた達と一緒に暮らすということのほうが荒唐無稽な提案だと感じます。あそこはあなた達の家かもしれないが僕の家ではない。いつまでもあの部屋を取っておく必要もありません。あそこにあるものは要らないので全部捨ててください。
 何度も言うつもりはないので良く聞いてください。僕は兄の代替品でもなんでもない。僕は僕であり、誰のものでもありません。そしてこんなことを言うつもりは今までありませんでしたが、言わないと伝わらないようなのであえて言わせてもらえば、僕はあなたが母親だと思ったことは、一度もない。そしてこれからも、そうあってほしいと願うこともないです。だからもう、あの頃のように放っておいてもらえませんか?」



 終始とても静かな口調で哉がとうとうと語るようにしゃべっている。そして言い終わると、どっと疲れた顔をした。

 哉の前に立つ母は、固く爪がめり込むほどに握り締めたハンカチよりもその指の関節を白くさせ、小さく震えている。さすがの実冴もその仕草に嘘泣きだと茶化すことはできない。


 ざわざわと人いきれのする会場の中にぽっかりと空いたエアポケットのような無言の空間。


「お母様、帰りましょう?」


 足音も気配もなく現れた琉伊が、実冴にバッグを渡した後、母親の肩を抱くようにしてささやいた。哉の言葉がよほど衝撃的だったのか、促されるまま歩き出す。


「……哉くん、最後のは言いすぎだったと思う。子供でもわかるくらいには」


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