ケンカ王子と手乗り姫

神室さち

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本編

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 マイセルが天幕を出て、野営地をぐるりと囲む柵に設えられた門を見遣ると、その向こうからこちらが用意した豪奢な馬車がやってくるのが見える。アリストリアが用意したものなのだから、豪華で当然なのだが。


 とりあえずこれを迎えたらおおよそ二年ぶりに祖国に帰ることになっている。

 ついひと月半前、支配の段取りが根底から変わってしまったバロスオに、混乱を最小限にしながら派遣する人材から組み直してその系統と整え、この小さなエルダストを把握して支配する算段をつけたのはこのマイセルだ。

 すでに使える人材が尽きかけているのが目下の悩み。

 とりあえず体裁を整える事が出来る人材が居るのならば、あと五年くらいはここは放置しておきたいと言うのがマイセルの思惑だ。


 ガラガラと音を立ててやってきた馬車が、マイセルの前で止まる。

 続いて姫の私物を積んでいるのだろう大きな荷馬車が十台。

 また余計な荷物を……と言うより、これに乗ってくれば良いだけの話じゃないのかと表情に出さないまま苦々しく思っているマイセルの所に、先に使者としてやってきたアリストリア語を話す事の出来る男がやってきて何やら口上を述べた後、姫が乗ってきたアリストリアの用意した馬車のドアを御者が開く。


 まず降りてきたのは侍女らしき小太りの中年の女。その女に促されて、ドアの内側に張られたカーテンから、にゅっと生白い腕が出てきた。

 静々と馬車から降りてきた姫を見て、マイセルが何とか笑顔を貼り付けた顔で歓待の言葉を口にすると、男が通訳する。

 実の所、マイセルもアッシュも西側で共通語として使われている言葉を話す事は上手くないが、伊達に二年近く暴れまわっていたわけではない。

 聞き取る方は不自由しない。

 マイセルの簡素な言葉をとにかくつけることが出来るだけ盛大に華美にして通訳の男が姫に伝えている。


 アッシュが聞いていたら『ンなこたぁ 言ってねぇぞ』と通訳に回し蹴りの一つでもしただろうとヒクヒクと口元が震えてしまいそうになるのを必至に堪える顔さえも、目の前の姫にはにこやかな笑顔に映っているようで、小さな扇で隠し切れないその顔の一部を隠しながらもマイセルに、はにかむような笑みを返している。


 しかしその後、王子の天幕まで歩かされる事に、馬車から降りた姫君がぶうぶうと侍女に文句を言っている。

 要約すると、土の上など歩いた事が無いのにと言う内容だったが、どうでもいいので無視して慇懃にご案内する。

 アリストリアが用意した花嫁用の馬車から、どれだけ詰めていたのだと聞きたくなるくらいの侍女が付いてくる。ざっと見ただけで十人はいるだろうか。とにかく色々無駄なものが多すぎる。


「王子。エルダストの姫がご到着なさいました」

 天幕の入り口を、両脇に控えた兵士が引き上げて、マイセル、通訳、姫、付いてきた中でも筆頭なのであろう中年侍女の順に天幕に入る。





 マイセルと通訳の後にいるのに隠し切れないその体。


 姫が天幕に入ってきた瞬間、中の空気がビキンと音を立てて凍ったような錯覚。





「アリストリアのアッシュ王子に置かれましては、本日もご機嫌麗し……ひぎゃあああああああああ!!」

 通訳の男が口上を述べている最中に、イスに座っていたアッシュがゆらりと立ち上がって、膝を付いていた男を蹴り飛ばす。

 男は潰されるカエルのような悲鳴を上げながら、天幕の入り口までゴロゴロ転がっていった。

 その後に膝を付いていた中年の女が悲鳴を上げて巻き込まれる前に飛びのいたが、膝を折ることなく立っていた姫は何が起こったのかも分からないのだろう、脇を転がっていった男を視線で追ってぽかんと口を開けている。

 おそらくアッシュは誰かを蹴るだろうと思っていたが、こうも見事に転がって行くとは。


「誰が家畜連れて来いっつったよアぁ? なんだこのブタはっ!? 先に来てた肖像画のアレはなんだ!? 髪の色も全ッ然、違うだろうが、コレが黒髪か!? アン?」


 ゴロゴロと転がっていった男を大またで追い、胸元を締め上げてアッシュが唾を飛ばしながら怒鳴りつける。

 男の顔がまず赤くなって、それから徐々に青白く変化して行く。


 アッシュもマイセルも、発言はアリストリア語だったので意味は全くわかっていないだろうが、場違いなくらいに冷静なマイセルの声に、やっと今起こった事を理解したらしい姫が中年女にしがみ付いて泣き出した。

 そうれはもう豪快に。

 おうおうと声を上げて、中年女を揺すっている。

 ついでに自分もがっくんがっくんと揺れているせいで、ゆっくりと髪の毛がずれていき、音もなく落ちた。


 かつらが取れたことに揺すられている中年女も、揺すっている当人も気づいていない様子だが、周りにいたマイセル含む侍従や護衛がわずかに動揺している間に、地に落ちた明るい栗色の髪のかつらは、揺れながら地味に移動していたらしい姫の無駄に広がったドレスの裾に飲み込まれ、隠れた。


「……王子、シめたら答えられませんよ。こちら側の通訳がいますので意志の疎通を図るという点ではシめ続けて構いませんが、ここで殺すのはちょっと……」


 黙ってかつらの行方を目で追っていたマイセルが気を取り直して声を掛けたおかげか、泡を吹きかけている男をペッとアッシュが床に捨てた。


 落とされた衝撃で意識が戻った男が酷く咽ている。

 姫はゼイゼイと息を上げ、体力が尽きたのか揺するのをやめて中年女にしがみ付いて泣いている。



 さながら阿鼻叫喚の様相を呈した天幕の中、マイセルがため息をつく。





 アッシュが怒るのも当然だろう。


 なぜなら今、この場にいるエルダストの姫は、肖像画とは似ても似つかない娘なのだから。

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