ケンカ王子と手乗り姫

神室さち

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本編

3-2

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 エルダストは小さな国だ。

 国の中に高い山もなく、その土地はほぼ平坦。先に料理長などを送り込んだ鉱山は、便宜上鉱山と呼んでいるだけで平堀の採掘場である。そのくらい、土地の高低差がない。

 どこまでも、地平に見える丘まで麦畑が広がるような土地である。


 王宮のある首都から国境まで、緩やかに進む馬車ならば丸二日かかるが、早馬を乗り継げば半日ほどもあれば首都まで帰ることが出来る。

 通訳の男はとりあえず姫と侍女たちを荷馬車に突っ込んでアリストリアの陣営から逃げ出し、馬で首都を目指した。


 走り続ける馬を替え、人間の方はほぼ飲まず食わずで駆けに駆け、なんとか城門にたどり着いたのがその日の日も落ちた頃。

 汗他の体液などで汚れきってはいたが国の一大事と王の謁見を求め、散々待たされた挙句やっと食事を摂る王の下へたどり着けたのがそれから一刻半後。





「ななななな、なんであると!? それは真かッ!!」


 王は大好物のポークソテーを優雅に切り分けていたナイフとフォークを振り回し、少なくとも明後日の昼までにミーレンを連れて行かないとアリストリアが攻め込む算段だと告げられて、最初は全く取り合わなかったが、酷く薄汚れてあちこち傷だらけ青タンだらけの通訳兼使者に遣わした男が必至に説明してやっと信じる事が出来たのか、あわあわと取り乱した。


「くれてやる!! あんな娘などくれてやるッ!! 誰かッ!! 誰かあの娘を連れて行け!!」

 みっともなく泣き叫ぶ王の声に、家臣は速やかに動いた。


 飲み込みの悪い王の説得には時間がかかったが、大臣以下はすでに状況を把握していた。

 なぜなら、ほんのひと月半前のバロスオと状況がよく似ていたためだ。

 バロスオは、そんな猶予もなく一気に攻め滅ぼされた。

 その時は、国境から一方的に宣戦布告したアリストリア軍勢が押し寄せて首都陥落までたった三日半だった。

 バロスオよりもエルダストのほうが若干国土は広いが、似たような期間で攻め滅ぼされるのは想像に難くない。


 そんなやり取りののち、一週間ほど前に突然存在意義を失って以前の様に使用人の中に捨て置く事も出来ないまま一室に閉じ込めているミーレンと、その教育係であったユナレシアとその上司の男爵の元へ、伝令が放たれた。





 なんだか良くわからないが、突然『嫁がなくて良い』と言われて、面倒を見てくれていたユナレシアとも引き離され、なじみになった侍女(正確には見習い)が一人毎日来てくれるものの若干情緒不安定な状態にあったミーレンの部屋のドアが乱暴に開け放たれたのは、すでに夜半と言っても差し支えない頃合。


 規則正しく、出された食事を半分以上残しはしたもののユナレシアに躾けられたとおり、夕食を摂って入浴を済ませてベッドに潜り込んだ所だった。

「今すぐ支度を!!」

 なだれ込んできた男にそう言われて事が分からず止まってしまったミーレンをやってきた男たちがベッドから引きずり出す。

 やせぎすで軽い少女の体は、あっさりと床に放り出された。


「え?」

「どれでもいい、ドレスに着替えて頂きたい」

 ずかずかとクロゼットに歩み寄って、わずか十着ほどしかないミーレンのドレスから汚れても目立たなさそうな色合いのものを引っ張り出して投げつける。

「あの、ここで?」

 白い夜着のまま床に座り込んでドレスを抱きしめている少女を見下ろして、存外に可愛らしい声でそう問われた男がばつが悪そうに舌打ちをした。


「……我々は外で待つ。すぐに着替えを」

 ミーレンが頷くのを見て、男たちが来たとき同様バタバタと音を立てて部屋を出て行った。

 ぼうっとしていても始まらないので、夜着を脱ぎ、胸元に無駄に詰め物が詰め込まれたアンダードレスを着て、ドレスを纏う。


 そうっとドアを開けると、イライラした様子の男たちの視線が一斉にミーレンに集まった。

 いたたまれず下を向いたミーレンの腕を掴んで引きずるように歩きながら、上官らしき男が声をかけた。


「先ほどは失礼。だが国の一大事なのだ、許せ。あなたはこれから、アリストリアの陣営に送られる」

 大きな歩幅についていく為に小走りになっているミーレンのことなどお構いなしに、歩きながら男が喋る。

「馬車では間に合わんから馬で行く。乗れるか?」

 その問いにミーレンがぶんぶんと首を横に振った。王典礼さえひと月前まで全く知らなかった少女が、馬になど乗れるわけが無い。

「仕方が無いな。馬には負担だが相乗りで……」


「何をしているのですか!!」

 暗い廊下を男たちに囲まれて連れて行かれていたミーレンが、その声にぱっと顔を上げる。

「ユナレシアさん!!」

 いつもきっちりと結っているこげ茶色の髪さえそのままで、いつも優雅に歩いているユナレシアが走ってやってくるのを見て、ミーレンが泣きそうな顔をした。


「ご説明ください、これはどういうことですか? 確か一週間前、アリストリアには第三王女が嫁がれる事になってこの子はもうお役御免となったはずです」

 噛み付くようにそう言ったユナレシアに、男がミーレンの腕を掴んでいる指から力が抜けるのを逃さず、ミーレンが身を捩って拘束を逃れて、ユナレシアにしがみ付く。

「状況が変ったのだ。明後日……いやもう明日か……明日の昼までにその娘をアリストリア陣営に引き渡さなければ、この国は攻め滅ぼされる」

「は? ……和平交渉は締結されたはずです。その為の人質であったはずでしょう?」


 縋ってくるミーレンの体を背の後ろに隠し、ユナレシアが男の言葉に眉間に皺を寄せた。

「だから、状況が変ったのだ。アリストリアの王子はピリカーシェ姫を……その、家畜呼ばわりして追い返したらしい。先に送った肖像画の娘を寄越さなければ、攻め込むと」




 若干、事情が伝言の伝言の為か歪曲されているが、おおむねは正しい。




「だからと言って、こんな年端もいかない子供を夜中に連れ出して。可及的速やかに他国に嫁がせるのにしかも身一つとはどういうことですか? 少なくとも、着替えくらいは用意すべきです。期限が明後日の昼なのであれば、並足の馬なら明け方に出ても間に合います。準備は明け方までかかりませんし、荷物もそう多くはありませんので、せめて半刻お待ちください」


 ユナレシアの袖を握る震える手を優しく撫でながら、声音だけははっきりとユナレシアが言う。

 やたらと強気なユナレシアに、男たちはどうしたものかと視線を動かしていたが、ミーレンを引きずっていた男がここで問答をしていても埒が明かぬとユナレシアの提案を呑んだ。


「我々は厩で準備をする。半刻以上かかるようなら準備が途中でも出立していただく」

「わかりました。部屋に戻るわよ、ミーレン」

 しがみ付いた腕を放すように促し、ミーレンの手を引いてユナレシアが早足で廊下を取って返す。

 途中に、ミーレンの世話をしていた侍女たちも何とか室外に出られる装いに身を包んでこちらへやってくる所だった。

 一人を王宮の宿舎にあるユナレシアの部屋へ行かせて、もう一人にはミーレンの荷造りを指示する。

 とは言っても、元々ミーレンの持ち物など知れている。

 十着程度のドレスと、アンダードレスなどの下着、五足ほどの靴、とりあえず三連ほど揃えたネックレス。

 身支度に必要な櫛やリボン。


「ミーレン。あの男の言っていたことは理解しているわね?」

 ユナレシアに問われて、ミーレンが頷く。

「正直、あなたが行かなくていいことになってほっとしていたのに。どうしてこう、上手くいかないのかしらね」

「でも、戦争になるよりは良いのでしょう?」


「……そうね」


「じゃあ、私が行けば、戦争しなくて良いのなら良いです。だって私、ここにいても仕方ないもの」





 虚勢でもなんでもなく、恐らく心の底からそう思っているのだろうミーレンの顔を、ユナレシアは見ていることが出来なかった。

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