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9 冒険者

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 陸がこの世界に転移して二週間。商船の部屋での寝泊まりにも慣れ始めた頃、交易の街アイネリヤスが沸いた。ついに海の魔物の専門家がやってきたのだ。

「おぉ! 冒険者って感じの格好だね~あれは剣? 銛かな!? カッコイイ~!」
「ふふ。なんですかそれ」

 はしゃぐ陸を見てニコラスがクスクスと笑う。テレポートスキルで建物の上に移動し、街の人々から取り囲まれ歓迎されている冒険者パーティの一団を上から見下ろしていた。
 
 陸は最近この世界での生活を楽しんでいた。思う存分テレポートできたし、秘密がない解放感が気持ちよかった。

「すごい冒険者なんだろ?」
「はい。水生魔物のエキスパートです。拠点にしている街もなかなか水生魔物が多いところなので、だいぶ無理を言って呼んだんでしょう」

 、というのはつまり、金を積んだということだった。潤った領だからこそ出来る力技でもある。

 幸か不幸か、アイネリヤスはあまり冒険者には縁のない街だ。周辺の海域に魔物が出ることは滅多になく、アイネリヤスへ続く街道は整備され、特に魔物に関しては国内でもかなり安全な地域となっていた。その為この街に来る冒険者の目的は観光か国外に出ることだった。

「だから街の規模の割に冒険者ギルドは小さいんですよ。商業ギルドはでっかいのが建ってますけどね!」
「はあ~! ニコラスは小さいのによく知ってるなぁ」
「えへへ、そうですか?」

 陸が褒めるとニコラスは嬉しそうに顔をくしゃくしゃにして照れた。
 文字やこの世界の文化がわからない陸の為に、ニコラスはいつも少しも嫌な顔をせずに詳しく教えてくれた。

(ニコラスって本当にいい子だなぁ)

 そんな子が食べ物を盗むまで追い詰められていたかと思うと陸はあらためて心が痛んだ。

「この街って小さい子向けの学校があるの?」
「はい。領主様が読み書きだけはある程度できるようにと、あっちこっちに」

(寺子屋みたいなものかな?)

 陸が詳しく聞くと、8歳前後の子供達が2年程通って読み書きと、簡単な計算を学ぶ場ということだった。家業の手伝いの合間に少しずつ。
 行かないことで特に罰則があるわけではないのでかなり緩い学校ではあるが、この街の住人はそれが大事なことだとわかっているので、ほとんど全ての子供が通っている。意欲がある者はさらに上級の内容も教わることができた。それなりに個人差があるが、他の街からの商人達は、この街の子供の教育水準にいつも驚いていた。

「父も色々教えてくれたんです。死んだ母との約束だといって、いっぱい勉強させられました」

 少し寂しそうにニコラスは笑った。

「リックさんのご両親はどんなかたなんですか?」
「ああ。俺は知らないんだ。孤児だから」

 陸は出来るだけサラリと答えた。いつもそうしていたのだ。

「す! すみません!」
「いやいや! 別に気にしてることでもないし!」

 目を見開いて慌てふためくニコラスを優しくなだめる。

「どんな人かは気になるけどね~。運よく寂しい思いもしてこなかったから恨みとかもないし」

(このスキルのことを知ってたかどうかは知りたいけど)

 ニコリと笑って答えても、ニコラスはまだバツが悪そうな顔をしていた。陸は肩をポンと叩いて、

「そろそろ仕事に戻ろっか」
「……はい!」

 すぐにテレポートスキルで商船に戻っていった。

 その様子を、冒険者のリーダー格がじっと見ていたことには気が付かなかった。

 だから翌日、領城に呼び出され、領主アドルフから魔物の討伐隊に加わってほしいと言われた時、陸は理解が追い付かなかった。

「も……申し訳ありません……お、俺……私が討伐隊に加わるとは……どういうことでしょうか?」

 脳裏にはあの大きな怪物が思い出されていた。冷や汗がこめかみに浮かんでくる。一緒についてきてくれたライドは少し真面目な顔になっていた。

「リックは魔法が使えない。やれることは瞬間移動だけだぞ」
「わかっている」

 少しパニックになりかけている陸に変わって、ライドが詳細を確かめた。

「今回は大型の魔物が3体確認されている。それぞれ縄張りを作っているようだから大体の居場所はつかめている」
「つかめてたのにボロボロにやられちまったのが問題なんだろ」

 領直属の海軍は魔物によって壊滅させられていた。陸は以前ライド達から聞いていた話を思い出しゾッとした。

(軍がダメだったのに俺が関わってどうにかなるもんでもないだろ!?)

 精々冒険者達を近くに運ぶくらいだ。

「だから今回は冒険者を雇った。たった3人のパーティだ」
「的は小さい方がいいってか?」
「その通り」

 アドルフは相変わらず表情を変えない。

「で、リックの役割は?」
「依頼したい役割は2つ、1つは足場を作ってもらいたい……いや、浮かせるだけなのだが。彼らが言うにはそれがあればあるだけ攻撃が楽なのだそうだ」

 うんうん。と陸は頷く。これくらになら自分にも出来る。あの魔物に近づくのは怖いが、この街の窮地を救うためならこの恐怖は乗り越えようと思えた。

「もう1つは、リーダーのホープと一緒に魔物を攪乱してもらいたい」
「えっ!? えええええ!?」

(えええええ~!!!?)

 いつもの陸なら偉い人の前でこのように大声を出すことなどしない。だがそんな当たり前が崩れるほど動揺した。どう考えても許容範囲を超えた恐怖が待っていることが一瞬で分かったからだ。

(だ、だめだ……! 落ち着かなきゃ……)

 何度も大きく深呼吸をしながらなんとか心を落ち着かせようと試みる。その様子を見てライドが助け船を出してくれた。

「リックは戦闘向きの人間じゃねえ。2つ目は荷が重すぎる」
「承知の上で依頼している」
「依頼って……断らせるつもりもねーくせに」

 ライドの言う通り、アドルフからはノーを言わせない雰囲気が漂っていた。これが大都市を持つ領主の圧なのだと陸は実感した。少し前に会った時とは別人のようだった。

「そんなつもりはない。私としても瞬間移動のスキル持ちにこのままこの街から逃げられても困る。だからそれなりの報酬を用意するつもりだ」
「つっても命がけになるだろうが」
「逃げるのは得意だと聞いているが」

(それは人間相手の場合です!)

 アドルフは以前話した内容をきっちり覚えているようだった。

 バチバチと火花を散らし始めたライドとアドルフの間に入って言えない自分が情けないと思いつつ、頼れる上司の好感度はうなぎのぼりだった。

「リックが加わることによるメリットが大きいのだ。何よりかなり時間の節約に繋がる。商人としては少しでも早く商売を再開したいのではないか?」
「従業員の命も大事なんだよ」

 一歩も引くつもりはないというライドの意思表示が伝わったのか、アドルフはフゥーと、ため息をついた。

(ああ。俺、情けないなぁ)

 大人にもなって守ってもらっている。ここ二週間で、ライドや他の商人達がなかなか先の見通しが立たずに大変な思いをしていることはわかっていた。ニコラスのように親を失って路頭に迷う子供も増え始めたという話だ。
 この街の人たちが少しでも早く海の魔物から解放されたいというのはよくわかっていた。

 陸の信条は、来る範囲の善意はするということだ。

(これはその範囲か?)

 迷いはあった。だが断れば、このままこの街で楽しく暮らしてはいけないというのだけははっきりわかっていた。

「その話、お受けします」

(どうか情けない顔になってませんように……)

 冷や汗をかいたまま、自分の顔をコントロールできない中で陸は返事をしたのだった。
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