対岸町のサーカステント

あきさき

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第二部

旅館の話 【3】

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 月下部さんを運んだ時に使った車に、今度はゲジ子さんを運び込み、謙一さん宅への道を進む。
 後部座席に乗せられたゲジ子さんは、律儀にもシートベルトを締められていた。大事なんだぜ、などとほざいていたが、もし仮に警官に止められたとしても、絶対に何も見なかったことにされて通れるに違いなかった。

「あの、聞いても良いですか?」
「ドーナツはチョコ派だけど」
「……じゃあ次はチョコにします。布施さんってのは結局誰なんです?」
「事務所が入ってるビルのオーナー」
 無意味にはぐらかされるのにも慣れてきたので流して尋ねれば、思っていたよりもあっさりと望んだ答えが返ってきた。
 横顔が大変詰まらなそうなので不本意なのだろうが、それでも素直に教えてくれる気はあるらしい。
「オーナー? あのビルの?」
「俺の事務所と一つ上の階以外は殆ど布施さんの私物で埋まってる。この間在庫整理しに行っただろ? 無料で貸してくれる代わりに、俺にあそこに集めたもんの面倒見させてんだよ」
「集めた? 集めたって……あの、下の階に居た人?とかをですか? なんでまた」

 蛇女だというお客さんが訪ねてきた日、前条さんは在庫整理をすると言って下の階に降りていた。
 依頼だと言うので前条さんを呼びに行った訳だが、下の階の部屋をノックした僕の呼びかけに応えたのは若い女性の声だった。結局部屋から出て来た所は見ていないが、あれが普通の人間でないことくらいは僕にも分かる。
 前条さんの事務所が入っているのだから絶対にろくでもないビルに違いないとは確信していたが、まさかそれがわざわざ集められた物だとは。
 一体どんな理由で集めたのだろう。訝しむ僕の隣で、前条さんはハンドルを切りながらホットコーヒーに口をつけた。

「んー……簡単に言うと病室かな」
「病室? えーと、病気、なんですか? あの人たち」
 幽霊って病気になったりするんだろうか。予想しなかった答えに面食らう僕に、前条さんは自分でもやや納得の行っていない様子で続ける。
「さあ? 分からないけど、布施さんの中では『病気』ってことになってる。人を呪い殺すような存在は『病気』だから、治療してあげないといけない、らしいよ」
「はあ、……成る程?」
 つまり彼処に居るのは全部人を呪い殺してきた存在ということだ。あのフロア丸ごと。病棟、と呼ぶには些か物騒すぎやしないだろうか。

「ってことは、前条さんもその、治療的なことをしてるんですか? この間、なんか降りていきましたよね」
「俺が? まさか。俺の役目は彼奴らがビルから出ないようにすることと、布施さんが『治療できない』って判断した奴を潰すことだよ。在庫整理って言ったろ?」
「……患者さんを在庫呼ばわりするのはどうかと思いますけど」
「いいんだよ。彼奴ら全員、布施さんが『お医者さんごっこ』する為の道具でしかないんだから」
 何とも軽い調子で告げた前条さんは、不信感から眉を顰めた僕に目を向けると喉を鳴らして笑った。
「俺があのビルの管理を手伝うようになってから見た限り、『治療』を終えて出て来た奴なんてひとりもいないよ。全員、『これ以上は手の施しようがありません』で潰されてお終い。それでまた、あの人はどっかに行って霊を連れて帰ってくる。
 病室に繋いで、『治療』を始めて、また何処かで〝助けを求めてるだろう患者〟を探しに行く。まあ、ここ一年は帰ってないかな。たまにメールで空けて欲しい部屋の連絡が来るくらい。こんなの『お医者さんごっこ』以外の何物でもないだろ?」
「…………布施さん、って人は何を目的にしてそんなことしてるんですか?」
「んー、強いて言うなら『誰かを助けたい』から? あるいは、『誰かを助けることで自分が助かりたい』から、かもな。まあ、厄介だけど悪い人じゃないよ。むしろ大分良い人なんじゃない? 本気で助けたいと思って連れてくるんだからさ。それにそいつらがいた場所で呪われる奴は居なくなるんだし、結果的には人の為にもなってるよな」
 今一つ納得が行かず、何と答えたら良いか分からないまま小さく唸った僕に、前条さんは明るい声で付け足す。
「それにほら、人間相手にやらかすよりは大分健全だしな」
「まあ、そうです……ね?」
 確かに、その親切心を生きている人間に向けるよりは良いのかもしれない。何にせよ、話に聞いただけではよく分からない人だった。
 そうこうしている内に、景色に山が増え始める。住宅街を抜け、人気のない方へと向かうと見覚えのある風景が見えてきた。

 林を抜け、立派な門構えが見えてきた所で車を停める。後部座席からゲジ子さんを降ろし、門扉の前へと歩いて行った前条さんは、僕が止めるより早く、靴の爪先で乱暴に扉を叩いた。
 止める間も無かった、というより、止める勇気が無かった。蹴りつける足がいつになく苛立っていたので。
 無言のまま、三回ほど蹴り飛ばした辺りで、重苦しい作りの扉がゆっくりと開いた。

 月下部さんと来た時は門の前には誰もいなかった覚えがある。だが、今回は開いてすぐの位置に、見覚えのある使用人らしき着物姿の人が立っていた。
 前に来た時には気づかなかったが、なんとも印象に残らない人だ。印象に残らない、という印象を、顔を見るまで思い出せなかった。

 丁寧だが冷淡な所作で頭を下げた使用人さんが、ゆっくりと両手を差し出す。前条さんは特に言葉を交わすでもなくその手にゲジ子さんを乗せた。
 十代半ばにも見える使用人さんの細腕には荷が重いのでは、と心配したのだが、彼──もしくは彼女──は薄い反物でも受け取ったかのような、重みを感じさせない動きでゲジ子さんを抱えたまま屋敷の中へと消えてしまった。
 一切の言葉もなくなされたやり取りに追いつけず、間の抜けた顔で見送る僕の腕を、前条さんが掴む。

「俺から離れるなよ。離れたら殺す」
「そ、そんな何度も言わなくても離れませんよ」
「殺すのは謙一」

 何をそんなに、と呆れかけていた僕の耳に届いたのはどう聞いても本気にしか聞こえない声だった。思わず隣を見上げれば、緩く掻き上げた髪の間から、刺すような視線が屋敷の奥へと向けられているのが見えた。疑いようもないほどに本気である。
 慌てて、しがみつくようにして前条さんの腕を掴み返した。


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