この恋は決して叶わない

一ノ清たつみ(元しばいぬ)

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 俺が村の宿屋に向かったのは夜更け近くのことだった。
 高ぶる気持ちと不安とが入り混じり、まともに寝られる気がせず、ほとんど一晩中街を徘徊していた。俺の気が済んだ頃には、結界の解れも応急処置を一通り済ませてしまっていた。

 結界の応急処置とは言えども、魔法使いのように完璧になんてできるはずもなく、壊れた窓の窓枠に木を打ち付けるようなもの。
 それでも何かせずにいられなかったのは、いつ奴が襲ってくるかもしれないという緊張感からくるものだったか。

「君は僕のことを言えないじゃないか、こんな時に休みもせずどこをうろついていたんだ」

 宿の入り口でこんな俺を目ざとく見つけたクリストファーは、普段の調子でそんなことを言った。皆の前にあっても、神官長として取り繕うのはやめたらしい。

「うるせぇわこんな時にじっとしれられるか。お前と違って俺は有り余ってんだよ」
「てっきり歳のせいで枯れたと思っていたが、存外残っているもんだね」
「俺もまだまだ若い連中にゃ負けてらんねぇのよ」
「歳相応に落ち着いたらと言われないかい?」
「テメェこそ相変わらずじゃねえか。ツラは兎も角もういい歳なんだからテメェも無理すんなよ」
「君こそ一睡もしないでさ。ここぞと言う時に倒れても僕は知らないよ」

 クリストファーの背後でおろおろするばかりのジョゼフを横目に、いつもの二人の間での応酬を繰り広げる。
 まだ明け方だというのに、この場には全員が勢揃いしていた。朝っぱらからこんなやり取りを見せられて随分と驚いたんではなかろうか。

 クリストファーは彼等に全部話しただろうか、なんて少しだけ考えながらその待合所のベンチへと腰を下ろした。いつの間にやら幼獣の姿になっていたリオンに膝に乗られながら、懐から煙管を取り出す。

「収穫は?」

 俺が座るなり、クリストファーが聞く。

「なんもねぇよ、見て分かんだろ? 何かか企んでるに決まってる。奴にゃ人質もいるんだ。向こうからの接触を待つしかねぇだろ」

 大きく溜息を吐けば、そうか、と静かに返された。

 手持ち無沙汰に、リオンの頭を撫でる。それが気持ちいいのか、擦り付けるよう頭を押し付けてきた。

 煙管の煙を口に含んでいると、一昔前の光景が思い浮かんできた。前にも、確かこんな風に宿の待合所で皆で集まる事があった。

 あの時は師がいて隊長がいて皆がいて、俺は彼らの背を見ることで様々な事を学んでいた。
 その時も自分の弱さを心底歯がゆく思ったものだったが、20年以上たった今ですらそれはあまり変わらなかった。
 最早誰もいなくなり、自分が彼らと同じ立場にたっていても変わったように感じられない。こんな気分を彼らも味わっていたのかと思うと、不思議な気分になった。

 そうして黙り込んでいると、クリストファーが問いかけてきた。

「君こそ、何を企んでいるんだ」
「あ?」

 質問の意味が分からずポカンとする。口から煙管を離して彼の顔を見れば、クリストファーの真剣な眼差しに射抜かれた。

「何をするつもりだ」
「何って……奴との決着をーー」
「僕には、君は死にに行っているように見える。昔は兎も角、今の君に奴を退けるだけの力が残っているか僕には疑問でならない」
「!」
「ひとり死ねない僕を置いて、君もいくつもりか」
「……」
「そんなのは許さないよ。君は確かに危険を背負っているし、実際君のせいで危険な目に遭う事もあった。僕だけが死ねないのは不公平じゃないか? 逝ってしまった皆に祈りを捧げる人間がもうひとりいたって、別にいいだろう」

 そんな事を話すクリストファーから耐え切れずに目を逸らした。そう言うこの男の気持ちも分からないでもない。何よりいつでも、子供達との約束が頭を掠める。

「あんな悪魔のために死ぬだなんて、命を賭して君を生かそうとした人々にどう顔向けするつもりなんだ?」

 そう言うクリストファーの顔から、俺は目を背けることができなかった。哀しいのか怒っているのか寂しいのか、俺には到底理解できない。ただ一つ言えるのが、彼もまた、俺が死ぬことを良しとしていないという事。そんな事、考えたこともなかった。

 クリストファーが死ねないというのは、何も神官長という地位の為だけではない。旅の途中で手にした強大な魔力の代償がそれだった。強大な魔力が故、寿命はエルフのそれとほぼ等しくなった。

 唯一無二の力を得、彼は人々が為に使う事を誇りとし輝かしい日々を送っているに違いないと、俺はそう思っていたのだが。俺なんかが此処にいない方が世の為であるし、彼の負担も少なく済むと。しかしそれは、どうやら俺の妄想に過ぎなかったらしい。

「抜け駆けは許さないよ」

 神殿に飛ばされたあの時のことを思い出す。
『過去に苦しんでいるのは君だけじゃないーー』
てっきり陛下のことを庇って言っていたかと思っていたのだが、どうやら違っていたらしい。

「僕は絶対許さないからね」

 拗ねたように聞こえたその声に、昔のことが思い出される。共に生死の境を彷徨った腐れ縁の気に入らない野郎の言葉に、俺の気持ちがぐらりと揺らいだ。

 手に持ったままだった煙管を口に戻しながら、膝の上のリオンに目をやった。彼は鼻を摘んで涙目になって、困り顔で何事かを訴えてきていた。

 この煙は獣の鼻にはキツイらしい。そりゃそうだと、慌てて灰を落として懐に仕舞い込むと、リオンは満足そうに頭を擦り付けてきた。

 その姿に昔の事を思い出した。あれははて誰だったか。師のギルバートだったか騎士のジョエルだったか。どちらにせよ、顔も腕も一流だった彼らのあの姿は大変絵になっていたと思う。煙管を片手に愛らしい幼子をあやす姿は、さながら絵画のようだった。

 それをとても懐かしく思う。そして同時に、彼等に焦がれた。最初の出会いこそ最悪だったが、旅の中では彼等から沢山の大切な事を学んだ。

 叶うならばまた、あの2人の声が聞きたい。俺が、そんな事をしみじみと考えていた時だった。


 不意に耳元で声がした。

「随分昔のことを思い出しているね。何だか僕も懐かしくなるようだ」

 聞き覚えのある、ねっとりとした嫌な声だった。
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