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7.鬼と夜叉

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 銀狗ギンコウの気を知ってか知らずか。彼が目を覚まして程なく、金霞キンカは小屋へと戻ってきた。
 まるで普段通りにただ、家路についたような顔をして。

 張られた結界はどうやら銀狗にしか効果を発揮しないようで、金霞は結界を壊す事もなくするりと抜けた。
 銀狗が目を覚ましているのに気付くと、金霞は普段とまるで変わらない調子で口を開いた。

「起きたか。……その、体は大丈夫か?」

 そうやって二言目には気遣う言葉をかけた金霞に、銀狗は思わず噴き出してしまった。

 銀狗を外に出さない為の結界を張っておきながらまぁ、いけしゃあしゃあと。そのちぐはぐさが妙におかしかった。
 鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている金霞に向かって、銀狗は笑いながら言った。

「金霞お前、そうやって心配するなら最初からヤるな。大丈夫に決まっているだろうが。私は人間ほど弱くはない」
「そっ、か……ならよかった。かなり遠慮なくヤッた記憶があったから、その……」

 金霞がそう言って困ったように笑うものだから。銀狗はため息と共に金霞へ問いかけた。
 育ての親としてではなく、金霞の求めを聞いた一人の男として。

「金霞お前、あれは本気でああ言っていたのか」

 探るように金霞の目を見れば、全く狼狽えもせずに銀狗の眼差しを受け止める。いっそ銀狗の方が、彼の強い眼差しに怖気付いてしまいそうだった。

「そりゃもちろん、そうだ。だからこうして銀狗をここまで連れ帰ってきた」
「私は人を喰うぞ」
「……こんな事言うと怒られそうだけど、俺としては銀狗以外がどうなったって知ったこっちゃない」
「!」
「この前師匠に教わった。俺の出自についてだ」

 銀狗は息を呑んだ。知らぬ内に、金霞はそんな事まで知っていたのだ。銀狗は調べもしなかったというのに。かの師匠とやらの手腕にも驚くばかりだった。

「お前の、」
「ああそうだ。俺は、あの戦で敗戦して没落した武家の末裔だそうだ。最期の生き残りだと」
「は……」
「俺を未だに探してる奴らがいるらしい。正直、今更そんな事を言われても困るんだけどな……今の俺が下手に市井なんかに出れば、を探す連中に見つかるかもしれないんだと」

 金霞は少しばかり渋い表情をしながらも、そこに哀愁の感情はなかった。まるで、人間の里にはこれっぽっちも興味がないとでも言いたげで。

 期待、しているのかもしれなかった。
 銀狗は何とも言えない胸のざわつきを感じながら、ただジッとその先の言葉を待った。

「俺は侍だの武家だのという人間の家については良く分からないし、そもそも厄介ごとの臭いしかしなくて関わる気にもなれない。こうやって銀狗と今のように暮らしていければ、もうそれだけでいいんだ」
「……」
「それに何て言うか……、この話を聞いた時には正直嬉しかった。人里に出られないから、ずっとアンタと一緒に居られる、ってな」

 金霞はまるで、悪戯の成功した子供のように無邪気な笑みを見せた。そのままずいと銀狗の方に体を寄せると、咄嗟に逃げ腰になっていた銀狗を自分の方へと引き寄せた。
 鬼と人との間には歴然とした力の差があるはずなのに。銀狗はいとも簡単に捕まってしまった。

 そうして至近距離で銀狗の顔を見つめながら、金霞はまるで睦言のように言う。

「アンタに優しく撫でられるのが好きだ。時々粗相をすると、目を怒らせたアンタに叱られるのも悪くなかった。泣いてる時、たまに抱き締められるのも好きだった」

 銀狗は何も言う事ができなかった。言葉を紡がれるたび、彼の中に込み上げてくるものがあった。
 そうして最後に。金霞は問うてきた。

「なぁ、銀狗はどうだ? 俺とずっと一緒だと言われて嬉しいと思うか?」
「私が、か」
「そう。どうなんだ? 俺は、アンタが本心ではどう思ってるのかが知りたい。もちろん、アンタが俺を何とも思ってなくて、俺の代わりになる人間を探そうとか考えてるんなら……まぁ、その時はその時だ」

 そう言って笑った彼の目には、どこか仄暗い光が灯っているような気がして。銀狗の背筋を思わずゾクリとさせた。

 もし下手に答えればただでは済むまい。そう思わせるような何かが、今の金霞にはあった。
 けれども、そんなのはどうでもよかった。きっととっくに、銀狗の心は決まってしまっていた。

「私は、」
「ああ」
「私は、どうしたいのかは己自身でもよくは分からん。ただ……、お前と離れ難いとは思う。生きた者の肌に触れたのもお前が久方ぶりでな。心地良いとは思う」

 そこで一度言葉を切った。目の前にある金霞の目が、期待に輝いているように見えて。銀狗は思わず苦笑する。こうやって尻尾を振られて悪い気はしない。
 銀狗は、とっくに金霞に捕まってしまっているのだ。

「だが、やはり私とお前とでは生き方が大きく違う。何が正解で何が間違っているのか、判断がつかない。こうしてお前が私と居たいと思うのも、他の人間達が喜んでその身を差し出すようなソレが、お前にも作用しているのではないかと思っ――」
「違う。それは関係ない。俺が自分に正直になったからこうしているだけだ。俺は他の奴らとは違う」

 銀狗の言葉を即座に否定した金霞は、真っ直ぐに銀狗の目を見た。その言葉に嘘はないようで、キラキラと輝くような眼差しがジッと銀狗の様子を窺っていた。

 その言葉に何故だか、胸が高鳴り顔が火照っていた。今までに感じた事のないような自身の変化に、銀狗は戸惑う。

「そう、か。……だがお前は本当にそれでいいのか? 私が共に居たいと言えば、お前は本気でそうするつもりだろう? お前の、ちゃんとした人間としての生を本当に投げ打ってもいいのか?」

 そう言って恐る恐る見返せば。金霞はどこか困ったような笑みを浮かべた。先程の強い眼差しからは力が抜け、どこか優しい色を含んでいる。

「アンタもくどいな。最初からそう言ってる。人間としての生活に興味はない。銀狗とずっと二人でいたい。俺の望みはそれだけだ。――銀狗」

 そこで言葉を切った金霞は、銀狗の頬に手を添えて顔を上げさせた。優しく微笑む彼の表情から、慈しみの感情が伝わってくる。互いの唇が触れてしまいそうな程に顔を近づけて、金霞はどこか嬉しそうに言った。

「今のは、肯定と取ってもいいんだよな?」

 そう問われ、銀狗は一瞬迷ってから首を縦に振る。すると金霞は、美しくまるで光のように微笑むと。

「他は何にも要らない。俺とずっと二人で添い遂げて欲しい」

 そんな事を言いながら、金霞は銀狗へと優しく口付けた。他には何も要らない。銀狗ですらそう思う程、幸福感に溢れたひと時だった。




 それからのお話。
 美しい鬼が戦場に出るという噂は、ある日を境にとんと聞かなくなった。その代わりに、別の噂が人々の間で語られるようになった。

 美しい鬼の隣には夜叉が居る。その夜叉はいつも鬼を護るようにそこに居て、鬼に触れようとする者が現れればその腕を斬り落として威嚇する。
 夜叉を怒らせてはいけない。鬼を慈しむ夜叉は、鬼を護る為ならば何でもする。

 鬼と夜叉に関わってはならぬ。その姿を見れば、彼らの気に当てられて惑ってしまう――。人々はそう口々に囁いた。



「――んな大袈裟な。俺はただ術で拘束してブン殴るだけだってのに。誰だよ、腕斬り落とすとか言った奴!」

 大木の枝上から人里を見下ろし、二本角の鬼が吠えた。着流しの着物の袖は襷掛けで捲り上げられ、引き締まった彼の二の腕が露わになっている。

「同じ鬼かもしれんな。お前に腕を落とされた一本角(鬼)が居ただろう。腹いせに人にでも化けて噂を吹聴したんだろうさ」

 その隣で、一本角の鬼が優しく言った。緩く気崩された着物から伸びる手脚は白く細長い。彼の整いすぎた美しい容姿と相俟って、独特の色気を感じさせた。

「ああー、そういや前に居たな、そんな奴が……でもアイツ、目が血走ってて気色悪かったんだぜ」
「まさかお前まで鬼だったとは思わなんだろう。舐めて掛かってくる相手も相手だが、騙そうとするお前もお前だ。いい加減人の姿に化けるのを止めたらどうだ、金霞」
「ははっ、別にいいだろ、俺は成り立てなんだし。まさか、本当に俺も鬼になれるとはな……師匠も鬼になる条件だなんて、良くそんな事知ってたよな。役に立った。でもよ、俺が人間の姿でいた方が相手は油断してくれるだろ? 対処が楽だ」
「……お前のその、用意周到さは一体どこから来るんだ」
「そんなの、全部銀狗の為だからに決まってんだろ。昔からずっとそうだった」
「……」
「照れてる? 銀狗、照れてんのか?」
「やかましいっ」
「可愛いんだよ、アンタはそういうのがイチイチ。歳食ってる癖にウブとか……抱き潰すぞ」
「そういう所も相変わらずだな……ちっともやんちゃが直らん」
「主に下半身のな」
「……ソコを斬り落とせば違うのか?」
「さすがに止めてくれ……銀狗も後ろが寂しくなるだろう?」
「私は別に構わん」
「ひっでぇの」

 そうやって口では言い合いながらも、彼らの顔には柔らかな笑みが浮かんでいた。互いを信頼しきった優しい笑みだった。寂しげなぼんやりとした顔の鬼はもう居ない。

 静かな秋の夜だった。
 虫の声が山のあちこちから響いている。静まり返った夜闇に紛れ、二つの影はそうして寄り添い合い生きていた。
 いつまでもずっと変わらず。


 了
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