一人旅

むらもんた

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一人旅

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「父さん!」
「お義父さん!」
「じぃじ!」

 和彦に香奈さん、それに奈美ちゃんまで、そんなに悲しそうな顔はしないでおくれ。ようやく母さんのところに行けるのだから。

 ピーと心電図の止まる音が聞こえる。どうやら心臓が止まってからも意識があるというのは本当の事らしい。

「十四時二十三分。御臨終です」

 もうすぐ。
 もうすぐ逢いに行くよ。
 和美。



 君が空に旅立った一年目のこと。
 この年は本当に大変だった。
 はじめは葬儀やお墓のことなど、やらなけれはいけないことが、本当にたくさんあった。その時は幾分か忙しさに気持ちが紛れて良かった。
 本当に大変だったのは、それらが一段落した後だった。炊事洗濯掃除と私は一切の家事をしたことがなかったのだ。その時、君がそういったことや育児を、小さなその体で全て担ってくれていたことに気付かされた。

 暫くは外食や出前を頼んだりした。勿論美味しかったが、二週間ももたず飽きてしまった。君の作る料理は三十五年間一度も飽きなかったのに。不思議なものだなぁと感じながらも当然だと思った。
 時々、和彦と香奈さんが私のことを心配して顔を見に来てくれた。たわいもない話をしたり、少し掃除をしていってくれたりと家族の有り難みも再認識した。

 一月過ぎた頃だった。ようやく私は自炊を始めた。生前、君が書いてくれた手書きのレシピを必死に目で追った。
 好物の肉じゃがにきんぴら、油揚げと大根の味噌汁を作った。慣れない作業にあたふたしながらも、出来上がったそれらの味はまさしく君の作る料理の味だった。
 一口食べ感動し、
 二口食べ懐かしんだ。
 三口食べた辺りから急激に寂しくなった。
 バラエティー番組をつけても、大好きな歌手のレコードをつけても、何をしてもぽっかりとあいた穴は埋まることがなかった。

 笑いながら言う「お父さん」
 怒りながら言う「お父さん」
 君の様々な声色で呼ぶ「お父さん」の代わりになるものなんて、世界中どこにもありはしなかった。

 
 ある日、君から頼まれていたことをふと思い出した。大切にしていた花壇の手入れだ。
 君の書き残した『花壇お手入れ帳』を慌てて開く。チューリップ、スイセン、ヒヤシンス。これらの球根は九月から十二月に植えると書いてある。だが、残念なことに既に二月になっていた。
 もう間に合わないかとも思ったが、春に縁側から見える、色鮮やかな花壇の花達を思い出し、大急ぎで植えた。

 四月、植えた球根達は小さな芽を出し、それから暫くするとポツポツと蕾をつけ始めた。
 五月、花を咲かせたのはほんの一握りだった。君のお気に入りだった花壇の眺めとは程遠かった。



 君が空に旅立った二年目のこと。
 君は信じないかもしれないが、この頃になると、私もだいぶ炊事洗濯掃除が板についてきた。
 数品ならレシピを見なくても、君の作る料理の味を再現できたし、夏にはヒマワリやマリーゴールド、秋にはリンドウやキンモクセイ、ビオラなどで花壇は綺麗に賑わった。
 
 少しずつ取り戻した生活リズムの中で、私は好きだった読書を再開した。
 君の好きだった花壇を本の背景にし、木漏れ日を浴びながら縁側で読む読書は格別だった。
 だが、ここでも君のいない寂しさが私を襲った。

 一つ目は「はいどうぞ」と言って君が淹れてくれる緑茶がないことだ。
 自分で淹れてみたが君の淹れる緑茶の味とどうも違う。何か特別なことをしていたのかもしれないが、聞く術もなく私はこれを諦めた。

 二つ目は君が庭の物干し竿に洗濯をする際の『鼻歌』が聞こえないことだ。君の少し明るめの声は私の心を安心させ、いつも晴れやかにしてくれていた。
 何を読むかではななく、何処で誰と読むのか。それが私にとっては重要だったのかもしれない。
 
 

 君が空に旅立った三年目のこと。
 この年は君がいなくなってから最も嬉しいことがあった。だがそれは君に謝らなくてはいけないことだった。

 和彦と香奈さんの間に待望の第一子となる女児が産まれた。君の口癖は「早く孫を抱きたいわぁ」だった。
 君があれだけ楽しみにしていたことを私は一人で味わってしまった。
 退院して一ヶ月過ぎた頃、私のところに赤ちゃんを連れてきてくれた。
 君の名前の『和美』から『美』をとって『奈美』と名付けたそうだ。
 君に赤ちゃんを見せたかったと和彦と香奈さんは涙を流していた。

 三十二年ぶりに抱いた赤ちゃんは本当に軽く、小さかった。そして赤ちゃん特有のミルクの香りがとても懐かしかった。
 私の指をぎゅっと握り返す姿を見て、命を感じた。
 死ぬものもあれば、生まれるものもあると。
 
 三人が帰宅した後、曖昧な記憶を頼りに、和彦が産まれた時のアルバムを探した。
 久々に見た、産まれたばかりの和彦の顔は、客観的に可愛いとは言えないものだった。
 しかし、初めて抱いた日、この子より可愛い子はいないと心の底から思った。
「ねぇ見て。目や鼻なんかはあなたに似ているわね。すっごく可愛いわ。大切に大切に育てましょうね」
 君の言葉や表情が鮮明に蘇った。

 写真に写る君は、晩年の少し膨よかな体型とは違い、痩せていて鎖骨が強調されていた。出産直後でこれなのだから相当痩せていたに違いない。
 私としては晩年の膨よかな体型の方が好きだった。
 こんな些細なことでさえ、今となっては伝える手段がないのだから、君との距離は計り知れないものだと感じた。
 


 君が空に旅立った四年目のこと。
 この年からは『ゲートボール会』や『歩こう会』といった地域の催し物に積極的に参加した。次に君に会った時、土産話は多い方が良いと思ったからだ。
 『歩こう会』の中には私のように妻に先立たれた者もいて、色々な話ができた。
 その中で『終活』といった聞きなれない言葉を耳にした。簡単に言うといつ死んでもいいように遺書を書いたり、身の回り(葬儀やお墓のこと)のことを自分で予め行うことらしい。
 和彦達に迷惑をかけないようこれらを滞りなく終わらせると、私は私の還暦を祝って君と行った、静岡の旅行を思い出した。
 君と最後に行った旅行。
 あの場所にもう一度行きたい。

 思い立ったらすぐ行動に移すのが私の性格だから、その翌日には新幹線に乗っていた。
 乗り継ぎなどを何回か繰り返したのち、目的の駅を降りると懐かしい景色と爽やかな葉の香りが目や鼻に流れ込んできた。

 旅行の際に撮った写真を持参していたので、その一つ一つを見比べながらまわった。

 静岡城や静岡県立美術館、久能山東照宮など写真に写っている場所を全てまわり、君との旅行を思い出した。
 へろへろになりながらも、なんとか旅館にたどり着くことが出来たが、思った以上に息が上がっていたし、心拍が平常になるのにとても時間がかかった。歳をとったなと実感した。
 

 次の日、『玉露庵』というお茶屋に足を運んだ。この旅最大の目的はこの店にあった。
 そこの店主と撮った写真を店員に見せると、店主に話を通してくれた。
 話を聞いた店主は快く承諾し、裏から出てきてくれた。
 君の話をすると、気の毒そうな顔を一瞬したが、その後君に美味しいお茶の淹れ方を聞かれたと教えてくれた。
 
 私の知らないところでも君が私の為に尽くしてくれたのだと知った。
 美味しいお茶の淹れ方を教えてあげようかと言われたが私はそれを断った。
 私に美味しいお茶を淹れるのはいつだって君のすることだったから。

 その帰りだった。
 私は軽自動車に轢かれそうになった。間一髪避けたのだが、無理な体勢で右の足に負荷がかかり、痛めた。
 医師の診断は骨折だった。
 
 足を悪くしてから、少し外に出るのが億劫になった。
 密の薄くなった骨の治りは遅く、歩けるようになるまで三ヶ月も月日を要した。それでも完治とは程遠く、元々細かった足は更に細くなってしまった。
 
 思えばこの頃からだったかもしれない。私は物忘れが多くなってきたことを自覚した。
 老眼鏡、財布といった普段必ず身につけているものなども、よく見失った。
 そして作り慣れた料理さえも、君の手書きのレシピを見ずには作れなくなっていた。

 
 
 
 君が空に旅立った五年目のこと。
 気が付くと私は病院のベッドで横になっていた。自力で起き上がることもできず、食べ物を咀嚼する力も僅かなものとなった。
 いよいよ君に逢える日も近付いてきたなと思った。
 最後の力を振り絞り、和彦に遺書や葬儀、お墓のことを伝えた。これに関しては『終活』をしっかり済ませておいたので和彦に頼むことは少しだけだった。
 火葬の際、そちらで君と一緒に使いたいものや見せたいものを燃やしてくれる手筈となっている。
 
 一緒に作った二組の湯呑み
 それに注ぐ掛川茶
 君の好きだったお花
 二人で撮った写真
 沢山の本

 これだけあればそちらでも退屈はしないだろう?
 

 あぁ。
 もうすぐ逢える。
 君のいない五年間は本当に長かった。そっちにいっても、また宜しく頼むよ。
 

 
 なぁ、お茶を淹れてくれないか? 
 君の淹れたお茶がないと、私はどうも調子が出ないんだよ。

 なぁ、鼻歌を聴かせてくれないか?
 君の鼻歌を聴かないと、私はどうも調子が出ないんだよ。
 
 
 
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