孝謙異聞

夢酔藤山

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 甲斐国巨摩郡西河内領早川村の奥地に霊泉あり。
 仙境に例えられし彼の地に湧き出ずる霊泉は、ひたすらに旅人はおろか病に苛む者を癒してきたという。
「彼の地は、必ずや気鬱の病を癒すに、相違なきや」
 そう信じて行幸されし、やんごとなき御方の、決して隠し果せぬお忍びが、天平宝宇二歳(七五八)の冬に行われたのは、後世に残されない闇の歴史といえようか。

 天平感宝元年(七四九)に即位をした阿部内親王は、夫を頂かぬ女帝であった。
 その父は聖武天皇、母は藤原光明子。父帝の祖父と母后の父は、同一の人物で、その名を藤原不比等という。阿部内親王は幼き頃より、藤原氏の存在を強く意識して育ってきた。このことは彼女の世代的にみても、無理のない話しである。
 が、藤原氏と天皇家の結びつきは、不比等の時代、新興的で、かつ、異端の出来事でもあった。
 藤原不比等の父・鎌足が、中臣連という、下級の身の上でありながらも、奇蹟の立身を遂げたのは、偏に天智天皇の意を汲み、一身に汚れ役を担ったからに他ならない。
 鎌足は忠臣として帝を支え、子々孫々への信頼の礎たらんと努めた。それを開花したのが、不比等である。壬申の乱で、不比等は天武天皇から信頼を得ることとなり、ここに藤原氏の繁栄が約束された。
 藤原氏の望みは、天皇家の影となり蔓となり、倒れることなき繁栄であった。
 当時、日本の歴史で、それを達成した唯ひとつの存在は蘇我氏である。それに取って代わることこそ、藤原氏の大願であった。太祖たる鎌足が挑んだ、蘇我氏を倒し天皇家に絡みつく、まさに遠大にして壮大なる夢といえよう。
 藤原系生粋の皇子として、聖武天皇は、藤原一族の期待を一身に背負い、訳も判らないままに励んだ。邪魔な勢力があれば、次々と排斥して……やがて、帝のその心は、傷つき壊れていった。
 阿部内親王は、父帝のその力強さと、その後の儚さを目撃している。そして、母后の、それに勝る強さをも。自然、阿部内親王は母后にべったりと寄り添うようになった。
 弱い男は嫌いだ。
 強い女に憧れたし、そうありたいと望んでいた。

 世は奈良王朝。

 後世の是非は定かでないが、当時、皇族貴族は母系姻族がものをいっている。これは推古朝から大きく変わることではなく、当時と遜色なく、蘇我系姻族が皇室と結びついていた。
 後世、広く知られていないことがある。
 父帝である聖武上皇の父方は蘇我系統の一族である。母方の血として藤原が交わろうとも、この事実は決して覆せない。藤原系生粋の皇子なのに、血の半分は虐げるべき蘇我のものという矛盾。この矛盾があればこそ、心を病んでいくのである。
 聖武天皇とは、そういう特別な出自だったのだ。

 阿部内親王。
 この呼び名はどうにもしっくりしないので、これより先は、即位したのちの御名を称し、第四六世天皇たる〈孝謙天皇〉として、この物語を進めていきたい。
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