閻魔の庁

夢酔藤山

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常嗣帖

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               三




 当時の倭国……ニッポンが、外国と認識しているのは朝鮮国と唐天竺くらいのものである。
 そのなかでも文化学問政治の模範とされてきたのが、唐国であった。かつて聖徳太子の時代には遣隋使という使節団があり、倭国は隋国へ多くの留学生を派遣した。隋が滅び唐国になると、今度は遣唐使を派遣したのである。
 淳和天皇の治世は僅か一〇年。
 次帝は嵯峨天皇の皇子・正良親王、のちの仁明天皇である。この仁明天皇の御世に行なわれた歴史的セレモニーのひとつが、第一三回遣唐使である。この遣唐使の副使という大役に、小野篁は任じられた。
 しかし小野篁のことを
(小賢しい輩)
と、存在そのものを疎んじる者がいた。
 参議勘解由長官藤原常嗣。藤原北家の血統で前中納言葛野麻呂の六男である。彼は藤原門閥で朝廷を一色に染めようという良房の権謀術数により、遣唐大使に任じられたのだが
(物識りぶって、博学をひけらかす奴)
と、小野篁のことをかなり毛嫌いしていた。だから何かしら問題をみつけて失脚させてしまおうと、常嗣は虎視眈々と狙い続けていた。
 そんななか、夜な夜な小野篁が鳥辺野へ赴く事実が明るみになった。さては下賎な遊び女を匿っておいでかと、常嗣は人を使って後を追わせた。しかし小野篁の行方は六道の辻で必ず消えてしまう。
 そのうち奇怪な噂が流れた。
「弾正小野巡察使は閻魔庁の役人なり」
 その噂はたちまち貴族たちの間に駆け抜けた。しかし当の小野篁は、何喰わぬ顔で涼しげに受け流すだけであった。
(何とも気味の悪い……)
 常嗣はいよいよ小野篁を嫌悪するのであった。

 承和五年(838)七月五日、第一三回遣唐使が出発した。しかし、このとき小野篁は遣唐使節副大使の任を拒否し、随行をしていない。実はこれに先立ち遣唐使の船出をしたところ、舟が難破するという事故が発生した。そこで小野篁は舟を修繕し再出発しようと試みたのだが
「舟は遣唐大使の所有物たるが正しきことなり」
と、いきなり常嗣が横槍を入れて舟を横取りしてしまったのである。このことに激怒した小野篁は、大使である常嗣と真っ向から対立し、副大使の立場を忘れて乗船拒否を示したのだ。理由はどうあれ、勅命に叛いたことは事実である。
「断じて赦すまじ」
 予てから篁の秀逸ぶりを毛嫌いしていた嵯峨上皇は、極刑を以て罰せよと息巻いた。この窮地を救ったのが、仁明天皇である。嵯峨上皇へ直接意見出来るのは、やはり帝しかいない。しかし仁明天皇をそうさせたのは、内蔵助藤原良相だ。良相と篁は一切の面識もない。しかし、篁の非は仕事大事から出た言葉であり、乗船拒否はその末に生じたことに過ぎぬ。
「あまりにも哀れである」
と、必死に直訴へ及んだのだ。位階の低い内蔵助の立場でありながら藤原良相が直訴できたのは、他ならぬ藤原北家の者だったからだろう。藤原良相は冬嗣五男で権中納言藤原良房の弟である。策謀家の多い藤原家にあって、彼は稀にみるほどの潔癖な人間であった。
「小野弾正にも理由があってのこと。ましてや相手が藤原家の者とあらば、一方的に罪を迫るは理不尽至極」
 そう仁明天皇に訴えたらしい。その意を帝は汲んでくれ
「朕の御世で極刑は致したくない」
と嵯峨上皇を説得したのだ。更にこのとき仁明天皇を援護したのは、他ならぬ檀林皇后であった。この二人の哀訴となれば、いかに嵯峨上皇といえども
「我を通す」
ことは慎まねばならない。
 結局、小野篁は隠岐流刑の沙汰となった。承和五年一一月五日の出来事である。
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