信長伝

夢酔藤山

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第一話 鎌倉の火種 3

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               三


 武田信春が世を去る半月ほど前、ひとつのことを指図している。
「八郎の嫁は、四郎(穴山満春)の娘。そうだ、薫子でいい」
 武田信長は一七歳。嫁を貰ってもおかしくない。
 穴山修理大夫満春は父・信満の弟。子のない穴山義武の養子となった男だ。つまり、従兄妹同士の婚姻である。
「八郎殿の無鉄砲さはちゃんと手綱さばきしますゆえ、御爺様はご安心下さい」
 そういって承諾した薫子は、馬にも武芸にも達者な娘。暴れん坊の信長にはお似合いの嫁であった。
「実に御爺様はよく見ておられる」
 八郎は用い様によっては、武田の為にもなるしお荷物にもなる。将士として腰を落ち着けるならば、きっと兄を支える武の要となろう。
「首輪、付けられましたなあ」
 信長は嘯くが、薫子が嫁ならばと、この縁談にも大人しく従った。
 応永二一年(1414)、武田信長に待望の男子が誕生した。
「これはおじじ様の生まれ変わりに相違ない」
 信長はそう云って喜んだ。
「どうだ薫子、目元はおじじ様そっくりじゃ」
「よほど八郎殿が心配で、この世に戻ってきちゃったのかしら」
「目出度いこと、このうえなし」
 信長は父・信満に請うて生まれた子の名前を望んだ。持て余し者であった信長の親馬鹿ぶりに、信満も目を細めて喜んだ。
「お前んも人の子の親ずらか」
「いい名前、頼むし」
「ふふふ」
 信満は暫らく考えた末に
「伊豆千代丸ではどうかな?」
「伊豆千代丸、なんだか大きい名前で、いいなあ。気に入った!」
「お前んの名じゃねえよ」
「でも、気に入った」
 信長も大きく頷いた。

 武田家が新しい生命の誕生に喜んでいた頃、鎌倉では関東管領・上杉右衛門佐氏憲が失意に沈んでいた。この年一二月二八日、鎌倉建長寺が燃えた。失火によるものだ。年の瀬を控えて、これの復興が急務だった。
 が、この復興にあたり鎌倉公方・足利持氏は一切の援助を認めなかった。
「金も、人も、口出しもせず、すべてを関東管領の采配で行うべし」
と、知らぬ顔を決め込んだのだ。このこと、私財を擲って復興を終えた氏憲に対し、足利持氏は一言も労いの声を掛けようとはしなかった。
「まことに嫌われたものだ」
 つい、口から零れるほどの落胆であった。
(こうまで悪し様にされてもなお、鎌倉府に未練なんぞあるものか?)
 自問自答してみても答えが見出だせる筈もなく、悶々とした失意のなかで、辛うじて自尊心を保っている上杉氏憲だった。
「山内上杉家には可愛げがある。犬懸には愛嬌もない。同じ上杉の者とも思えぬわ」
 パワーハラスメントなどという倫理は当時に存在しない。が、このことは、まさしくそれに当てはまることだった。
 上杉氏憲には、持氏への嫌悪など一切ない。
 ただ持氏だけが一方的に嫌う。生理的な部分は仕方がない。それでも鎌倉府の長ともなれば、好き嫌いを公に口述するのは幼すぎる。それを補佐すべき氏憲を遠ざけ、山内家を持ち上げる意味は
「はやく関東管領職を譲渡せよ」
という威圧に他ならない。
「どうして、こういうことに」
 考えても思い当たるものではない。が、氏憲の先代にあたる山内上杉憲定は、足利満隆謀叛の嫌疑があった際に反山内家の呷りを被った。満隆が兵を挙げたという風聞のときに持氏を匿ったのは上杉憲定。持氏は幼いころから山内家を信頼していた。
「犬懸が関東管領の職を奪うため、この騒ぎを利用したのだ」
 この理屈ならば嫌う理由になる。
 が、根も葉もない事実無根のこと。鎌倉府が割れるのを恐れて、上杉憲定は自ら身を引いた。仲違いではない証のため、婚儀の媒酌人も買って出た。
 二年前に上杉憲定は亡くなったが、死に臨み
「世の偽り事に惑うことなかれ」
と、強く持氏を諫めた。その言葉は、人格形成の途上に染み込んだ
「犬懸憎し」
という感情を、遂に消すことは出来なかったのである。
 誰もが、足利持氏の理不尽を感じている。氏憲への同情も当然だ。だれだって、こうも執拗な嫌がらせを被れば、気持が追い詰められるだろう。そうなると、要らざる邪な感情だって、浮かんでは消えるものだ。
「犬懸殿は辛抱強い。大した御方じゃあ」
 世間の声だけが、崩れそうになる氏憲の自尊心を支えた。妻である加奈の支えも、氏憲の自我を支えてくれた。
「我が殿の後ろには、父がおります。理不尽極まれば、きっと甲斐から支援に駆けつけることでしょう」
 東国でも指折りの合戦巧者である甲斐源氏は強力な後ろ盾だ。直接的な更迭にも踏み切れぬ背景には、この存在がある。持氏だって、武田は恐いのだ。
「加奈には感謝している」
 公私の穢れなき人格者は、決して孤立していなかった。
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