信長伝

夢酔藤山

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最終話 残日録

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               一


 寛正六年(1465)九月、足利義政は上杉の救援を急務とし、今川義忠と武田信昌に出陣を命じた。しかし、双方とも軍勢を動かさなかった。特に甲斐について云えば、そんなことの出来る状況ではなかったのだ。
「いつも、勝手なことばかりを。甲斐がこんなことになったのは、ここぞというときに幕府が余計なことをするからだろうが」
 一八歳の当主・武田信昌は、忌々しいと吐き捨てた。
 甲斐国内は荒廃し、未だ復興に至らぬ。信昌はこの言葉を無視した。

 少しばかり振り返ってみよう。
 甲斐は、跡部との戦さで荒れ果てていた。
 九歳の信昌を当主に祭り上げて、甲斐国を好き勝手にしたのは、跡部一族だ。武田信長が去ってのち、跡部一族は恐れるものがなかった。信長が甲斐に戻れない背景は、関東の騒乱にある。これとて幕府の考えなしな支援が、戦乱を拡大させた結果に過ぎぬ。信長が甲斐へ戻る暇もなくなるほどに忙殺させた。結果として、信重・信守二代にわたり、甲斐国は跡部一族の専横に振り回され、武田家当主は命をすり減らしたのだ。
 老獪な跡部駿河入道明海にとって、武田など、ただの飾り物でしかない。
「武田家の統治こそ皆の願いである」
 その声は、跡部の耳に入らぬささやきも同然だった。青年当主たる信昌が、岩崎・吉田といった甲斐源氏を掌握して跡部一族と決戦に臨んだのは七年前。皆の声に立ち上がったのは、武田の男として当然のことだった。
「武田とともに跡部を討つ」
という声に応え、甲斐国中衆の多くが武田信昌のもとへ馳せ参じた。長禄元年(1457)一二月の激突は凄まじく、小河原・馬場合戦において武田は惨敗した。その翌年一月の合戦でも双方ともに大きな損失を被った。武田に加勢した岩崎一族は討ち死にし、領地を跡部側に専横される事態となった。
 しかし、武田側の回復も早かった。天の助けもあった。
 甲斐混沌の悪しき元凶である跡部駿河入道明海が没したのは、寛正五年(1464)のことである。このことに勢いづいた国人は、一致団結して武田信昌のもとへ結集した。諏訪・小山田の一党も援軍として武田を支援した。このことで戦力比はなくなった。あとは士気の違いだけである。 
 跡部は多くの恨みを被った。
 やり過ぎた、のだ。
 今年七月、夕狩川合戦で跡部勢は敗れた。跡部一族は小田野城に籠城した。跡部駿河入道明海の子・上野介景家を滅ぼす総力戦は、甲斐の在地衆が抱いた跡部専横への恨みが支えとなった。武田家を担ぐことよりも、私怨が優先された結果だ。この戦いで、遂に跡部一族は滅んだ。『一連寺過去帳』に連名された跡部上野介・掃部・刑部・縫殿助・新三郎等は、滅び去った跡部一族のことである。
 この戦いは、積み重なった武田家の恨みが爆発したものだ。
 それだけに国土は荒れた。田畑は耕作できぬ、まずは立て直さねばならない。一年やそこいらで、どうにかなるものではなかった。
 すなわち、将軍からの上杉支援は、跡部討伐を終えた甲斐にとって迷惑千万なものだった。
 そもそも大叔父となる伝説の武神・武田信長は古河公方方の武将。
「同士討ちは御免じゃ」
 二度、三度の催促にも、信昌は無視をした。たった二ヶ月やそこいらで、復興がどうにか出来ることではない。
「戦さの加勢をするくらいなら、甲斐を立て直せる支援を幕府から貰いたいくらいじゃ!」
 激昂する信昌の正論に、使い番はたじろぐばかりだった。

 上総にあって、これらの情報を武田信長は全く知らない。信長に重ねた歳月があるように、故郷もまた、顔の知らぬ縁者たちの苦悩があった。
「身が軽くあれば、天を駆け、山々を越えて甲斐に赴くことができる。口惜しい限りでや」
 信長の心残りは、甲斐のことだった。
 跡部が滅んだことは、まだ知らずにいた。
「身が果てたとき、真っ先に甲斐へ飛んでいき跡部のことごとくをひねり殺してやろう」
 そういう言葉が冗談に聞こえぬのが、武人たる信長の恐ろしさだった。
 それとは裏腹に、武田信長の体力がめっきりと落ちたことは、誰の目にも見て取れることだった。気力だけは衰えがないのに、身体ばかりはどうすることも出来ない。老いとは、容赦のないことだった。
 上総にきてずいぶん経ってから、初めて知ったことがある。
「吉田御師が通っているのだそうな?」
 御師とは富士浅間神社信教の行者のようなもので、信徒のいる地域に足を運び札を配り祈りを捧げる輩だ。無論、間者の役目も果たす。御師の版図は吉田から河口にかけてであり、すべて郡内に領する。よって小山田家との関係を密とし、武田とは遠巻きな存在だ。
「小山田はいま、誰が棟梁なんだろうな。会いたいな、御師に」
 信長はすぐに興味を持った。在地衆に命じ、その行方を探させた。幸いにして付近の村で、これを発見した。
「武田八郎様の御尊名は、我が祖父より聞いておりました」
 御師は感激したような表情だ。
「代々の御師か?」
「へー。祖父は富春入道様と一緒に、禅秀入道一連の騒乱で働きました。加藤梵玄入道のもとへも行ったり来たりしたそうだ」
「そうか、じゃあ、儂とも会っているかもな」
「そうじゃん。小山田家との縁はそののちは深くありませんが、儂の代になって、国中との講和の行き来を頼まれることも増えました。長いこん、国中は跡部のせいで乱れてましたから」
「そうか、ならば小山田と武田が結び付いてくれたというのだな」
 信長の脳裏には、鮮やかに郡内や国中の風景が蘇っていた。御師のいうことも、ああ、あそこのことかと、手に取るように理解することが出来た。
「ほんに、上総で八郎様にお会いできるとは、思いも寄らんことにて」
 甲州の言葉は、久しく忘れていた。せっかくだからと、信長は信高を呼び寄せた。伊豆千代丸と呼ばれた少年の日々を、信高は甲斐の戦場で育った。戦さで育った割には、信高は武よりも文を好んだ。学に長けるのは、戦さを忌み嫌う裏返しなのだろう。
「父上、参った」
「ようきた。郡内の御師じゃ、甲斐の話を聞いておる」
「へえ、甲斐ですか」
 もう忘れたようなものだと、信高は呟いた。
「ここからが本題じゃが」
 信長は、いまの甲斐。武田家のことを質した。これが一番知りたいことだ。吉田御師は大きく頷いて、最近の国中のことを話した。
「七年前の小河原・馬場合戦。わずか一〇歳で五郎(武田信昌)様は陣頭に立ち、跡部一族と対決したのです。結果は、惨敗でした。岩崎一族がこれで滅び、跡部が領地を専横したのです」
「五郎とは、兄(信重)の孫か」
「あい」
「そうか、血脈は保たれていたんだな。よかった」
 甲斐守護職を継いだ武田信昌は、信長の兄・信重の孫にあたる。甲斐を出て流浪の身であった信長は、還俗し甲斐に復帰した後の信重の子も孫も、顔さえ見たことがない。
「五郎様は父上(信守)を跡部に殺されたのだと信じておりました。家督を相続しても、跡部の専横にてーへん苦慮をされておったちゅう噂だ」
「五郎は、どういう男だ」
「女中腹の生まれと聞いとります。病弱で、後ろ盾もなく、あのこんさえなけりゃあ、誰も顧みることはなかったら」
「あのこととは?」
 御師は声を潜め、神妙な口調で
「御旗と楯無鎧を、跡部上野介(景家)が奪ったのです」
 その言葉に、信長は眼を剥いた。
 御旗は前九年合戦で後冷泉天皇が源頼義に下賜され、子の新羅三郎義光すなわち武田家始祖に伝わったもの。楯無鎧は正式には〈小桜韋威鎧〉といい、同じく新羅三郎義光ゆかりの品とされる。これは甲斐源氏武田家棟梁にのみ相伝される、由緒あるべき家宝だ。
「殺しても飽き足らん、跡部め」
 信長の呻きに漲る殺気に、御師は思わず怯んだ。
「父上、話は最後まで聞きましょう」
 信高の声に、信長は殺気を収めた。
「すまぬ、脅かしたか。いや、すまぬな」
 さっきの鬼神ぶりとは打って変わり、人懐こい表情で信長は誤った。
 冷や汗を拭いながら、御師は話を続けた。
「このことで武田家を侮っていた甲斐源氏の分家庶家が結束したのです。さすがに、越えちょ一線を越えたのずら。これが、七年前の小河原・馬場合戦なのです」
 ううむと、信長は唸った。
「でも、負けたのだな?」
 信高の問いに、御師は頷いた。
「そのとき、小山田家は武田に加勢できなんだか」
「軍内と国中は、このときあまり関係がよろしくござらんゆえ」
 信長の頃は国中と郡内の間は円満だった。信長の生母も小山田の出である。それだけに歳月は残酷なものだと感じた。
「して、跡部のことを知りたい」
 信長の関心はそこにあった。
「跡部は滅びました」
「滅んだ?」
「つい、この間のことです」
 信長は、思いも寄らぬことに放心した。あのしぶとい跡部一族が、滅んだ。
「すべては跡部駿河入道が老没したことによるものにて」
「そうか、あいつは天寿を全うしたのか」
「上野介は駿河入道より欲深かった。ふんだから小山田の殿も武田に加勢しました。穴山も、油川も、武田に与して跡部打倒の挙兵に参加したのだ。それが、ふた月前の事だ」
 国内の不満が、跡部の勢いを上回った。
 その現象が、跡部駿河入道明海の死によって噴き出したのである。
「上野介は不遜にも楯無鎧を身に着け、五郎様を挑発したと聞いております」
「直には見聞きしておらぬのか」
「儂は兵ではおりませぬ。神罰ちゅうのずらか、上野介は合戦で手傷を負ったそうです。戦場には血だらけの楯無鎧がぶちゃられてた由」
 そして、跡部一族を追い詰めて討ち取ったのだという。
 信長は深く息を吸った。
 跡部駿河入道明海は獅子身中の虫だった。兄・信重を死なせた元凶もこれの仕業である。しかし、信重の孫にあたる信昌のことを信長は知らない。あたらしい世代の甲斐守護職である。疎遠は必定だった。
「面白い話を聞いた。また、甲斐の話を聞かせておくれ」
 信長は御師にたくさんの褒美を与えた。
 この御師が郡内に戻り、谷村の小山田弥三郎信光に報告した。
「八郎殿が生きておるとは驚きじゃ。儂も、嫡男の名は八郎殿に肖るとしよう」
 信光の子は、長じて小山田信長と称する。

 跡部を討った武田信昌は、幕府の度重なる干渉にうんざりしていた。
「じゃあ、古河公方に兵を向ければいいのだろう」
と、関東ではなく、わざと反対の信濃へ出兵することにした。信濃には成氏方の村上政国がいる。こちらと小競り合いして、既成事実にするつもりだった。もとより攻め滅ぼす気などない。馴れ合いだった。
 郡内から、武田信長生存の報せは聞いている。
(同士討ちだけは、御免ずら)
 上総一国を切り取った信長の武勇は、甲斐源氏として鼻が高い。そんな強者が、老いにだけは適わぬということまでは、信昌の知るところではなかった。
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