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第9話 薔薇の封書、毒の名刺
しおりを挟む朝。
リゼリアの屋敷の玄関先に、一通の手紙が置かれていた。
誰も気づかなかった。
犬も吠えず、門番も沈黙を保った。
けれど手紙は――たしかに、そこに“置かれて”いた。
封筒は、ごく淡い桃色。
やわらかな色合いの中に、微かにざらついた紙肌。
指先に触れた瞬間、皮膚の奥が反応した。
まるで、「これは、普通ではない」と告げるように。
紙には、透かし彫りの薔薇。
封を閉じるのは、乾いた一片のバラの花びら。
香りはなかった。
けれど、目にした瞬間――あの日の“笑顔”と“沈黙”が、蘇った。
宛名はない。差出人もない。
だがそれは、明らかに「リゼリア・クロード」だけに向けられた手紙だった。
「リゼリア様……こちらを」
使用人の差し出す指先に、微かな戸惑い。
リゼリアの手がわずかに震えたのを、自分だけが知っていた。
何も言わず、受け取る。
扉を閉め、鍵をかける。
手袋を外し、手を洗い、深く息を吸う。
それはまるで――儀式のようだった。
封を切る音だけが、部屋に響いた。
***
封の中には、二枚の紙。
一枚は、冷たい印字の文。
もう一枚は、小さな名刺。
最初の紙には、こう記されていた。
仮面は、いつまで貼りつけていられるかしら。
演じ続けるには、観客が多すぎる。
私はまだ、あなたの“顔”を忘れていない。
筆跡はない。誰かの声色もない。
けれどそこには、明確な“視線”があった。
人間の言葉ではなく、“事実そのもの”が突き刺さっていた。
リゼリアは息を飲んだ。
言い訳の言葉が喉元に上がりかけて――、止まった。
「……ただの悪ふざけよ。……そう、きっと」
けれど、その声も途中でかすれた。
もう一枚。
名刺のように小さなカード。
そこには、たった一行。
リゼリア・クロード ――最初の棘
その瞬間、胸の内で何かが静かに、裂けた。
それは痛みではなかった。
冷たさでもなかった。
自分の中の“芯”が、静かに断たれる音だった。
「……最初の……棘……?」
意味の説明はなかった。
だが、リゼリアには理解できていた。
これは――宣告。
怒りではない。復讐でもない。
ただ“名を呼ばれた”という事実が、沈黙より重かった。
名刺が手から落ちる。
けれどそれはふわりとは舞わず、墓標のように、まっすぐ沈んだ。
***
その夜、眠れなかった。
月明かりだけが、天井を薄く照らす。
室内は整えられている。何ひとつ乱れていない。
なのに――自分だけが、部屋の中で異物のようだった。
胸の奥に、音があった。
それは声ではない。言葉でもない。
ただ、心の裏を爪で引っかくような音が、静かに続いていた。
『最初の棘』
その言葉が、離れなかった。
何も起きていない。
けれど――自分が壊れていく音だけが、確かに存在していた。
そしてリゼリアは、気づいてしまった。
この一通の手紙は、まだ“始まりですらない”。
これは入口だ。
仮面の内側に、微かな傷を刻む針の先端。
“誰か”は知っている。
すべてを、すでに。
そして、次の手紙もまた――すでに用意されている。
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