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第15話 仮面の修復、心の空白
しおりを挟む鏡の中の自分を、何度見ても――
「これが私だ」と言いきることができなかった。
***
リゼリア・クロードは、王都で“最も正しい女”だった。
そう呼ばれ、そう信じられ、そうあろうとしてきた。
けれど今、その“正しさ”が――
自分の手の中で音もなく、崩れていっているのを感じていた。
「もっと笑って」
「目尻の角度を揃えて」
「声の高さを、少しだけ優しく――」
誰に言われたわけでもない。
ただ、自分で自分に指示するように、何度も繰り返す。
これは、装いではなかった。
“元の自分を取り戻す”ための、無言の修復作業だった。
仮面はまだ壊れていない。
けれど、自分の内側で確かに軋んでいる音があった。
だからこそ――その綻びを、
自分の手で、誰にも気づかれぬように塞ごうとしていた。
「……まだ、大丈夫」
それは祈りではなかった。
願望でも、安心でもない。
ただ、自分を止めないための呪文だった。
***
王宮では、舞踏会の準備が進められていた。
リゼリアは変わらず、調整役としてその場にいた。
だが――何かが噛み合わない。
「……飾り付けは、私の指示ではないはずですが?」
控えめな声に返ってきたのは、曖昧な言葉だった。
「王妃付きの方とも、ご相談があったようでして……」
「……私の判断は、不十分なの?」
口調は穏やかだった。
けれど、その言葉の奥には小さな軋みが潜んでいた。
誰も明確に否定はしない。
だが、そのまなざしのなかに――かすかな距離があった。
会議の空気は変わっていない。
ただ、“中心”だけが、わずかにずれていた。
***
屋敷に戻ると、リゼリアは真っ先に化粧を落とした。
「素顔を知らなければ、仮面は作れない」
母がよく口にしていた言葉だった。
かつては、その意味が誇りだった。
けれど今、鏡の中の“素顔”は――
どこか、遠い。
頬の色、目のかたち、口元の動き。
何を整えれば「戻れる」のか、もうわからなかった。
「……整えたはずなのに……」
化粧を重ね、ドレスを直し、笑顔をつくる。
けれど、それはもう誰かのためではない。
「崩れていない自分を証明する」ためだけの儀式だった。
仮面を演じるのではなく――
仮面に“しがみつく”ようになっていた。
***
その夜、王都の裏路地。
ひそやかな会話が交差する。
「リゼリア様、最近声が掠れてるらしい」
「前と違う……誰かに何かされてるのかな?」
「……魔女の呪いって、まさか……」
“魔女”――
その名が、再び囁かれはじめていた。
レイナ・アルヴィレス。
忘れられたはずの名前が、陰で息を吹き返していた。
「いや、あのタイミング……偶然じゃないよな」
「誰も言わないだけで……気づいてると思うよ?」
確かな証拠など、必要なかった。
噂という毒は、疑念という土壌で最も深く根を張る。
仮面は、誰かに壊される前に――
本人の手で、すでにひび割れを始めていた。
***
グレイド村。
レイナ・アルヴィレスは焚き火の前で、報告書を読み終えていた。
「仮面の修復には、“心”という接着剤が要るのよ」
静かにそうつぶやく声には、もう温度がなかった。
「でも、その中身が空になれば……
いくら磨いても、もう貼りつかない」
ペンをとり、次の名前を書きつける。
赤い印とともに、“記録”がひとつ刻まれた。
「さようなら、リゼリア。
あなたは“壊された”のではない。
――“自分の空白に、負けただけ”よ。」
***
そして、夜明け。
王都の掲示板に、ひとつの封筒が貼られていた。
薄桃色の紙に、薔薇の透かし模様。
その中央に、たった一行の言葉。
『仮面は綺麗だった。――壊れる音も、ね』
誰が貼ったのかは分からなかった。
だが、それを見た者は、皆――誰のことかを知っていた。
誰も口には出さなかった。
けれどその言葉だけが、静かに人々の心に残りつづけた。
仮面は、もう役目を終えた。
そして残されたのは――
誰にも見せられなかった、“空っぽの心”。
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