選ばれなかった者の記録 ——復讐令嬢は王を超える

SALT

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第32話 疑念という毒、制度という墓標

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壊す必要はなかった。
ただ、“疑わせるだけ”でよかった。

 

制度とは、信頼の上にしか立っていない。
そして信頼とは――最も脆く、崩れやすい構造だ。

 

***

王都北東・法務審議会本部。

 

数日前に届いた、差出人不明の告発文書。
署名も印章もない。だが、添えられた原本は――
正規の記録と寸分違わぬ“本物”だった。

 

「……この文書、本物か?」

 

「筆圧、紙質、封緘の位置まで一致。複製には見えません」

 

「提出経路は?」

 

「不明です。書式も非公式。追跡不能です」

 

「……処理は?」

 

「棚上げに。……誰も、“関わりたくない”ようです」

 

沈黙が落ちた。
机に集まった職員たちは、互いの目を避けた。

 

まるで、音を立てたら“何かが壊れる”と知っているかのように。

 

それが――最初の“揺らぎ”だった。

 

***

「なあ、これ……見なかったことにした方が良くないか?」

 

「誰かが巻き込まれたら、全員が終わる。
だから、みんな“他の誰か”が処理するのを待ってる」

 

「……でもさ、誰かが、ずっと見てる気がしないか?」

 

その言葉に、部屋の空気がわずかに軋んだ。

 

“誰かが見ている”――
それは証拠ではなかった。感覚だった。
けれど、不安とはいつも、そこから始まる。

 

その日を境に、職員たちの手は
資料に触れるたび、わずかに止まるようになった。

 

書類の端、印章の滲み、封筒の匂い――
すべてが、誰かの“仕掛け”に見え始める。

 

***

「制度は、壊されて崩れるんじゃない。
“疑われる”だけで、勝手に死ぬのよ」

 

グレイド村の小屋。
レイナ・アルヴィレスは、手元の報告書を閉じながら言った。

 

セレノ・ヴァイザールが応じる。

 

「特定の標的を作らない方がいい。
“誰がやったか分からない”状態が、組織には一番効きます」

 

「秩序の最大の弱点は、匿名性」

 

レイナの指先が、紙の角をなぞる。

 

「誰もが“犯人になれる”し、誰もが“犯人じゃない顔”もできる。
その曖昧さが、組織の神経を腐らせるの」

 

その指先は、まるで墓標に刻まれた名前をなぞるように――
冷たかった。

 

***

翌朝。法務審議会・正門前。

 

“それ”は、貼られていた。

 

書式は模造、筆跡も異なる。
けれど――そこに刻まれた内容だけは、誰も見過ごせなかった。

 

『第32号案件、審議中にて不正処理確認。
裁定官ヨレフ、記録室職員リネア、法務補佐官セフ。
あなた方の署名は、“消せません”。』

 

記された三名は全員、実在する。
しかも、いずれも過去に**“非公式注意”**を受けた記録があった。

 

公表されていないはずの内部情報。
だが、それは――関係者にしか知り得ない。

 

「誰がこれを……?」

 

「内部の者か? でも、それにしては……」

 

「誰かが、“本気で潰しに来てる”のかもしれない」

 

その瞬間、職員たちの視線が――互いを探り始めた。

 

「……セフ、最近記録室にこもってたよな」
「あいつ、リネアと頻繁に接触してたらしい」
「ヨレフも……旧案件の“整理”を提案してた」

 

誰も、何も見ていない。
だが、疑念だけが音もなく増殖していく。

 

レイナの毒は、完璧に機能していた。

 

***

「人は、“仕組みに守られている”と信じている間は強いの。
でも、“仕組みそのものが腐っている”と気づいた瞬間に、
自分すら信じられなくなる」

 

レイナの声は、感情を削ぎ落とした刀のように平坦だった。

 

「私はもう、“誰かを罰したい”わけじゃない。
私は、“制度そのものの墓標”を刻んでいるだけ」

 

セレノは黙った。

 

彼女の中には、もはや怒りも憎しみもなかった。

 

そこにあるのは――
止めなければ終わらないものを、終わらせる者の意志だけだった。
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