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第33話 漂う死臭、名もなき終焉
しおりを挟む名を持たぬ者は、死しても記録されない。
声なき者は、裁かれることすら許されない。
制度とは、そうした“存在しなかったことにされた者たちの骨”で
成り立っていた。
***
王都北東・法務審議会裏手。封鎖された旧記録庫。
そこには“未分類”の案件が、厚い埃の下で眠っていた。
番号も、分類もされず、審議もされず、破棄すらされていない。
ただ、誰かがいた“気配”だけが、紙束の中に沈殿している。
それはまるで――制度の墓場だった。
その中の一枚が、なぜか――受付に戻ってきた。
案件番号:なし。
署名:なし。
日付:三年前。
罪状:こう記されていた。
『魔術不正行使による公文書操作の可能性』
被審議対象:記名不能
状況:証言者消失、記憶の矛盾多数
意味をなさないはずの一枚。
だが、それを目にした職員の一人が、微かに震えた。
「……これ、見た気がする。いや、見てない……でも……」
“記憶の矛盾”という一文が、
彼自身の記憶までも、曖昧に揺らしていた。
誰かを裁くための紙ではない。
ただ、“誰かが確かに生きていた痕跡”だけが残されている。
そして今――
制度の心臓部から、その紙は腐臭を放ち始めた。
***
「始まったわね」
グレイド村の小屋。
レイナは、静かに報告を読み上げる。
セレノが頷く。
「記録されなかった死、分類されなかった罪。
誰にも呼ばれなかった名……それらが今、浮かび上がりはじめています」
「これはもう、“私の復讐”じゃない」
レイナの声は、冷えていた。
「これは――“世界が自分に問い始めた”証。
私はただ、その“問いを形にする”だけ」
彼女の指が、卓上に広げられた魔術書の一章をなぞる。
そこには、古語でこう記されていた。
『記録とは、魂の連結である』
『名が記されぬ者は、この世界に繋がれぬ』
裁かれもせず、赦されもせず、
ただ“存在しない”とされた者たち。
今、レイナはその記録を――逆流させている。
指先が文字をなぞるたび、
口元に浮かぶのは、火ではなく、氷のような笑みだった。
「皮肉ね。名を奪われた“魔女”が、今は名を刻む側になるなんて」
***
翌朝。法務審議会・記録室。
差出人不明の封筒が届く。
中には、一枚の便箋。
『あの部屋には、今も“声”が残っている。
記録されなかった者たちは、裁きを待っている。
そして――その名を消したのは、あなた方だ。』
それは告発ではなかった。
ただの“観測”だった。
――あなたたちは見られていた。
それだけが、深く刺さる。
便箋を読んだ審議官の一人が、その場で崩れ落ちた。
理由は誰にも分からなかった。
だが、誰も彼を咎めなかった。
なぜなら、全員に“思い当たる”節があったからだ。
***
「このまま、制度は静かに腐っていくわ」
レイナの言葉に、セレノが問う。
「では、名もなき者たちは……“報われる”のでしょうか?」
レイナは首を横に振る。
「いいえ。この世界に、“救い”なんてないわ」
そして静かに、言葉を続けた。
「でも――“終わり”だけは与えられる。
それが、彼らに残された唯一の接続」
“名前のない死”を、“記録”に変えること。
それこそが、“世界に再び繋ぐ”という行為なのだと。
彼女はゆっくりと立ち上がり、
また一枚、名もなき紙を火にくべた。
燃える音は静かだった。
けれど、その灰が揺れるたび、
世界のどこかでまたひとつ、制度が音もなく崩れ落ちていった。
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