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第10話:白い封筒と、蒼い炎
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嫌な予感というのは、どうしてこうも当たるんだろう。
電源を切ったスマホを引出しの奥に封印して、二日が経った日のことだった。
その日は朝から曇り空で、店の中もどこか薄暗かった。
私は開店前の掃除をしていた。郵便受けに、コトリと何かが投函される音がした。
ダイレクトメールか、請求書か。
何の気なしに取りに行き、その白い封筒を見た瞬間、私の指先から血の気が引いた。
差出人の名前はない。
けれど、見間違えるはずがない。少し右上がりの、神経質そうな筆跡。
母だ。
「……う、そ」
喉がヒリつく。
見つかるはずがない。だって私は、逃げるように家を出て、住民票も移さず、誰にも行き先を告げずにここへ来たんだ。
なのに、どうして。
指が震えて、封を切るのに時間がかかった。
中に入っていたのは、一枚の便箋。
びっしりと文字が埋め尽くされているわけじゃない。
たった三行、短い文章が書かれていただけだ。
『みおちゃんへ。
電話に出ないから心配しました。浅草にいるのね。
明日、お父さんと一緒に迎えに行きます』
カサリ、と乾いた音がして、便箋が床に落ちた。
目の前が真っ暗になるって、こういうことを言うんだなと、どこか他人事みたいに思った。
見つかった。
明日、来る。
あの人たちが、ここに来る。
「……だめ」
それだけはダメだ。
あの人たちが来れば、きっと店の中で大騒ぎする。「娘を返せ」と喚き散らし、煌さんに迷惑をかける。
下手をすれば、警察沙汰になるかもしれない。
ようやく見つけた私の居場所。温かいご飯。優しい鬼。
全部、あの人たちの土足で踏み荒らされてしまう。
(逃げなきゃ)
ここから消えなきゃ。
私が勝手にいなくなれば、煌さんに迷惑はかからない。
そうだ、荷物をまとめて、今すぐここを出て――。
「――何をボサッとしてる」
背後からの声に、心臓が跳ね上がった。
振り返ると、煌さんが腕組みをして立っていた。
「あ……こ、煌さん……」
「掃除が終わってねぇぞ。……おい、なんだその顔は」
煌の視線が、床に落ちた便箋へと滑る。
拾おうとしたけれど、間に合わなかった。
彼が長い指でそれを拾い上げ、一瞬で中身を読み取る。
「……チッ。あいつらか」
舌打ちひとつ。
その音が、私には「お前に関わると面倒だ」と言われたように聞こえてしまった。
「ご、ごめんなさい……っ!」
涙が勝手に溢れてくる。
「すぐ出て行きます。迷惑かけてすみません、今日までありがとうございました、だから……」
「は?」
「ここにいたら、煌さんに迷惑が……あの人たち、話が通じないんです、きっと営業妨害になるし、だから私が消えれば……」
パニックで言葉がまとまらない。
逃げようとする私の腕を、煌がガシッと掴んだ。
痛いほど強い力。
「離して、ください……っ」
「逃げてどうすんだ。また野垂れ死ぬか? それとも実家に連れ戻されて、一生飼い殺しにされるか?」
「それでも……っ! この店をめちゃくちゃにされるよりマシです!」
「ふざけんな!」
怒号が飛んだ。
ビクリと肩が跳ねる。
恐る恐る顔を上げると、煌は私ではなく、手にした便箋を睨みつけていた。
「俺の店だぞ。人間風情が何人来たところで、指一本触れさせねぇよ」
ボッ。
彼の指先から、あの夜に見た美しい蒼い炎が燃え上がった。
炎は瞬く間に白い紙を包み込む。
母の文字が、脅迫じみた言葉が、チリチリと音を立てて灰に変わっていく。
「あ……」
「こんな紙切れ一枚で、ガタガタ震えてんじゃねぇ」
煌は燃えカスをゴミ箱に捨てると、私の腕を掴んだまま、グイッと自分の方へ引き寄せた。
近い。
整った顔が目の前にあって、赤い瞳が私を射抜いている。
「言ったはずだ。お前は俺の『嫁』で、俺の所有物だとな」
「……はい」
「なら、お前の親だろうが何だろうが、所有権は俺にある。勝手に連れて行こうなんざ、一〇〇年早ぇんだよ」
それはあまりに自分勝手で、傲慢な理屈だった。
でも、今の私には、どんな正論よりもその「傲慢さ」が救いだった。
「明日、来るなら来させろ。俺が追い返してやる」
「で、でも……お父さんも来るって……」
「男手がひとり増えたところで、鬼の俺に勝てると思ってんのか?」
煌はニヤリと不敵に笑った。
その笑顔があまりに頼もしくて、強そうで。
張り詰めていた糸がプツンと切れた私は、その場にへなへなと座り込んでしまった。
「……うぅ……っ」
「泣くな。鬱陶しい」
口ではそう言いながら、彼は私の頭にゴシゴシと乱暴に手を乗せた。
大きな手。温かい体温。
ああ、この人は本当に、私を守ってくれるつもりなんだ。
灰になった手紙の匂いが、微かに鼻を掠めた。
それは、私の過去との決別の匂いのように思えた。
明日は決戦だ。
でも、ひとりじゃない。
最強の鬼が、私の隣にいてくれる。
電源を切ったスマホを引出しの奥に封印して、二日が経った日のことだった。
その日は朝から曇り空で、店の中もどこか薄暗かった。
私は開店前の掃除をしていた。郵便受けに、コトリと何かが投函される音がした。
ダイレクトメールか、請求書か。
何の気なしに取りに行き、その白い封筒を見た瞬間、私の指先から血の気が引いた。
差出人の名前はない。
けれど、見間違えるはずがない。少し右上がりの、神経質そうな筆跡。
母だ。
「……う、そ」
喉がヒリつく。
見つかるはずがない。だって私は、逃げるように家を出て、住民票も移さず、誰にも行き先を告げずにここへ来たんだ。
なのに、どうして。
指が震えて、封を切るのに時間がかかった。
中に入っていたのは、一枚の便箋。
びっしりと文字が埋め尽くされているわけじゃない。
たった三行、短い文章が書かれていただけだ。
『みおちゃんへ。
電話に出ないから心配しました。浅草にいるのね。
明日、お父さんと一緒に迎えに行きます』
カサリ、と乾いた音がして、便箋が床に落ちた。
目の前が真っ暗になるって、こういうことを言うんだなと、どこか他人事みたいに思った。
見つかった。
明日、来る。
あの人たちが、ここに来る。
「……だめ」
それだけはダメだ。
あの人たちが来れば、きっと店の中で大騒ぎする。「娘を返せ」と喚き散らし、煌さんに迷惑をかける。
下手をすれば、警察沙汰になるかもしれない。
ようやく見つけた私の居場所。温かいご飯。優しい鬼。
全部、あの人たちの土足で踏み荒らされてしまう。
(逃げなきゃ)
ここから消えなきゃ。
私が勝手にいなくなれば、煌さんに迷惑はかからない。
そうだ、荷物をまとめて、今すぐここを出て――。
「――何をボサッとしてる」
背後からの声に、心臓が跳ね上がった。
振り返ると、煌さんが腕組みをして立っていた。
「あ……こ、煌さん……」
「掃除が終わってねぇぞ。……おい、なんだその顔は」
煌の視線が、床に落ちた便箋へと滑る。
拾おうとしたけれど、間に合わなかった。
彼が長い指でそれを拾い上げ、一瞬で中身を読み取る。
「……チッ。あいつらか」
舌打ちひとつ。
その音が、私には「お前に関わると面倒だ」と言われたように聞こえてしまった。
「ご、ごめんなさい……っ!」
涙が勝手に溢れてくる。
「すぐ出て行きます。迷惑かけてすみません、今日までありがとうございました、だから……」
「は?」
「ここにいたら、煌さんに迷惑が……あの人たち、話が通じないんです、きっと営業妨害になるし、だから私が消えれば……」
パニックで言葉がまとまらない。
逃げようとする私の腕を、煌がガシッと掴んだ。
痛いほど強い力。
「離して、ください……っ」
「逃げてどうすんだ。また野垂れ死ぬか? それとも実家に連れ戻されて、一生飼い殺しにされるか?」
「それでも……っ! この店をめちゃくちゃにされるよりマシです!」
「ふざけんな!」
怒号が飛んだ。
ビクリと肩が跳ねる。
恐る恐る顔を上げると、煌は私ではなく、手にした便箋を睨みつけていた。
「俺の店だぞ。人間風情が何人来たところで、指一本触れさせねぇよ」
ボッ。
彼の指先から、あの夜に見た美しい蒼い炎が燃え上がった。
炎は瞬く間に白い紙を包み込む。
母の文字が、脅迫じみた言葉が、チリチリと音を立てて灰に変わっていく。
「あ……」
「こんな紙切れ一枚で、ガタガタ震えてんじゃねぇ」
煌は燃えカスをゴミ箱に捨てると、私の腕を掴んだまま、グイッと自分の方へ引き寄せた。
近い。
整った顔が目の前にあって、赤い瞳が私を射抜いている。
「言ったはずだ。お前は俺の『嫁』で、俺の所有物だとな」
「……はい」
「なら、お前の親だろうが何だろうが、所有権は俺にある。勝手に連れて行こうなんざ、一〇〇年早ぇんだよ」
それはあまりに自分勝手で、傲慢な理屈だった。
でも、今の私には、どんな正論よりもその「傲慢さ」が救いだった。
「明日、来るなら来させろ。俺が追い返してやる」
「で、でも……お父さんも来るって……」
「男手がひとり増えたところで、鬼の俺に勝てると思ってんのか?」
煌はニヤリと不敵に笑った。
その笑顔があまりに頼もしくて、強そうで。
張り詰めていた糸がプツンと切れた私は、その場にへなへなと座り込んでしまった。
「……うぅ……っ」
「泣くな。鬱陶しい」
口ではそう言いながら、彼は私の頭にゴシゴシと乱暴に手を乗せた。
大きな手。温かい体温。
ああ、この人は本当に、私を守ってくれるつもりなんだ。
灰になった手紙の匂いが、微かに鼻を掠めた。
それは、私の過去との決別の匂いのように思えた。
明日は決戦だ。
でも、ひとりじゃない。
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