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第1章 その翼は何色に染まるのか

5話 抜魂治癒

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 魂は本来肉体の中に存在し、探知デクトネシオを用いてもその姿を見ることはできない。その魂が肉体を抜け始めている。見た限り血を流している様子はなく、衰弱しているわけでもない。魂が抜けるのは肉体が死を迎えた時。一部の例外を除いてそれが彼ら魔法使いの中での共通認識だ。今のこの女性に起きているのが異常であることは、灯真も理解できた。

「どうなってる…糸が切れたのか?」

 女性を前にしてもう一度灯真は目を閉じる。それまで広範囲に広がっていた彼の魔力は、外側からゆっくりと霧散し彼と目の前の女性の周囲にだけ残った。彼の頭の中に映し出されたのは、彼女の背中側に見える肉体から抜け出てしまった魂と、彼が『糸』と呼んだ、肉体と魂をつなげているもの。魂と同様に本来ならば探知で見えるものではない。

「そんな……こんな細いはずがない。何をやったらこんなことになるんだ!?」

 灯真の表情に焦りが見え始める。額から流れ落ちてくる汗を手の甲で雑に拭い取り、彼女の状態について考えてみる。

「魂から出てる糸が細いってことは……糸の維持に使う魔力が足りないってことだから……魂自体が死にかけているってこと……か?」

 通常であれば考えにくい状況に困惑する灯真。しかし今も彼女の魂は、肉体から非常にゆっくりだが離れていっており、切れてしまった糸もある。こんな状態で放置したら待っているのは死だけ。専門家に相談したいが、この女性がどれくらい持ち堪えられるかわからない。

「魔力が足りないんだから補充してやれば……でもどうやって……」

 肉体の魔力抵抗は非常に強いが、抵抗の弱くなっている穴からは魔力を外に出すことができる。しかしこの穴は、内側からしか魔力を通さない。つまり灯真が自身の魔力を直接この女性に送ることはできないのだ。

 灯真はこれまで学んだことを思い返していく。「魔法使いの歴史」、「魂と肉体について」、「魔力の特性について」など。どれも今の状況を打破できるものではない。考えている間にも糸は一本、また一本と切れてしまっている。猶予はあまりない。

「こういう状況の時……誰かに教えてもらった気が……」

 ふと灯真は何かを思い出し、背負っていたリュックの中を漁ると小さな皮袋を手にした。その中に入っていたのは、黒い皮紐が巻かれた透明な石だった。適当に砕かれた破片のように不均等なその石の中には、赤い半透明の液体がゆらゆらと揺れているように見える。

「これだ…これなら」

 灯真は慌ててその石を女性の手に握らせようとしたが、協会ネフロラで教えられたことを思い出して動きを止める。 

《両者の同意があったとしても、この魔法を使用することは禁止する》

 魔法使いには彼らを取り締まる法が存在する。今、灯真が行おうとしていることはそれに違反する行為だ。

「そんなこと考えてる場合じゃないだろうが!」

 一瞬躊躇した灯真だったが、自分の頬を平手で強く叩き急いで女性の手を取った。死にたくない。彼女が発したその言葉が、幻覚として現れた女性の言葉と重なって彼を駆り立てていく。

「繋がってくれ!」

 石を女性の手に握らせると、灯真は自分の手からそれに向けて魔力を注いでいく。すると石から赤いリボンのようなものが何本も現れ、彼らの手をすり抜けて女性の魂を包んでいく。リボンの端は石から離れ、今度は灯真の胸の中心に入り込み彼の魂を包んでいく。二人の魂を万遍なく包み込んだそれは、捻れて一本の太い紐となり二人の魂を完全に繋ぎ合わせた。

「これでこっちから魔力を送れ…ば…」

 灯真に急に襲いかかる疲労感。全身から力が抜けていく。互いの魂を繋いだ『紐』を通じて、灯真の魔力が彼の意思に関係なく大量に女性に流れていった。意識が飛びそうになるが、何度も頭を振って耐える。

「こっちの意思は無視なんだな……でもこれでなんとかなった……か?」

 脱力と同時に彼の周りにあった魔力がすべて散り、女性の魂の状態がどうなったのか確認することができない。しかし女性の表情は穏やかで、目を閉じて眠っているようだ。口元に手を持っていくと、彼女の吐息を感じることができた。

「今から報告しても事務所には誰もいないだろうし、ひとまずうちに連れていくか」

 リュックを胸側に抱え、起こした彼女の体をなんとかして背中に背負う。華奢な彼が持ち上げるには少し重量過多だが、彼女の状態では救急車で病院というのは適切ではない。左右にふらつきながらゆっくりと暗い夜道を進む。

「商店街の人の数といい、今日はなんだったんだ……」

 この女性がいつからあの場所に倒れているかはわからないが、あんな状態だったら誰か一人くらい救急車を呼ぶ人がいてもいいはず。だが時間が経ってもなお、灯真と背負っている女性以外の人に出会わない。また、発光結晶ルエグナが複数の色の光を放った理由もわかっていない。明らかに普段と違う状況に疑問は残るが、疲労で意識も朦朧とし始めている灯真に余裕はなく、ひとまず家に帰ることだけに集中し他のことを考えないことにした。


* * * * * *

「なんであいつだけ効かなかった!?」

 灯真の後方、黒いスーツ姿に身を包んだ二人の男性が10メートル以上間隔をあけて灯真の後方を歩いている。彼に気付かれないよう歩調に合わせていて、足音は一つに聞こえている。

「わからん……だが、発光結晶ルエグナを持っていたということは調査機関ヴェストガインの人間だな」
「俺たちに気付いて防いだってのか!?」

 この二人、商店街の中で何度か灯真の横をすれ違った。しかし、彼は店の様子を気にするだけで住宅地の方へ歩いて行った。あの道を通ろうとした他の人々は皆、「しばらくあの道は通れない」「商店街で時間をつぶさないといけない」と“勘違い”したというのに。

「いや、警戒している様子はなかったが……」
「どうする? あの様子なら男を倒して女を回収できそうだぜ?」

 左右にふらつきながら歩く灯真の様子を見て、男の一人が右手に力を込める。左の口角を上げ今にも飛び出そうとする男の前を、もう一人の太い腕が遮ぎった。

「お前の魔法が効かなかったとなると、かなり腕の立つ魔法使いかもしれん。その上、調査機関ヴェストガインの人間となれば迂闊に手は出せない。こちらの正体を知られるわけにはいかん」
「じゃあこのまま見過ごすってのか?」
「ひとまずあの男の正体を調べる。このまま追って住んでいるところが特定できれば、調査機関ヴェストガインの名簿で誰かわかるだろう」
「あの女が何か喋っちまう可能性は?」
「それはないはずだ。あの男が何をしたかわからんが、女の状態を改善する術はないと聞いている。もう話すらできまい」
「なるほどね……じゃあ様子見にしとくか。どうせ後でどうにかすんだろ?」
「女の存在を知られた以上はこちらに引き込むのが先だろうが……まあ、それで納得してもらえなければ大人しくしてもらうかもしれんが……な」

 口元に笑みを浮かべる二人は距離を保ったまま、灯真の後を追い続けた。

* * * * * *
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