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第1章 その翼は何色に染まるのか
9話 神秘妖精
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「ちょっと立てる?」
「あっ……はい」
エルフは君島に言われるがまま、ベッドから起き上がりゆっくりと立つ。倒れないよう灯真も隣に歩み寄った。目が覚めた時はまだ起き上がるのも難しかったのに、恐ろしい回復力である。立ち上がった彼女を見て、そのスタイルの良さに君島は一瞬言葉を失う。座っていた時からその大きな胸の膨らみは目に入っていたが、実際に立った姿を見ると日本人離れしたその体は、スレンダーな君島が一度は夢に見るスタイルだった。君島は彼女の周囲を回り体の状態を観察していく。
「細すぎず太すぎず……大きいのに垂れ下がっていない胸に思わず触りたくなるお尻……完璧だわ」
彼女はエルフの着る服を買うために体型を確認しに来たはずだが、まじまじと体を見つめその素晴らしさに見惚れている。女性の君島から見ても、目の前にいるエルフは魅力的に映っているようだ。
「君島さん……何しに来たか覚えてますか?」
「わかってるわよ……どんな服にしようか考えてただけ」
頬を赤く染めつつ、君島はカバンからメジャーを取り出した。
「ちょっと部屋の外で待ってなさい」
「はい」
灯真が部屋を出たのを確認し、メジャーで体のサイズを測っていく。脱毛でもしたかのように肌は綺麗で、傷一つ見当たらない。触れてみると全体的にしっかり筋肉もついていて、君島の視界に嫌でも入ってくるその大きな胸を維持しているのもそれのおかげなのだろう。
「ごめんね。本当だったら同性のところで保護すべきところなんだけど……」
エルフの体が万全な状態であれば同性のところで保護したいと君島は思っていたが、灯真の使った契約によって現状を維持できているのだとしたら彼から離すのは好ましくない。それに灯真ならば信頼できると君島は踏んでいる。
「あの人は……男性……なんですよね?」
「え?……ええ、そうよ。どうして?」
エルフが口にした奇妙な質問に、思わず君島は首を傾げる。これだけの美女を家に置いておいて何もする気がないどころか、異性として全く関心を持っていないように見えるあたり、男として大丈夫なのか? という心配は君島にもある。ただ、男女関係なく同じように接するというところは、職場の同僚たちから評価されている点でもある。
「今までお会いした方々とは……その……違うみたいで」
自分の体を求められず、自由に休める場所と時間を与えられ、かけてくる言葉には温かさを感じる。その全てがエルフの知る男性とは別ものだった。本当に男性なのかと疑うほどに。
「男っていってもいろんな人がいるわ。好きなことだけやって生きる人もいれば、何かに一生懸命取り組んでる人もいるし、惰性で仕事してる人もいるし、あなたみたいな素敵な女性を見て下心をむき出しにする人だっている」
採寸を終えた君島は、エルフにベッドへ腰掛けるよう促すと、自身も椅子をベッドに寄せて座った。
「貴女がいたところに、彼みたいな人はいなかった?」
「はい……」
「まあ、彼はちょっと変わってるから」
そういって君島は苦笑いする。灯真の業務態度は決して悪くはない。ただコミュニケーション能力は乏しく他人に興味がない雰囲気だったので、まさか危険を犯してまで人を助けるような人だとは君島も思っていなかった。
「あの方は……特別なのですか?」
「そうね。法を破るような魔法を使ったり、自分が倒れるリスクも考えなかったり……私もよくわからないんだけど、彼は普通じゃないって思っていた方がいいかも」
そう言って肩を竦める君島の話がよほど興味深いのか、エルフは真剣に耳を傾けていた。
「ところで、あなたって何歳になるの? 私より少し上だと思うのだけど?」
「五年目……と言われていましたから、それが人でいう年齢に当たるのでしょうか?」
「5歳ってこと!?」
この美体で5歳はありえないことは君島でなくともわかる話だ。灯真からの報告にあった「母体」という情報が正しければ、肉体を急成長させた可能性は考えられる。しかし、知能の形成はどうやったのか。そもそも、母体として作られただけならば知能を持たせる必要はあったのだろうかと君島の頭の中に多くの謎が浮かんだ。
「普通の5歳は貴女みたいに流暢に会話はできないし、私の話を理解できないと思うわ」
「私自身もよくわかりませんが、すごく長い時間夢を見ていた記憶はあります。内容は覚えていませんが……」
君島は睡眠学習のようなことをさせられていたのではないかと推測した。それならば彼女がエルフだと思い込んでいたとしてもおかしくはない。
「申し訳ありません。お役に立てなくて……」
君島の表情が険しくなったのを見てエルフから謝罪の言葉が飛んでくるが、君島はこれに笑顔で返した。
「謝ることないわ。貴女は何も悪くないもの」
エルフの周りにも笑顔を向けてくる女性はいた。しかし今の君島の表情とはやはり違う気がする。何が違うのかは彼女自身にもわかっていない。
「さてと……サイズはわかったから、あとは注文するだけね」
カバンの中からスマートフォンを取り出すと、君島は慣れた手つきでネット通販のサイトを覗いていく。目の前の美体と画面を交互に見ながら手早く服を選んでいった。
「この時間なら、明日には届くでしょう」
「あの……」
椅子から立ち上がろうとする君島を呼び止めると、エルフはベッドを降りて跪き、額を床に擦りつける。
「ありがとうございました……私のようなものに」
君島がその言葉を遮るようにエルフの肩をつかむと、彼女の上半身を無理やり起こした。
「そういう風にするよう教えられたのかもしれないけど、お礼を言う時は相手の目をちゃんと見て言えばそれでいいの」
真剣な眼差しで君島に見つめられたエルフは、彼女や灯真と今まで出会った人たちの違いをようやく理解した。二人がちゃんと彼女自身を見て話をしてくれているのだと。
「……はい」
嬉しいはずなのにエルフの目から涙が止まらない。涙は辛いときや悲しいときに出るものだと思っていた。母体としての痛みに耐えていた時や、死に恐怖した時のように。だから灯真にもう大丈夫だと言われた時も、溢れ出す理由がわからず必死に拭おうとした。自分が何を悲しんでいるのか理解できなかった。
「どうして……」
「知識があるといっても、ちょっと偏りがあるみたいね」
突然の涙に焦っている彼女に、君島はそっとハンカチを出し彼女の手に持たせた。
「涙は感情が高ぶると出るの。だから嬉しい時だって出るのよ。そういうのを『嬉し涙』っていうの」
渡されたハンカチで目を覆うエルフ。なかなか止まってくれそうにはない。咽び泣く彼女の頭を、君島は優しく撫でた。泣きじゃくる子供をあやすように。
廊下で待機していた灯真に、エルフの強い感情が流れ込んでくる。それをエルフ自身は理解できていないようだが、これは『歓喜』だ。
「見た目は大人でも、中身は親の愛情に飢えている子供みたいなもん……か」
扉の外でも聞こえたが、彼女は5歳。それが事実なら、まだ親が必要な年頃である。そう思い込まされていたとしても、灯真は彼女に適した保護が必要ではないかと考え始めた。
「この場合、父親よりも母親の方が重要だったんじゃ……」
大学で受けた講義で似たような案件が紹介されていたのを思い出す。父親と母親では子供に対する役割が変わってくるという話だった気がするが、うろ覚えなので確かではない。
「母親の代わりになってくれそうな人に預けるか……しかしそんな知り合いはいないし、君島さんもまだ16歳だから母親代わりをしてもらうのはアレだし、父子家庭の事案を参考にすべきか」
灯真の頭の中で、エルフという言葉が端に追いやられて『子供の教育』の議論が繰り広げられている。部屋から出てきた君島が目にしたのは、部屋の外で一人額に手を当てて苦悩している灯真の姿。職場では決して見ることがないその光景に、思わず声を出して笑いそうになってしまった。
「どっ……どうしたの?」
「やはりここは、君島さんに母親代わりになって隣にでも住んでもらうのが無難……でも職場に知れたら事務から情報が回って関係を怪しまれる恐れも……あっ、終わりましたか」
独り言の途中でようやく君島が出てきたことに気付いた。彼の言葉から、エルフとの今後について悩んでいるのは理解できた。
「彼女の今の精神年齢を考えたら『母親』が必要かもしれないと思ったのですが、他の人に彼女のことを教えるのはリスクが高いし、君島さんにお願いするのが一番無難かと思ったのですが……」
「あなたが心配していることはわかるけど……何考えてるのよ……」
(私にここに一緒に住めっていうの? それって今読んでる漫画の設定みたいじゃない)
真顔で語る灯真を前に冷静を装ってはいるが、君島の頭の中には彼女がハマって読み続けている漫画の世界が浮かび上がっている。親のいない少女がシングルファーザーの男性やその娘と出会い、ひょんなことから一つ屋根の下で生活しだすという映画化することも決まっている大人気少女漫画である。
(でも、3人で並んだら明らかに私が娘じゃない?)
最初は漫画と同じ状況に顔を赤くした君島だったが、自分の身長や容姿を考えるとエルフよりも大人には見えない。そうなれば娘扱いされるのは君島で、漫画の設定とは別物になる。
(なんで私が如月さんとあの子をくっつける役なのよ)
漫画では娘が次第に父親と同居する少女をつなげるキーパーソンとなっていくのである。冷静さを取り戻した君島は、顎に手を当てて自問自答を続ける彼の姿にだんだん苛立ちを覚えてきた。
「何かいい考えありませんか?」
「ないわよ。場所を移したり、別の人を一緒に住まわせて混乱を招くのも避けたい。私がここに住むのも論外だわ」
一瞬でも妙なことを考えてしまったことに反省しつつ、君島は今後のことを考える。エルフは灯真のことを信用している様子であるし、彼の方もエルフに手を出す様子は全く無さそうだ。
「一先ず、彼女についてはまだわからないことが多すぎる。本物のエルフなのかも私たちでは判断できないし、話がまとまるまでは申し訳ないけど、彼女の保護を任せるわ」
「わかりました」
君島は衣服が明日以降に届くことを伝えると、その足で職場へと戻っていった。その帰り道で改めて今回の件を頭の中で整理する。
彼女が本当に禁忌とされていたエルフなのか確証はなく、普通の人間ならば考えにくいあの異常な魔力の漏れ方も含め彼女には謎が多い。
「もし彼女が本当にエルフだとして……もしエルフ以外のものも創られていたら……」
協会で禁止されていることは他にもある。電車に揺られながら、君島の額から冷や汗が流れ落ちた。
* * * * * *
「逃げた母体の行方は?」
「扉を使ったようだ。場所は……神楽塚か……」
円形に並べられた机と10の席。そのうち5つに白衣を着た男女が腰かけ、タブレット端末に表示された資料に目を通している。
「役割を終えたとはいえ、まだ利用価値があるというのに…警備がずさんじゃないか?」
「子供だと思って甘く見ていたこっちにも非はあるよ。ストレスを減らすために多少の自由は許していたけど…やはりここを出てはいけないと、教育する必要があるかな」
「それだと、売りに出した時に解除するのがひと手間だな……」
議論が繰り返される中、中央にいた一人だけが違うデータを見ている。画面には『カーダ』と表示され、顔写真と体型のデータが並んでいる。
「あの1匹がいなくなったところで研究に支障はないが、見つかると厄介なのは事実。ここはスポンサーの方にお願いして対処していただきましょう」
右の口角をわずかに上げながら中央の男が口にしたその言葉に、他の全員が頷き笑みを浮かべている。
「ところで、『ジー』の様子は?」
「生育パターンを分けて検証中っす。一番早いものに関しては、数ヶ月で結果を出せるかと」
「完成まであと少しです。焦らず慎重にいきましょう」
全員首を縦に振ると、席を立って部屋を出ていく。扉を出ると、白い壁を明るいライトが照らす廊下が広がっていた。五人はそれぞれ左右に分かれ、自分の目的の場所へと歩いていく。時折、看護師が着ているような白い制服を身にまとった男女とすれ違い、軽い挨拶を交わしていく。
「おっと、忘れないうちに連絡をしときますか」
先ほど中央に座っていた男は、スマートフォンをポケットから取り出すと目的の人物の連絡先を出し電話をかける。
「どうも。例の件なんですが…ええ、神楽塚の。処分間近でしたからもう生きていないかもしれませんが、できる限り回収でお願いできますかね。え? わかってますよ。またいい子を用意しておきますって。では」
電話を切った瞬間、それまでの笑顔が消え蔑むような目で画面に残った名前を見つめていた。
* * * * * *
「あっ……はい」
エルフは君島に言われるがまま、ベッドから起き上がりゆっくりと立つ。倒れないよう灯真も隣に歩み寄った。目が覚めた時はまだ起き上がるのも難しかったのに、恐ろしい回復力である。立ち上がった彼女を見て、そのスタイルの良さに君島は一瞬言葉を失う。座っていた時からその大きな胸の膨らみは目に入っていたが、実際に立った姿を見ると日本人離れしたその体は、スレンダーな君島が一度は夢に見るスタイルだった。君島は彼女の周囲を回り体の状態を観察していく。
「細すぎず太すぎず……大きいのに垂れ下がっていない胸に思わず触りたくなるお尻……完璧だわ」
彼女はエルフの着る服を買うために体型を確認しに来たはずだが、まじまじと体を見つめその素晴らしさに見惚れている。女性の君島から見ても、目の前にいるエルフは魅力的に映っているようだ。
「君島さん……何しに来たか覚えてますか?」
「わかってるわよ……どんな服にしようか考えてただけ」
頬を赤く染めつつ、君島はカバンからメジャーを取り出した。
「ちょっと部屋の外で待ってなさい」
「はい」
灯真が部屋を出たのを確認し、メジャーで体のサイズを測っていく。脱毛でもしたかのように肌は綺麗で、傷一つ見当たらない。触れてみると全体的にしっかり筋肉もついていて、君島の視界に嫌でも入ってくるその大きな胸を維持しているのもそれのおかげなのだろう。
「ごめんね。本当だったら同性のところで保護すべきところなんだけど……」
エルフの体が万全な状態であれば同性のところで保護したいと君島は思っていたが、灯真の使った契約によって現状を維持できているのだとしたら彼から離すのは好ましくない。それに灯真ならば信頼できると君島は踏んでいる。
「あの人は……男性……なんですよね?」
「え?……ええ、そうよ。どうして?」
エルフが口にした奇妙な質問に、思わず君島は首を傾げる。これだけの美女を家に置いておいて何もする気がないどころか、異性として全く関心を持っていないように見えるあたり、男として大丈夫なのか? という心配は君島にもある。ただ、男女関係なく同じように接するというところは、職場の同僚たちから評価されている点でもある。
「今までお会いした方々とは……その……違うみたいで」
自分の体を求められず、自由に休める場所と時間を与えられ、かけてくる言葉には温かさを感じる。その全てがエルフの知る男性とは別ものだった。本当に男性なのかと疑うほどに。
「男っていってもいろんな人がいるわ。好きなことだけやって生きる人もいれば、何かに一生懸命取り組んでる人もいるし、惰性で仕事してる人もいるし、あなたみたいな素敵な女性を見て下心をむき出しにする人だっている」
採寸を終えた君島は、エルフにベッドへ腰掛けるよう促すと、自身も椅子をベッドに寄せて座った。
「貴女がいたところに、彼みたいな人はいなかった?」
「はい……」
「まあ、彼はちょっと変わってるから」
そういって君島は苦笑いする。灯真の業務態度は決して悪くはない。ただコミュニケーション能力は乏しく他人に興味がない雰囲気だったので、まさか危険を犯してまで人を助けるような人だとは君島も思っていなかった。
「あの方は……特別なのですか?」
「そうね。法を破るような魔法を使ったり、自分が倒れるリスクも考えなかったり……私もよくわからないんだけど、彼は普通じゃないって思っていた方がいいかも」
そう言って肩を竦める君島の話がよほど興味深いのか、エルフは真剣に耳を傾けていた。
「ところで、あなたって何歳になるの? 私より少し上だと思うのだけど?」
「五年目……と言われていましたから、それが人でいう年齢に当たるのでしょうか?」
「5歳ってこと!?」
この美体で5歳はありえないことは君島でなくともわかる話だ。灯真からの報告にあった「母体」という情報が正しければ、肉体を急成長させた可能性は考えられる。しかし、知能の形成はどうやったのか。そもそも、母体として作られただけならば知能を持たせる必要はあったのだろうかと君島の頭の中に多くの謎が浮かんだ。
「普通の5歳は貴女みたいに流暢に会話はできないし、私の話を理解できないと思うわ」
「私自身もよくわかりませんが、すごく長い時間夢を見ていた記憶はあります。内容は覚えていませんが……」
君島は睡眠学習のようなことをさせられていたのではないかと推測した。それならば彼女がエルフだと思い込んでいたとしてもおかしくはない。
「申し訳ありません。お役に立てなくて……」
君島の表情が険しくなったのを見てエルフから謝罪の言葉が飛んでくるが、君島はこれに笑顔で返した。
「謝ることないわ。貴女は何も悪くないもの」
エルフの周りにも笑顔を向けてくる女性はいた。しかし今の君島の表情とはやはり違う気がする。何が違うのかは彼女自身にもわかっていない。
「さてと……サイズはわかったから、あとは注文するだけね」
カバンの中からスマートフォンを取り出すと、君島は慣れた手つきでネット通販のサイトを覗いていく。目の前の美体と画面を交互に見ながら手早く服を選んでいった。
「この時間なら、明日には届くでしょう」
「あの……」
椅子から立ち上がろうとする君島を呼び止めると、エルフはベッドを降りて跪き、額を床に擦りつける。
「ありがとうございました……私のようなものに」
君島がその言葉を遮るようにエルフの肩をつかむと、彼女の上半身を無理やり起こした。
「そういう風にするよう教えられたのかもしれないけど、お礼を言う時は相手の目をちゃんと見て言えばそれでいいの」
真剣な眼差しで君島に見つめられたエルフは、彼女や灯真と今まで出会った人たちの違いをようやく理解した。二人がちゃんと彼女自身を見て話をしてくれているのだと。
「……はい」
嬉しいはずなのにエルフの目から涙が止まらない。涙は辛いときや悲しいときに出るものだと思っていた。母体としての痛みに耐えていた時や、死に恐怖した時のように。だから灯真にもう大丈夫だと言われた時も、溢れ出す理由がわからず必死に拭おうとした。自分が何を悲しんでいるのか理解できなかった。
「どうして……」
「知識があるといっても、ちょっと偏りがあるみたいね」
突然の涙に焦っている彼女に、君島はそっとハンカチを出し彼女の手に持たせた。
「涙は感情が高ぶると出るの。だから嬉しい時だって出るのよ。そういうのを『嬉し涙』っていうの」
渡されたハンカチで目を覆うエルフ。なかなか止まってくれそうにはない。咽び泣く彼女の頭を、君島は優しく撫でた。泣きじゃくる子供をあやすように。
廊下で待機していた灯真に、エルフの強い感情が流れ込んでくる。それをエルフ自身は理解できていないようだが、これは『歓喜』だ。
「見た目は大人でも、中身は親の愛情に飢えている子供みたいなもん……か」
扉の外でも聞こえたが、彼女は5歳。それが事実なら、まだ親が必要な年頃である。そう思い込まされていたとしても、灯真は彼女に適した保護が必要ではないかと考え始めた。
「この場合、父親よりも母親の方が重要だったんじゃ……」
大学で受けた講義で似たような案件が紹介されていたのを思い出す。父親と母親では子供に対する役割が変わってくるという話だった気がするが、うろ覚えなので確かではない。
「母親の代わりになってくれそうな人に預けるか……しかしそんな知り合いはいないし、君島さんもまだ16歳だから母親代わりをしてもらうのはアレだし、父子家庭の事案を参考にすべきか」
灯真の頭の中で、エルフという言葉が端に追いやられて『子供の教育』の議論が繰り広げられている。部屋から出てきた君島が目にしたのは、部屋の外で一人額に手を当てて苦悩している灯真の姿。職場では決して見ることがないその光景に、思わず声を出して笑いそうになってしまった。
「どっ……どうしたの?」
「やはりここは、君島さんに母親代わりになって隣にでも住んでもらうのが無難……でも職場に知れたら事務から情報が回って関係を怪しまれる恐れも……あっ、終わりましたか」
独り言の途中でようやく君島が出てきたことに気付いた。彼の言葉から、エルフとの今後について悩んでいるのは理解できた。
「彼女の今の精神年齢を考えたら『母親』が必要かもしれないと思ったのですが、他の人に彼女のことを教えるのはリスクが高いし、君島さんにお願いするのが一番無難かと思ったのですが……」
「あなたが心配していることはわかるけど……何考えてるのよ……」
(私にここに一緒に住めっていうの? それって今読んでる漫画の設定みたいじゃない)
真顔で語る灯真を前に冷静を装ってはいるが、君島の頭の中には彼女がハマって読み続けている漫画の世界が浮かび上がっている。親のいない少女がシングルファーザーの男性やその娘と出会い、ひょんなことから一つ屋根の下で生活しだすという映画化することも決まっている大人気少女漫画である。
(でも、3人で並んだら明らかに私が娘じゃない?)
最初は漫画と同じ状況に顔を赤くした君島だったが、自分の身長や容姿を考えるとエルフよりも大人には見えない。そうなれば娘扱いされるのは君島で、漫画の設定とは別物になる。
(なんで私が如月さんとあの子をくっつける役なのよ)
漫画では娘が次第に父親と同居する少女をつなげるキーパーソンとなっていくのである。冷静さを取り戻した君島は、顎に手を当てて自問自答を続ける彼の姿にだんだん苛立ちを覚えてきた。
「何かいい考えありませんか?」
「ないわよ。場所を移したり、別の人を一緒に住まわせて混乱を招くのも避けたい。私がここに住むのも論外だわ」
一瞬でも妙なことを考えてしまったことに反省しつつ、君島は今後のことを考える。エルフは灯真のことを信用している様子であるし、彼の方もエルフに手を出す様子は全く無さそうだ。
「一先ず、彼女についてはまだわからないことが多すぎる。本物のエルフなのかも私たちでは判断できないし、話がまとまるまでは申し訳ないけど、彼女の保護を任せるわ」
「わかりました」
君島は衣服が明日以降に届くことを伝えると、その足で職場へと戻っていった。その帰り道で改めて今回の件を頭の中で整理する。
彼女が本当に禁忌とされていたエルフなのか確証はなく、普通の人間ならば考えにくいあの異常な魔力の漏れ方も含め彼女には謎が多い。
「もし彼女が本当にエルフだとして……もしエルフ以外のものも創られていたら……」
協会で禁止されていることは他にもある。電車に揺られながら、君島の額から冷や汗が流れ落ちた。
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「逃げた母体の行方は?」
「扉を使ったようだ。場所は……神楽塚か……」
円形に並べられた机と10の席。そのうち5つに白衣を着た男女が腰かけ、タブレット端末に表示された資料に目を通している。
「役割を終えたとはいえ、まだ利用価値があるというのに…警備がずさんじゃないか?」
「子供だと思って甘く見ていたこっちにも非はあるよ。ストレスを減らすために多少の自由は許していたけど…やはりここを出てはいけないと、教育する必要があるかな」
「それだと、売りに出した時に解除するのがひと手間だな……」
議論が繰り返される中、中央にいた一人だけが違うデータを見ている。画面には『カーダ』と表示され、顔写真と体型のデータが並んでいる。
「あの1匹がいなくなったところで研究に支障はないが、見つかると厄介なのは事実。ここはスポンサーの方にお願いして対処していただきましょう」
右の口角をわずかに上げながら中央の男が口にしたその言葉に、他の全員が頷き笑みを浮かべている。
「ところで、『ジー』の様子は?」
「生育パターンを分けて検証中っす。一番早いものに関しては、数ヶ月で結果を出せるかと」
「完成まであと少しです。焦らず慎重にいきましょう」
全員首を縦に振ると、席を立って部屋を出ていく。扉を出ると、白い壁を明るいライトが照らす廊下が広がっていた。五人はそれぞれ左右に分かれ、自分の目的の場所へと歩いていく。時折、看護師が着ているような白い制服を身にまとった男女とすれ違い、軽い挨拶を交わしていく。
「おっと、忘れないうちに連絡をしときますか」
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