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第1章 その翼は何色に染まるのか

13話 用心堅固

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「準備はいいか?」
「……はい」

 平日の午前10時。通勤や通学で発生する人の流れが一段落し、最も人通りが少ないこの時間を狙って、灯真は緊張し身構えるディーナを外へと連れ出した。厚い雲が空を覆い肌寒く感じられる中、終始浮かない顔のディーナを見て心配する灯真であったが、彼女の肩をポンっと叩き建物の外に停車している一台の車へと誘導した。運転席にはルイスが、助手席には君島が待機していた。

「すみません、車出してもらって」
「ディーナは美人だからな。歩いて行ったらかえって目立ってしまうよ」

 この日のために目立たないような服を君島が用意していたのだが、むしろ似合いすぎて試着した姿を見た彼女は思わず「良い……」と呟き、そのままではダメだと困り果てていた。そこで元々立ち会うつもりでいたルイスに相談をして彼に車を出してもらう手筈となった。
 
 それなりに裕福なはずのルイスが乗ってきたのは、高級車ではなく一般家庭などに広く流通しているコンパクトカーであった。ルイス曰く、日本の細い道でも通れるよう機能性を重視したとのだという。

「おはよう、ディーナちゃん」
「おはようございます、あきらさん」

 いつも通りの返事ではあったが、その声は今まで君島が会いに行った時と違い深く沈んでいる印象を受ける。灯真に保護されてから初めての外出に様々な不安を抱えているのだろうと、君島は憂色を浮かべていた。『目的の場所まで魔法でひとっ飛び』などといった映画や漫画のようなことができればよかったのだが、魔法は万能ではない。笑顔を崩さないルイスも君島と同じ思いだったが、灯真だけはディーナを気にかけながらもずっと周囲の様子を気にしていた。

「まだ余裕はあるが、少し早めに着いておいた方がいいだろう」

 二人が乗り込むと、ルイスはある場所を目指して車を走らせた。向かったのは『ネフロラジャパン』という会社。海外製品の輸入などを手がけるそこは、世界中に事務所を構え災害時にはその輸送ルートを活用して誰よりも早く積極的な物資支援を行うことで有名な企業『ネフロラ』の日本法人である。
 運営しているのは現協会ネフロラの会長アーサー・ナイトレイ。魔法使いということを隠して暮らす人々を積極的に雇っている企業でもあった。

 今でこそ力を隠して一般企業に入る者も多くなったが、昔は町から離れて自給自足の生活を強いられ苦労していた。そういった暮らしに耐えきれず魔法の力を捨てたいと考える者が増える中で、魔法の力は絶やすべきではないと考えた先人たちにより、前身となる会社が世界中に作られた。その多くは合併しネフロラという大企業へと成長を遂げたが、それ以外にも違う業種の会社が各地に転々としており、業務提携という形を取って互いに支援しあっている。

「事務的なことはすでに済ませてあるから、一緒に行って登録を完了させるだけだ。すぐに終わるから、そんなに警戒しなくても大丈夫だぞ、灯真」

 車に乗ってからも窓の外をずっと気にしている灯真を、ルイスは赤信号が変わるのを待ちながらバックミラー越しに見つめていた。オフィスビルの立ち並ぶ大通りに差し掛かると、スーツ姿のビジネスマンが目立ってきた。道路も平日だからか車の量は少ない。

「ディーナを作った連中が逃げた彼女を放置したままとも思えませんし、念のためです」
「なるほどな」

 信号が青に変わり、ルイスは右足でゆっくりとアクセルを踏み込む。

 灯真がここまで警戒態勢をとっているのには、ディーナから伝わる不安によるものが大きい。部屋を出た時から彼女のそれはとても強く、心配した灯真はわざわざ探知デクトネシオを用いて誰とも遭遇しないように車に向かった。

(立ち直ったように見えても、やはりまだ昔のことを引きずっているんだな)

 ルイスはふと灯真と出会ったときのことを思い出していた。その時の彼の、この世に絶望したかのような正気のない表情を、今も忘れることができずにいる。ルイスの両手は、無意識にハンドルを強く握りしめていた。

 二人の会話に耳を傾けながら、君島も外を眺め歩いている人たちの様子を気にし始めていた。時折後ろに座るディーナの様子を伺ったが、彼女は暗い表情のまま縮こまっている。 

(確かに如月さんのいってることも一理ある……ディーナちゃんが本物なら、作った証拠になるものを放っておくなんてする?)

 君島も灯真と同意見であった。エルフを作り出すような技術を持った連中ならば、彼女が匿われていることにはすでに気付いていると君島は推測している。だがそうなると、これまで放置されている理由がわからなかった。

(社長は今回の件、どう考えて動いてるのかしら……)

 ルイスのことを信じていないわけではない。要らぬ混乱を避けるためにディーナのことを公表しなかったのは正しい判断だと思っている。だが、事態を重く考えるならば早急に調査に乗り出すべきだと提案した君島に対し、ルイスは調査保留の指示を出している。灯真の事情を隠していることに加えて今回のディーナの件で、彼に対する不信感は募る一方であった。状況次第ではルイスを、世界で3人しかいないと言われる至高の魔法使いを敵に回す可能性も君島は考え始めていた。

 会話が途切れ、重たい空気が車内を支配し始める。ただでさえディーナが不安がっている中で、その空気を変えようと考えた君島は、有休中の灯真に伝えることがあるのを思い出した。

「そう言えば、休みの間に県警の三科警部から如月さんに問い合わせがあったわよ」
「この件がひと段落するまで依頼は紅野さんにお願いしているはずでは?」
「警部はいつも如月さんをご指名だから無理よ。以前調査した事件のことで確認したいことがあるんですって」
「車を調べに行った件なら、魔法が使われた形跡は見つかりませんでしたし、再調査の必要はないと思いますが」

 灯真が頭に浮かべたのは一番最後に受けた依頼の件であった。だが、あの調査はもう終わっているのでこれ以上依頼を出されても受けるのは難しい。

(あれのことじゃないといいけど……)

 灯真は調査中に見えた人影の情報を三科の前で話したことを思い出した。それについては報告書にも書いていないし、君島にも報告を入れていない。
 調査機関ヴェストガインが行なった調査の結果は、基本的に魔法の関与があったかどうかしか伝えることはない。『力を持たない人の手で起きた事象に、力を用いて干渉してはならない』という決まりがあるからである。それは魔法の力に頼られるのを避けるためであり、これまでたとえ国からの調査依頼であってもそれが変わることはなかった。ただし、協会ネフロラのトップがアーサー・ナイトレイになってから、人命が関わる依頼の時だけその結果を然るべき機関へ伝えることが許されるようになった。命の重みは力の有無で区別してはならないというアーサーの言葉は、魔法使いたちの間で物議を醸している。
 灯真が調査した事件はあくまで窃盗であり、人命が関わるものではない。もし三科に情報を提供したことがバレたら協会ネフロラの定める法に違反したことになる。

「それじゃないわ。前に児童虐待の事件受け持ったことがあったでしょう?」

 心配した件ではないとわかり灯真はホッとする。同時に三科と初めて出会ったその事件のことを思い出していた。三科が知りたいということも灯真には容易に想像がついた。

「トーマが独り立ちして最初に担当したやつか。確か、報告書では父親の虐待で息子が魔法を暴発させたとなっていたな」
「ええ。そのおかげで情状酌量の余地があると認めてもらえました」 
「その件で警部から問い合わせってなると、和也のことですね」
「何だトーマ、心当たりがあるのか?」
「ええ……まあ……」
「折り返し連絡が欲しいって言ってたから。職場に復帰したらすぐにお願いね」
「……わかりました」

 三科に話してしまった内容ではないとわかり鼻でため息を吐きながら返事をする灯真だったが、三科が聞きたいであろう情報の中には、一般人である彼に伝えられないこともある。

(面倒なことを聞かれないといいけど……)

 今の会話で他にも心配事が増えた灯真であったが、不安と緊張で3人の会話が耳に入っていないディーナを横目に見て、それを考える時じゃないと思い再び外の警戒を始めた。

 ディーナを除く3人がそれぞれ思いを巡らせながら車を走らせておよそ30分。4人はオフィス街にそびえ立つ一際大きなビル群にたどり着いた。車を降りて5分も歩けば海岸線が覗けるここは、地下に鉄道の駅を併設し周辺の観光地とをつなげる重要な拠点の一つであり、灯真たちが住む地域の中でも全国区の知名度を誇る。
 上階はオフィスとして使われており、ネフロラジャパンのオフィスは最上階の2フロア。この施設建設にあたり、ネフロラはスポンサーとして出資し、港が近いという利点を活用してショッピングモールとなっている下階には提携している企業が店舗を出店している。ルイスが営む洋菓子店KAYもその一つである。
 ルイスは従業員用の駐車場に車を入れ3人を連れてエレベーターで上がっていく。時折他の階の人々が乗ったり降りたりを繰り返し、ディーナがその度に灯真の袖を掴んでいた。

「社長、受付しなくて大丈夫だったんですか?」

 このビルは複数の企業が入っていることもあり、本来なら1階の受付で入館証を貰わなければ中に入ってはいけないことになっている。役職者として協会ネフロラに出向くことも多い君島は、普段と違うルートに違和感を感じていた。

「ああ、事前に話を通してあるからな。入館証もほら」

 そう言ってルイスは、カバンから人数分の入館証を取り出してみんなに渡していく。ストラップ付きのカードケースには入館用カードの他に、使い捨てライターほどの黒い機器が付いている。灯真が手にとって見るが、ボタンなどはなく電源が入っていることを表すライトも見当たらない。

「これは?」
「来客者用のICチップが中に入っていてな。これを持ってないと、エレベーターで上のオフィス階には行けない仕様になっているんだ」
「先に渡してくださいよ……」
「すまんすまん。私は自分用で常に持っているからつい……」

 最先端のセキュリティシステムに灯真が関心する中、君島は先に入館証を渡さなかったルイスを咎めた。万が一警備員がエレベーターに乗ってきたら、入館証を下げていない君島たちは1階の受付まで連れて行かれ注意を受けることになっていた可能性もあるからだ。不機嫌そうな顔をする君島を見て、ルイスはエレベーターの隅で小さくなっている。緊張で固まっているディーナのことを気にしながらも、これではどちらが上司かわからないと、灯真は肩を竦めていた。
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