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第1章 その翼は何色に染まるのか

19話 異界言語

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「待ってたぞ」

 建物の中に入った灯真たちを出迎えてくれたのは、赤毛の髪とグレーの瞳を持った白人男性だった。恰幅の良いルーグよりも灯真に近い細身の体型の彼以外には誰も見当たらない。
 建物の中は吹き抜けとなっており、天井の照明が建物の中を照らしている。壁が光を反射するせいか、外よりも幾分か明るく感じるその場所には小さな円卓が置かれているのみで他には何もない。

「久しぶりだな、トーマ」

 男はそう言って灯真に近づくと、細く美しい指を彼の顔に近づけ目の下のクマをそっとなぞる。その様子を見た君島は、緊張で硬くなっている顔をほのかに紅潮させる。

「この様子では、今も変わらずか?」
「そうですね、こればっかりは……」

 灯真に親しげに話しかけるこの男こそ、魔法使いたちを取りまとめる協会ネフロラの長であり、大企業ネフロラを取りまとめる代表取締役、アーサー・ナイトレイ。
 調査機関(ヴェストガイン)の支部長という役職の君島でも会議以外の場で会うのはこれが初めて。しかし、彼女が緊張しているのはアーサーが協会ネフロラのトップだからではない。女性と間違われることもある彼の中性的な容姿は世界的にも有名で、それを活かして自ら企業の広告塔として立ち、ネフロラ=アーサーというイメージを世間に浸透させている。君島の緊張は、そんな彼を間近で目にしているせいである。彼女とは違い、灯真はアーサーに触れられても気にする様子はなく、まるで旧知の中のような雰囲気で言葉を返した。

「おいおい、私には挨拶無しか?」
「何年も会ってないトーマと違って、君とはこの前会ったばかりじゃないか」

 そういって笑みを浮かべながら、アーサーはルイスと軽いハグを交わす。二人は幼い頃からの友人であり、魔法使いとして切磋琢磨してきた仲でもある。

「すまんな。さっきは助けてやれなくて」

 ゆっくりと体を離したアーサーの目線が下がり、それまで和やかだった表情が曇っていく。

「気付いていたか」
「あれだけ盛大にやっていれば、ここから嫌でも見えるさ。藤森が来た時は驚いたが」

 松平の後ろからやって来た藤森は、アーサーに今回の件を伝えるべく先に協会ネフロラ本部を訪れていた。アーサーも彼らの組織の優秀さは知っているので、報告にあったような偽の指示が飛んだことには甚だ懐疑的である。

「アーサーがここに来るのも知っていたようだが、それに関してはどう説明してくれるんだ?」
「……私を疑うのも無理はないな。私もルーの立場なら同じように考える。それについても話しておきたいことがあるが……まずは彼女を紹介してもらえるだろうか?」

 灯真の後ろからアーサーの顔を凝視していたディーナが、彼と目が合いすぐに灯真の背中に隠れる。しかし、松平たちを見たときのように怯えている様子はない。

「ディーナ、この人を見たことは?」
「アーサー・ナイトレイ……魔法使いの高みに近づく1人……ボルゥ・カルデンスダ奪う闇手ン」

 ディーナの口から出たのはアーサーの名と登録されている魔法名。彼女の反応を見た灯真たち3人は、彼女がアーサーと出会ったことがないと悟り安堵の息を漏らす。

「よかったなアーサー。彼女が疑いを晴らしてくれたぞ」
「どういうことだ?」

 首を傾げるアーサーを見て、ルイスは子供のような悪戯っぽい笑みを浮かべ何も知らない彼の反応を楽しんでいる。それが気に食わなかったのか、アーサーはルイスの肩を掴み前後に揺らし始める。

「もったいつけず教えろ。アリアに言いつけるぞ!」
「それは卑怯だろう!」

 十代の若者と大差ない言い合いを繰り広げる二人の姿を見て、灯真が目を丸くしている。一方で最初は呆れていた君島も次第にイライラが加速し、ついには堰が切れたように口から苛立ちを溢れさせた。

「ちょっといいですか!?」

 力の入った君島の声が建物内に響き渡る。

「アキラ、どうしたんだ?」
「どうした? じゃありませんよ。社長、何しにきたと思ってるんですか」

 アーサーへの緊張が嘘のように吹き飛び目を吊り上げる彼女の顔を見て、ルイスは咳払いをしながら乱れた襟元を整えた。アーサーや灯真までも彼女から伝わる空気を感じ思わず姿勢を正す。

「それで、疑いが晴れたとはどういうことなんだ?」

 ルイスとのやり取りから一変して、爽やかな笑顔を見せながらアーサーが君島に問いかける。不思議な色気を感じさせるアーサーと目があった君島の心臓は急激にその鼓動を速めたが、彼女は再び頬を赤く染めながらも話を進める。

「彼女は自分がいた場所で見たことのある人物を覚えているようなんです。先ほど居合わせた法執行機関キュージストの方々に、彼女は明確に怯えた様子を見せました。如月さんが確認したところ、彼らのうちの誰かを知っていると」

 緊張に打ち勝ち報告を終えた君島が心の中でガッツポーズを決めていると、アーサーは俯いて顎を触り始める。

「具体的には誰のことだったんだ?」

 再び顔をあげたアーサーの言葉を聞いて、ルイスや君島がディーナへと視線を移す。灯真の後ろにいたディーナは驚きその姿を隠そうとする。

「ディーナ、みんなに教えて上げてくれ。誰を見たことがあったのか」
「……松平恭司……炎の波……メフラ・イーヴァウ……」

 予想通りの名前が出て、君島は納得した様子だった。松平の横を通り過ぎた時のディーナの怯え方が顕著だったからだ。

「あの男か……だとすると……」
 
 アーサーが深いため息を吐きながら頭を抱えた。彼にとってもその名前は予想していた人物の一人で、頭の中にあるバラバラだった情報が一つにつながっていく。

「心当たりがあるんだな?」
「ああ。それを話したくて、わざわざここまで出向いたんだ。トーマ、これは君にも関係することだ」
「俺と?」
「ちょっとまて。ここで話すのか!?」

 君島のことを一瞥するルイスの様子に、灯真は自分が関係することが何なのかすぐに気付いた。口を真一文字に結ぶ彼の右手が、爪が食い込むほど強く握りしめられる。ディーナに伝わるのを懸念して感情の高ぶりを抑えている灯真だったが、一つだけ強く思い浮かべてしまったものが彼女に伝わる。それは金属のようなもので出来た黒い4本の爪が自身に向かって振り下ろされる光景であった。

「ディーナの存在を知ってしまった以上、彼女も知っておいた方がいい」
「しかし……」
「私は構いません。教えてください」

 腕を組んで「教えてもらおうじゃないか」と言わんばかりの態度をとる君島を見て観念したのか、ルイスはアーサーの方を見て首を縦に振った。灯真もアーサーと目を合わせ小さく頷く。
 二人の承諾を得たアーサーは、一呼吸置いてからゆっくりとその詳細を語り始めた。

「私とルーは、15年前に起きた『ある事件』の調査を極秘裏に行っているんだ」
「15年前?」

 君島は調査機関ヴェストガインの仕事についてから、過去にあった重要な事件はこれまでに全て目を通している。しかし、少なくともその時期に大きな事件があったという記録はなかったはずである。

「15年前、協会ネフロラが厳重管理していたの封印が解かれ、通りがかった人々が行方不明となる事件があった。当時ニュースにも謎の発光現象として取り上げられていたから、そっちの方が知っているかもしれないな」
「それって……」

 君島もそのニュースのことなら、超常現象などをテーマにしたテレビ番組で見た記憶がある。世界各地でほぼ同時刻に、原因不明の光の柱が現れたというそのニュースは当時様々な憶測を呼び、人に見える形でおきた超常現象として専門家たちを喜ばせた。しかし、未だに科学的な証明はできておらず、また協会ネフロラにもその現象に関する報告は君島が確認した限り一切なかった。
 灯真の反応を気にするアーサーだったが、彼は目を閉じたまま耳だけを傾けている。

「でも、そういった遺跡の類があるのは私も知っていますが、あの発光現象の場所はそれに入っていなかったはずです」

 世界各地には古の魔法使いが残した遺跡・遺産の類が複数存在し、協会ネフロラの手によって厳重に管理されている。もちろん日本にもあるが、テレビを見て興味を持った君島がいくら調べても15年前の発光現象のあった場所は該当しなかった。

「知らないのも無理はない。その古代遺産『ロド』は限られた人間にしか知ることが許されないものだからな」
「異界への扉……ヴィルデムへのただ一つの道……」

 ディーナの口から出た言葉を耳にして、驚いたアーサーとルイスはその目を大きく開いた。

「なぜそれを……」
「バカな……我々の名前と魔法を言い当てるのとは訳が違うんだぞ!?」

 ロドとはヴィルデム語で『門』を意味する言葉だが、真の意味を知るのはその存在を知るものだけ。協会ネフロラで整理されている資料の中でも、それに関することは一般閲覧不可となっており、見ることができる者は限られている。

「社長……ヴィルデムへの道って?」
「遥か昔に、こちらと交流のあったもう一つの文明世界……と言われている」
「言われている?」
「我々も御伽噺を聞いたことがあるだけなんだ。唯一の通路と言われるロドは、互いの世界に干渉しないという盟約のもと封印され開けてはならないと伝えられてきた。本当に異なる世界に通じているのかもわからない」
「じゃあ……15年前に行方不明になった人たちは……」

 行方不明になった人たちはどうなってしまったのか……その答えを聞くのが怖くなり、君島は言葉を詰まらせる。彼女の言わんとしたことを察しながらもアーサーは話を続けた。

「最初の発光現象の後、我々は行方不明になった人たちがそれに関係していると知ってすぐに調査を行った。しかしロドの周辺で彼らの情報は途絶え、調査は難航した」
「その……ロドの封印をもう一度解くことはできなかったのですか?」
「もちろんそれも考えたさ。でも、ロドに関しては絶対に封印を解いてはいけないと伝えられているだけで、その封印を解く方法は残されていないんだ。アーサーも資料を漁ってくれたんだが……」

 ルイスもアーサーも、その当時のことはつい昨日のように思い出せる。協会ネフロラで登録されている魔法使いの中から、封印を解ける可能性のあるものを呼び寄せて何回も試させた。本来ならばロドの存在を他の魔法使いに公にするわけにはいかないところだったが、協会ネフロラがNOと言わなかったのは手段を選んでいる余裕がなかったことを意味した。しかしそれでも、ロドの封印を解くことはできなかった。
 話に興味を持ったのか耳を傾けているディーナに対し、灯真は天井を見上げたまま未だ口を閉ざしている。

「確か発光現象は2回あったんじゃ……」

 君島はテレビで見た当時のニュースを思い出した。最初の発光現象からおよそ半年後、再び同じ現象が起きたことを。

「その通り。我々が手を拱いているときに、突然目の前で再びロドの封印は解かれた。そして現れた光の柱から行方不明者たち出てきたんだ」
「帰ってきたんですか!?」
「彼らがいうには、向こう側の人々が封印を解いてくれたのだそうだ。けれど、それ以外に知ることができたのは、向こう側で戦争があったこと、自分たちを助けてくれた人がたくさん亡くなったこと、その二つだけ。その戦争というのがどういうものなのかは分からなかったが、行方不明者たちは最年長でも15歳、下は7歳と子供ばかりで……」

 それまで天井を見上げていた灯真の目がルイスに向けられる。力の入った強い視線にルイスもすぐ気付いたが、それでも話を続けた。

「子供が経験するには辛い出来事だったのだろうと、それ以上の追求は行われなかった」
「もしかして如月さんも……その事件の……」
 
 君島の問いにアーサーは静かに首を縦に振る。

「トーマの家系や友人関係に魔法使いはいない。トーマが魔法を使えるのは、ヴィルデムで魔法の存在を知ったからだそうだ。言い伝えでは、向こうもこちら側と同じように魔法が存在するというからな」
「じゃあ、如月さんの魔法使いとしてのキャリアは私より長いことになるんでしょうか?」
「いや……魔法について知っておきたいと協会ネフロラの書庫に通う時期はあったが、基本的には一般人として生活をしていたはずだ。キャリアは圧倒的に君の方が上だよ」
「だったら、社長は何を根拠にあの場を任せたんです?」

 15年前から魔法使いとして生きていたことを隠していたのなら、魔法の扱いがうまくてもおかしくはないと君島は思った。あの時のルイスの判断もそれなら納得ができる。しかし、そうではないというアーサーの言葉を聞き、君島の頭の中で情報が上手く繋がらない。

「ん? 松平たちを抑えていたのはルーではないのか?」
「いいえ、如月さんです。彼が本気を出せばどうにかできるっていって社長は手を出さなかったので」
「それは……だな……」

 ルイスは灯真のことを一瞥し、口を急に閉ざす。しかし、アーサーは君島の報告を聞き驚く。

「あの名は、本物だったということか」
「アーサー、それは……」
「どういうことですか?」
「『ゼフィアス・ディルアーグナ』……ヴィルデム語で『翼の守護者』という意味なんだが、彼と共に帰還した何人かの子供が彼のことをそう呼んでいたんだ。戦いを止めたんだと言ってな」
「その名で呼ばないでください!」

 初めて耳にする灯真の怒声に驚いたルイス達が彼の方に目を向けると、灯真は息を荒げて膝から崩れ落ちた。
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