神の業(わざ)を背負うもの

ノイカ・G

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第1章 その翼は何色に染まるのか

20話 悪夢邂逅

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「落ち着いて、深呼吸を……」

 アーサーの口から出た名を拒絶するかのように、両耳を塞ぐ灯真にルイスの声は届かない。みんなが過呼吸に陥った灯真を落ち着かせようとする中、どうしたらいいかわからずあたふたしているディーナの頭に、聞いたことのない何人もの声が流れ込んでくる。


何で守ってくれなかったんだよ……
お前の力なら姉ちゃんを助けられたじゃないか!

もっと早ければ……どうしてもそう考えてしまうが、
君を責める権利は私にはない。

どうして生きてるの……
あの人は死んだのに、どうして!?


 悲しみや怒りを孕んだ言葉の数々はいくら耳を塞ごうと消えることはなく、頭の中で繰り返し響き続けている。ディーナは聞こえたそれらが、彼女の周囲から発する音ではなく灯真から伝わってくるものだと気付くと、灯真の正面で膝をつき彼の顔を自分の胸に押し込むように強く抱きしめた。

「ディーナちゃん!?」

 ディーナに近づこうとする君島を、ルイスのまっすぐ伸ばした太い腕が静止させる。彼女と目を合わせると、ルイスは閉じた口の前に伸ばした人差し指を当て、声を出さないようにと彼女に合図を送る。


************

「この感じ……」

 無かったはずの緩やかな風がディーナの肌を優しく撫でる。生暖かい空気と、鼻につく異様な匂いに気付いた彼女がゆっくり目を開くと、そこに広がっていたのは地面だけでなく空までも赤黒く染まった世界。以前よりもはっきりと、この世界の情報を五感で感じることができる。耳を押さえたくなるほど、無数の声が複雑に響き渡っていることも。
 この世界が何なのか、完全に理解できてはいない。しかしディーナにはここが、彼の心の中であるということを本能的に感じ取っていた。

「灯真さん! 灯真さん!」

 ディーナの数歩先に灯真はいた。体にできた傷から血を流しながら、痛みを訴えることなく虚ろな目で天を見上げている彼に向かって必死に呼びかけるが、たくさんの声にかき消され彼には届かない。


——あの子は死んだ。しかし、君を恨むことをあの子は許してくれないだろう——

「俺は守れなかった……守れなかったんです……」

——お前がもう少し早くその力を使ってくれていたらな——

「そうだよ……俺がちゃんと魔法を使えていたら……助けられたんだ」

——何が英雄よ! 絶対認めないから!——

「俺が本当に英雄だったなら、彼女も、おじさんも、戦ってた人たちもみんな……」

 灯真の目は真っ赤に染まり、大量の涙が流れていただろう跡が目尻から頬を伝い顎まで伸びる赤い線を作り上げている。

『そうさ。俺が頑張ってたらみんな死ぬことはなかったんだ』
 
 目の前の彼以外から同じ声が聞こえたかと思うと、ディーナの足元から真っ黒な人型がスッと現れた。形は人と似ているが動くたびに波紋のように揺らぐ体は、人のそれとは違うことが伺える。顔には口しか見当たらない。

「俺なんかの力じゃ……ダメだったんだ……」

『違うだろ。怖気付いて、痛みに負けて、死ぬのが怖くなったからだろう?』

「……俺のことなんか守ったせいで彼女は……」

『おいおい、 彼女の行為を無駄にする気か?』

「俺は……」

『俺には自分の死を選ぶことは許されない。同じ過ちを繰り返すことも、それから逃げることも許されない。この力でそばにいる人達を守ること……それが俺の贖罪だ」

「でも、今は……」

『もうこれまでのように独りではいられない。我ながら本当にお人好しだと呆れるが、守らなきゃならない子ができてしまったからな。ほら』

 黒い人型はそういうと、後ろに立っていたディーナの方に手を伸ばした。

「ディーナ……」

 上を見上げていた灯真の顔がディーナの方へ向くと、生気を失っていた彼の目が少しずつ輝きを取り戻していく。

「灯真さん!」

 響いていた声が小さくなっていることに気づき、ディーナは再び彼の名を叫んだ。すると天井に白い光を放つ亀裂が入り、差し込む光がディーナを照らす。

『彼女の魂は契約テノクのつながりによって今の状態を保っている。俺がいなくなったらどうなるか誰にもわからない。元の状態に戻って死んでしまうかもしれないね」

「ダメだ……俺のせいで誰かが死ぬのは……」

『だったらやることは一つ。昔のことを悔やんでる暇なんかないんだよ』

 天井からの光によって髪を黄金に輝かせるディーナに向かって、灯真はゆっくりと足を前に出す。重たい足取りで、その目はまっすぐディーナのことを見つめて。黒い人型は一歩後ろに引くと、手のひらを灯真の方へと広げディーナを彼の方へ向かうよう促す。その行為にいささか疑問を覚えたが、ディーナは灯真へと駆け寄った。

「……ディーナのことを守ると決めたのに……こんな……」

 灯真の右手を両手で掴み、ディーナは首を強く横に振る。彼が言おうとしたことを遮るように。

「灯真さんは何も悪くありません。灯真さんは私の魂を救ってくれました。灯真さんは私に外の世界を教えてくれました。美味しいものも食べさせてくれました。本も読ませてくれました。あきらさんにも会わせてくれました。でも、私は灯真さんに何もできていません。私も灯真さんに何かしてあげたいです。美味しいものを作って食べさせてあげたいです。ゆっくり眠らせてあげたいです。辛いこととか苦しいことがあるなら助けたいです!」

 ディーナの心の内に隠してあった言葉が次から次へと溢れ出る。彼女にも止めることができない。

「灯真さんと一緒にいたいです……他の人じゃ嫌です。違う場所も嫌です。私といたら灯真さんに迷惑がかかるって分かってます。私を作った人たちに見つからないように、灯真さんやあきらさんが考えてくれてるって分かってます。でも私はあの場所で灯真さんと一緒がいいです。あきらさんともお話ししたいです。ルイスさんのケーキも食べたいです——」

 ディーナは湧き出る湯水のように自らの思いを告げる。それは彼女が灯真に伝えたかった、でも伝えてはいけないと自分に言い聞かせて抑えていた言葉。灯真と出会ったことで芽生えた彼女の願い。一瞬呆気に取られた灯真だったが、彼女の思いを聞いていくにつれてその表情はこれまで見せたことのない穏やかなものへと変化していく。

「だから灯真さん……」

 自分の思いをありったけ言い放ったディーナの頭に、灯真の右手が優しく乗せられる。すると、天井の亀裂がその幅を広げ血の色に染まっていた世界を白く塗りつぶしていく。光に照らされた灯真の姿も消え、その場にはディーナと黒い人型だけが残る。

「灯真さん……?」
『心配しなくていい。正気に戻ったから扉が閉じたんだ』

 黒い人型は灯真と同じ声をしながらも、口調や態度の違和感から彼とは別人のような雰囲気を醸し出している。

『お礼を言わなきゃいけないね。君が来てくれなかったら、せっかく良くなってきたのにまた俺は壊れていたと思う』
「あなたは一体……」
『ありゃ……本人には気付かれたことなかったけど、やっぱり他の人にはわかっちゃうか』

 笑みを含んだ口調でそう告げる人型を、ディーナは不信感こそあれど嫌な感じはまるでしなかった。以前見た時も、そして先ほども、口調は強めだったがその発言は明らかに灯真を誘導しているようだった。

「彼を助けられるのもあと数回ってところかな」

 人型が口しかないその顔を足元に向けると、足の先からゆっくり白い煙に姿を変えていく。

「彼のことをよろしく頼むね」
「え?」
契約テノクで繋がっている君にしかお願いできないんだ。ちょっと頑固だけどさ」

 人型から変化した煙が宙に散っていくと、立っている床から眩い光が溢れディーナを包んでいく。あまりの眩しさに目を開けていられないディーナの額を、最後まで残った人型の指がトンと優しく突いた。


************

「……ーナちゃん……ディーナちゃん!」

 君島の声に気づいたディーナがその目をゆっくり開けると、アーサーとルイスが慌てている様子と、自身に声をかけ続ける彼女の姿が入ってくる。何が起きているのかと頭の中を整理していると、数秒遅れて自分の胸の中で何かが暴れていることに気付く。そこには、必死に自分の顔を彼女の胸から引き離そうと踠いている灯真の姿があった。
 ルイスとアーサーが、彼女の手を必死に灯真から離そうとしているがびくともしない。灯真もディーナの肩を押して自分の体を離そうとしているが、彼女に抑え込まれた頭は全く動かず、そのまま力を入れたら首が伸びてしまいそうだ。

「君島さん……私……」
「ディーナちゃん、早く如月さんを離して!」

 ディーナはようやく自分が灯真のことを強く抱きしめ呼吸困難にしているのだと理解する。慌てて手を離し灯真を解放すると、彼は不足していた酸素を取り込むように激しい呼吸を繰り返す。

「ぶはっ……はぁ……はぁ……」

 灯真が自発的に呼吸を繰り返す様子を見て、3人は安堵の息を溢す。ディーナが灯真のことを抱きしめた瞬間は魅惑の膨らみに包まれるのを羨ましくも思ったが、正気に戻った灯真が苦しむ姿を見てその考えはすぐに消えた。

「凄まじい力だったな……ルーの力を持ってしても動かないとは……」

 力には多少自信のあるルイスであったが、彼女の細い腕はまるで関節にストッパーでもかけられているのかと疑うほど動く気配がなかった。手首を軽く回してから手の平を数回、開いては握ってを繰り返す。力は問題なく入る。広瀬から受けた魔法の影響が残っていたのかと思ったが、その様子は全くない。純粋に彼女の方が強かったということだ。

「ごめんなさい……私……」
「もう……大丈夫……」

 現実ではないどこかで、自分のことを心配するディーナと会ったことは灯真も覚えている。そのことを確認したかったが、呼吸を整えることに必死でそれどころでは無い。男を惹きつける彼女の魅力の一つではあるが、今の灯真にはディーナの持つあの膨らみが、人の息の根を止める凶器に見えた。
 
「すまないトーマ……あの名を聞かせるつもりはなかったんだが……」

 灯真ならディーナを守れるとルイスが思ったのも、『ゼフィアス・ディルアーグナ』という名を聞いていたからである。だが、15年前にその名について聞かれた灯真がパニックになったこともあり、彼の前でその話をするのをずっと避けてきた。

「今ならその意味を聞けるかと思ったが、判断が甘かったようだ…申し訳ない、トーマ」

 15年の月日が経ち、調査機関ヴェストガインでも働けている今の彼ならば、その名を耳にしても以前のようなことにはならないだろう。アーサーはそう考えていた。自身の認識の甘さを痛感し、灯真に頭を下げる。

「これは……俺の問題ですから……気にしないでください」

 荒かった呼吸は落ち着きを取り戻すと共にその回数を減らしていく。すぐ隣でディーナが心配そうに見守っているが、自責の念から声をかけることもできない。

「少し休んだ方がいいだろう。場所を移そう」

 そう言ってアーサーは踵を返し、中央にある円卓へ向かう。それを見て体をふらつかせながら立つ灯真にルイスは肩を貸してアーサーの後を追う。落ち込むディーナの肩を叩き、君島も彼女と前を行く3人に続いた。
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