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第1章 その翼は何色に染まるのか

21話 解放信者

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 建物の中央に置かれた純白の円卓は、石ではなく大木を輪切りにして作られているものだった。その周りを、所々人が通るための隙間を開けながら、ぐるっと漆黒の鉱石で作られたベンチが囲っている。ほのかに温かみを感じるその椅子は、この建物の外壁のように滑らかで美しい曲面を描き、つなぎ目などは一切見られない。

「適当に座ってくれ。今、飲み物を用意しよう」

 円卓にはアーサーが事前に準備していたのだろうか、赤と白の魔法瓶二つに茶葉の入った缶、ティーポットに人数分のカップとコースターが置かれていた。ルイスたちが近場の席に腰を下ろすと、アーサーは慣れた手つきで紅茶を準備していく。

「砂糖はどうする?」
「こんなことをしていて、時間は大丈夫なのか?」
「今日の仕事については指示を出しておいた。問題ない」

 鼻歌を歌いながら、アーサーは赤い魔法瓶に入れてあったお湯を茶葉を入れたポットに注いでいく。褐色に染まっていくのを見ながらお湯を注ぎ終えると、いつの間にか持っていたティーコジーをポットに被せた。

「少し待ってくれ。この時間が大事なんだ」
「そんなことより……ディーナの登録は……」

 ようやく呼吸が落ち着いた灯真に、アーサーは胸ポケットから一枚の銀板を取り出し、円卓の上を滑らせるように灯真へ渡した。

「安心しろ。登録自体はすでに終わっている」

 それは何も書かれていないただの板だったが、受け取った灯真が魔力を流すと白く光る文字が現れ、ディーナ・ノガルダというアーサーが用意していた名と魔法使い予備群であることが明記されていた。
 力を持たない人からすればただの銀色の薄い板でしかないそれは、魔力を流すことによって反応する特殊な素材を用いて作られた魔法使いとしての認識証。協会ネフロラによって発行されるそれには、名前のほかに魔法使いとしてのランクや、登録の際に付けられた魔法名などが書かれている。 

「すでに終わっていたならどうしてここに来る必要が?」
「ルーには申し訳なかったが、少し網を張らせてもらったんだ」
「網?」

 濃い赤褐色に染まった湯を人数分のカップに注ぐアーサーを見ながら、君島はその意味を考える。

「そもそも私はディーナの報告をもらった時、注目されたいがために取った自作自演の可能性をまず疑った。一般人からしてみればエルフは空想上の存在だから大して相手にされないだろうが、我々魔法使いからすれば大発見だ。嫌でも注目の的だろう」

 アーサーはそういって今度は白い魔法瓶の蓋を開けると、中に入っていた温かい牛乳をカップに注ぎ入れていく。

「それはあり得ません。もしそうならすぐにわかります」
「トーマの通り。君が使った契約の魔法テノクが伝承通りのものであれば、彼女の心の内はすぐにわかる。それに調査機関ヴェストガインの保有する魔道具マイトを使っても、彼女が嘘をついているかどうか調べることは容易だろう。だからその可能性はすぐに消えた」

 コースターに角砂糖一つとティースプーンを乗せ、アーサー自らみんなの前に紅茶を運んでいく。カップからの芳しい香りにディーナは興味をそそられたのか、何度もカップに顔を近づけて香りを味わっている。

「私は他に二つの可能性を考えた。一つは、彼女が自分はエルフであるという認識を、ある種の洗脳のようなもので植え付けられている場合だ」
「そんなことをして何になる?」
「別の何かを隠すための囮といったところか。その名を聞けば、協会ネフロラは大規模な調査を行うことになるからな」
調査機関ヴェストガインの動きをそっちに集中させるためか」

 自分の席へと戻ったアーサーはルイスの問いに首を縦に振る。

「だが、正直これも可能性としては低い。ルーから聞いた、灯真がディーナを発見したときの状況を考えると、彼女が自分をエルフだと語れなかっただろう。それではあまり大きな事件として扱われないし、協会ネフロラはまず動かない。となると残る一つは、彼女の言っていることが事実であリ、禁忌であるエルフの創造を組織的に計画している連中がいる場合だが……トーマ、君はどう思う?」
「えっ……そう……ですね……」

 目の前に置かれた紅茶に手もつけず、灯真はアーサーのいう可能性について考え始める。灯真もアーサーのように別の可能性を疑わなかったわけではない。しかし、彼女の発言に嘘がないということには自分でも不思議なくらい自信があった。それは契約テノクを使った影響なのかもしれない。ただ、効果がハッキリしていない以上それを鵜呑みにするわけにはいかず、それ以外の情報から結論を導き出す。

「ディーナが本当に言い伝えにあるエルフと同じ存在なのかはわかりません。ですが、見つけた時に彼女の魂が異常な状態であったのは事実です。あんな状態には普通なりません。彼女を捉えようとした連中がいるところから見ても、3つ目の可能性が高いんじゃないかと……」

 それが正解かどうか灯真も自信はなかった。ふと紅茶に舌鼓を打つディーナを見つめると、その視線に気付いた彼女は気まずそうにカップをテーブルに戻した。大事な話をしているのはディーナにもわかっているのだが、紅茶の誘惑に負けてしまっていたようだ。灯真は特に怒る様子も見せず、彼女と目を合わせながら小さく頷く。その意味を感じ取ったディーナは、顔を綻ばせながら再び紅茶のカップを口に運んだ。

「私もトーマと同じで、彼女が本物のエルフ……正確には、かつて不老不死という目的のために創造された存在であると考えている。そう考えた方が結びつく点が多いんだ」
「それと15年前の話をしたのと、どう関係があるんだ?」
「エルフ創造の手段を得られる可能性が一つだけあったんだよ。15年前に」
「まさか……」
 
 紅茶の香りと味に不思議な癒しを感じているディーナを除いて、灯真たちはみんな揃って雷に打たれたように目を大きく開き、開いた口を塞ぐことも忘れている。アーサーは自分用に入れた紅茶に口をつけ、納得のいく味だったことに安堵の表情を浮かべたかと思えば、鋭い眼差しをルイスに向けた。

「……そう……封印されたロドの先にある世界、ヴィルデムだよ」
「待て……待て待て待て待て! 」

 声を荒らげたルイスは、円卓を叩きながら席を立ち上がる。彼の声と自分の目の前のカップが揺れるほど震える円卓に驚いたディーナが、思わず隣にいた君島にしがみ付く。

「じゃあ、あの事件はエルフ創造の手段を得るために起こされたとでも言いたいのか!?」
「私はそう睨んでいる」
「どうして……そんな……」

 15年前の事件がなければ辛い思いをすることもなかった。灯真の心の中に怨嗟の念が渦巻いていく。あまりに強いその思いは、ディーナがこれまで彼に感じたことがない恐怖を抱かせる。 
 ここまでの話でもすでに腹八分目を超えている。君島はそう思いながら、心を落ち着かせようと紅茶を口に含んだ。

「あくまでこれは、私の推測で確証があるわけじゃない」
「その結果を予測できる何かを、お前は持っているってことか?」
「……」

 アーサーが突然ルイスから目を逸らす。その様子に何か感づいたのか、ルイスはため息を吐いて頭を掻き始める。

「アーサー……お前……」
「いや……決して間違っては……」

 二人の妙なやりとりを見て、君島はあることを思い出していた。ここに来るときに聞いた、アーサー・ナイトレイが物書きを目指していたという話を。

「社長……まさかとは思いますが……」
「どうやら、アーサーの作り話のようだ。全く、トーマの話まで出して何を考えてるんだ……」

 アーサーの話が本当ではないとわかり、灯真の心に落ち着きが戻り始めているのをディーナは感じ取った。無意識に握りしめていた手の力が抜けたところで、灯真はようやく目の前のカップに手をつける。

「ここに私たちしかいないからといったって、言っていい事と悪い事があるだろう」
「いや、違う。私の推測なのは事実だが、ちゃんと理由あってのものだ」

 ルイスのツッコミに慌てたアーサーは、話の流れを変えるかのように咳払いをした直後、表情が一変する。それまでの話の内容に呆れていたルイスだったが、彼の真剣な眼差しを見てこれから彼が話そうとしていることが冗談などではないと感じ取り姿勢を正した。

「私も、何の情報も無しにこの結論に至ったわけじゃない。最も、それを確信したのはついさっきだが」
「……もしかしてそれは……松平か?」

 ディーナが彼の名前を口に出した時に見たアーサーの反応が、ルイスの頭の中でずっと引っかかっていた。

「彼……というよりは、彼の上司である藤森の方だ。先日法執行機関長モトヒロから、興味深い話をもらってね」
「興味深い話?」
「藤森と彼の部下である松平に対して、モトヒロが監視を始めたと。この意味……お前ならわかるはずだぞ、ルー」
「アーサー、それは……まさか……」

 口を手で押さえて俯いたルイスには、思い当たることが一点だけあった。

「監視って……二人とも同じ法執行機関キュージストの人じゃないですか」
「あの……社長、どういうことなんですか?」

 灯真が問うもルイスは答えない。彼が今いった事とルイスの頭の中にある情報の整理が追いついていなかった。

「ミズ君島のいう通り、彼らは同じ法執行機関キュージストの仲間だ。だがモトヒロが監視対象に決めたということは、彼らがセリーレの一員である可能性が浮上したということなんだ」
「セリーレって……そんな……」

 その名前を聞いて君島は言葉を失う。

 セリーレ——ヴィルデム語で『解放』を意味する彼らは、魔法を使える自分たちこそ人間として上位の存在であるという主張を繰り返す集団である。彼らのことを、魔法使いを取りまとめる協会ネフロラはこれまで魔法使いたちが守り続けていた平穏を壊す『過激派』と認定しその理念を否定している。

「トーマも話は聞いたことあるな?」
「はい、研修の時に話だけは……」

 セリーレの存在は調査機関ヴェストガインにとって憎むべき対象と言っていい。なぜなら、近年魔法使いの犯罪が増えているのも、彼らの考えに賛同する若い魔法使いによるものが多いからである。灯真も研修中、その話を散々聞かされている。もっとも、詳しい話よりも紅野がただグチグチ話をしていた印象が強い。

「待ってください。もしそれが本当なら、どうしてあの人は日本支部長なんて地位にいるんですか!?」
「彼らはなかなか尻尾を出さない。だから敢えて泳がせているんだ。信頼できる部下に監視を任せていると聞いている」

 アーサーも捕まえられるならばすぐにでもそうしたいと考えている。それは法執行機関キュージストの長である日之宮 一大ヒノミヤ モトヒロも同じだ。しかしセリーレの中心人物たちは未だにその影すら見せず、末端の若者たちばかりが問題を起こしている。だからこそ、ここで彼らの仲間である藤森に監視をつけることでセリーレの中心人物たちに少しでも近づこうと考えていた。

「なるほどな。アーサーが15年前の事件とつなげて考えた理由がようやくわかってきた。網を張ったというのも、そういうことか……」

 ルイスはようやく自分の持つ情報の整理が終わり、一息つくために紅茶に口をつける。

「社長、一人で納得してないで私たちにも教えてください」
「藤森は、私とアーサーが別件でその動向を探っている人物の一人なんだよ」
「別件?」
「そう。15年前の……トーマたちを巻き込んだ事件に関与した可能性が、彼にはあるんだ」

 ルイスの言葉が耳に入ると同時に、灯真の両手が自然と握りこぶしを作っていた。15年前の事件は自然現象だったのか人為的なものだったのか、協会ネフロラでも決着がついていない。しかし、その事件による精神的な傷は今も事件の被害者たちを苦しめ、中にはあの事件さえ起きなければとやり場のない怒りや憎しみを抱えている者もいる。灯真もその一人だ。ルイスの発言は、あの事件が人為的なものであった可能性を、藤森がその犯人であった可能性を表す。通り過ぎる時に見た彼の顔を思い出し、灯真の心の中に怒りの感情が沸々と現れ始める。

「トーマ……今はまだ藤森の、あの事件当時の動向に不明瞭な点があるというだけで、犯人だと決まったわけじゃない。落ち着くんだ」
「わかってます……わかってますよ」

 ルイスの意見に納得しようと言葉に出すが、灯真の中に生まれた感情はなかなか消える気配を見せず、握りしめた両手が小刻みに震えている。彼の感情はとても強くディーナにも自然と流れているが、彼女はその中に悲しみの感情が混ざり合っていることに気付く。かすかに感じ取ることができたのは、彼が藤森とは別の人物を思い浮かべていたことだけ。
 灯真が深呼吸をして落ち着きを取り戻そうとしている中、アーサーは話を続ける。

「ディーナに関する偽の調査報告書を先に提出したのも、藤森たちに動きを知らせるためだ。もし私の予想通りであれば、それを見た彼らがディーナを奪いに動くだろうと思ってな。結果として、藤森は部下である松平を使ってディーナを奪いに現れた。公開していないはずの、ディーナがエルフであるという情報まで持ってきてな。それに加えて彼らがセリーレの一員である疑いが出たこと、そして藤森が15年前の事件に関与していた可能性があること……それらの情報から私は、今回の一連の事件がセリーレによるものであると推測したというわけだ」
「確かに筋は通っている……ただ調査機関ヴェストガインの長として意見させてもらうなら、結論づけるには早いな」
「そうですね……少なくとも、15年前の関与が確定しないことには……」

 今ある情報の中では、アーサーの出した結論が有力であることをルイスと君島は理解している。しかし、事件の調査を生業とする二人の職業病とでもいうのだろうか、結論に持って行くための材料が足りないと感じてしまった。
 調査機関ヴェストガインには、当然ながら犯人と結論づけるために確実な証拠を見つけることが求められる。それを怠れば、法執行機関キュージストから嵐のようにクレームが届き、馬鹿の一つ覚えのように自分たちがやった方がいいなどという戯言も出る。そうならないために、日々大量の業務に追われながらも調査機関ヴェストガインは絶対に手を抜かない。ただ、それが普段の生活にも影響し、怪しいことには疑問を抱いてしまう癖がついてしまっている。中にはこれが原因で彼女と別れたなんて調査員もいるほどに。

「私も二人とは同じ意見だ。だから今は大々的に動くつもりはない。モトヒロに今回の件を共有して、まずは藤森とセリーレとの接点から探るつもりでいる。トーマには申し訳ないが、暫くの間ディーナを君のところで匿っていてほしいと思っている」
協会ネフロラで保護した方が安全じゃ……」

 アーサーが連れ帰って保護するとばかり思っていた灯真は驚きを隠せない。自分個人よりも協会ネフロラという組織の方が、何が起きても対応できると思っていた。そんな彼とは逆に、灯真と離れなければならないと思っていたディーナは、アーサーの言葉に喜びを隠すことができず頰が緩んできている。

「トーマの負担を増やすことになって申し訳ないのだが、我々で保護するよりもトーマの方が彼女を守れると、私はそう判断した」
「そんなことは……」
「さっきの松平さんたちとのやりとりで、如月さんのことを警戒したはず。私も賛成です。ディーナちゃんも嬉しそうですし」

 緩む頬を手で押さえているディーナを横目に、君島はニヤリと笑みを浮かべる。彼女に見られていることに気付いたのか、ディーナは頬を真っ赤に染めながら肩を竦めて小さくなる。

「君島さんまで……」

 困り顔を見せる灯真だったが、ディーナが喜んでいることを一番理解しているのは、他の誰でもない彼自身である。彼女から届く歓喜の叫びが先ほどから止まらない。何がそこまで嬉しいのか灯真にはわからなかったが、頭の中に響き続けている彼女の声を嫌だとは思っていない。灯真の口角がわずかに上がっていることをルイスは見逃さなかった。

「トーマのそんな顔を見るのは初めてだな」

 普段表情の変化に乏しい灯真が見せる困惑とも笑みともとれる表情に、ルイスは笑いを堪えていた。灯真の見たことのない顔や反応が面白かったのもあるが、なにより彼が人並みの表情を見せてくれたことが嬉しかった。

 灯真の家族の証言によれば、彼は表情豊かで良く笑う明るい少年だったという。しかし15年前に初めて会ってからこれまで、ルイスはそんな彼の姿を見たことがない。大人になってからも愛想笑いすら見せない彼に、ルイスは責任を感じていた。自分たちが気をつけていれば、あの事件は起きなかったのではないかと。当時調査のために最も被害者たちと接し、彼らの状態を一番見てきたルイスには、特にその思いが強かった。事件で負った精神的な傷が原因で職を失っていた灯真を調査機関ヴェストガインに誘ったのも、ある種の償いの気持ちがあったのからである。
 
「何か変でしたか?」

 思わず自分の顔を触ってどんな顔をしているのか確認しだす灯真だったが、それが自身の心境の変化によるものだということには全く気付いていなかった。
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