神の業(わざ)を背負うもの

ノイカ・G

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第1章 その翼は何色に染まるのか

22話 注目妖精

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「——今日の業務で何か確認しておきたいことはあるかしら?」

 調査機関ヴェストガイン日本支部の1日は朝礼から始まる。その日の対応予定、確認待ちの依頼状況、事務処理の進行状況など、全体で現状共有が行われる。人数が少ない分、何か不測の事態が起きた際にはフォローに入らなければならないからだ。

 いつもであれば溜まっている業務を見て肩を落としている職員ばかりなのだが、今日は職場の空気が明らかに違った。君島日本支部長の斜め後ろに、見知らぬスーツ姿の女性が立っていたからである。肩甲骨まで伸びる緩やかな金色の髪と小麦色の肌、くっきりとした目鼻立ちは彼女に異国の血が流れていることを職員たちに理解させた。

「それと、みんな気になっていると思うけど、今日からここで働いてもらうディーナちゃんです。日本語に不慣れなところもあるから、優しくしてあげてね」
「ディーナ……ノガルダ……です」

 君島の紹介を受け、ディーナは目の前に並ぶ大人たちに深々と頭を下げる。緊張のあまり誰とも目を合わすことができない彼女に好奇の眼差しを向ける職員たちの後ろで、眠そうな目をした灯真が見守っている。

 協会ネフロラ本部での話し合いを終え、ディーナは正式に魔法使い予備群として登録された。それと共にディーナ・ノガルダという偽の身分も協会ネフロラに登録され、ルイスの計らいで調査機関ヴェストガインに籍を置くことになったのだ。
 
 君島が簡単な経緯と彼女が魔法使い予備群であることを説明していく。同性の新人が入ってきたことを喜ぶ女性たちに対し、男たちの視線は彼女の上半身、特に大きく実った胸の膨らみに集まっていた。立っているだけでも目立ってしまうそこは、ほんの少しの動作でも揺れ動き男たちを興奮させている。土屋と岩端は彼女の顔を見るようにするが、速まる鼓動に耐えきれずスッと彼女の隣にいる君島へと目線を移す。

「しばらくは如月さんとペアで動いてもらいます。よろしく頼みますね」
「わかりました」
「ちょーっと待ってください!」

 君島の発言に異を唱えたのは紅野だ。ディーナのことを横目に見ながら、自信ありげな表情で一歩前に出る。

「いくらなんでも、まだ如月には荷が重いと思います。彼女とは俺がペアになりますよ」

 見た目や態度で軽い男だと思われがちだが、教育係として紅野が優秀であることは誰もがわかっている。日頃他の職員とコミュニケーションを取ろうとしない灯真が、ディーナに的確な指導を行えるのかという不安はみんなの共通認識であった。

「私も紅野の意見には賛成ですね。下心が若干見え隠れしていますが、仕事の振り分け具合を見ても現状ペアにするなら彼が適任ではないかと」
「主任……ちょっと棘がありません?」
「事実を述べたまでだ」

 土屋の意見を聞いて職員たちが頷く。調査の依頼は多く、調査員たちは日々多数の案件の抱えている。そんな中で紅野は、的確な調査と判断で一つの案件をこなすスピードが速いだけでなく、予め届いた資料だけで魔法の関与があったかどうかを判別する能力も優れている。事務処理の遅さという問題はあれど、土屋は紅野の業務には一定の信頼を寄せている。
 ほぼ全員が心の中で土屋の意見に賛同している中、担当事務として灯真と仕事をしている岩端だけが彼らと反対の意見を持っていた。この場の誰よりも多くの言葉を灯真と交わしてきた彼だからこそ、仕事の丁寧さや書類の完成度など、どれを取っても申し分ない能力を持っていることを知っている。しかし、その意見をみんなの前で声に出そうとはしなかった。反対の意見を出す空気ではないと。

「土屋主任……申し訳ないけど、これは社長直々の指令なの。だから覆すことは無理よ」

 君島の話に職員全員がざわつき始める。この仕事へのスカウトと役職者の任命以外で長から業務の担当を指名されることなど、これまでに前例がない。

「社長からご指名とか……聞いたことないけど」
「……如月のやつ、コネでもあんのか?」
「でも、社長はそういうことしない人だったはずじゃ……」

 みんなの反応は君島の予想通りだった。普通の新人が来たのであれば、ルイスからの指示に自分も異を唱えるだろう。しかし、今回は状況が違う。何かあった時にこの職場でディーナを守れるのは誰かと問われれば、君島は真っ先に灯真を選ぶ。彼の実力を見てしまったからこそ、ルイスからの指令を覆す意思は微塵もない。全てを話せたらどんなに楽かと頭を抱える。

「みんなの言いたいことはわかるわ。本来なら私も、紅野さんにお願いするのが妥当だと思ってる。だけど今回は」
「ただでさえ人が足りてないってのに、そんな指示聞けるわけないでしょう。いくら面識があるからって、ペアにする必要はないんじゃないですか!?」

 調査機関ヴェストガインは万年人手不足。特にここ数年、法執行機関キュージストがセリーレの監視を強めたことで、彼らの関与が疑われる事件の調査依頼が絶え間なくやってくる。半数以上は魔法すら関係ない事件だ。「ある程度選別して依頼をよこせ」と文句を言いたいところだが、研修に来た松平のレベルを知ってしまったことで、本来調査すべき事件が彼らの選別によって除外される可能性が見えてしまった。そのため、調査機関ヴェストガイン日本支部内で法執行機関キュージストへの文句は禁止という暗黙の了解が生まれている。

 そんな状況の中、魔法使い予備軍とはいえ折角入ってきた貴重な新人の教育を、まだ一人前とはいえない灯真に任せるわけにはいかない。というのが表向きの意見で、実際に紅野の心の中に渦巻いていたのは別の感情だった。
 目立った能力のない灯真のことを調査機関ヴェストガインに引き込んだのがルイスであることは知られており、灯真によほど特別なコネがあるのではないかという噂が流れている。それに加えて今回の件だ。そういったつながりを持たず、誰もが嫌がるこの仕事を真面目に取り組んで信用を得てきた紅野からすれば、面白い話ではない。

「あの……」

 君島と紅野……二人が睨み合いを始め周りにいた他の職員に緊張が走る中、声を発したのはディーナだった。彼女は君島と紅野の間に立つと、紅野の方を向いて膝を折り静かに額を床につけた。

「私のせいで不快な思いをさせてしまって……申し訳ありません」

 彼女の行動にみんな動揺している。躊躇いを一切感じない美女の土下座。しかも、紅野と君島の論点は灯真であってディーナではないので、謝罪の言葉にもズレが感じられる。

(もしかして……結構天然な子か?)
(丁寧な言葉使いだったし……この場を収めようとしてわざと……)

 それまでディーナの外見評価しかしてなかった職員たちが、一斉に彼女の内面について考察し始める。それに対して灯真だけは、彼女の行動を見て一人頭を抱えていた。土下座はするなと約束したはずだった。

(灯真さんに怒られちゃうかな……でもあの人が怒っているのは私が来たせいだし……)

 灯真の頭の中に、微かだがディーナの声が届く。灯真との約束は覚えているようだが、君島と紅野の口論の意味を理解できていない様子だった。

「ディーナちゃん、頭をあげて。ディーナちゃんが何か悪いことをしたわけじゃないんだから」
「そうだよ、えーっと……ディーナさん。問題は如月であって、君は何も」
「灯真さんは悪い人じゃありません。灯真さんは私のことを助けてくれました。ご迷惑をかけているのは私です」

 頭を上げることなく語るその声が震えていることに誰もが気付く。この状況を収める良い手が思い浮かばず紅野は頭を掻き毟る。君島もディーナの背中を摩って彼女を落ち着かせようとするが、頭を上げようとはしない。

(如月に助けられた……例の件と関係があるのか?)

 君島から出されている「灯真のプライベートを詮索しない」という指示との関係性を土屋は疑っていた。彼と同じことを考えていた職員は他にもいる。しかし情報が少なすぎる。職場でも彼と話をするのは事務担当の岩端だけ。近寄り難い空気を出しているせいもあるが、上からの指示もあって彼に歩み寄ろうとはしてこなかった。それが仇になったといえる。

(詮索するなと言われたが……逆に気になってしまうな……)

 頭を抱える灯真を一瞥した土屋は、視線を岩端へと移した。土下座をやめないディーナや彼女の行動に慌てふためいている紅野ではなく、一言も口にせず心配そうにディーナたちのことを見つめる彼に。それは他の職員たちも同じだった。灯真に直接聞くことができなければ、彼と少しでも接点のある岩端しか情報源はない。獲物を狙うかのように、みんなが目を光らせる。岩端も同僚たちから感じる視線に、妙な寒気を感じる。

「すみません」

 その声がこの場で聞こえるとは誰も思っていなかった。岩端の方に視線を送っていた土屋も、ディーナのことを見ていた紅野や君島も、君島の説得に応じず頭を上げていなかったディーナも、その場にいた全員の顔が小さく手をあげる灯真の方を向いた。彼が自分から意見を言おうとするなど、この会社に来て初めてである。

「紅野さんが言ってることはわかりますが、今回は俺に任せてもらえないでしょうか?」
「へ?」

 灯真の口から出た思いがけないセリフに驚き声が裏返ってしまった紅野は、その口を右手で覆い隠す。驚いているのは彼のそばにいる君島も同じで、口が開いたまま止まっている。

「紅野さんみたいに要領よくないことは自分でもわかっています。社長がなんで俺を指名したのかはわかりませんが、何かあれば岩端先輩も色々と教えてくれますし」

 これまで灯真が、自分から何かをやりたいと申し出ることはなかった。理想や将来やりたいことを持たず、他にできることもなくて仕方なくこの仕事をしている。そういう人なんだろうと周りからは評価されていた。だから今の彼の行動は、誰にも予想できなかった。

「じっ……自分からもお願いします」

 彼に続くように声を上げたのは、ずっと口を閉ざしていた岩端だった。

「その……事務的な面でいえば、如月さんは新人を教えるに申し分ないと思います。新人を教えるのはスキルアップにも繋がりますし、自分も出来る限りサポートします」

 岩端の腹の奥に溜まっていた言葉が、蓋が取れたように勢いよく外へと飛び出した。心臓はいつになく激しく鼓動し、スーツの下に大量の汗が出ているのを肌で感じる。

 危険なことはしない。面倒なことには関わらない。それが岩端 飛鳥のモットーだった。魔法使いの家系に生まれ、昔は法執行機関キュージストに憧れていた時期もあった。社会の裏で活躍する彼らをヒーローのように思っていたから。父親や年の離れた兄が働いていたのも大きな理由だろう。しかし、自分が二人のようになれないと知り夢見ること止めた。両親をがっかりさせないように、魔法使いとして働くこと以外は無難に生きようと心に決めていた。
 
 そんな岩端がなぜこのような発言をしたかといえば、彼自身もわかっていない。ひとつ確かなのは、灯真の口から自分の名前が出たから……ということだけ。

「お前何言って——」
「……岩端がフォローに入るというなら、如月に任せていいかもしれませんね」

 紅野の言葉を遮ったのは土屋だった。驚いた紅野は、顎を触りながら何かを考えている様子の彼の方へ歩み寄る。

「主任まで何を言ってんですか!?」
「日頃発言が少ない二人がやる気になってるんだ。悪い話じゃない。それに、岩端がことはお前も知ってるだろう。彼が事務仕事以外でもフォローするというなら懸念材料はだいぶ減る。みんなはどうだろうか?」

 これ以上は時間の無駄だと思って肩を竦めるもの、無難な落としどころだと思い頷くもの、土下座したままのディーナを心配するもの、この後どうやって岩端から情報を引き出すか悩むものなど、人によって考えていることは違ったが、気にくわないという顔をしている紅野を除けば土屋の意見に反論するものはおらず、みんな揃って首を縦に振った。最もそれは、灯真たちがやる気を出したこと自体を良しと思ったことより、やる気を出してくれた方が業務効率も上がって自分たちの負担が減ると想定したことの方が大きい。なんとなく彼らの考えていることを察して心の中でやれやれと呟く岩端に対し、異論が出なかったことにホッと胸を撫でおろした灯真はすぐにディーナの傍に近寄る。

「立つんだ、ディーナ。もう誰も怒ったりしていないから」
「……はい」

 灯真の手を取ってディーナはゆっくりと立ち上がったが、その暗い表情から意気消沈していることは見て取れる。二人の様子を見ていた紅野は、自分ではなく灯真のいうことを聞いたのが気に食わず不機嫌なまま黙って自分の席に向かった。

「異論がなければこの話はここまでよ。仕事を始めましょう!」

 他の職員たちが席へと戻って仕事を始めていく中、手を叩いてミーティング終了を告げる君島の隣に歩み寄った土屋が、他の職員に聞かれないように彼女に耳打ちする。

「一つ貸しですよ、支部長」
「わかってます。でも、助かりました」
「如月自身のことも含め、そんなに知られてはまずいことなんですか?」
「そう……としか今は言えないです」

 灯真の件、そしてディーナの件、共に協会ネフロラ設立以来最大級の事件といえる。最優先で調査すべきだと君島は思っているし、そのために信頼できる土屋に協力して欲しい気持ちもある。だが不確かなことが多い以上、無闇に情報を広めるのは得策ではない。君島としても苦渋の選択だった。
 
「わかりました」

 君島が悩んだ末にその言葉を選んだのだと、土屋は感じ取った。彼女の倍以上の歳を重ね、土屋は多くの人と接してきた。その中には、悩みを抱えて仕事に集中できない者もたくさんいた。くだらないものから、深刻なものまで。彼女のそれがかなり重いものだと察した土屋は、これ以上の追求は望ましくないと判断した。

「社長の判断を信じるとします。ですが、支部長はあまり抱え込まないように。部下としては不適切な発言かもしれませんが……」

 そういって土屋は君島の右手をとると、何かを握らせた。

「たまには年上を頼ってください」
 
 君島が右手を開くと、そこにあったのは小さなべっこう飴だった。土屋が仕事の集中力を保つためにと、常に持ち歩いているものだ。

「ありがとう……ございます」

 軽く会釈をして土屋も席へと戻っていく。君島の中で、土屋の言葉が父親から言われたものと重なる。

 魔法使いとして確固たる地位を築くこと。幼い頃からの君島の目標だった。そのために勉強を頑張り、魔法の技術を鍛え、調査機関ヴェストガイン日本支部長という地位に上り詰めた。そんな彼女に父親はこう言った。

「たまには肩の力を抜かないと、いざって時に硬くなって動けないぞ」

 言われた時は「そんなことにはならない」と強気な態度で反論した。だが、今はその意味を理解できる。まさに今の自分がそうだ。

「じゃあちょっとだけ、頼らせてもらいます」

 そういって飴を包み紙から出して口に放り込むと、君島は手を上げて背筋を伸ばしながら自分の部屋へと戻っていく。口の中に広がる甘味が、少しだけ頭の中をスッキリさせてくれている気がした。
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